それぞれの想い
今回は視点がチェーザレ→カーリンと変わります。
夜風が冷たい。それが熱を持った体と頭にはちょうど良かった。
「はっ、はっ」
ぶん、ぶんと空気を切る音が耳に届く度に、変わらない確かなリズムが心地良いと感じながらも、何ら変化も感じられない感覚が余計なことを考えさせられる。こんなときに限って、しつこかった例の声は静かだ。
俺は、どうしたらいいんだ。
この世界に転生して22年。生まれは恵まれていた方だ。母親は早くに亡くしたが、それでもチート力でイージーモードではあったと思う。心を許せる親友も得られたし、騎士団長という地位も手に入れた。愛する人はまだ手に入れてはいないが、想い合ってはいる。何も問題はない。
「ふんっ」
剣を横に殴り引くと、用意しておいた丸太が横真っ二つに割れた。宙に浮いた方の丸太に何度か剣を突き立てると、それはぼこぼこと音を立てて砕かれ、小さな木片へと化す。
この力だって、うまく使ってきたつもりだった。それなのに、
『でも、これは私の問題だからっ』
か細い印象だった声は、案外力強い意志が宿っていた。それに俺は驚いたのか?むきになって、気遣いもなしに言い返していた。
『女一人に何ができるんだ!』
完全に失言だ。あの時のカーリンはどんな表情をしていたっけな。うまく思い出せない。
「はぁっ!」
半分になった丸太の上から剣を振り下ろし、地面に刺さる直前で動きを止める。真っ直ぐに割れた丸太が左右に転がると同時に、触れていないにも関わらず剣先を中心に地面が多方向に割れた。ゆらりと舞い上がった土埃が視界を半分覆い、そこに額から垂れた汗が一粒落ちた。
『伊織』
その名前で呼ぶな、俺は”伊織”じゃない。俺は"チェーザレ"だ。
『あんたに守りたいものがあるように、私にも守りたいものがあるのっ!』
そんなの俺だって!
「くそっ!」
丸太も何も設置されていない、ただの壁に剣を投げつけた。俺の左手から離れた剣はくるくると回りながら宙を横切り、すっと静かな音を立てて壁のその身全てを埋める。少ししてから、びきびきと大きな音を立てて、壁が崩れていった。
俺は騎士だ。ダヴォリア帝国の誇り高き騎士団長チェーザレ・ヴァリ・ザッカルドだ。帝国民も騎士団の騎士たちも、友も全て。守るべき存在だ、俺が守らなくちゃいけない。それなのにあいつはっ、
『平気よ』
カーリンの声が頭の中で響いた。耳に届くのは壁が崩れ続ける音なのに、それ以上に大きく聞こえた。
言葉とは裏腹な表情をするカーリンに、俺は何も声をかけられなかった。俺がつけた痕を何食わぬ顔で消した彼女に否定された気分だった。"騎士"としての俺を、唯一のチートだった俺の存在を。
「はぁ、はぁ」
嫌に切れる息と垂れる汗を拭い、崩れ切った壁を見てまたリッカルドに怒られるとあさってなことを考えた。
もっと俺は大人だと思ったんだがな。
分かっていた。もうこの世界で俺はチートなのに。カーリンもチート。前世でも良く見知った仲だ、そんな柔な奴じゃない。本当はカーリンに俺の助けなんていらない。俺が守ってやる必要なんてないんだ。必要はないのに、”騎士”だなんだと自分に言い訳して、結局同じ存在の彼女を認められなかっただけだ。自分の立場が危うくなって癇癪を起こす幼稚なガキだ。
『私はっ、魅力がありませんか、、、?』
ふと、クラウディア殿下の声を思い出す。月に照らされた噴水で忍んで相瀬を共にした小さな聖女。殿下は俺を誇り高き騎士だと信じて疑わない。
殿下は、こんな俺に幻滅するだろうか。”騎士”でもない、、唯一の存在でもなくなった俺を、受け入れてくれるのか。
瓦礫になった壁の中から、剣を取り出す。持ち上げた拍子にぴしりと剣刃の中央に亀裂が入った。それが何を意味しているのかは考えたくなかった。鍛え直せば剣は直る。だが、それ以外の亀裂はどうだろう。
そういえば、俺たちは喧嘩っていう喧嘩をしたことがなかった。
