火の魔法と認識阻害
辺りには衝撃音が鳴り響いている。ビリビリと振動が周囲に伝わり、動物達は次々と逃げていく。それは、死にたくないという本能に従っているからだ。
森の中、広々とした空間で凄まじい速度でぶつかり合う影が二つ。その集中力は相手のことしか見えなくし、脳の大部分を戦闘に割いている。感覚だけで勝つことは難しい相手と互いに分かっているのだ。
(腕に触れるのはアウト。しかし、それ以外の場所はセーフ。だけど、さっきから腕には何回か触れてしまっている。何故、認識阻害魔法をかけない? それに、前に奴が激昂していた状態と今も同じ状態なはずなのに、妙に冷静だ。感情の高ぶりを抑える術を一日半で習得したのか?)
人の姿のまま戦うルーナは、どうしても頭に浮かぶ疑問を消せないでいた。それはまず、リンクアが認識阻害魔法を使ってこないことだ。
世莉架とルーナがリンクアと戦った時はほんの一瞬手に触れただけでも認識阻害魔法がかけられてしまい、今も右手は真っ黒のままだ。
しかし、先程から何度かルーナはリンクアの腕に触れてしまっている。当たらないように努めてはいるが、流石に魔王軍幹部相手にそうは上手くいかないようだ。
(腕ではなく、手か? だとすると手首より上は触れても平気ということになる。もしくはわざと認識阻害魔法を出さないようにしているのか……いや、そんなことをする意味は無いように思える)
身体能力が強化されているリンクアはそれだけで十二分な脅威である。冒険者の中でもSランク相当でなくてはまともな戦いにならないだろう。そこに認識阻害魔法が加われば、脅威以外の何物でもない。
(そしてやはりこの冷静さ。前は感情剥き出しにして殺意をぶつけてきたのに、今は殺意を心に秘めたまま冷静に戦っている。何か裏があるのではないかと考えてしまう)
段々とルーナはリンクアとの戦闘だけに集中できなくなっていた。どうしても今のリンクアには違和感を覚えてしまい、困惑している部分があるからだ。しかし、魔王軍幹部であるリンクアを相手に集中を欠くことは危険極まりないと言える。
「ぐ……!」
フェイントをかけられ、ルーナの左側に侵入してきたリンクアは凄まじいスピードで拳を繰り出す。それを完璧に避けることはできないと瞬時に判断し、また認識阻害魔法の事を考えてルーナは既に認識阻害魔法をかけられている右手でいなそうとする。だが、真っ黒で自分の体の一部として思うように動かすのが難しい状態の右手ではしっかりいなすことなどできず、リンクアの拳を右手で受けて吹き飛ばされる。
この時、ルーナの頑丈な体であっても右手には確実にダメージが入っており、更に右手のパフォーマンスが落ちてしまったことは否めない。
(クソ、セリカやアリーチェ達のことも気になってきたし、このままリンクアと戦っても良い結果にはならないかもしれない。みっともないとしても一度逃げるか? いや、こいつは逃げたら何をしてくるか分からない。それこそ見境なく一般人を殺し始めるかもしれない。私はどう立ち回るのが正解なんだ?)
