尾行と失敗
「……」
大教会の近く、アリーチェとルーナは潜んでいた。アリーチェは大教会の周囲を歩いている人達を、ルーナは大教会の入り口を注視している。
二人は会話をせず、集中して自分が見るべきもの、確認すべきものを見逃さないように気をつけている。大教会の周囲にいる人々には、旅行者であろう大きなバッグを抱えて街を楽しんでいる者、家族でレストランへ入る者、手を繋いでデートしている若い男女、ベンチに座って談笑するお年寄りなど、様々な様子の者達がいる。彼らは今、アビタル教と世莉架達が戦い、国もアビタル教をどうにかしようとしていることなど知らずに過ごしている。
現在の時間帯は昼間で、多くの人々が行き交っている。そんな中で、アリーチェとルーナの表情には少なからず緊張が現れている。敵はただの宗教団体ではない。圧倒的な強者である魔王軍幹部を二人も抱え、教皇が謎に包まれている大変危険で不気味な団体を敵にしている。世莉架からは最大限の警戒をするよう言われていた。
潜伏してから数十分ほど経った頃、大教会からとある人物が出てきた。
「あの仮面……教皇だ」
ルーナが教皇の姿を確認した。二人はすぐに動けるよう立ち上がる。
「教皇は確認できた。後は教皇がどこに向かって何をするかだね」
「そうだな。アビタル教信者達の動き的にはとても落ち着いていて、しかし警戒は怠っていない。私達の侵入が信者全員に伝えられたのかどうかは分からんが、敵がすぐ近くにいることは伝えているんだろう」
「多分、地下に行くための部屋には前以上に実力のある者が配置されているね」
「まぁ、私達がまた侵入しに来るであろうことくらい流石に相手も分かっているだろうからな」
「そうなると私でも地下へ無理矢理入るのは難しいかもね」
アリーチェとドーバとクミーラが大教会を脱出しようとした時、地下に続く階段があった部屋の敵には見つからないように空間転移で移動していた。幸いにも部屋の中は薄暗く、敵の視線が扉を外れた瞬間に空間転移で一気に部屋の扉に近づき、扉を開けて部屋の外にいる敵を声を出させずに制圧したのだ。ルーナが脱出しようとした時、階段のある部屋には敵がいたのに部屋の外の敵が制圧されていたのはそのためである。
教皇は大教会の外に出る前で立ち止まり、何やら話をしている。ルーナは一瞬自分達の存在がバレたのではないかと考えたが、あまりそういう様子には見えない。
「教皇は昨日も外に出て街中を歩いていたようだが、今日も出てくれて良かった。奴が現れないとアビタル教を終わらせることはできないからな」
教皇はついに大教会の外へ出た。周囲には複数人の信者がおり、大教会を出て右に進んでいく。
二人は周囲を気にしながら教皇を尾行し始める。ただ、相手に探知能力を持つ敵がいるかどうかは分からない。また、どこにアビタル教信者が潜んでいるかも分からない。間違いなくアリーチェ達を見つけたら何かアクションを起こすだろう。街中で戦闘するような愚かな真似はしないだろうが、どういった接触を図ってくるのかはいくつか予想はできる。しかし、予想外なこともしてくるのではないかと思わされるのがアビタル教である。
尾行する側が必ずしも安全とは限らない。むしろ、見つかってしまった時や二重尾行のことを考えると危険な役割である。しかし、だからこそ空間転移でその場を瞬時に離脱できるアリーチェがおり、力技の無理矢理な突破もルーナがいるおかげで可能ではあると考えられる。
ルーナは尾行などしたことがなく、かつコソコソ動くのはあまり得意とは言えない。そのため、アリーチェが先行して進んで行く。二人で尾行する時、その二人が一緒に動くことはあり得ない。よって、アリーチェとルーナはそれぞれ違う場所から尾行し、アリーチェから少し後ろの離れたところにルーナがいる。
アリーチェは教皇と常に一定の距離を取りつつ尾行するため、建物の影や建物の屋根上に空間転移やその運動神経を活かして移動している。ルーナは建物に登ろうと思ったら目立ってしまうので、基本的に多くの人々が行き交う道を歩いている。
並び的には、教皇とその周囲を囲む信者達、その後ろにアリーチェが様々な角度から尾行、更にその後ろからルーナが尾行している形だ。
(今の所、教皇やその周囲の信者達におかしな動きはない。けれど、警戒心は明らかに強い。特に周囲の信者達は目線を様々な方向へ向けている。やはり、私達の存在を気にしている。ただ、肝心の教皇にはそんな警戒心は無いように思える。こんな街中で攻撃してくることはないと分かっているから? まだ私達が大きく動くことはないと思っているから? 理由は正確には分からないけど、不気味ね。あの仮面をつけてミステリアスな雰囲気を醸し出しているところが、私にはとても不気味に思える)
尾行を続けながらアリーチェは教皇の底知れない何かを感じ取っていた。教皇の素性は未だ不明だが、普通の人間な訳はないだろう。
十二分な距離は取っているはずなのに、どこかで嫌な予感を感じ続けている自分自身に戸惑いながら、アリーチェは尾行を続ける。だが、嫌な予感を感じているのはルーナも同じであった。ルーナは人通の多い道を進みながら尾行しているため、教皇の姿は見えたり見えなかったりする。そのため、アリーチェの姿を目の端で確認しながら進んでいる。アリーチェよりも離れた位置にいるにも関わらず、何かが起こるという予感を感じずにはいられなかった。
(流石に気づいてはいないだろうが……何か気になる。現状では奴らを追っているのは私達だし、恐らく追い詰めているのも私達だ。けれど、頭の片隅にある嫌な予感が剥がれない。これは、教皇に何かがあるということか?)