ゆっくりと剣を鞘に納めて、俺は練習場を見回した。冷たい夜風は吹き続き、強い月明りが何事も隠さんばかりに照らしている。
とりあえず明日、カーリンと話そう。そう心に決め、俺は練習場を後にした。
長く複雑な廊下と階段を真っすぐに伸びた美しい背中を追って進んだ。その先には昼間とは違い、少し装飾が落ち着いたドアがあり中に通される。部屋の中は赤い絨毯と大きな窓に続くテラス。来客用の中でも上等なものと分かるその部屋には、私がノルドハイム国から持ってきた荷物が隅に並べられていた。
今朝通された部屋とは違う。どうやら、別の部屋にしてくれたらしい。
「少し手狭かもしれませんが、今夜からはこちらの部屋をお使いください」
「お気遣いありがとうございます、フロリアーナ皇女殿下」
フロリアーナ殿下は、部屋の中央に置かれたソファへと私を誘う。それに一礼をしてから従うと、殿下の肩で大人しくしていた不死鳥が私の肩へと飛び乗ってきた。鋭い爪が抜き出しの肩を傷つけないよう器用に肩の上を行き来する不死鳥は、嘴の先で綺麗に整えた髪の編み込みを突いてくる。
「折角の艶髪が乱れてしまうでしょう。お止めなさい」
フロリアーナ殿下が優しくを宥めると、少し悩んだように首を左右に回してから不死鳥はソファに座った殿下の肩へと戻っていった。そんな不死鳥の小さな頭を撫で、殿下はその印象的な赤い唇で笑みを作った。
本当に、懐いたわね。
自分で生み出したものが他人に懐くのを見るのは、嬉しいような寂しいような気分だった。それが元よりそのつもりであったとしても。
きっとチェーザレのことも同じだ。最初から自分の存在を受け入れてもらえるとは思っていなかった。疑われることも拒否されることも想定していた。どう打ち明けようかと何度も頭の中でシミュレーションもしたのに、実際会ってみたら上手くは行かなかった。舞い上がって好き勝手にやって、感情的になってしまった。
『これは私の問題だし』
あんなことを言うつもりはなかった。勝手に巻き込んで、ひっかきまわして、すぐぽいっなんて無責任だ。怒るのも当然ね。
「カーリン様、どうぞ」
「ありがとう、ございます」
フロリアーナ殿下付きの侍女が紅茶をテーブルに並べる。香ばしい香りは昼間チェーザレと紅茶を飲んだ光景を思い出させた。
あそこまでは上手くいっていたと思うんだけどなぁ。
一口だけ口に含んでから、カップをテーブルに戻す。首のレースの下で擦れる感覚に気を取られながらも、目の前の殿下にその憂いがばれないよう笑みを作った。
「申し訳ございません。フロリアーナ皇女殿下にご迷惑を」
「いえ、私こそ夜分に失礼致しました。邪魔立てになると思ったのですが、丁度良かったようですわ」
くるくると鳴る不死鳥の喉を指先で撫でながら、新緑色の瞳を強く私に向けてくる。何があったのか、聞き出したいのだろう。詳しく答えることはできない。誤魔化すように首を傾げるとフロリアーナ殿下は不死鳥を肩から降ろして、ゆっくりと腰を折った。
「我がダヴォリア帝国の騎士が大変失礼致しました。ダヴォリア帝国第一皇女である私フロリアーナが代わって、お詫び申し上げます。ノルドハイム国の聖女カーリン様」
彼女の謝罪に合わせて、後ろで控えていた侍女と騎士たちが腰を折る。恐れ入ります、と小さく返してから私も同じように腰を折った。
「ザッカルドの処罰に関しては貴国からのご要望にはできる限りお応えをする所存でございます。ですが、彼は我がダヴォリア帝国の軍事の要であり民に慕われております。容易に罰しては反感も多いことでしょう。罪人側から言うのも大変失礼とは思いますが、御温情を頂ければ幸いでございます」
長い言葉を切ることもつっかえることもなく発したフロリアーナ殿下は、先が細い新緑色の瞳を動かさずにまた私を見据えてくる。
今回の件は一歩間違えれば戦争になりかねない。増してや軍事国家と名高いダヴォリア帝国と孤高のノルドハイム国。両国が正面からぶつかるとなれば、周辺の小国たちはどちらに着くのか、はたまた非干渉を決め込むのか、難しいところだろう。そうなる前に国の最重役、つまり皇族から内々に謝罪と温情を申し出ることで、大事になるのを防ぎたい。そういう意図だろう。