思考というのは一度マイナスな事を考えると立て続けて悪い事を考えてしまうようになる。あれは罠か、あれは失敗だったのか、どこで間違えたのかなど、グルグルと悪い事を考えてしまい、その悪い思考のループから脱却するのは意外と難しい。
時間さえあれば勝手に悪い思考のループから抜け出すことができるが、生憎ルーナの現状ではそんな余裕は全く無い。
「おい、お前やる気はあるのか?」
互いに距離を取り、睨み合っているとリンクアがルーナに尋ねてきた。明らかにルーナの戦闘への集中力が散漫になっていることには気が付いたのだろう。
「やる気はあるさ。だが、お前についても、お前以外のことについても考えなくてはならないことが沢山あるんだ」「今は私以外のことなど考えるな。私だけに集中しろ」
場面が違えばロマンチックな台詞に思えなくもないが、冗談でもそんな甘い事を考えられない状況である。
(まずいな。一旦思考をリセットしよう。私は別に頭が良いわけじゃない。難しい事をこんな状況で考えて正解の結論が出せる訳がないんだ。リンクアにのみ集中し、勝利する。それだけ考えれば良い)
ルーナは一旦小難しい事を考えるのをやめた。どうせ結論が出そうにない事を考えるなど不毛だからだ。
「悪かったな。ここからはお前だけに集中しよう」
「気を抜いたり、集中を欠くと一瞬で死ぬぞ」
「そうだな」
その瞬間、二人は一気に踏み出して近づく。
「!」
だが、リンクアは瞬時に自身から見て右側へ飛ぶ。ルーナはなんとか目でその動きを追った。
(これだ。リンクアの身体能力は脅威的だが、一番凄いのはこの瞬発力と敏捷性。人間の体だったら負荷が大きすぎて足が一生使い物にならなくなるであろう動き。魔王軍幹部だからこそできる体の使い方だ)
リンクアの身体能力は圧倒的だが、ルーナも決して普通ではない。
人の姿になっている事で力は下がっている。それでも尚、ドラゴンの体は尋常ではない力を持っており、リンクアの動きに対応することができるのだ。
「やはり、お前はこちら側の種族だな」
リンクアは自分の動きについて来れるようになっているルーナに対し、笑みを浮かべた。それは、強者との戦いを楽しんでいるからか、ルーナの強さに喜んでいるからか、何であれ不気味な笑みである。
「こちら側? 一緒にするな」
互いに凄まじい勢いでぶつかり合いながらルーナは心外だという表情で言い返す。
「いいや、一緒だ。ドラゴンも魔族も生まれながらに生態系の上に立つ種族の一つと言える。それは知能や純粋な身体能力や体の頑丈さ、魔法の技術なんかを見れば誰でも分かるだろう」
「生態系で言えばそうだろうな。だが、私は別にお前達魔族のように他種族を侵略するようなことはしない」
「そうだとしても、結局戦闘を求め、弱者を蹂躙したいという深層心理が絶対にある」
「そんなのある訳がないだろう。私を怒らせたいのか?」
ルーナは聞き捨てないといった様子で明らかに不快感を露わにしていた。そこでルーナの足がリンクアの腹に飛んでいき、それをリンクアは両腕で防ごうとするが、勢いを殺すことはできずに後ろへ吹き飛ばされる。
「怒らせるつもりはない。だが、弱者を蹂躙するのは強者だからこそできること。強者だからこそやっていいことだ」
「そんなこと誰が決めた。お前が勝手にそう思っているだけだろう」
「いいや、違う。これは私が決めたんじゃない。私達の奥底に刻まれているものだ」
リンクアは自分の胸に拳を置いた。
「生物はこの世に生を受けると何としてでも生き延びようとする。それは本能だからだ」
「つまり、強者が弱者を蹂躙するのも本能だと?」
「その通りだ。強い者が弱い者から奪うのは強者ならではの本能なんだ。だからお前も私達魔族と同じで、弱者を蹂躙したい、奪いたい、喰らい尽くしたいと心の底で思ってしまう」
「思ったことはないな」
「そう思っているだけだ。本能に逆らうことは普通できない」
「魔族のお前にそんな風に言われる日が来るとはな。笑えない」
足に力を入れ、地面を思い切り蹴り上げるルーナ。それによって地面が抉れ、リンクアの前に壁となって飛んでいく。
リンクアはそれを冷静に砕いた。すると左側から熱を感じた。
「火の魔法か!」
ルーナは左手から火の魔法を打ち出していた。それは人間の体の半分ほどの大きさの球体で、リンクアに向かって飛んでいく。
「お前は火の魔法の使い手だろうと思っていたよ!」
リンクアは火の魔法の球体を後ろに下がって避ける。向かって来るスピードは大したことはなかったので、当然避けられるに決まっている。
だが、その球体は突然膨張し、破裂した。
「……!」
球体が破裂したことで爆発が起き、リンクアはそれに巻き込まれる。
