舞台裏-兄姉の憂いー
本日更新2話目。純粋な妹が恋心を大切にしている裏で、お兄ちゃんお姉ちゃんが心配してたらいいなぁ、なんてお話。登場人物は皇太子テレンツィオと第一皇女フロリアーナのみです。
公城の皇太子執務室で、俺は今日中に処理が必要な書類を手にフロリアーナが先日呟いた言葉を思案していた。
実年齢よりも随分と大人びて育った妹のクラウディアは、幼い頃は少し活発なところもあったが、城下町での騒動からすっかり変わってしまった。
帝国皇女としてはとても喜ばしいことだが、13歳の少女だというのに可愛らしい服やアクセサリー、甘いお菓子などにあまり執着を見せないのは、少し心配だ。
外出した際には、絶えず柔らかい笑みで、可能な範囲で帝都民に手を差し出し、寄り添い、隔てなく労う姿は、まさに聖女そのもの。しかし、公務以外でも俺たち皇族相手に対しても同じように接してくる。
クラウディアの様子がおかしいとフロリアーナが訴えたのは、新帝国騎士団長の継承式が終わってすぐのことだった。
原因はザッカルドだと言う。
元々、今回の継承に関して異を唱えていたフロリアーナだったが、それは元騎士団長のマッテオを敬愛しているからこそ。
そんなフロリアーナの態度に気付いた皇妃が、夜の舞踏会でザッカルドを彼女に仕向けたことは皇帝の反応からも理解できた。フロリアーナとザッカルドが踊る姿は、一見若き新騎士団長の門出を祝う麗しい皇女殿下、だったが、俺にはフロリアーナがずっとザッカルドに牙を向けているようにしか思えず。
一興だった。皇妃の悪戯心も過ぎたものだ。
しかし、それがクラウディアとどう関係がするのか。線が繋がらない。
「失礼致します、テレンツィオ殿下」
思考の途中でドアのノックがしたと思ったら、許す前にフロリアーナが一礼をして入室してきた。
いくら兄妹とはいえ、マナーは守ってほしいものだ。
赤を基調にした近衛隊の制服を纏ったフロリアーナは、切れ長の瞳をさらに尖らせて俺の護衛と従者を押しのけ、大股でこちらに近づいてくる。俺は一回大きく溜息を吐いた後に、手に持っていた書類を雑に机へと放り投げた。
彼女が執務机の前に立ち止まるのと同時に、両手を組んでその上に顔を乗せ、口元を上げながら殺気立ったフロリアーナの顔を見上げた。
「フロリアーナ殿下、ここは皇太子執務室です。許可なしでの入室は困ります」
「大変失礼致しました。火急の用がございまして。人払いをして頂けませんか」
強い口調のくせに。それでお伺いを立ててるつもりなのか。
「今話せませんか」
「皇帝家に多大な影響を与えるかもしれない内容です」
否を許さぬ声色で皇太子を脅す姿勢は止めてほしい。
「、、、はぁ。分かったよ」
恐縮してしまった近衛騎士と従者たちに退室を指示する。遠慮がちに退室をする彼らに平気だと笑みを向けてから、フロリアーナの部屋のソファへと促した。
長いソファの真ん中に背を伸ばして座るフロリアーナに紅茶を用意しながら、分かっている要件を敢えて尋ねた。
「で、用っていうのは?」
「クラウディアのことです」
「様子がおかしいと言っていたな。体調でも悪いのか」
俺も向かいのソファに座って紅茶を味わいながら、不穏な空気の出す可愛い上の妹を見つめる。
「体調は悪くありません。しかし、良からぬ者に心を奪われてるようです」
「良からぬ者?」
はて、何だろう。
まさかその”良からぬ者”がザッカルドだとでも言うのか。
「先日の新騎士団長継承式を覚えていますか」
「もちろん、とても素敵なダンスだったよ」
「そこではありませんっ」
フロリアーナは頬を染めて大きめの音を立てながらコップをソーサーに戻すと、両手をテーブルに立てて身を乗り出してくる。
「淑女が出す音ではないよ、リリー」
「きちんとお話を聞いてください、お兄様っ」
「聞いてる、聞いてる。まずは落ち着いたらどうだ」
「これがっ、、、これが、落ち着いていられますかっ」
「あんまり気丈が過ぎると行き遅れるぞ」
「私のことはどうでもいいのです、大切なのはクラウディアのことですわ」
妹を溺愛する可愛い妹のために、引き出しから秘蔵の焼き菓子をテーブルに並べてやる。
わなわなと震えながらも一個口に放りこんで紅茶を一気に煽ると、フロリアーナは眉間の皺を深くしながら語り始めた。