ルーナはふと、自身の右手を見る。右手は相変わらず認識阻害魔法がかけられていて真っ黒の物体に見える。その黒い状態のまま外を出歩くのは不自然なため、ルーナが元々着ているドレスの上に適当に服を羽織って右手を隠している。
少々変な格好に思えるが、人に変身しているルーナは誰が見ても美女と答える容姿なため、似合っているように見える。
「……まずい」
いつの間にかルーナが追うべき教皇とアリーチェがいなくなっていた。少しだけ教皇とアリーチェから意識を外したことで、見失ってしまったのだ。そもそも距離をしっかり取って離れたところから尾行していたため、ほんの一瞬でも意識をそらしてはいけなかったのだが、尾行の経験などないルーナには少々難しいミッションだったと言えるだろう。
しかし、このような状況になることを考えていない訳ではない。
それは、世莉架達が大教会から脱出した後、作戦を立てている時のことである。
「アリーチェとルーナは大教会付近で潜伏し、教皇、もしくは魔王軍幹部の二人のどちらかが出てきたら尾行をお願い。ただ、魔王軍幹部は出てこないと思うけれどね」
「分かった」
アリーチェはすぐに了承したが、ルーナは渋っている様子だった。
「尾行か……ただでさえやったことがない上に、私には向いていない役目だろう」
「まぁ、向いてないでしょうね。だから尾行のメインはアリーチェで、ルーナは教皇を尾行というよりアリーチェを尾行するという考え方でいいわ」
「なるほどな。それなら教皇からの距離が十二分に取れるから尾行が下手でも見つかる可能性は低いか。ただ、アリーチェの姿すら見失ってしまいそうだ」
「それならそれで仕方がないわ。最低限アリーチェが教皇を尾行できていればオーケーよ。もしも教皇とアリーチェどちらも見失ってしまった場合は、他のことをお願いするわ」
世莉架はルーナが最後まで尾行し続けられない可能性くらいは考えている。勿論、教皇が向かう先、向かった先で話をした人物などの尾行によって得られる情報はとても重要なため、しっかりと二人がかりで尾行を完遂することが理想だ。しかし、現状では尾行の素人であるルーナを使う選択肢になるため、失敗した時のことも考えなくてはならない。とはいえ、百パーセント尾行を成功させるなど世莉架も含めて不可能ではあるが。
「ルーナだけが尾行に失敗した場合、取れる選択肢はいくつかある。まずは単純に私やハーリア、ドーバの手助けをすること。私達が所定の位置から動いてしまう可能性は高いけれど、もしも動くのであれば通るルートや向かう先は予め決めてある。だからそういうところに向かう」
「そうだな。それが一番いいな」
「他にもあるわよ。大教会付近に戻って潜伏し、アビタル教の有力者と思われる人物の出入りだったり、逆に国の上層部の人間が入っていかないかとかを確認すること。総本山である大教会付近にいれば色々と分かることがあるでしょうからね」
「確かに……」
国とアビタル教にどのような繋がりがあり、その繋がりはどのように保たれているのかなどはまだ確実には分かっていない。世莉架が大教会から持ち帰った資料の中には国の上層部である人間の名前がいくつかあったが、それだけとは限らないのだ。
「後はもう最終手段だけど」
「まさか……」
「大暴れしてしまうとかね」
「セリカからそんな言葉が出てくるとはな」
世莉架が何を言うつもりなのか早々に察したルーナは驚いた様子で世莉架を見ていた。そんな考えなしの言いそうなことをあの世莉架が言ったことは確かに驚いてしまうかもしれない。
「別に適当なことを言っている訳じゃないわ。作戦実行は昼で周囲には人が沢山いる。貴方は人の姿のまま暴れ、アビタル教がこれまでやってきたことやこれからやろうとしていることを大声で叫び、アビタル教に勝負を挑む。貴方の言うことを最初から信じる人は少ないでしょうけど、必ずアビタル教のことをよく思っていない市民はいるから、そういった人達が周囲の人達にアビタル教への不信感を伝播させるでしょう。例えデタラメでも、有名な組織のイメージをダウンさせるのはそう難しくない」
