聖女の資格
リハビリに短編です。
「アイリーン・カーシュ公爵令嬢!貴様との婚約はこの場を持って破棄する!!」
多くの貴族が集まっている王宮の広間で声高に宣言したのは、この国の王子であるクライヴ・ガーディン第二王子である。王子の傍らには小柄な少女…聖女候補である平民の少女と宰相の息子、騎士団長の息子が控えていた。そして、彼等の正面に堂々と一人で佇んでいるのがアイリーン・カーシュ公爵令嬢だった。
「貴様は聖女候補であるアンジェラを平民だからと蔑み、嫌がらせをし…とうとう命まで狙おうとしたことは分かっている」
広間に居る人々がヒソヒソと囁きあっている。全員の目が王子たちと、それに相対する公爵令嬢へ注がれていた。
「まあ、殿下。私はこの国を思って行動しておりましたのに…そちらの方には聖女の資格はございませんわ?」
「アンジェラへの行為を認めたな?それに、アンジェラには悪魔を退ける光の力がある!平民だからと馬鹿にした挙句、私の寵愛が受けられぬ原因がアンジェラだと思い込んでの凶行…全て今日までだ!!」
「恐いこと…何をなさるおつもりで?」
「アイリーン!聖女を害した罪で貴様を国外追放とする!」
広間中の貴族たちが息を呑む音がした。そんな中でもアイリーンは笑みを浮かべている。
「ふふふ。殿下は面白いことをおっしゃる」
「何だと!?」
「まず、殿下に私を国外追放にする権限などございません。出来るとしたら国王陛下のみ。また、そちらのお嬢さんはあくまで聖女候補。聖女様ではございません。聖女を害した…という表現は如何なものかと」
「アンジェラは唯一の聖女候補だ!アンジェラを害する事は聖女を害するに等しい!!」
アイリーンは広げていた扇を静かに閉じた。
「そこまでおっしゃるのでしたら、出て行っても良うございます。ただ、本当に聖女の資格は無いと思いますわよ?どこか遠くの地で、この国の行く末を見守らせて頂きますわ」
アイリーンが王子たちに背を向けて広間を出て行こうとする。
「その必要は無い」
声のした方を広間中の人間…王子たち、アイリーンもが見た。一段高い所にある玉座は、先程まで空席だった。しかし、人々が見つめる先には玉座に座る国王の姿があった。
「父上…いつからそちらに?」
「この様な場では陛下と呼べと言っているだろう。馬鹿息子が。アイリーン公爵令嬢。こちらへ」
「申し訳ございません国王陛下。私はそちらに居られる第二王子殿下から国外追放を言い渡された身でして…」
「先ほど自身で申していたではないか。その馬鹿に誰かを国外追放する権限など無いと」
人々が王座までの道を空ける。アイリーンは優雅な所作で国王の前に行き、跪いた。
「アイリーン嬢。馬鹿息子が迷惑をかけた詫びを受け取っては貰えぬか?」
「国王陛下からの賜り物を誰が拒否出来ましょう」
「そうか…ならば良かった。現聖女からの祝福を受け取って欲しい」
「な!?」
声を上げたのは誰だったか。聖女は滅多に神殿から出ない。更に祝福を受けられるのは王族でも限られた者だけ。それを一介の公爵令嬢に受けさせるとは…。その幸運に人々が羨望の目を向ける。
「国王陛下…私の様な者には恐れ多く…それに、わざわざ聖女様に神殿から御出いただくなんて…」
「問題無い。実はもう、この場に来ている」
人々は目を疑った。いつの間にか国王の隣には一人の女性が立っていた。その姿を目にした瞬間、アイリーンは広間の大扉の方へ脱兎の如く駆け出した。
「逃しません。神よ光の御業を…」
聖女の体から光が飛び出し、逃げようとしていたアイリーンを包み込んだ。
「ギャーーーーー!!」
野太い断末魔と共に、アイリーンの体から黒いモヤが出てきた。黒いモヤは光から逃げようと藻掻いていたが、やがて光に溶けてしまった。アイリーンは床にうつ伏せに倒れて居た。
周りに居た人々がどうしようかと逡巡して動かない中、聖女が早足でアイリーンに近付き、彼女の上半身を抱き起こした。
「しっかり。アイリーン・カーシュ。目を覚ますのです」
何度か揺すられて、アイリーンはゆっくり目を開けた。
「アイリーン・カーシュ。分かりますか?」
「だぁれ?ナニーは?」
それは、とても幼い響きだった。
後日、城の一室で会議が開かれた。その場には国王並びに王妃と第一王子、聖女、カーシュ公爵夫妻に宰相、騎士団長、主だった上級貴族たち。そして、第二王子と聖女候補のアンジェラ及び宰相と騎士団長の息子が居た。
