衝動
いつも、またここまでお読み頂きありがとうございます。
ようやく、ようやくヒロインの力が発揮されます。
数週間後。
「こちらにもサインを」
淡々といつもの動作でリッカルドは執務机に書類を重ねていく。最初は俺も真面目にペンを走らせていたが、終わらない書類に嫌気がさしてくる。だが一息つきたいと思うタイミングで、優秀な副官殿が丁度良い濃さの紅茶とお茶菓子を差し出してくる。これはこれで有難いが、ちきんとした休憩をする隙がない。
「次の分で一先ず本日の分は完了となります」
「、、、あぁ」
そして今日もカーリンとはきちんと話ができていない。ノルドハイム国の計画通り、カーリンを伴った警邏が始まってから彼女は常に国内を飛び回っている。それでも数日ごとに休みを取ってはいるが、それでも会うことがてきない。
その上、最近夢にまで例の声が出てくるようになった。おかげで寝不足気味だ。このことも俺より知っている風なカーリンに確認したい。が、リッカルドが指を差す書類の山は、今日俺が処理した山と同じぐらいの高さがある。上長の調子が悪くとも容赦ない副官殿は相変わらずだ。
窓の外を見ると太陽はおやつの時間を少し過ぎた辺りに位置している。陽が沈むまでにぎりぎり、といったところだろう。
まぁ、いい。今日これだけ処理をしたら流石に明日は少しましなはず。朝一で終わらせてカーリンを探し出そう。確か明日は休みのはず。流石に城外には出ていないだろう。
俺は温くなった紅茶を口にしながら、気持ちを入れ直してペンを動かした。
「小耳に挟んだのですが」
「なんだ」
「カーリン様は明日、フロリアーナ殿下とお茶会のようです」
「は?」
リッカルドは俺が驚いた様子をちらりと横目で見ただけで、直ぐに手元の資料に視線を戻した。真っ直ぐに伸びた背中が残念でしたと嘲られているようで、思わず手に力が入る。案の定、ペン先はぼきっと音を立てて折れた。それをリッカルドは分かっていたとばかりに新しいペン先を机の上に置いていく。
おかしい、いくら何でもタイミングが合わなすぎる。
カーリンの力が知らしめられたあの夜から、帝国の守護者にでも仕立て上げたいのか毎日のように皇太子かフロリアーナ殿下、その近衛騎士や貢献者たちまでカーリンを取り合っている。帝国側の考えは大いに分かるが、それをあいつが拒否しないのが解せない。
「御手が止まっていますよ、団長」
「、、、分かっている」
机の上を転がっていた新しいペン先を雑につかみ上げ、取り換えて一つサインをする。それに満足したのかリッカルドはまた自分の業務へと戻っていく。紙が擦れる音とペンが走る音、時折カップがソーサーと触れる音が部屋に響く。紅茶の最後の一口を飲み干すと、底に溜まった茶葉も口の中に入ってきてざらざらと舌の上を走り、少し渋い。
窓の外をもう一度見ると、いつの間にか陽は傾き、空の下半分を赤く染めている。その色が、カーリンの瞳を思い出させて余計に焦った。
完全に避けられている。
頭に浮かんだのは掴み上げた細い腕と俺を見上げる濡れた紅い瞳。籠った感情は、怒りだったんだろうか、それとも。
『カーリン、傷付いたよ』
親友の一人の言葉が嫌に頭に残った。そういう質じゃないと分かっているのに、もしかしてと時間が経つ度に違う考えが浮かんでくる。確かめようにも、ここ数週間まともに姿すら捉えてもいない。知り得るのは全て人づて。聞く限り元気そうではあるが、気丈に振舞っているだけかもしれない。
「はぁ」
溜息が自然と出てきた。
結局、答えも出ない、カーリンの予定も押えられないまま今日も陽が沈み、俺は最後の書類にサインをして俺は執務室で力尽きた。日頃の寝不足で限界が来たらしい。ペンを片手に執務机にぶっ潰した上官をよそに、リッカルドは俺が仕上げた書類を抱えて早々に出ていったらしい。それに気づいたのは、居眠りから月明りで目を覚ましたときだった。
まだ眠り足りないが俺は部屋を出た。こんな夜中にカーリンが捕まるはずはないが、閉じ込められていた執務室からは脱出したかった。
腰に剣も下げずにあてもなく公城内を歩き回った。馴染んだ剣は入った亀裂の修繕でまだ手元に戻ってきていない。代わりを何本か持っているが、公城の敷地内を散歩するぐらいでは装備するものでもない。
すれ違う騎士達の礼に応えながら、辿り着いたのは城下町に続く門の前だった。振り返れば、クラウディア殿下が魔物に襲われた小さな庭園の跡地がある。浄化は済んだがまだ黒ずんだ地面と焦げた垣根が浮かびあの惨劇を物語っていた。
