第八十五話【オッサン、渓谷探索】
俺が宿に戻ると、ニーナが起きて先に宿の朝食を食べていた。
朝食はパンとスープにサラダ。まあ一般的な朝のセットだ。
そういや起きてから何も食べてなかったな……ちょっとお腹が空いた。
「あ、パパおかえり!」
ニーナが笑顔で出迎えてくれる。
何も知らない彼女の笑顔がちくりと刺さる。
だが、ちゃんとあの事は伝えねばなるまい。
俺は彼女の向かい側に座り、真剣な表情で話始めた。
「ニーナ、大事な話がある」
「なあに?」
「キューちゃんについてなんだ」
ニーナは首を傾げてこちらを見ている。
俺はその無垢な視線に耐えつつ、言葉を続けた。
「今回の目的地は知ってるな? そこでキューちゃんの親が見つかったかもしれないんだ」
「えっ、ほんと!?」
そう告げるとニーナは大喜びして席を立ち、隣でご飯を食べているキューちゃんを持ち上げる。
「キューちゃんっ! パパやママに会えるかもしれないって!」
「きゅ? きゅっー!」
急に持ち上げられたキューちゃんは最初驚いた様子だったが、ニーナの言葉を理解したか、ぱたぱたと翼を動かして喜んでいる。
ニーナもキューちゃんと持ち上げてくるりと一回転。
そんな様子の彼女達に、こんな事を告げるとは心が痛いが、しかし――
「その、あれだ、もしかしたら……キューちゃんを親の元に帰さないと行けなくなるかもしれない」
俺はその事実を、ニーナに伝えた。
彼女はえっ、と言うような表情でこちらを見つめてくる。
まさかキューちゃんとお別れになるとは夢にも思っていなかったらしい。
キューちゃんを無言で降ろし、少し俯いて考えている彼女。
ショックが大きいのか、言葉が出てこないようだ。
予想はしていたが、その様子を見て俺は心が痛くなる。
やがてニーナは俯いたまま、こくりと頷いて、
「……うんっ、パパやママといっしょの方が、いいもんね」
と、一見納得したような様子を見せる。
そしてキューちゃんの方を向くと、
「キューちゃん! さいごのぼーけんかもしれないけど、いっしょにがんばろっ!」
「きゅう?」
未だに状況を理解していないキューちゃんに、そう言葉を投げかけるのである。
俺はその様子を見て何も言い出せなかった。
あれほど仲が良かったのだ、彼女がすんなりと納得するはずがない、出来る訳がない。
きっとどこかで無理をしている――そう想像できるのは非常に容易く。
だけど俺は、そんな彼女に対してなにか声をかけてやる事をしてやれなかった。
◇
「ひゃー……下が見えないね、パパ」
「足を滑らせないように気をつけろよ」
それから数時間後、俺たちは"渓谷の迷宮"へと足を踏み入れた。
山が不自然にえぐれたような渓谷になっていて、進める道が一本奥へと続いている。
道の横には深い谷があり、底が見えない。落ちたらひとたまりもないだろう。
ニーナを安全な方へ歩かせ、俺は谷側を歩き測量を開始した。
渓谷内部は長く広い一本道と、渓谷の壁には洞窟が複数が存在している。
洞窟内部はカンテラを使わないといけないほど暗く、細くて進みにくい。
更にこの洞窟は根のように張り巡らされていて、地図を書いていくのも一苦労だ。
まるで洞窟の迷宮を更に面倒にした感じだな、こりゃ。
「キューちゃんのパパとママ、いないね」
一度洞窟を出て渓谷の一本道を歩きながら、ニーナがそう呟く。
渓谷に入ればすぐに会えるという話だったが、どうもここは静かなもの。
未だに魔物一匹すら出会っていないのである。
まあ出会わない事は嬉しい事なのだが……ここまで居ないと流石に変だ。
「十分警戒しながら進もう、何だか妙だ」
「うんっ」
「きゅっ!」
なんにせよ、警戒することに越したことはない。
俺は二人に伝えると、五感を研ぎ澄ませながら渓谷の道を進んでいく。
それからしばらく歩き続け、俺たちは一本道が大きく広がっている場所に辿り着いた。
ここはまるで小さな広場のようだ。
テントを張って休憩できるかもしれないな。
「よし、ここに休憩地点を作ろう。ニーナ、テント頼めるか?」
「うん、分かった!」
後続の為にもこの辺りに作っておくべきだと考えた俺は、ニーナにテントを張るように言う。