「それはそうかもしれんが、周囲に人が沢山いる中で勝負を挑んでいいのか?」
「アビタル教は群衆の前で本気で戦うことはしないでしょう。実際、貴方達はシグガンマ国に来るための道を外れたところで絡まれていた訳だし」
アビタル教に限った話ではないが、世間に見られたくないことを人の目がないところで行うのは至って普通のことである。
「じゃあ私が攻撃を仕掛けても奴らは反撃しないのか?」
「最低限自分の身を守るための行動は起こすでしょうけど、本気で貴方を殺しに行くことはないでしょう。言葉による説得か逃げるかのどちらかよ」
「私は本気で潰しにいっても?」
「殺すのは駄目よ。ただ数人ノックアウトして捕えるくらいはしていいと思うわ」
「なるほど。あまり目立ちたくはないが、考えられる選択肢だな」
「えぇ。ルーナが尾行に失敗した時、どう動くかは貴方に任せるわ。それに尾行の失敗というのも、対象を見失ってしまう失敗だけでなく、貴方が背後から攻撃されるという可能性も無くはないわ」
先ほど敵は人の目があるところで戦わないという話をしたばかりなのに、背後から攻撃される可能性を示唆されてルーナは首を傾げた。
「奴らの頭が完全にイかれた場合の話か?」
「まぁ、その可能性もゼロではないけれど、それよりも少し高い可能性が考えられるパターンがあるわ」
「それは?」
「魔王軍幹部が外に出て来るということよ」
「!」
ルーナはそんな堂々と出てくるものかと一瞬考えたが、認識阻害魔法をかけてきた魔王軍幹部のことを考えて可能性はあると思った。
「後はアビタル教を追い詰めた時ね。もう最後だからと改造人間を地上に放ったり、堂々と魔王軍幹部が出てきて街を破壊しようとすることは考えられるわ。実際、フェンシェント国のルイン攻防戦の時は堂々と攻めてきたんだから」
「確かにな。そもそも魔王軍幹部クラスの力があればそこらの街一つ壊滅させることなんて簡単だろう。クタルガやリンクアは……いや、奴らよりも階級や地位が上の魔族がそう指示しているのか」
「恐らくそうよ。だけど、もしも追い詰められたら躊躇なくその力を一般市民にも振りかざすでしょう。そうなったら戦いやすいけれど、一般市民への被害は出るし国としても大きな損害を受けることになる。まぁ、来ない方が良い未来ね」
「そうだな。とにかく、私が尾行に失敗したらその時取るべき選択を考えて行動する」
「冷静にね」
「分かっている」
そうしてルーナが尾行を失敗した時の話が終わった。
(こんな早い段階で見失ってしまうとは……すまないアリーチェ)
ルーナは心の中でアリーチェに謝罪する。
この時アリーチェはルーナが付いて来ていないことに気が付いていた。
(ルーナがいない。二人での尾行は失敗ね。けれど、私は良い感じに尾行できている。ルーナはルーナでやれることがあるし、心配しなくて良い。とにかく今は私が教皇を見失わないこと。それに集中する)
アリーチェはすぐさまルーナのことから教皇へ意識を変える。
教皇は時々そばにいるアビタル教信者達と話をしながら街を歩いて行く。周囲の人々は教皇の姿を見て羨望や尊敬の眼差しを向けたり、無関心に通り過ぎたり、不信感を抱いた目を向けたりしている。影響力のある組織は必ずしも好かれている訳ではないが、わざわざ足を止めて教皇の姿を見ている者もいる。民衆がどれだけ好いているかどうかは不明だが、興味がある者は多いということだ。
教皇は大教会を出てから城の方へ向かっていっている。一直線という訳ではないが、少しずつ近づいている様子だ。
(国の上層部にでも話をしに行くのかしら。色々な道から進んで城へ近づいている)
アリーチェは教皇との距離をしっかり取りながら尾行を続ける。