(ここは広い場所だが、森に囲まれている。火が森に移って大火事になる可能性を考慮すると出来る限り火の魔法は使いたくはない。けど、それは流石に無理な話。魔法も使っていかないと勝てる相手ではないな)
ルーナは煙の中から出て来るであろうリンクアにすぐさま対応できるよう、姿勢を低くして準備する。
(破壊力、爆発力を一点に集中し、周囲へのダメージが少なくなるような魔法を使ってリンクアを攻撃、牽制する。上手く色々な攻撃を織り交ぜていく必要があるな)
巻き上がっている煙の中に揺らぎが見える。その直後、ルーナがやったのと同じように抉り取られた地面が飛んできた。
その地面を火の魔法や蹴りで消しとばしてもいいが、それでは自らの視界を塞ぐことになりかねないため、ルーナは避ける選択肢を取る。だが、ここでも取るべき選択肢がある。それはジャンプして避けるか、左右に避けるか、地面に這って避けるかだ。迫り来る地面によってリンクアの姿が見えない状況なため、ルーナが避けた先に移動して攻撃するというのがリンクアからしたら有効な手だろう。その攻撃を予想しなくてはならないのだ。
(一番対応しやすいのは地面に足がついている状態、つまり左右に避けること。地面に這うのは隙が大きすぎて論外。空中では避けるのが難しくなるからあまり良い手とはいえない)
刹那の逡巡により、ルーナは左側に避けることにした。そして飛んでくる抉られた地面を避けると、リンクアの姿は無かった。しかし、それはルーナの予想通りで、今リンクアがどこにいるのかも予想がついていた。
「やっぱり上に飛ぶよな。そっちの方が視界が広く、状況把握がしやすいから」
リンクアは大きく跳躍し、ルーナの頭上にいたのだ。だが、それはルーナの読み通りで、すぐさま左手を空中に向け、握り拳一個分くらいの小さな火の魔法を放つ。
(小さな火の魔法……だが、それに込められた魔力の密度は非常に高い。思っているよりも器用な奴だな)
魔法が小さいからといって弱いとは限らない。魔力を圧縮すれば魔法は小さくなり、その代わり威力は上昇する。ただ派手で大きい魔法が必ずしも強いという訳ではないのだ。また、ルーナの放ったその魔法はスピードも凄まじく、あっという間にリンクアの目の前に迫った。
「ふっ……!」
しかし、リンクアは右手でその魔法を真正面から迎え、ぶつけた。大きな音を立てて爆発し、周囲の温度が上昇する。明らかに先ほどルーナが放った魔法よりかも強力な魔法だ。
だが、リンクアがこれでやられる訳はなく、そもそも避けようとせずに受けようとしていた時点で受け切れる自信があったと考えられり。まだまだピンピンしていることだろう。
そのため、ここで大事なのは追撃をすることだとルーナは考え、跳躍する。そして強力な右足の蹴りを当てるため、足のふくらはぎから蹴りを加速させるための火の魔法をブースターとして小さな爆発を起こし、煙の中にいるであろうリンクアへ向かう。
リンクアの感覚はとても鋭い。恐らくルーナの蹴りも察知されている。だが、避け切るのも受け切るのも難しいだろう。
ドンっと大きな音が鳴る。ルーナの渾身の蹴りは確かに当たった。だが、ルーナは驚くことになる。
「そろそろ温まってきたか?」
そこにはルーナの蹴りを両手で受け止めるリンクアがいた。その両手からは煙が上がっており、間違いなくルーナの火の魔法が多少なりともダメージを与えたのだろう。
そんな状態で蹴りを完全に受け止められるとは流石に思っていなかったルーナはほんの一瞬硬直してしまう。
(まずい、離れないと……!)
ルーナの足を掴んでいるのはリンクアの両手である。そしてリンクアの両手にはあの魔法があることが分かっている。
「遅いよ」
リンクアの両手に魔力が込められる。ルーナは咄嗟に左手に火の魔法によるブースターを加えて、リンクアの顔面に拳を入れようとする。無理に逃げようとするより、リンクアが手を離さなければいけない状況にした方が有効だと判断したのだ。
だが、それすらもリンクアは自身の足を上げて防いだ。ただし、両手に集中していたリンクアは辛うじて足で防げただけであり、両手を離して吹き飛ばされる。
そうして二人は地面に落ちた。
(この可能性を全く考えなかった訳では無かったが、あの一連の行動によって間違いなく私が不利な状況に追い込まれたな)
ルーナは自分の右足を見る。そこにルーナの美しい足は無かった。あったのは木であった。ルーナの右足は木に見えるのだ。枝の部分は枯れたようになっており、明らかに人の姿にはないはずのもので、真っ黒な右手と合わせて何とも歪な姿になっている。
「随分愉快な姿になったな」
リンクアは面白いものを見ている様子だ。ルーナからしたら心底不愉快だが、認識阻害魔法のせいで変わっているように見える部分は自分の体の一部であるということが理解できている。それだけは救いだろう。
