初めての誇り
チェーザレ物語第二話。相変わらずの説明文です。
別れを惜しむ修練生に手を振り、俺は帝国騎士学校から連れ立った馬に跨って実家を後にした。
早馬で帝国騎士学校は一刻もかからないが、時間にも余裕があるし、隣のスフォルツァ侯爵の領地を通ることにした。農業、酪農が盛んなスフォルツァ領は、帝国騎士学校に入学してすぐ世話になる領地だ。足腰を鍛えるために一日中畑を耕したり、牛や豚を追いかけまわしたりと、大変な目にあう。
寒いこの時期では作物も少なく、家畜も大人しくなるスフォルツァ領の道のりは、門出の情景としては寂しくもあった。この帝国全体の食糧情勢を支えているとはにわかに信じられないが、時間がゆったりと流れて気持ちが良かった。
大帝国ダヴォリア。広大な大陸の東側を大きく占有するこの帝国は、1000年近くの歴史を重ねた大帝国だった。
東には海があり、西には豊かな森と雪解け水で潤う山が屹たち、中央の帝都中心に多くの人が暮らしていた。
ダヴォリア帝国は、建国時から龍王に守護されていると言い伝えられている。
かつて、世界は獣たちに支配され、対立する二つの王、龍王と魔王とで二極化された戦況は、帝国の歴史以上に長く続いていた。
その長い戦争を魔王の封印という形で終止符を打ったのが、我がダヴォリア帝国の初代皇帝と龍王だった。
初代皇帝は、戦争の終息の褒美として龍王の力を授かった。
火や水を生む者、強靭な力を持つ者、広い大陸の先を見据えるものが生まれ、国は大帝国にまで発展した。
長い歴史の中で血は薄まり、今では龍王の力を持つものは稀有な存在であり、皇帝家保護下で帝国の更なる発展へと貢献をしている。
俺の父親であるイルデブランド・ヴァリ・リタ・ザッカルド伯爵もその貢献者の一人で、屈強な肉体、凶暴な獣も恐れない精神と帝国への忠誠心を以て、かつては皇帝親衛隊に属していた。
貴族界でも低位である男爵位の出自だったが、まさにその身を以て現皇帝カールミエ・レッペ・ダヴォリア皇帝を賊から守った。
その功績を称えられ、帝国の南に領地と伯爵位を与えられた。そのときの怪我により片足がうまく動かなくなって帝国騎士団は退役することになったが、領地内に訓練所を作り、次世代の騎士たちを育てるべく日々勤しんでいた。
母が死んだ12年前、俺はショックからか熱を出して寝込み、ただでさえ傷心の親父を煩わせた。
うなされる夢の中では、母親が目の前で馬車に轢かれるところが何度も流れた。ろくに眠れない夜が続き、皮肉にも悪夢に慣れた頃、見覚えのない風景が夢に出てきた。
見たことのない四角く均等の取れた建物が並び、母親を引いた馬車の何倍もある四角い塊が迫ってきて、人の声とは違う甲高い音が空に大きく響く。思わず目を強く瞑ると、衝撃がくることなくベッドの上で目覚める。
母親の悪夢と共に何度も見るうちに、俺は思い出した。これは前世の記憶だと。
科学が発達し、水の惑星と言われた星の中にある一つの島国に、俺は上條伊織として確かに生きていた。
平和で恵まれた国で平凡ながらも自由が利く範囲で楽しいことをし、自分なりの幸せに浸り、30年程を生きていた。
何らかの事故に巻き込まれて前世の生を終えた俺は、このダヴォリア帝国の住人:チェーザレ・リタ・ザッカルドとして、転生された。
当時は母の死と自身の前世での死に戸惑ったが、母が死んでから一年後、ある転機が起きる。
俺が5歳の時、親父と一緒に隣の領地へと足を延ばしていた。親父の用事が済むまで道端でぼーっとしていると、いかにもなゴロツキ2人が年端もいかない町娘を追いかけ、こちら向かって来ていた。親父は商店の店主と話し込んでいて気付いていない。
