皇帝家の女帝
チェーザレが皇妃と会話をしたり、フロリアーナお姉さまとダンスをしたり。でもヒロインはクラウディアです。
元来た道を戻り、テラスからカーテン越しに大広間の様子を覗くと、ホールの中央で皇帝と皇妃が踊っている姿が見えた。音楽が盛り上がるタイミングでそっと大広間に戻ると、先程と同じ位置にロレンツォが立っていた。
「お帰り、チェーザレ」
「あぁ」
ずっと壁に寄りかかっていたかのように装い、同じように皇帝夫妻のダンスを見つめた。
皇族の血筋を表す金色の髪を整えたカールミエ皇帝と自身の瞳色に合わせた深緑のドレスを纏ったエルメントルート皇妃は、互いを見つめ合いながら国の頂点に立つたる堂々たる踊りだった。
エルメントルート皇妃は、ダヴォリア帝国では珍しい波打つ赤毛と切れ長で新緑色の瞳を持つ美しい女性だ。所謂政略結婚で外国から帝国へと嫁いできた当時、彼女のその珍しい色合いは貴族らの揶揄の対象だった。しかし、見事第一子に皇太子を出産したことと彼女の気丈な振る舞いにより、次第に揶揄いの声は小さくなっていった。
後に第二子フロリアーナ皇女、第三子にクラウディア皇女と続き、合わせて5人の皇子皇女を産んだ。既に40を過ぎているのに若々しさを保ち、衰えない彼女の魅力にカールミエ皇帝は未だ寵愛を注ぎ続けているという。
1曲目に主催の皇帝夫妻が踊り終わると、2曲目からはそれ以外のペアが踊ることができる。大抵、招待客の中で会の主旨に沿った者から前に出るが、今回は俺だ。
空いたグラスを給仕人に渡して、胸元に隠していた子猫をロレンツォに押し付けると、俺はホールへと足を進めた。
背中にロレンツォが小さく文句を投げかけてくるが、とりあえず無視をした。
王座に戻った皇帝と皇妃の前に立ち、皇帝へと視線を送ると頷きだけの承諾を頂き、1曲踊り終わったにも関わらず、息一つ乱していないエルメントルート皇妃の前へと跪いた。
「失礼致します、エルメントルート殿下」
2曲目からは各々がお相手を誘う。約束があったり、本命がいる者は別だが、これも身分の上下やしがらみ云々があり、最初に誘う相手は慎重に声をかけなくてはいけなかった。
参加している中で最も身分が高い婦人はエルメントルート皇妃だ。主賓としては、皇妃を真っ先に誘うのが礼儀だろう。
「陛下と仲睦まじく踊られるお姿、とてもお美しく見惚れておりました。やはり皇妃殿下は陛下のお隣にいる時が一番輝いております。まるでおとぎ話の恋する姫君のようです」
「お上手ですね、ザッカルド騎士団長。今宵の主役である貴方は姫を救い出す王子といったところでしょうか。相変わらず素敵なお姿です」
「有難きお言葉。では今晩だけでも王子であるこの私と踊っていただけますでしょうか」
立ち上がりながら右手を皇妃へと差し出し、腰を曲げる。是非を思案する皇妃はふわふわとした扇で顔半分を隠し、深い緑色の瞳を細めて俺をじっと見下ろした。
見定めている。
先程まで皇帝夫妻のダンスを称する拍手でホールが賑わっていたのに、今はとても静かだった。皆、皇妃が出す答えを待っている。
否であれば俺が皇妃の機嫌を損なわせたとなり、巷の噂を否定し俺を失脚させたい帝国議会側はさぞかし喜ぶだろう。
エルメントルート皇妃は嫁いできた当時にあった自身への非難をその気高い精神で全て晴らし、持ち前の強気な気性で言葉の通り片っ端から蹴散らしてきた。今では、現皇帝家の裏側を統べ、皇帝を置いて実質城内の頂点に君臨するお方だ。彼女の機嫌で帝国の思想が大きく変わる、なんてこともある。
「嬉しいお誘いですが」
否の開口に、観衆がどよめく。
「私のような壮年よりも、相応しい年頃の御姫様方がいらっしゃいませんこと」
「そんなことは」
「それに私は陛下の隣が一番輝いているのでしょう。なら、ここから動きたくないわ」
扇で隠した口元を半分見せながら、エルメントルート皇妃はカールミエ皇帝に微笑みかける。それに応えるように皇帝も口元を上げた。
見せつけてくれる。それに俺の世辞を入れて断れば議会側も文句は言えまい。相変わらず、頭の回るお方だ。