あの騒ぎからこの部屋までの数分でこの判断し、尚且つ新しい部屋の手配も済ませるとは、成人したてとはいえ彼女も皇族の一人だ。判断力と指導力、権力も持ち合わせてのこの振る舞い。いつまで経っても、国を統べる皇族、王族たちの言動には手汗を握るものがあるなぁ。
「フロリアーナ第一皇女殿下より直々のお言葉、しかとお受けいたしました。しかし大変失礼とは思いますが、そのようなご配慮をして頂くようなことが思い浮かばないのです」
「何をおっしゃいますか。つい先ほど、ザッカルドが貴女様に乱暴を」
「あぁ、お恥ずかしいところを見られてしまいました。あの時は、私が転びそうになったのを騎士団長殿に助けて頂いていまして」
「私にはそうは見えませんでしたわ、怒鳴り声だって」
「慣れない装いに昼間も助けて頂いてます。何度も醜態を晒してしまったので繕おうと思わず声を荒げてしまいました。寧ろ私の方が騎士団長殿に謝罪をするべきなのです、申し訳ございません」
謝罪の言葉と共に再び腰を下げると、視界の外で不死鳥がフロリアーナ殿下の顔を窺うような様子を感じる。殿下は私の謝罪に納得はしないだろう。でも全うから否定することもできない。殿下が部屋に入ってきた時には副官が間に入ってお互い掴んだ手を放した後だったはず。当事者の私が否と言えば、否になる。
"ダヴォリア帝国騎士団長の無体なんて、起こっていない。何もなかった”。せっかくの謝罪に失礼かもしれないけど、きっとこれが双方にとって一番都合がいい筋書きだ。
「そう、ですか」
「こうして新しいお部屋までご用意頂いたのに、申し訳ございません。フロリアーナ皇女殿下のお優しいお気遣い、心より感謝致します」
ゆっくりと笑みを浮かべると、流石の殿下もそれ以上は言わなかった。こう何度も異国の聖女に否定されては無理やり自国の騎士の罪を貫き通すわけにはいかないだろう。
「それよりも皇女殿下は何か私に御用が?」
「あぁ、そうですわ」
晩餐会後にわざわざ私を探しに騎士団長室まで訪れたんだ。偶然私とチェーザレの喧嘩を仲裁してくれたけど、本来の目的があるはず。私が問うと殿下はソファの上で右に左にと首を動かして見回している不死鳥に手を伸ばした。不死鳥は数回嘴で殿下の指先を突いた後、無遠慮に殿下の膝の上へと登ってくる。
不死鳥を咎めようとする近衛騎士を宥めながら、フロリアーナ殿下は良い位置を見つけてうずくまる不死鳥の背をそっと撫でた。
「この子は何を召し上がるのかを教えて頂くのを忘れておりまして」
「召し上がる?」
「えぇ。あの場では勢いでこの子を引き受けましたが、世話の仕方を聞いておりませんでした。この子の美しさに見惚れてしまい、つい私のものに、と我儘を言ってしまいました。いけませんね、いつも皇太子には慎重になれと言われているのですが」
あぁ、なるほど。餌のことか。
喉を小さく鳴らしながら寛いでる不死鳥の頭を指先でなぞり、フロリアーナ殿下は愛おしそうに長い尻尾に指を這わせていく。それが気持ちいいのか、不死鳥は目を閉じたり開いたりを繰り返し、ついにその場で完全に寝てしまった。
ダヴォリア帝国第一皇女の膝の上で眠るなんて、自分が生み出したとはいえ随分と図太い神経を持っている鳥だな。
「その子も皇女殿下に惹かれたのです。どうぞお気になさらず」
「ならば、一層の事この子のお世話をしてあげないといけませんわ」
新緑色の瞳がゆるりと半分伏せられる。不死鳥を撫で続ける手の動きと合わさって、フロリアーナ殿下を囲む私含め近衛騎士と侍女たちは少しの間その姿に見惚れていた。
この帝国で聖女と呼ばれているのは第二皇女のクラウディア殿下。彼女の微笑みと振る舞いは帝国民を癒し、太陽の光のように心に穏やかな熱を与える。そんなクラウディア殿下と比べられる姉のフロリアーナ殿下はいつも勇ましい姿だとよく耳にする。軍事国家に相応しい誇り高い佇まいではあるが、淑女として、となると苦言を吐くものは少なくない。