必死に走る彼女が俺の横を通り過ぎるのと同時に、俺は思わず前を走るゴロツキの足を引っ掛けた。俺の足に躓き、後ろを走っていた奴と一緒に道に倒れこむゴロツキを見下ろし、何となく思った。いける、と。
親父たちが気付いたときには、事が終わっていた。
明らかに自分よりも大きな体と喧嘩慣れしているであろうゴロツキ2人相手に、5歳の少年が圧倒的な力で捻じ伏せ、気絶させていた。逃げていた町娘も店主も親父も、傷一つ負っていない俺を茫然と見ていた。
俺は悟った。これ、チート転生だ、と。
悟った俺は歓喜し、すぐに行動した。翌日、俺は親父に訓練所に通うことを申し出た。まだ5歳ということもあったが、昨日のように何も訓練されていない状態でゴロツキに向かうよりも、きちんと鍛えた上で向かった方が危なくない、などと言って、とにかく説得した。
渋々親父は首を縦に振った。どうせだったら、正式な騎士なって可愛い御令嬢をゲットしよう、なんて安易な夢を抱いて、俺は訓練所のドアをくぐった。
正直言って、きつかった。5歳という幼子でも親父は容赦なく、当時一緒に修練していた兄貴分の男衆も同じだった。チートがあっても経験値が足りず負けることもあったが、次第に力の使い方を学んでいき、帝国騎士学校へ入学する10歳になるときには、俺に勝てる修練生は一人もいなくなっていた。
現世の鍛錬と前世の記憶を合わせ、帝国騎士学校は主席で卒業し、明日からは皇族直下の帝国騎士団第2騎士隊第3支部隊第1小隊副隊長に就任することが決まっている。
スフォルツァ領を通り過ぎ、いつも通り同窓へのお土産でも買おうと城下町まで足を延ばした。
帝国騎士学校でできた友人の一人は甘いものをよく口にしていて、外出をした時はいつもそいつに何か見繕っていた。
前世のように豊富にあるわけではないが、焼き菓子や値が張る砂糖菓子ぐらいなら売っている。いつもの出店で並ぶ色とりどりのお菓子を見ながら歩いていると、道の先がざわついている。
男の怒号が聞こえたと思ったら、人込みをかき分けて誰かがこちらに走ってくるようだった。
「何事だぃ?」
「さぁ」
店のおかみが顔を軒先に伸ばした瞬間、人込みから小さい塊が飛び出してきた。明らかに追われていますといったその小さいのは、頭からマントを纏っている。
追手を確認するためか、小さいのが後ろを振り向いた瞬間、サイズが合っていないマントの裾を踏み体勢を崩した。
「きゃっ」
「おっと」
思わず手を出し、倒れる前に小さい体を受け止めた。思った以上に軽くて細い。背も低く声も高い、幼い少女だ。
マント含め身に着けている布が上質なところを見ると、どこか貴族のお嬢様だろう。
隠しきれていない顎の先と首筋が嫌に白い。お稽古事が嫌で逃げ出してきたのか、はたまた本当に追われているのか。
「大丈夫か」
「は、はいっ、大変っ、失礼いたしましたっ、、あ」
人込みから今度は眉間に皺を寄せた男が飛び出してくる。とっさにマントの少女を背中に隠した。
男はきょろきょろと辺りを伺い、この少女を探している。少女は俺の体の半分ぐらいしかないが、大きなマントもあって、完全には隠せていないだろう。
背中の少女が一歩後ずさるのを感じた。
「動くな、見つかる」
体を震わせた少女が、動かなくなる。
男に気づかないふりをして少女を自身のマントで隠すように振り向き、店のおかみに笑いかけた。おかみは頬を引くつかせているが、俺の意図を察したようだ。
少女の背中を少し強く押すと、バランスを崩して前に倒れこむ。倒れこんだ先は出店と出店の間で、商品が入った箱が積みあがっている場所だった。箱と箱の隙間に小さな体がすっぽり入ると、おかみがすかさず、大きな布で箱を覆い隠した。
「おかみ、いつものお菓子をいくつか見繕ってくれないか」