誰もいないことをいいことに、俺は残っていた垣根を背もたれにして床に座り込んだ。ちくちくと枝が背を刺したが、僅かに残っていた花の香りが心地よく俺を包み込んで、ゆっくりと目を閉じた。
『貴方、本気になったとき、どんな感じ?』
カーリンの言葉を思い出す。俺はあの時、ここで起こったことを答えた。クラウディア殿下が殺されると思った瞬間、俺の理性は簡単に散った。なりふり構わず目の前の魔物を切り刻み、血の穢れによる周囲の影響も考えなかった。クラウディア殿下も傷付けた。
衝動のまま、肉を断ち、血をまき散らし、目の前のモノを破壊することしか考えない。まるで俺が魔物のようだった。
-爆ぜろ-
また例の声が頭に響いたと思ったら、目の前が真っ赤に染まった。それはゆらゆらと揺れ、赤色が炎の色だと分かった途端、ぼやけていた景色が鮮明になった。
どこかの高台から、俺は炎が広がっている地を見下ろしていた。叫ぶモノ、抗おうとするモノ、事切れたモノ。それら全てを無にしていく炎は、轟々と音を立てながら消える気配はない。
地獄絵図にも、協会の壁に飾られるような絵にも見えるその光景を、俺は一人見下ろしていた。
-終焉は-
紅く染まる夜空に向かって鳴く。
-永久に-
「もし」
「っ!」
突然、俺の腕に何かが触れた。咄嗟に、その感触のソレを掴み上げ地面に叩きつけた。バチンと何かが地面に当たる音がして、俺は音がした方を向いて大きく息を吸った。
ソレを焼き尽くすために、大きく口を開き、腹に力を入れる。
-全てを、浄化せねば-
「止めて!」
息を吐こうとした瞬間、頭の声と制止の叫びが重なり、俺の体が止まった。声の方を向くと、そこには濃い紺色のローブを纏った小さな影が立っていた。
「お止めください」
「っ、」
ローブの影から見えた小さな薄い唇は微かに震えているのに、悲鳴に近い制止の声ははっきりと言葉を綴っていた。小さな影が一歩こちらに近付くと、先程までか細かった星の光が不思議と強くなり影を照らしだした。
淡い照明の中でローブは一際輝く蜂蜜色の瞳が、驚愕と少しの恐怖の色で俺を見つめていた。
「あ、あ、、、たす、けてっ、、、」
「放して下さい」
言われるまま手の力を抜くと、ソレは慌てて小さな影の足元へと縋り寄った。
「大丈夫です、大丈夫」
「あ、、やっ、、許しっ」
「怖がることはありません。彼は我が帝国の騎士です」
がたがたと震えが止まらないソレの背中を摩りながら、小さな影は優しく話しかける。その声色に、ソレはついに泣き出してしまった。
「も、もっ、、、申し、わけっ、、、殿、下っ」
「私の為だったのでしょう。決して咎めません」
「クラウ、ディ、、殿っ、、私っ」
殿下の腕に縋りつくソレは、嗚咽を繰り返しながらも謝罪の言葉を重ねる。少しして来た侍女長に支えられ庭園から連れ出される時でも体の震えは止まらず、俺に怯えていることは見えた分かった。その様子を俺は地面に膝をついた中途半端な指定のまま見つめた。装いから、ソレはクラウディア殿下付きの侍女だった。
侍女長と入れ替わりにクラウディア殿下の近衛騎士が庭園へと走ってくる。状況を把握しきれていない近衛騎士は、俺に剣を構えようとするが殿下がそれを止め、控えるように指示をしていた。
そんな様子を俺は呆けて見つめていた。まだ頭の中には、大きく揺れる炎の中にいた。
「ザッカルド騎士団長」
澄んだ声が俺を呼ぶ。小さな顔が少し傾げて俺を覗き込んでいる。大きな瞳が一度瞬いて、俺はようやくこちらの世界に戻ってきた。開けっ放しにしていた口を閉じ、微かに震える手で覆った。
また、俺は傷付けようとしたのか。
「そちらでは、風邪を引いてしまいませんか」
ゆっくりと笑みを浮かべたクラウディア殿下は、手を差し出してくる。誘われるまま俺は、その小さな手を取った。
クラウディア殿下に誘われ、俺と近衛騎士は公城の一画にある庭園に向かっていた。エルメントルート皇妃管理下の庭園はそれぞれテーマが設定されている。季節を表すものや各国を表すもの、もちろん皇妃の好みを集めた庭園もある。今向かっている所は主に木と葉が生い茂る、まだテーマは決まっていない比較的新しく簡素な庭園だった。
「こちらへ」
「、、、失礼致します」
青々とした葉が屋根の代わりになっている木の根元に長く背もたれもない簡易ベンチが置かれている。辺りを見回すと人工物はそれしか見当たらない。促されるままベンチの前へ進むと、すぐ後ろに控えていた近衛騎士もついてくる。
「申し訳ございません、少し控えて頂けませんか」
「しかし、殿下」
「大丈夫です。彼は我がダヴォリア帝国が誇る騎士団を統べる騎士です。何かあっても、ザッカルド様が守ってくれます」