「大変失礼致しました。仰る通り、殿下が最も美しくいられる場所からお誘いするわけにはいけませんね。危うく姫君を攫う魔物になってしまうところでした」
「お気になさらないで、私が我儘なだけですわ。それに、私を救い出す王子は陛下だけですから。その代わりに、」
一旦言葉を切って皇妃は扇を下すと、先程皇帝に向けた笑みとは違う笑顔で、言葉を続けた。
「フロリアーナと踊っていただけませんか」
「えっ」
他の皇族と同じように、皇帝と皇妃の一歩後ろに並べられた椅子に座っていたフロリアーナ皇女から驚きの声が出た。皇妃の案に皇帝は呆れた息を吐き、皇太子に至っては片頬を肘掛けにつけて、不敵に口元を上げていた。
「フロリアーナは私と同じ色を持つ美しい愛娘です。先日、成人の儀を終えたばかりなので、若き騎士団長にエスコートをお願いしたいわ」
お嫌かしら、という言葉を少し強めに発して、皇妃は首を傾げた。
断れる訳がないだろうに、わざと俺に手綱を渡すとは。さすが現皇族を統べる女主人。こんな大舞台で実の娘も巻き込んでくるなんて。
「とんでもございません。是非」
思いっきりの笑顔を貼りつけ、フロリアーナ皇女の前へと跪いた。
「フロリアーナ殿下、私と踊っていただけませんか」
先程と同じように右手を差し伸べ、下からフロリアーナ皇女の反応を待つ。
椅子に座ったままのフロリアーナ皇女は、皇妃と同じ色の瞳を見開いて、俺を見下ろしている。その瞳は驚きと戸惑いの色が見えるが、すぐに笑みを浮かべて俺の手を取った。
「若輩者ですが、お願いしますわ」
「お任せください」
右手に乗せられた手を握り、ホールの真ん中までエスコートする。オーケストラが曲を演奏し始めると、俺たち以外のペアもホールに集まっていく。赤いドレスを纏うフロリアーナ皇女の腰に手を添えると、一瞬彼女が身じろぐのが分かった。
成人してから間もない上に、あのような形で突然の皇妃からのご指名とあっては、緊張しているのだろうか。
「どうぞ、私にお委ねてください」
安心させようと耳元で囁いたら、今度は怒りが乗った瞳で見上げられた。これもすぐ笑顔に戻ったが、あまり好かれていないのがよく分かった。
音楽に合わせ最初の一歩を踏み出す。フロリアーナ皇女も足を動かし、軽やかにステップを刻んでいく。
ダンスは女性が美しく舞えるように男性がエスコートする。歩幅を合わせたり、時にはリードをしたり、躓いてもそれをカバーできるぐらいの技量が男性には必要だが。
フロリアーナ皇女は、男性がリードせずとも美しく踊る。女性にしては高い背丈と長い足もあり、歩幅も大きく変わらない。皇妃と同じ緑の瞳と印象的な赤い唇に合わせたドレスとアクセサリー。成人したばかりとは思えぬほどの気丈さに、誰しも魅了されるだろう。
曲が終わりフィニッシュをしてから、フロリアーナ皇女を王座の方へを誘った。
「踊っていただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。噂の騎士団長とご一緒できて光栄ですわ。とても、お上手ですのね」
「恐れ入ります」
皇女の顔は笑顔なのに、言葉の節々に棘を感じる。顔に出ないように一礼をした。
皇帝と皇妃にも一礼をすると、椅子に座っているクラウディア皇女が見えた。挨拶に訪れる貴族たちと数言交わす間に、目が合う。足の痛みは取れていないだろうに、笑みを絶やさないその姿に口元が緩んだ。
クラウディア皇女も微笑み返してくれたが、他の者に向けるもの同じ色の笑みで、年を感じさせない大人びた笑顔だった。
その笑みに違和感を感じ確かめたかったが、隣に座るフロリアーナ皇女からの視線がとても痛い。
早々に立ち去ることにしよう。
一体何がフロリアーナ皇女を怒らせてしまったのだろう。直接会うのは昼間の継承式が初めてだし、既にその時には厳しい感情を向けられていた。
噂の騎士団長、ということは、俺が次期皇帝を狙っていると思っているのだろうか。完全否定をしたいが、どう伝えたらいいのやら。それにとても、お上手、って。確かにダンスも上手いほうだと思うが、彼女も素晴らしい動きだった。特別、異を唱えるようなこともないはず。