「皆、揃ったな。では、先日の出来事を説明しよう」
国王が話を始めた。今から10年前、聖女は王族の傍系に取り憑いた上級悪魔と対峙した。取り憑かれた人間と悪魔の親和性が高く、体から追い出すだけでもかなりの力を消費した。
「悪魔は最後の足掻きとばかりに、取り憑いていた人間に重傷を負わせた。聖女は悪魔を追うことより傷を癒やすことを優先した。その判断は正しかったと我も思う。だが、悪魔には逃げられたのだ」
弱った悪魔は力を回復するために別の人間に取り憑くことにした。そして、選ばれたのが当時7歳のアイリーンだった。アイリーンは懐いていた乳母を亡くしたばかりで、日々涙に暮れ、体と心が弱っていた。
「悪魔はアイリーンの体を乗っ取りました。弱っていた幼いアイリーンは悪魔に自我を封じられてしまったのです」
「公爵、アイリーンの様子はどうだ?」
国王と聖女が代わる代わる語る話に皆が聞き入っていた。そして、悲劇の少女であるアイリーンに同情していた。公爵に注目が集まった。
「まだ落ち着きません。鏡を見て17歳の自分の姿に悲鳴を上げ、乳母の名を呼んでは泣きつかれて気を失うように眠る毎日です。私と妻のことも、10年の月日のためか両親だと分からないようで…」
公爵の声は震えていた。夫人は泣くまいと顔に力を入れている。公爵は続けた。
「アイリーンは繊細で直ぐに泣く子供でした。乳母が亡くなった後、人が変わったように泣かなくなり我儘を言うように…乳母を失った悲しみからだと思っていたのですが…。しかし、今考えれば最近の我儘は常軌を逸する内容でした。何故、早く神殿へ相談しなかったのか…」
『性格が激しく変わる』のは悪魔が原因だと言われている。家族や友人の様子が変わったら神殿へと相談するのが普通だ。
「悪魔が長くアイリーンに取り憑いていられるよう、少しずつ性格が変わったかのように演じたのでしょう。そして、アイリーンに悪意が集まるように振る舞い始めた。その悪意を力に変えるために…」
現在のアイリーンの評判はすこぶる悪い。我儘で差別意識の固まり。だが、全ては悪魔の仕業だったのだ。
「恐らく、第二王子に国外追放させるため聖女候補を害したのでしょうね。この国を出れば聖女である私からも逃れられますし、多くの国に不幸を振り撒けます」
言いながら聖女は第二王子へと冷ややかな目を向けた。第二王子と宰相と騎士団長の息子たちが聖女候補に入れ揚げていることは公然の秘密だった。更に三人はアイリーンの幼なじみでもあった。性格の変化を気付ける立場だったのだ。俯いている三人の表情は伺えない。
「さて、アイリーン嬢ですが神殿でお預かりしましょう。公爵邸ではこれ以上の回復は望めないでしょうし…それに、あんなに悪意を集めていたのに悪魔の力は戻っていなかった。簡単に体からも追い出せた。恐らく、アイリーン嬢には光の力が少しだけあるのだと思います」
公爵夫妻は聖女に向かって深々と頭を下げた。聖女は軽く頷くと聖女候補のアンジェラへと向き直った。
「聖女候補アンジェラ。貴女は村に戻りなさい」
「え?」
困惑したようにアンジェラが顔を上げた。
「貴女には聖女の資格はありません。奇しくも、あの悪魔の言うとおりですが…」
「な、何故です!?私には強い光の力が…」
「確かに、聖女になるには光の力が必要です。ですが、それよりも重要なことがあります。それが、貴女には欠けています」
聖女が一旦言葉を切った。
「万人を平等に愛する心です」
その言葉にクライヴ第二王子が声を上げた。
「聖女様!アンジェラは心優しい女性です」
「もし、本当に心優しく万人を愛する性格なら、何故、アイリーンを国外追放に?」
「それは…悪魔が酷い嫌がらせを」
「例え嫌がらせをされても、その加害者を愛せなければ聖女にはなれません。それに、アンジェラは嫌がらせ前からアイリーンを嫌っていましたね?嫌っていたと言うより、嫉妬かしら?」
「え…?そんなことは…」
アンジェラが呟く。聖女は淡々と続けた。
「アンジェラ。貴女の力ならアイリーンを見ただけで悪魔が取り憑いていた事が分かったはず。しかし分からなかった。それは、貴女が自分の心を嫉妬で曇らせていたから。自分の正体を見破れない聖女候補に、脅威では無い存在に、さぞや悪魔は安心したでしょうね。そして利用した。貴女を害しても祓われない…愉快だったでしょう」
