夜の出発
「……ん」
アークツルスでの大きな事件が終わり、数日が経った頃、ある病院の一室で藍色の髪の少女が目を覚ました。
上半身をゆっくりと起こし、まだ頭がきちんと働いていないまま周りを見渡す。
右側には窓があり、外は晴天で散歩でもしたらとても気持ちが良さそうだ。左を見ると病室の扉がある。そのすぐ近くには白と青を基調とした制服が掛けられている。
視線をそのまま下へ向けると、その少女の左手を握りながら眠っている白い髪で長い耳を持つ少女が眠っていた。
「アリーチェ……」
藍色の髪の少女、ハーリアはそう呟く。
側で眠っているアリーチェの名を声に出すと、自然と心が温かくなった。
手を伸ばしてアリーチェの白くて美しい髪を触り、頭を撫でる。その触り心地の良さに、ハーリアはしばらくアリーチェの頭を撫でていた。
すると病室の扉が開いた。
「目が覚めた?」
「ハーリア、目が覚めたんだね!」
そこには世莉架とメリアスが立っていた。
「セリカ、メリアス!」
ハーリアは笑顔を見せる。
「体の調子はどう?」
「正直言うとまだ少し痛いし、お腹に違和感がある。けど、動けるとは思う」
「そう、良かった」
「状況はどんな感じ?」
ハーリアが今気になっているのはマリコム達が成功したかどうかだ。もしも失敗していればのんびりしている暇はない。だが、世莉架とメリアスの雰囲気的に失敗したようには思えない。
「作戦は成功よ。マリコム達は今回の件についてやらなければならないことが沢山あるようで、しばらく城にいるそうよ。それで今日これから国王がこの国の裏社会の真実を城の前で国民に話すらしいわ。まぁ、私達は行かなくていいわね」
この事態を収束させるには、国王が説明責任を果たす必要がある。それほど重大な事件となったのだ。
「そうなんだ。良かった」
ハーリアはホッと胸を撫で下ろした。
「それと、アリーチェには既に伝えたことだけど、マリコムにアリーチェの幼馴染の遺体をきちんと弔ってくれるよう頼んでおいたわ。ハーリアには関係ないかもだけどね」
「……そう。それなら本当に良かった」
現場にはハーリアもいたのだ。何も思わない訳がない。シーナと話したことはなく、アリーチェの幼馴染ということしか分からないが、それでも気に掛けてしまうのは仕方ないだろう。
「……それで、これからどうするの?」
ハーリアの目が覚めた今、世莉架は次の行動をすぐにでも起こそうとしているのではないかと直感したハーリアが尋ねた。
「さっさと国を出るわ。出来れば今日中に」
「え?」
すぐにでも行動を起こすと直感していたとはいえ、流石の予想外の言葉にハーリアは目を丸くした。
「な、なんで? せっかくだし、もっとゆっくりしていこうよ」
「昨日、事が終わった後に私は軍に行って色々と話をしてきたの。その後、マリコム達に来てもらってまた色々と話をした。それで解放されればいいなと思ったんだけど、やっぱりそんなすぐに終わらなくてね。本当はこれから数日間は軍やら城やらに行かなくてはならないの。だから、さっさと国を出て逃げちゃおうと思ってる」
「でも、作戦が成功したってことは私達は英雄みたいな扱いなんじゃないの? そうだったらお金とか勲章とか色々貰えるかもしれないよ?」
そこでメリアスが呆れた顔をして横目で世莉架を見る。
「そうなんだけど……お金さえ貰えればいいんだってさ」
「えぇ。お金はもう貰ったけど、名誉や勲章に関してはどうでもいいわ。それに私達の存在はまだ軍と城の人間しか知らない。ただ、いつかは国に広まってしまう。ならば広まってしまう前に国を出るしかないわ」
「なんかセリカらしいけど……勝手にいなくなって大丈夫?」
「さぁね。別に私達は悪いことはしていないし、特に問題ないわよ。罪人になり得る可能性があるならいずれ追ってくるかもしれないけどね」
「そっかー。明日出るの?」
「いいえ、今日の夜出るわ」
「え、本当にもうすぐじゃん」
昨日の今日で国を出るというドタバタ具合にハーリアはベッドに背を倒してため息をついた。
「本当は貴方はまだ入院していなければならないんだけどね。それに、マリコムと国王から勲章の授与式やパーティへの出席の話なんかもきていてね」
「それを全部無視して国を出るなんて、大胆だね」
「さっきも言った通り私達は罪人じゃないんだし、特に問題はないわ」
「んぅ……」
そんな話をしていると、アリーチェが目を覚ました。