思考にふけっていると、自分の娘と俺を踊らせたい貴族らから我先にと声がかけられる。1人に応えれば次々と。直接御令嬢からお誘いを頂くこともあり、紳士的に対応をしていたら最期の曲を残して、踊り続けることになってしまった。
最期の曲は特別だ。パートナーがいる者はパートナーと、フリーの者は本命を誘う。俺は誰と誘うのだろうと、目を光らせる御令嬢たちを何とか回避しながら、元いたテーブルに戻るとロレンツォが変わらず壁に寄りかかっていた。
「お帰り、チェーザレ」
さっきと同じ台詞に、俺はわざとらしく溜息をついて返した。
「ローリー、花の壁に徹するつもりか」
「俺は男だ」
「私と踊っていただけませんか、ロレンツォ姫」
右手をロレンツォに差し出すと、寒気がすると叩き落とされた。
最期の曲をロレンツォと踊ったら、群がる御令嬢たちを落ち着かせる事が出来るだろうか。
「淑女たちの牽制にはならないぞ」
「お前、俺の考えがよくわかったな」
「顔に出てる。そうやって、殿下の機嫌も損ねたのか」
「まさか」
「だろうな。どこから見ても期待の新騎士団長と麗しき帝国皇女が恋仲と思えるほどのダンスだった」
「それはどうも。正直、まったく身に覚えがないのだが」
「お前のことだ、噂に尾ひれはひれが付いたんだろう。たらしが」
「久しぶりにあった親友にひどくないか、ローリー」
「これからは、嫌でも顔を合わせるんだ。今のうちに監査会でのやり方を覚えておいた方がいいと思ってな」
「手厳しいご指南だな、部門長殿」
明日から正式に帝国騎士団長として任務につく俺は、今後のことも考えて一部組織改革をしていた。今までは従者を通してやりとりしていた業務を責任者が定期的に顔を合わせることで、組織間の情報流通を円滑にしつつ、互いに牽制し合うように取り付けた。
もちろん反対意見もあったが、そこは監査会に所属するロレンツォに根回しをしてうまいように通した。
そのため、最低でも週1回はロレンツォと仕事で顔を合わせることになっている。
「ロレンツォこそ、誰か御令嬢を誘わなくていいのか」
「必要な方とは踊ったし、最後の曲を一緒に踊る淑女はいない。それに、俺はこの子のお相手で忙しいからな」
「久しぶり~、チェーザレ~」
「ヴィットーレか」
ロレンツォが閉まっていたテラスのカーテンを開けると、そこにはもう一人の親友ヴィットーレが子猫を抱えて座り込んでいた。ロレンツォはヴィットーレから子猫を受け取ると、眉間の皺を深くして俺に突き出してきた。
そうだった、ロレンツォに子猫を預けて皇妃のとこに行ったっきり、しばらく戻ってこれなくなってたんだ。
受け取りながら、俺は謝った。
「おめでと~、団長っ」
「ありがとな。お前も来ていたのか」
ヴィットーレの平凡な顔と間延びした話し方は相変わらずで、俺と同じ瑠璃色の騎士団の制服を身に着けている。栗色の髪は綺麗に整えられていて、学生時代と変わらない垂れた目の顔には少し不似合だった。
帝国騎士団第1騎士隊第1中隊の隊長を務めているヴィットーレは、本人の希望通り本業とは別に帝国の間者としてよく外国へと足を運んでいる。そのためか、自然と気配を消す癖がついていて、元々俺たち2人の間で薄かった影がより薄くなっていた。
ちなみに、今日は誰とも踊っていないらしい。
「まぁね~。それにしてもすごかったね、ダンスのお誘い」
「無下に断ることもできないしな。最期の曲以外は、な」
「偉いなぁ。でも一番観れたのはフロリアーナ殿下とのダンスかなぁ。踊っているときの殿下の笑顔、殺気がダダ漏れだったし」
ヴィットーレは小さな声でくすくすと笑う。それに呆れた息を吐きながら、ロレンツォは大広間のカーテンを閉めた。
テラスで3人になった俺たちは、手すりに腰を掛けながら今夜の舞踏会について話し始めた。
「で、なんであんなに嫌われてるんだ?」
「全く分からない。初見は昼間の継承式。他、頻繁に皇族と会えるわけでもないしな」
結局、フロリアーナ皇女からの受けた熱い視線の話題に戻ってきた。