アンジェラは震えていた。羞恥と悔しさで。聖女の言うとおりだった。素敵な王子様の婚約者なのに、とても評判が悪い。私だったら、私がその立場だったら…と。
「アンジェラ。もし本気で聖女になりたいなら、神殿で何十年も修行なさい。その間、神官以外とは会わず、俗世との関係は一切断つのです。神と己の心だけと向き合えば…聖女になれる可能性もあります」
確実に聖女になれるとは言わない。アンジェラは華やかな都の魅力に抗えず、王子たち三人と遊び呆けていた。俗世から離れることは無理だろう。故に、答えは出ていた。
「国王。提案なのですが、アイリーンを聖女候補として育てるのは如何でしょう?」
「アイリーン嬢をか?」
「神殿で心を休め、現状を徐々に把握して貰い…教育も一から必要ですね。一般的な教育と一緒に聖女としての教育も受けさせましょう。光の力も修行で底上げ出来ます。私が引退する頃には、聖女としての勤めを果たせましょう」
「そうか…公爵、構わないか?」
「アイリーンにとっては願ってもないお話です」
アイリーンは翌日神殿へと移された。アイリーンは聖女と広間で会ったことを覚えており、自分を助けてくれた人と認識していた為、神殿での生活を喜んだ。
幼児向けの教育から段々とレベルアップし、2年で実年齢までの教育を終えた。同時に聖女直々に光の力の訓練を指導したこともあってか、5年後には聖女としての勤めを果たせる程の光の力を得た。聖女が70歳で引退した後、新しい聖女となり万人を平等に愛した。
一方、生まれ育った村に戻されたアンジェラは、都での生活が忘れられずに居た。誰よりも働き者だった少女は、誰よりも怠惰になっていた。
村人たちは、事情は知らずとも、聖女候補として都へと連れて行かれたアンジェラが村に戻された事実から、アンジェラに対して腫れ物に触るように接していた。
アンジェラは村での生活に嫌気が差し、出入りの商人に着いて村を、そして国を出て行った。旅をしながら光の力で人を癒やしたり、悪魔を祓ったり…ただ、高額の対価を要求した。本人曰く「聖女じゃないんで。タダ働きなんて御免です」との事だったが、貴重な力の為、依頼には事欠かなかったという。
第二王子たち三人は、アイリーンとの婚約破棄及び国外追放の件について、事前にやらかす事を知っていた国王たちが悪魔を祓うために見逃していたことを知らされた。その上で、この国の法律やら一般常識を学び直すよう叱責された。
また、アンジェラと遊び回っていた資金は、本来なら婚約者であるアイリーンに使うべき国費だったため、使った分を返却するために平民に混じって働くように命じられた。王族貴族の常識を知らない者たちを城では雇わない。また、貴族たちも雇わない。故に、平民と共に働くしかなかったのだ。ついでに一般常識も学べと城を追い出されたのだった。
「私があの時、悪魔を逃したばっかりに…」
「悔やまないでくれ。迅速な治療のお陰で、あの子は助かったのだから…」
悪魔に取り憑かれた傍系の王族とは、実は現国王の落胤であった。王の息子なのに隠されながら育てられ、実の親と一緒に暮らすことも出来ず…蓄積した不満が悪魔を呼び寄せた。そして両親への憎しみが悪魔との親和性を強くし、悪魔の力をも強くした。
どうにか聖女の力で悪魔は祓われたが、大きな傷と歩行障害が残った。憎しみは悪魔と共に去ったが、国王たちの事を受け入れられず、治療という名目で隣国へと渡った。
そして10年振りに戻った祖国で、かつて自分に取り憑いていた悪魔の気配を感じ取り、神殿へと駆け込んだのだった。
「我慢ばかりさせた。苦労も…だけど、優しい子」
「ああ。君の力も受け継いだのだな。悪魔の気配を感じ取れるなんて…」
「出来ることなら隠したまま、神殿に囚われず生きて欲しかった」
「…正義感が強いのも考えものだな」
「別に後悔していません。神殿に所属して…三人で過ごせるようになって、俺は嬉しいですよ」
国王と聖女の話に割って入ってきた神官服の青年は顔に大きな傷があった。
「紅茶のおかわりは如何ですか?」
「頂くわ」
「我にもくれるか?」
二十数年の時を経て、やっと実現した『家族の団欒』だった。
国王と聖女は最初から広間に居たけど、聖女の力(光の屈折とかを利用)で見えなかったという設定。