彼女は俺のカバンからテント用具を取り出して、てきぱきと準備し始めた。
こういった作業はもう一人で何でも出来てしまう。安心して任せられる程だ。
ニーナの作業が順調に進むのを確かめた後、俺は黒チョークを取り出して円を描き始めた。
「……きゅ?」
俺が円を描き終える頃。
ふと気が付くと、キューちゃんが谷の下を覗いている。
何か感じ取ったのだろうか? なんにせよ、危ないから円の中に連れてこないとな。
俺が彼に近づいた、その時。
金切り声と共に、谷底から何かが俺たちの目の前に飛び出してくる。
それは人間の身体と鳥の身体が合わさったような、翼を持つ全身羽毛だらけの化け物――。
「――ハーピィだ!」
俺はハーピィを見上げて立ち尽くすキューちゃんを急いで抱え、円の中心へと向かって走り始める。
ちらりと後ろを見ると、ハーピィは叫びながら俺に爪を立てんと迫って来ていた。
奴らは狡猾なハンター、捕まったら空中に連れ去られて一巻の終わりだ。
俺はその爪から免れようと、円の中にダイブした。
ずさあと地面を身体が地面を滑る。擦り傷が出来るが気にしている場合ではない。
同時にハーピィが黒チョークで作られた簡易結界に弾かれ、体勢を崩しながら地面へと落ちた。
キューちゃんは腕の中で震えているが、怪我も無く無事だ。ひとまず安心だな。
「パパっ! 大丈夫っ!?」
「ああ平気だ……だが厄介な事になったぞ」
キューちゃんを離すと、俺は地面に落ちたハーピィを見る。
ふるふると身体を震わせながら起き上がると、奴は天を仰いで再び金切り声をあげた。
次の瞬間、谷底から湧き出るかのように同じ金切り声が幾つも聞こえてくる。
そして一匹、また一匹とハーピィの一団が姿を現し、十数体ものハーピィが俺達を取り囲んだ。
こいつら、ここで待ち伏せしていたんだな。静かな理由がようやく分かった。
簡易結界を張ってなければ危ないところだった。
しかし困った、この数じゃ下手に逃げてもすぐに追いつかれてしまう。
空を飛べるというアドバンテージはそれほど大きいのだ。
渓谷の道をただ走るのは得策ではないだろう。奴らが去るまで待つというのも、いつまでかかるかわからない。
……とすると、やるべき事は一つ。
「ニーナ、あの洞窟まで走れるか?」
俺は洞窟の入り口を指差した。
内部は狭く移動はしにくいが、それはハーピィ達にとっても同じこと。
むしろ空を飛ぶ事に特化したその身体は、洞窟内部じゃ不利に働くだろう。
「うんっ! がんばる!」
ニーナも手をぶんぶんと回してやる気満々だ。よし、やるか。
「キューちゃんはこっちだ、一緒に行こうな」
「きゅっ!」
俺はキューちゃんを抱きかかえると、いつでも走り出せるような準備をする。
ニーナは俺の合図を待っている。ハーピィたちの動きを確認しながら、俺はその時を待った。
羽音を立てながら結界の外をぐるりぐるりと回る集団。
それは規則正しいものではなく、隊列もまばらだ。
俺は奴らの間をすり抜けられる瞬間を待ち――。
「よし、走れ! 追いつかれるなよッ!」
洞窟の入口へと向かって全速力で走り始めた。
ハーピィたちは急に動き出した俺たちに対応できず、包囲網を突破される。
だが唖然と見ている奴らではない、俺たちを狩ろうとすぐさま追いかけてきた。
いくつもの鋭い爪がおれを掴まんと迫る。掴まれたら終わりだ。
俺は『逃げ足』を発動させ、奴らの狙いが定まらないようにジグザグに走る。
ひゅんひゅんとハーピィの爪が宙を切る。
一匹のハーピィが痺れを切らして体当たりをしてきたが、俺は横にステップして避け、地面に身体を叩きつけていた。
俺たちはそうして逃げ、なんとか洞窟の内部へと滑り込んだ。
入口付近で一斉に突っ込んできたが、洞窟に入った途端追うのをやめて入り口でぎゃあぎゃあと騒いでいる。
ふう、なんとかなったな……しかし、何だかあいつら、俺ばっかり狙ってなかったか?
「ふう……パパ、けがしてない?」
「ああ大丈夫だ、ニーナ。ありがとな」
とにかく、俺たちは逃げ延びた。
しばらくはこの洞窟を進むしかないな……別の入り口に繋がっていればいいんだが。
俺はキューちゃんを下ろすと、先導して洞窟内部を進み始めた。