俺の大きな手の中で小さい体を延ばしている子猫を撫でながら、俺は溜息をついた。揶揄うようにヴィットーレが笑う。
「初めてじゃない?チェーザレを嫌う女性って~」
「大げさだ」
「エルメントルート皇妃、おそらく殿下のお気持ちを知っていてお前に振ったんだろう」
「一理あり。あのお方は、大変な策士だ」
「あはは。逆に、フロリアーナ殿下は分かりやすくていいじゃない~」
「なんだそれ」
「腹の中で何考えてるか分からないよりは、ってこと」
「自分のこと言ってるのか、トーレ」
「ちょっ、ひどいよ、ローリー」
ロレンツォに賛同の意を表すると、ヴィットーレは膨れながら大広間から持ってきたデザートを頬張った。
甘いものが好きなのも相変わらずだ。
「腹の中で何を考えているか分からない、か」
「そうそう。女性っていーっつもにこにこと笑顔で楽しそうなのに、実は怒っていたり裏ではひどいこと言ってたり」
「お前の妹たちって、そうだよな」
「そうそう。僕振り回されてばかりだったからさ」
「そう言ったら、第二皇女のクラウディア殿下もいつも笑みを絶やさないお方だ」
クラウディア皇女の名前に内心びくりとした。
2人は俺の様子に気付いておらず話を進めてるため、ごろごろと鳴く子猫に視線を落として大人しくしてることにした。
「確かにそうだけど、あのお方は別物だよ~。聖女様だよ~」
「北の国に伝わるおとぎ話の聖女か?あれは、黒髪に赤い瞳だ」
「色の問題じゃないって。雰囲気がさ、聖女っぽいじゃない」
確かに。
「空のように淡いアッシュブロンドの髪、陶器のように透き通る白い肌と細い手足、小鳥が囀るのような控えめな声、小さい顔に零れんばかりの大きな金色の瞳」
そうそう。
「控えめな色の唇を上げて微笑む姿は、神々しくも儚げで」
実際とても慎重に触れないと、すぐに壊れてしまいそうだったな。
「驚いた。トーレに詩人の才能があったなんて」
「ローリー、僕だって素敵な面があるんだよ。なんて、全部今夜のご婦人方からの受け売りなんだけどね~」
さすが多大な寵愛を集めるクラウディア皇女。女の嫉妬が多い社交界でも称賛の声が多い。
「しっかり諜報活動はしてるんだな」
「いやだなぁ、僕、結構仕事できる方だよ」
「知ってる」
「だよね~、ところでさ」
ふと、視線を感じて顔を上げるとロレンツォとヴィットーレがいつの間にか立ち上がって、俺を見下ろしていた。正確にはヴィットーレは視線の高さが同じだが。
「その子猫~」
「どうしたんだ?」
「えっ、、」
子猫が応えるように小さく鳴く。
「どうしたって、、」
「急にさ、静かになったよね~、チェーザレ」
「クラウディア殿下の名前が出てきたあたりからだ」
「なんのことだ」
2人の視線が苦しくなり、ゆっくり視線を横にずらすとロレンツォがそれに顔を合わせてくる。逆に視線を移すと、今度はヴィットーレがそれに合わせてくる。
笑みを作ろうとしたが、頬がぴくぴくと痙攣してるため歪になってるだろう。
「そういえばさ」
「な、なんだ」
「その子猫、毛並みがクラウディア殿下に似てるね」
「は?」
「トーレの言う通りだ。色は違うが大きな瞳もクラウディア殿下によく似ている」
「いや、猫って目が大きいものだろう」
「「チェーザレ」」
2人の声が重なり、俺を攻め立てる。もう一歩後ろに仰け反れば、テラスから庭に落ちる。ざっと3mはあるだろう高さから落ちるのは、面倒だ。しかも今は子猫を抱えている。
不敵に口元を歪める親友2人に、俺は肩を丸くして諦めた息をゆっくり吐いた。
「話す気になったか、チェーザレ」
「なったなった。だから離れろって」
「逃げようとしたら、こうだからねっ」
「ちょっ」
ヴィットーレに子猫を奪われる。小さく鳴く子猫に頬擦りをしたり、お腹の匂いを嗅いだりと。なんだかクラウディア皇女がヴィットーレに汚されるみたいで子猫を奪い返す。呆れた息はロレンツォの口から漏れた。
一体、どこから説明をしたらいいのやら。ひとまず、壁に耳がない場所に移動するため、2人を騎士団長の執務室へと連れていくことにした。
チェーザレはたらしはたらしでも、人たらし