新騎士団長への継承式は、卒なく執り行われていた。
その容貌と功績から、皇帝の間にいる者の半分はザッカルドの任命に賛成しており、当然のことながら宰相が述べる口上を遮るものはいなかった。
部屋の真ん中に引かれた赤い絨毯の上で、髪を撫で付け格式高い瑠璃色の騎士の制服を纏ったザッカルドは、顔を真っすぐ前に向けていた。
古くからの習わしにより、皇族たちは式典中は南東に顔を向けることになっている。フロリアーナも例によって顔を前に向けていたが、ふとザッカルドの様子がおかしいことに気が付く。
何かを食い入るように見つめる彼の視線を追うと、そこには第二皇女のクラウディアがいた。
何事かとクラウディアの様子を伺うと、驚いたように目を見開き、彼女もザッカルドを見つめ返している。
淡い金色の大きな瞳と鋭くも甘い赤茶色の瞳が重なる。式典の最中だというのに、まるで恋人が逢瀬を楽しむかのように、2人はじっと見つめ合っていた。
「チェーザレ・ヴァリ・リタ・ザッカルド」
「はっ」
宰相オルフェオの呼びかけに、ザッカルドの短い答えが皇帝の間に響いた。
フロリアーナが背筋を伸ばして立つザッカルドを一度だけ見て、再びクラウディアの方に視線を戻すと、何事もなかったように彼女は南東を向いていた。
「ほんの一瞬でした。ですが、私は見逃しませんでしたわ」
「偶然、目が合っただけではないのか」
「いいえ、あれは確実にザッカルドがクラウディアに良からぬ想いを向けていたんです。あの容姿と振る舞い、皇帝の間にいたほとんどの者がザッカルドの堂々たる姿に見惚れておりました」
「それはお前もだろう、リリー」
「私は惚れてなどはおりませんっ。しかし、、、ディディは違っているように見えました」
あの清楚で気高いクラウディアが、ザッカルドに一目惚れ、か。
新しく紅茶をカップに注いでやると、フロリアーナは今度は淑女のように少しずつ口に含んでいった。引出しから焼き菓子を追加する。
「その上、夜の舞踏会では、、、あんなっ」
わなわなと作った拳を震わせながら、フロリアーナな俯く。
「クラウディアが足を怪我したことは、御存知ですか」
「あぁ、聞いているよ」
継承式の夜、開催されていた舞踏会でクラウディアは一回だけ中座した。
未成人で社交界デビューもしていない彼女がダンスを踊ることはないが、皇族としてある程度は顔を出しておかなくてはいけなかった。そしてその公務をクラウディアが怠ったことは一度もない。
彼女は一度の中座を除いては、最後まで皇族の椅子に座り続け、挨拶に来る貴族たちの相手をしていた。
「まさか、あの怪我はザッカルドが?」
「クラウディアは否定しておりますが、何があったのかも答えてくれません。しかし、ザッカルドとホールで踊った時に、彼の肩に枯葉が付いているのに気付きました」
「枯葉?」
「えぇ。そして中座して戻ってきたクラウディアの髪にも、枯葉が付いていたことを侍女が報告してきております」
「枯葉なんて、そこらへんに沢山あるだろう」
「調べたところ、公城の庭園、噴水の近くに植えてある異国の果実の木だと判明しましたわ。あそこは皇妃殿下が直々に設計した場所です。お母様にも確認しましたが、城内に生えているのは噴水のそこと本城の中庭しかないと」
皇妃殿下の手まで煩わせるとは。
どこまでこの上の妹は下の妹に過保護なんだ。
「その上、私と踊っている最中にも、"委ねろ"と脅してきました」
「それは、リリーに対してだろう」
「両方の意味と捉えても、ザッカルドが不埒な男であることには変わりませんわ」
追加した焼き菓子を一つ口に入れ静かにカップをテーブルに戻すと、フロリアーナはゆっくりと立ち上がり、腰に下げていた剣に手を添えて俺を見下ろしてくる。
「どうするつもりだ、リリー?」
「個人的な決闘を、申し込みます」
いや、待て待て。気丈を通り越して、気性が荒すぎる。
仮にも兄で皇太子である俺を殺気だった目で上から見下ろすな。
「落ち着け、リリー」
「ですから、これが落ち着いていられますかっ」
いいから座れと促すと、フロリアーナは大人しく元の位置に座る。
また新しく砂糖菓子を追加するが、今度は手を出してこなかった。