「アリーチェ、おはよう」
「……ハーリア。ハーリア!」
ハーリアが微笑みかけるとアリーチェが勢いよく抱きついた。
二人は幸せそうに抱き合っている。
「あ、そうだ。アリーチェはこれからどうするの?」
ふとハーリアが尋ねる。
元々アリーチェの幼馴染を助けることに協力する、という理由でアリーチェと共に行動していた。結果的にマリコム達と出会って当初よりも大事になったが、とりあえず事態は収束した。
最早一緒に行動する必要はないので、アリーチェは国に帰るのが最も良い選択なのかもしれない。
「……」
アリーチェは少しの間黙る。そして答えた。
「……私はもう国に帰りたくない。あそこにいても、私は成長できない。きっと毎日つまらない日々を送るだけ」
言いながらアリーチェは窓際に行き、外を見る。
「それに、シーナを……大切な幼馴染を失った今、国に帰る理由も必要もない」
そして世莉架達の方を振り返る。
「今までの私は本当に無知で愚かだった。だから私は旅をして色々なことを知りたい。色々なものを見て、色々な体験をして、新しい価値観を見つけたい。そして何より……」
アリーチェはハーリアを見る。
「ハーリアと一緒にいたいし、守りたい」
「アリーチェ……」
二人は少しの間見つめ合う。そこはまるで二人だけの空間のようだった。
「あ、勿論セリカとメリアスとも一緒にいたいよ。退屈せずに済みそう」
「……つまり、一緒に来たいということね」
今度は世莉架が尋ねる。
「うん。駄目な理由があるなら仕方ないけど、どう?」
「……そう。なら、一つ言っておくわ」
「何?」
「私達の旅は間違いなく危険よ。それも、普通の範疇は間違いなく超えてるくらいのね」
「何故?」
「ごめんなさい、理由は言えないわ。でも、危険なの」
「そうなんだ。でも、私はみんなと一緒にいたい。まさか私が人間と一緒にいたいと本気で思う日が来るなんて思ってなかったけど、今の私はみんなと一緒にいたいの」
「……」
アリーチェの決意が強いことを確認した世莉架はため息をつく。
「分かったわ。好きにしなさい」
「ありがとう。というか、やっぱりこのパーティのリーダーってセリカなの?」
そこでふとアリーチェは思ったことを言ってみる。
「……いや、ハーリアがリーダーよ」
「え!?」
突然リーダーにされたハーリアは驚いて世莉架を見る。
「貴方が一番リーダーに向いているわ」
「え、絶対セリカの方が向いてるよ」
「いいえ、私にリーダーの素質はないの。でもハーリアは明るくて優しくて、みんなのことを第一に考えることができる。それだけでも周りは付いて行きたくなるものよ」
「なんか上手くまとめられてるだけな気がする」
「そんな事ないわよ。とにかく、ハーリアがリーダーね」
「……リーダーやるのが面倒なだけじゃない?」
「さぁ、どうかしら」
そんなやり取りをする二人だが、ふっと笑みを浮かべて笑い合った。
「それじゃあ、今日の夜に迎えに来るわ。それまでは旅に必要な物とか買っておこうと思ってるけど、二人は何か欲しい物ある?」
世莉架がハーリアとアリーチェに尋ねる。
「うーん……どれくらい頼んで良いの?」
「そんな気にしなくて良いわよ。それなりにお金は貰ったからね」
「そっか。じゃあ……」
ハーリアとアリーチェは欲しい物をいくつか頼み、世莉架とメリアスは買い物に出掛けるのであった。
**
そして夜が来た。世莉架とメリアスはハーリアとアリーチェがいる病室に入る。
中には既に病院で支給された服から制服に着替えたハーリアと、狩人の格好をしてフードを被るアリーチェがいた。
「準備はできてるわね?」
二人は頷く。世莉架は頼まれて買ってきた物を渡す。
「それじゃあ、さっさと出るわよ。これからどこへ行くのかはここを出た後で話すわ」
四人は病院をこっそり抜け出す。
時間は夜ご飯のピークより少し遅いくらいで、人はまだまだ沢山出歩いている。
「そうだ、夜ご飯どうするの?」
ハーリアが世莉架に聞く。
「夜ご飯は食べ歩きができるものを適当に買って済ましましょう」
それからご飯を食べ、四人は戦いが終わったばかりというのもあり、都会のアークツルスの美しい夜景を堪能しながら歩いた。
「もうここには戻ってこないの?」
アリーチェが疑問に思ったことを言う。
「分からないわ。まぁ、いつかはまた来ることになるかもね」