そんな中、尾行に失敗したルーナは道の端に寄ってこれからの行動を考える。
(失敗したことはもう考えても仕方のないことだ。大事なのはこれから私がどう動くべきか、ということ。世莉架やハーリアは街中を歩き回っているから見つけるのは時間がかかる。となると、今でも所定の位置に一番いそうなのは門近くに潜伏しているドーバだな。後は大教会に戻って再び潜伏するかだが、どちらがより良い選択か)
アリーチェは教皇を尾行中ということは分かるが、他の場所にいる世莉架達がどういう状況にあるのかは不明である。もしかすると既に戦闘をしているかもしれないし、敵の重要人物なんかを捕らえているかもしれない。または不意打ちを喰らって逆に敵に捕らえられている可能性も考えられる。
(とにかく、みんなが今どういった状況にあるのか分からない以上、あるのは可能性ばかりで確証はない。であれば私は一度大教会に戻り、その後しばらく何も無かったらセリカ達を探しに行こう。セリカのことだから、わざと敵に捕まっていたりすることも考えられるが)
ルーナは大教会へ戻る選択をした。教皇を追って進んでいた方向とは逆を向いて歩き始める。
(向こうには魔王軍幹部二人と未だ詳細不明の教皇がいる。他にも実力者がいるだろうが、戦闘力で言えばこちらも引けを取らない。問題は、どう立ち回るか。組織を崩壊させるのに戦闘は必須ではない。民衆の敵にできれば戦闘などせずとも崩壊させることはできる)
ルーナは別に、戦闘による物理的なアビタル教の崩壊を求めている訳ではない。戦わずに済むのであればそれが一番で、教皇を失脚させることができれば尚良い。だが、アビタル教に介入していた魔王軍幹部の存在によってそれは難しくなった。
(ただ教皇を失脚させるだけでは駄目になった。魔王軍幹部に関しては戦闘を避けるのは難しいだろう。クタルガはともかく、リンクアはもう私や世莉架に目を付けている。次会ったら即戦闘だろうな)
空を見上げると、太陽が見えていて晴れている。しかし、遠くの方に分厚くて大きい雲がある。そのうち雨が降り始めるかもしれない。
少しして大教会が見えてきた。ルーナは最初に潜伏した場所へ向かう。その時だった。
「おい」
一言、聞こえてきた。周囲には多くの人々が行き交い、店も多く並んでいる。そのため人の歩く音や話し声、道具を扱う音など様々な音が聞こえてくる騒々しさがある。
そんな中、たった一言の、しかし確実にルーナに向けられたその一言に体が硬直した。
(……馬鹿な)
硬直する必要のない言葉だ。仲の良い友達だったらそういう声の掛け方くらいあるだろう。しかし、ルーナには硬直してしまうだけの理由があった。
(なんでここにいるんだ)
ルーナの頭の中は混沌としていた。頭のどこかで何故、という現状の理由探しをしている。また、頭の他の所ではこれから体をどう動かすかの選択をし、更に他の所では言葉による会話をする場合の話す内容を慎重に検討していた。周囲には一般市民が沢山いる。下手に動くことはできない。ルーナは自分の喉元だけでなく、周囲の一般市民にもナイフを突きつけられている状況に等しい場面にいるのだ。浅慮に動くことはできない。
「おい」
ルーナが硬直しながら必死に頭を動かしている間、聞こえていないと思ったのかもう一度声をかけられる。
(この状況……取るべき選択肢を間違えたら大量の死傷者が出る可能性がある。冷静に考えるんだ。しかし時間はかけられない。このまま黙っていたら暴れ出すかもしれない。どうする……)
「おい……殺すぞ?」
その瞬間、ルーナは振り向いた。その時のルーナの表情は、切羽詰まった訳でも驚いている訳でも困惑している訳でもない、至って冷静に見える。
「リンクア、何故お前がここにいる」
そこには魔王軍幹部であり、認識阻害魔法の使い手である危険人物、リンクアが立っていた。