フロリアーナが言うには、
継承式でザッカルドが熱い、所謂邪な視線を愛しの妹クラウディアに向けて誑かし、一目惚れしたクラウディアを舞踏会の途中で噴水の近くまで誘い出して良からぬことをしようとし、足を怪我させたのではないか、ということか。
呆れを通り越して、笑えてくるな。最近はそういう傾向の小説が巷では人気なのか。
しかも真実も少し含まれているから、余計に面白い。
「つまりは、ダヴォリア帝国第二皇女のクラウディア殿下に如何わしいことを仕出かした不届きものザッカルド騎士団長を断罪しにいく、と」
「仰る通りです」
「それが本当の話なら、ザッカルドが死罪決定だが」
「法で裁いてしまっては、クラウディアの純潔が疑われてしまいます。それでは、皇女とはいえ今後あの子には縁談の話はこなくなるでしょう」
政略結婚であっても疑惑が一つでもあれば、帝国そのものの威信に関わる。
だから秘密裏に個人的な決闘の最中に”事故で”ザッカルドが死んでしまえば、クラウディアの沽券も守られる、と。
その案を採用するとして、もっと別の問題があるんだが。
「で、お前、勝てるのか?」
「腕には自信があります」
「俺よりも弱いのにか?」
「ならばっ、私の身を穢したとしてっ」
「それでは、お前の沽券に関わるぞ、リリー」
「しかしっ」
諦めきれない様子のフロリアーナを手で抑え、俺はテーブルの砂糖菓子を口に含んで、同じ砂糖菓子を彼女に向けながら微笑んだ。
慈しみを込めた笑みにフロリアーナの怒りは少し落ち着いたようで、差し出した砂糖菓子を一つ、細い綺麗な指で摘まんだ。
帝国の第一皇女として、姉として、騎士の一人として奮闘してきた彼女は、確かに皇女として素晴らしい実力を持っていて、民を惹く資質もある。
だが、俺にとってはまだ幼い可愛い妹の一人だ。
「リリー、”蜂蜜の騎士”を覚えているか」
「それはっ、、、覚えております。まだ6歳ほどだったころ、城下町での誘拐未遂でクラウディアを助けて下さった方だとか」
「そう。彼女の最後の我儘、ディディの王子様だ」
当時クラウディアが侍女や騎士たちを使って必死に探し出そうとしていた、彼女を魔の手から救い出してくれた彼を、俺たちは”蜂蜜の騎士”と称した。
「しかし、その方は結局見つかりませんでした」
「あぁ、あの蜂蜜の飴を販売している店も見つからず、結局ディディ自身が夢を見ていたのだと言って、諦めた」
「それが今、なんの関係がっ」
「ディディが、俺たちの愛称を呼ばなくなったのは、いつからだろうか」
苦笑しながらため息をフロリアーナに向けると、彼女ははっと目を見開いてから砂糖菓子を持つ自分の指に視線を落とした。
”蜂蜜の騎士”の捜索を断念してから、クラウディアは変わってしまった。
幼い頃に向けていた歯を見せながら大きな花のような笑顔も、俺たちの愛称で甘えた声で呼ぶ声も、細く白い腕を差し出して抱擁を求めてくる仕草も。
全てあの時から失われていた。
帝国皇女としてどんな姿が一番相応しいのか、幼い少女は自分で悟った。あれから、彼女は公務のための勉学に励み、文句一つ吐くことなくに務めてきた。
彼が見つからなかったときの喪失感は、そこまでクラウディアを変えるほど大きな存在だった。
「もし」
砂糖菓子を見つめるフロリアーナが、ゆっくりと顔を上げて俺を見る。
新緑色の瞳は、俺がこれから発する言葉を分かっているようで、でも否定したいように、濡れて揺れている。
「ザッカルドが、”蜂蜜の騎士”だとしたら」
「そんなはずはっ」
「ないとは言い切れない。なぜなら」
ここ長い間、クラウディアが目を見開くほど驚き、周りの様子が見えなくなるほど誰かを見つめることなんてなかった。
そして、公務中に抜け出して、誰かと会うことだって。
砂糖菓子を握るフロリアーナの手が震える。
愛しい上の妹は何を考えているのだろうか。愛情に満ちた彼女のことだ、愛しい妹が一歩前に踏み出すのを引き留めはできないだろう。
兄と姉がその身の心配を想う下の妹は、今何を考えているのだろうか。
その大きな淡い金色の瞳に誰を映し、鈴のような声で誰の名を呼んでいてるのだろうか。
口の中に溶けた砂糖菓子の甘さを掻き消すように、俺は温くなった紅茶を口に流し込んだ。