「あぁ、ちょっと待ってくれ」
背後で俺に近付いてくる足音が聞こえる。いつもよりゆっくりとした動作で、おかみがいくつかお菓子を袋に入れていると、誰かの手が俺の肩に触れた。
「少し、宜しいか」
首だけで触れられた肩の方に振り返ると、案の定さっきの男が立っていた。寄せていた眉間の皺がより深くなっていて、息も上がっている。
普段あまり運動をしていないのだろう。
「何か」
笑顔を消して、短く応えた。身にまとう服は整った紳士服と皮の手袋、茶色の服に合わせたグレーのスカーフを巻く喉が、上下に動くのが見えた。走ったせいなのか、汗が一筋垂れている。
「この辺りに、少女が走ってこなかったか。今日は大切な先生が来る大事な授業があるというのに、恥ずかしながら逃げ出してしまいまして。お嬢様ときたら、いつもこんな様子で」
ハンカチで額と首とあふれ出る汗を拭きながら、男は早口で話した。
それっぽい理由だが、男が正しいことを言ってるとも限らない。名乗らないところを見ると、かなり怪しい。
明日からであれば、正式に帝国騎士として動くことができるだろうが、今日はまだ騎士学校の学生だ。
余計なことを既にしてしまったが、少女を渡してしまって何かが起こってしまったら、それこそ帝国騎士としてはあってはならないだろう。
目線だけでおかみを伺うと、首を軽く横に振っていた。布の下に隠れる少女が、男の言葉を否と言っているのだろう。
「いいや、知らない」
「嘘をつくと後悔するぞ、この辺りに走ってきているはずだ」
「知らないと言っているだろう。俺は妹のために菓子を買うのに忙しいんだ、他をあたってくれ」
「っ、、、時間を取らせたな」
少し苛立ったように声を低くして適当な理由を応えると、男は一瞬ひるんで踵を返した。
同じように他の出店に声をかけながら進み、男の影が見えなくなるのを確認してから、おかみの方に手を伸ばした。
おかみは首をなんのことだと首を捻らせている。
「お菓子」
「え、あぁ、買うんだね」
「そのつもりだったからな」
代金を支払いお菓子が詰まった袋を受け取ると、隠れていた少女が布を持ち上げて出てくる。
「もう大丈夫だろうが、暫くは用心することだ」
「、、、はい、大変ご迷惑をおかけしました」
深々と頭を下げる少女の所作は鮮麗されたもので、庶民たちが賑わす出店の前では少し不似合だった。顔を見られたくないのか、俯いたまま出店のおかみにも頭を下げている。
貴族のお嬢様が庶民に頭を下げるとは、出来た子だ。
「ほら、飴をやる」
袋からお菓子を一つ取り出し、少女の顔の前に出す。見上げながら首を傾げた少女と目が合った。
差し出したお菓子の色と同じ色の瞳が小さな顔には印象的だった。遠慮がちに小さな手がお菓子を受け取ると、また俯いてしまったが口元が緩むのが見えた。つられて俺も口元を上げて、少女の頭を撫でた。
甘い物の前では貴族のお嬢様も修練生の幼子と同じだった。
暫くして、人込みから本物の少女の従者が来たようだ。御礼など挨拶などが面倒なので、従者に話しかけられる前に今度は俺が人込みの中に消えた。
明日から配属される部隊は帝都内の警邏だ。いつか都内で少女と再会することもあるだろうか。
今回チート力を一切使うことなく切り抜けたが、今度は悪党を倒す姿を見せられると良いな、なんて我ながら幼稚な考えに苦笑した。
"貢献者"=なんらかのスキル持ちの方々です。「火や水を生む者」=魔術師、「強靭な力を持つ者」=剣士、「先を見据えるもの」=透視などができる戦術士、未来予知とはちょっと違う。といったややこしく漠然としたイメージの方々です。
長々と書いておいて魔術も戦闘も恋愛もチートも出てこない。。。