「じゃあエルフと人間が互いに自由に入国できるようになってからだね」
「そうね」
段々とアークツルスを囲む城壁が見えてきた。いよいよ外に出る。
「南門……これから南に向かうの?」
行き先を知らされてなかったハーリアが世莉架に尋ねる。
「えぇ。このフェンシェント国は魔族領に最も近い大陸の中心あたりに位置しているでしょう。南に行けば魔族以外の色々な種族の国に行けるわ」
「純粋に旅を楽しみたいってこと?」
「そんなところかしらね」
今、いきなり魔族領に行って戦いを挑むのはあまりに無謀だ。いくら世莉架が強いとはいえ、まだ魔王軍で戦ったのは幹部まで。更にそこから二つも上の位の魔族がいるのだ。そして魔王がいる。ただ力任せに魔族領へ攻めに行っても、簡単に返り討ちにされて終わるだろう。
となると今回のアークツルスでの出来事のように、大陸の南側の魔族領ではない人間やその他の種族の国が栄える場所へ行き、恐らくそれらの影に潜んでいるであろう魔族達を消していくほうが効率的に、かつ難易度を下げて魔族を減らせるのだ。
更に、魔族以外の種族にも腐る程問題がある。アークツルスで裏社会に関わっていた人間の権力者がいたように、他国でも魔族が絡んでいようが絡んでいまいが様々な問題がある。それらを完全に無視して魔族だけを滅ぼしても、いずれ魔族以外の国々での問題が原因で世界は危機に陥ることだろう。
四人はやがて門の近くにやってきた。夜というのもあり、人の出入りは少なく、門番も少人数で行われている。
「どうやって出るの? ここに入ってきた時みたいにアリーチェを隠しながら出るの?」
ハーリアが世莉架に尋ねる。
裏社会を白日の元に晒すことはできたが、エルフと人間の確執が消えた訳ではない。もしも闇ギルドの壊滅にエルフであるアリーチェの関わりが暴かれてしまったら、一気に立場が変わる可能性がある。
「今は夜よ? わざわざ門を潜る必要なんか無いわ」
そう言う世莉架は門の前で突然左の道に曲がる。
他三人は疑問に思いながらも世莉架の後を付いていく。
すると次第に人通りが少なくなり、全く人のいない城壁と住宅の間にある小さな道に入った。
「ここを越えるわ。アリーチェの空間操作で私達は一気に城壁の上まで移動する。ここの城壁の上は見張りがとても少ないの。だから上まで行ったらすぐに反対側に降りて外に出ることができるわ」
「なんでそんなこと知っているの?」
「ちょっと情報を見させてもらったのよ」
「勝手に見たっってことね」
ハーリアは呆れながらも、最早世莉架のそういうところに驚くことはなくなっていた。
「ついでに私達の姿も弄っておこうか?」
「お願い」
アリーチェが姿の改変を申し出て世莉架は頷く。
アリーチェの特殊属性、もとい特殊能力は空間操作である。
現在世莉架たちがいる場所がA地点だとして、そこから離れた場所である城壁の上をB地点とする。A地点からB地点までの空間を操作してその空間を省くことにより、一気に移動することができるのだ。まるでワープのようだが、厳密には違う。ワープは空間と空間を繋ぐことによって瞬時の移動が可能だが、空間操作は空間そのものを弄って省くことで移動が可能になる。空間を省くと言っても、空間から空間までの間にある物質や生き物が消されるようなことはない。アリーチェが認識している部分を意図的に一瞬だけ無いものとするのだ。そのため、空間と空間との間にあるものに影響はない。つまり、空間操作魔法はアリーチェの認識や目や耳などの五感で感じられる三次元の情報がとても大事になっており、扱うのは非常に難しい稀な魔法なのだ。
また、アリーチェがアークツルスに入る際に使った空間操作は、自身の周りの空間を弄って自身の姿を出来る限り見えづらくするというものだ。空間を弄って捻じ曲げたりすることによってアリーチェはアリーチェの背後の景色と同化しているかのように空間操作をしたのだ。
それ以外にも、空間を上下左右に反転させたり、空間を変化させて同じ場所をループするように仕組むこともできる。
そして、霧を生み出す特殊属性も持っている。世莉架達と最初に会ったときの霧はアリーチェが生み出したものだ。
このように、特殊能力である空間操作や霧の生成は、直接敵を攻撃する訳ではないが、使い方次第で強力でとても厄介な脅威になるのだ。
「さぁ、行きましょう」
世莉架がそう言うと、アリーチェは全員に空間操作の魔法をかけて姿を背景と同じように変化させ、城壁の上まで瞬時に移動する。