(これで右手と同じく右足も使うのが難しくなった。自分の足のはずなのに、そこには木があるようにしか見えない。この強烈な違和感は本当に不快な上に、戦闘のハンデとしては非常に厄介だ)
誰が見ても不利なのはルーナ。本来の力が発揮できるようになるドラゴンの姿になればまだまだ対等に戦えるだろう。だが、それをしていいのかを良く考えなくてはならない。
「さぁ、そろそろドラゴンの姿になったらどうだ。流石にその状態で私と戦うのは難しいだろう」
「……どうだろうな。まだまだ私はやれると思っているが」
「そう言うのであればもっと強力な魔法でも撃ってこい。周囲のことなど気にするな。いや、気にしている場合じゃないだろう」
「安心しろ。それに関しては大丈夫だ」
ルーナはドラゴンの姿になる選択はまだ取れないと判断した。しかし、使う魔法に関しては制限しないことに決めた。
「……これは」
リンクアは、明らかに不利な状況にあるはずのルーナの姿に驚きと興奮を覚えていた。
何故なら、ルーナの背中に炎の羽が生えていくからだ。
右手と右足は酷く歪で、神聖なものに見える炎の羽と一緒に見るとアンバランスに感じてしまう。だが、そのアンバランスさが不思議と良く感じてしまっているリンクアがいた。
「ここまでされたら仕方がない。周囲への被害は一度忘れることにしよう」
ルーナの負けそうな雰囲気は綺麗さっぱり消えている。それどころか雰囲気に押されてるのはリンクアの方である。
「最初からそれくらいしておけば認識阻害魔法を食らうこともなかったんじゃないのか?」
「そうだな。それに関しては私の目論見が甘すぎた結果だ。こんなんじゃドーバにも強く言えないな」
「……!」
そう言うとルーナの姿がリンクアの視界から一瞬で消えた。
リンクアの視界の端、右後ろあたりにルーナの姿が見えた。
「流石の反応速度だ」
だがルーナの左拳を避けることなどできず、辛うじて両腕で受け止めて吹き飛ばされる。
「く……!」
吹き飛ばされてから地面に着地した時にはルーナは正面の上空におり、目の前と頭上から火の魔法が放たれていた。前からくる火の魔法は散弾でとても避けきることはできない範囲攻撃、図様からは槍の形をした火の魔法が迫っていた。
リンクアはすぐに後ろへ下がる。後ろへ下がることで前からくる火の散弾はある程度間隔が開き、避けたり撃ち落とすのは簡単になる。また、火の槍からも逃れることができる。
だが、そんな簡単に避けられる攻撃などではなかった。
「追尾……!? 遠距離操作できるのか!」
火の散弾はそのまま向かってくるだけだが、火の槍は向きを変えて後方に下がるリンクアを追尾している。
(火の槍のスピードは凄まじい訳ではない。全力で躱そうとすれば簡単に逃れることができるだろう。ただ、どれだけ追ってくるのか、どれだけ精密に操作できるのかが分からない)
そんなことを考えながらどんどん後方へ下がっていくリンクア。そんなリンクアは意識を火の槍に割きすぎていた。
(奴がいない! そうだ、奴は移動速度も威力も桁違いに上がっているのだから常に視界に入れて意識していないといけなかったのに……)
そう思った時には遅く、リンクアの真後ろにはルーナがいた。そしてルーナは左手でリンクアの左腕を掴み、左足でリンクアの膝裏を蹴った。
それによって体勢を大きく崩し、更には左腕を捕まえれているのですぐには逃げられない状況に陥った。
(このままだと火の槍に追いつかれてモロに当たっちまう。こいつを引き剥がす!)
リンクアの強みはやはり認識阻害魔法である。ルーナにはとにかく認識阻害魔法を避けなくてはならないという意識があると考えるのが普通であり、実際これまでは認識阻害魔法を明らかに警戒していた。それであればルーナに認識阻害魔法をかけるため、フリーな状態の右手で触れてしまえばいい。
リンクアは右手を後ろにいるルーナに伸ばし、掴んだ。
(よし!)
「それで、上書きでもするのか?」
「……!?」
リンクアは硬直してしまった。リンクアが触れたのは既に認識阻害魔法がかけられているルーナの右手である。
実は、リンクアはしっかりルーナの右手に触れているため、ルーナの体全体にまで認識阻害魔法をかけられなくはない状況なのだ。触れている時間が長ければその分認識阻害をかけられる範囲が増えるからである。
しかし、この時のリンクアはそんな簡単なことに気づけず、ただ思考がまとまらなくなってしまったのだ。一部の者を除き、突然追い詰められると思考が鈍化してしまうのは仕方のないことだ。
「甘んじて受け入れることだな」
そしてルーナの強力な火の槍の魔法がリンクアへぶつかった。