クラウディア殿下がもう一度謝罪をすると、近衛騎士は俺を睨みつけてから渋々と踵を返した。まぁ、気持ちは分かる。ついさっきまで不審者だった男が皇女殿下と2人っきりになるんだ。
彼の背中が見えなくなるのを確認してから、殿下はゆっくりを振り返り俺に微笑みかけた。変わらぬ心を癒す笑みに、俺は自然とその場に跪いていた。
「申し訳、ございません」
「いえ。こちらこそ私の侍女が大変失礼致しました」
「もし怪我をされていたら、私が責任を持って」
「聖女様に治癒をお願いしますか?」
クラウディア殿下の口からカーリンが出てきて、俺はどう返すか戸惑った。確かに貢献者に言うよりはカーリンの方が早くて確実だ。だが今の俺たちの状況では。
「すみません、失言でした」
「いえ、、そのようなことは」
地に着けた自分の拳を見下ろす。そこに微かな影が重なってから顔を上げると、目の前にクラウディア殿下が立っていた。
紺色のローブの下には同じぐらい濃い灰色の簡易ドレスを纏っている。私的な敷地でしか着ないような装いに、俺は思わずまた顔を伏せた。ほぼ部屋着じゃないか。
俺の反応にようやく自身の恰好に気付いたのか、クラウディア殿下はローブの前を押えて肩を竦める。
「し、失礼致しました。このような格好で」
「いえ、こちらこそ、、、その、失礼致しました」
愛称を呼ぶ仲になったとはいえ、部屋着を見るのは初めてだ。ローブで隠しきれていない細い体の線がより強調されていて、、、目のやり場に困る。
「あ、あの」
「はい、クラウディア殿下」
「座り、ませんか?」
すぐ傍に置いてあるベンチを小さな手が指さす。確かに殿下を立たせたままというのは宜しくない。俺はこのままでもいいが、俺が動かないと殿下も座らないだろう。了承を応えて俺は立ち上がり、クラウディア殿下がベンチに座るのを騎士の礼で待った。
大きめのベンチ半分もいかない殿下の小さな体は、真ん中よりも少し端の方に座った。空いたスペースは大柄な俺でもゆったりと座れるぐらいで、どこに座るか悩んだ末、殿下の触れないよう逆側の端に腰を下ろした。横に広がるドレスとは違い簡易ドレスはエンパイアラインであまり場所を取らない。そのせいか、俺と殿下の間には思った以上に隙間が空いた。
ベンチの距離に不自然を感じたのかクラウディア殿下は首を傾げているが、これ以上近くに行くのは憚れた。なんせ、ついさっきクラウディア殿下の侍女を襲おうとした男だ。普通の状態で2人きりになり一緒に座っているだけでも危険だというのに、当の殿下本人は物足りなそうな、少し戸惑った表情で俺とベンチ、空いた隙間を何度か見ている。
勘弁してくれ。その仕草がどれだけ俺を煽っているのか、彼女は分かっていない。無防備にも程があるだろう。なんで今日に限って上着を着てないんだ、俺。
「殿下、今夜は月もありません。夜風は体にも障りますのでこの辺りで」
「大丈夫です」
俺が大丈夫じゃない。
「ですが」
「チェーザレ様」
鈴のような声が少し強めに聞こえた。敢えて逸らしていた視線を目だけで殿下に移すと、蜂蜜色の瞳に強い意志を携えて自身の膝を何度か手で叩いている。俺は思わず目を見開いて腰を上げた。
いや、待て。それはちょっと。
「殿下、一体何を」
臆病者でいい。知らぬ振りを突き通して一刻も早くこの状況から抜け出そう。寝不足で判断力が鈍ってる。カーリンのことも片付いていないし、最近の俺はおかしい。只でさえ殿下に弱いのに、膝枕なんてしたら俺は。
「私のでは、、足りないですか?」
いや、十分です。
そんなことは言えず俺は半端に腰を浮かせたまま、また何度か自身の膝を何度か手で叩くクラウディア殿下を凝視した。
いつもの甘い蜂蜜色の瞳と薄い唇はいつも以上に強い意志を示していて、少し頼もしく見える。逞しいとは違う、全てを受け止めるような、そんな大きさと温かみが感じられた。
「クラウディア、殿下」
「ディと、呼んでください」
命令に近い甘い声と緩んだ口元に誘われるまま、俺は殿下の愛称を呼んだ。喉が嫌に乾いて上手く音が出なかったが、クラウディア殿下はそれに短く応えてくれた。
ふわりと甘い香りが鼻を擽る。この庭園に花はまだない。香りの元はクラウディア殿下だ。
「こちらへ」
ベンチに誘った時と同じ言葉を発し、クラウディア殿下は小さな手と細い両腕を俺に向ける。触れるか触れないかの位置でそれが止まると、蜂蜜色の瞳が揺れるのが分かった。
俺から触れるのを待っている。そう分かると、喉が鳴り、体の奥が震えてくる。辛うじて歯が鳴るのを我慢したが、衝動を抑えられそうにはなかった。
「チェーザレ様」
もう一度名を呼ばれ、俺はついに体を委ねた。