そこの城壁の上は世莉架の言う通り、見張りをしている兵士は離れた場所におり、見つかる心配は無さそうだった。
「降りるわよ」
そして城壁の外側の地面付近に空間操作で移動し、ついにアークツルスの外に出た。
アリーチェが空間操作を解除する。
「出られたね」
ハーリアは後ろを振り返り、城壁を見上げる。
「えぇ。とりあえず門の方へ向かってあの大きな道を歩いて行きましょう」
南門からは大きな道が伸びている。大陸の下半分の中心にはとても大きな湖があるが、その湖周辺に多くの国々が栄えている。そのため、魔族領に最も近い大陸の中心あたりに位置するフェンシェント国から南へ移動する者はとても多く、夜であってもそれなりに人通りがある。
世莉架達は城壁の側を歩いて南門から伸びる大きな道に入って歩き始める。
アリーチェは後ろをチラッと見る。アークツルスの地下、闇ギルドがあった場所にはアリーチェの幼馴染のシーナの遺体がある。次にいつ来れるかは分からないが、いつか必ず戻ってくる決意を胸に抱き、前を向く。
「それで、具体的には南側のどこに行くの?」
メリアスが世莉架に尋ねる。
「まずはこのまま南に向かうといずれ通ることになるシグガンマ国かしら。聞いた話だと、王都の領地の半分が湖の上にあるらしいわ。暮らしているのは主に人間と獣人で、フェンシェント国に近い技術と戦力を持っているらしいの」
「シグガンマ国かー」
「ハーリア、行ったことあるの?」
「いいや、無いよ。でも、フェンシェント国の同盟国だし、かなりの大国だよ」
「それなら楽しみね」
「ちなみにエルフである私は入れるの?」
「少なくともエルフが入れないなんて情報は聞かなかったわ」
「そう、良かった」
行き先はシグガンマ国となった。勿論、これはただ遊びに行く訳ではない。世莉架はハーリアが病院にいる間、買い物と兼ねて情報収集を行っていた。するとシグガンマ国にもキナ臭い何かがあるらしい事を聞いたのだ。そしてそれは宗教絡みである可能性が高いという情報だ。宗教が絡んでいると聞くと凄く怪しく感じてしまうのは日本人である世莉架ならば仕方ないのかもしれない。
それに、フェンシェント国の同盟国であり、大国でそれなりに治安が良く、エルフも普通に入れて影に潜む魔族や裏社会の気配もするということで、行く理由は十分にある。
更に、比較的フェンシェント国に近いというのもある。それでも歩きでは数週間かかるが、まだ近い方だ。大陸の最南端に行こうとすればその数倍はかかるだろう。
アークツルスを出たのが夜というのもあり、四人はある程度アークツルスから離れたところにある町に入り、そこの宿で一泊することにした。
「ここら辺は町とか多いのかな?」
メリアスが宿の窓の外を見ながら言う。
「フェンシェント国とシグガンマ国間の人の行き来は大国というのもあってかなり多いらしいわ。だからその道中に町や村が多く作られるのは自然なことね」
世莉架は紅茶を優雅に啜りながら答える。
その後、夕飯を食べ終え、宿についていたお風呂に入って四人はベッドに入る。
皆、最近のドタバタでとても疲れているため、世莉架以外はすぐに眠った。
「……」
世莉架はベッドで横になりながら天井を眺める。
この世界に来てからまだそんなに時間が経った訳では無い。それでもその内容はとても濃密で、大変なものだった。
世界を救うのであれば、これからは更に厳しい現実が幾度となく訪れることだろう。
まだまだ魔王軍の実力は計り知れない。世莉架でも苦戦する相手がこれから間違いなく現れる。
世莉架は横を向き、三人の寝顔を見る。
いつの間にか仲間が増えていた。当初は、メリアスと二人でやっていくつもりだった。しかし、いつの間にかハーリアとアリーチェが仲間になり、共に行動している。
前の世界にいた世莉架ならばあり得ないことだ。誰かとこんな風に一緒にいるなど、考えられなかっただろう。
(……変わっているのかしら、私は)
自分に変化が起きているのでは、と考える世莉架。
(いや……そんな簡単に変わらないわよね。結局、私はどこまでいっても最低最悪な殺人鬼。メリアス、私が良い死に方をすることは万に一つも無いわよ)
そんな風に考えて思わず世莉架は苦笑してしまった。
(まぁ、一先ずシグガンマ国について考えなきゃね)
そうして世莉架は次の日に備えて眠りについた。