でも今目の前にいるフロリアーナ殿下は、愛と慈しみと、優しさで満ちている。聖女というよりは聖母に近い、大きな懐が見えた。淑女としてや女が剣などと口煩い輩に今のお姿を見せつけてやりたい。
「特に食事は必要ありません」
「そうなのですか?」
「はい、元より火で出来ております。普通の鳥のような餌は不要ですが、」
「他に、何か必要なものがあるのですね?」
不死鳥を撫でるフロリアーナ殿下の手が止まる。それに何事か、もっと撫でろと言わんばかりに瞳を閉じたまま不死鳥が不機嫌そうに鳴いた。
「強いているのなら、フロリアーナ皇女殿下の想い、ですね」
「想い?」
「信念といいますか、、、この類の生き物はそういった想いに返してきます。それが敵を一掃するような矢のようなものか、身を守る盾のようなものなのかは分かりません。ですが、殿下が何かを想う一途な御心を持ち続けていれば、この鳥が裏切るようなことはありません。ですが、」
ついに目を覚ました不死鳥は止まったままのフロリアーナ殿下の手を嘴で何度も突き始める。それに殿下は怒ることなく手を動かし始めると、満足したように不死鳥はまた目を閉じ、長い尾っぽをゆらゆらと揺らし始めた。
「その心配はないかと思います」
不死鳥の赤子のような仕草に、私は思わず口元に手を当てて笑ってしまった。聞こえてはいるだろうけど、不死鳥は私の笑い声を無視して喉をくるくると鳴らし甘えている。
なんだかわが物な態度が少し苛つくわね。そんなにフロリアーナ殿下の膝が気持ちいいのかしら。
「カーリン様が仰るのなら、安心ですね」
「信じて頂けて感謝致します」
「折角ノルドハイム国の聖女様から承った火の鳥です。いつなんときどこに行くのにも傍にいてほしいわ。可能かしら?」
「その子が嫌がらなければ。雨の日は不機嫌かもしれませんが」
「確かにそうね」
フロリアーナ殿下がくすくすと声を出して笑うと、今度は不死鳥は無視せずに眠たそうな瞳を開けながら殿下の胸元にいやいやと左右に顔を擦り付けた。笑われていじけているのか、時折軽く嘴で口元を押える殿下の手を突いては、頭を撫でろと催促をしている。
思った以上の懐きっぷりだわ。逆に粗相をしないか心配になってきた。
「他に気になることはありますか、フロリアーナ皇女殿下?」
「いえ、急ぎのものは。本当に突然申し訳ございませんでした」
構わないと首を横に振ってから、フロリアーナ殿下をお見送りしようと立ち上がると、少し下から新緑色の瞳が4つ、私を見上げてくる。やはりまだ何かあるのだろうかと首を傾げると、淑女の方の新緑色がゆっくりと瞬きをした。
「明日からカーリン様のお力をより一層お借りすることになるかと思います」
子をあやす母から、帝国皇女のものに声色を変えたフロリアーナ殿下はゆっくりと立ち上がった。それに合わせるように、不死鳥は自分の定位置とばかりに殿下の肩に収まる。
「騎士団長であるザッカルドと言葉を交わすことも多くあるでしょう」
「、、、承知しております」
昼間までは、こうなるとは思ってもみなかった。意地の張り過ぎは、良くないな。我ながら大人げない。
「ご心配には及びません。その点は弁えて」
「弁える必要はありませんわ」
「はい?」
重いはずのドレスを軽々と翻し、フロリアーナ殿下は優雅に私の前に立つ。無造作にぶら下がっていた私の手を取り、そっとその甲に赤い唇を乗せた。その仕草はまるで高貴な騎士が姫君に口づけをするようで、一瞬見惚れてしまった。
「貴女は何もないと言っても、私にはありますの」
端が上がった赤い唇はまるで子供が親に悪戯を仕掛ける前のように、あどけなく、何よりとても楽しそうだった。
「なので協力してくださらない?」
フロリアーナ殿下の提案を後押しするように、不死鳥が高らかと声を上げた。




