第五十二話【青年、大鬼と対峙する】
勝敗は単純。クレアの魔力が回復するまで俺が囮になれば勝ち。
万が一クレアの方にホブゴブリンが向いたり、俺がやられれば負け。
勝たなきゃ命はない。実にシンプルだ。
「グオオオオオオ――――ッッ!」
再び耳をつんざく雄叫びを上げ、俺へと向かってくるホブゴブリン。
クレアの存在には気付いているのか気付いていないのか分からないが、とにかく目の前に出てきた俺を狙うようにした様だ。
その判断はありがたい、少なくとも避ける事に専念すれば良いだけだ。
「さあ来いよ化け物ッ!」
俺は奴の雄叫びに負けないように大声を出しながら駆け、立ち向かった。
近寄ればその巨体が良く分かる。
でっぷりとした巨体に丸太のような巨大な腕。その身体から放たれる一撃は人のそれを遥かに越している。
一撃を食らえば、俺なんかひとたまりも無いだろう。
幸いな事は全身が熱傷や切り傷だらけで、完全な状態じゃないと言う事か。つけ入るならそこだ。
ホブゴブリンは瓦礫から燻っている太い棒―― 棍棒とも言えるものを取り出した。
恐らく焚き木に使われていたものだろう。
エンシェント・フレアのせいか分からないが、真っ黒な木炭の様に成り果てている。
しかし俺を叩き潰すくらいの強度は残しているようで、ぶんぶんと試し振りをした後にこちらへと雄叫びを上げながら突っ込んできた。
攻撃は単純、上方からの思いきった降り下ろし。
俺は『逃げ足』を発動し、それを横跳びで避ける――が。
「ッ!」
判断が甘かった。叩き下ろされた棍棒は地面へと激突した後、そのまま横へとスライドしてきた。
地面を削りながらの荒々しい横薙ぎだ。
迫る棍棒を前に俺は選択を迫られる。
下がるか? 飛び越すか? あえて受ける―― のは流石に無謀。
時間の無い中、その中から俺は飛び越す選択を選んだ。
タイミングを見計らい、ここだという所でジャンプ!
足元を真っ黒な棒が通り過ぎていく。万事休すか、と思ったのも束の間。
「な、あぁっ!」
突如上へと振り上げられた棒に片足を取られ、空中でぐらりと体勢を崩す。
片足が棒に引っかかったまま棒を上へと振り上げられ、宙へと放り投げられた。
マズい、あれは下がるべきだったか、と考えるのもすでに遅し。
戦況は俺が思うように待ってはくれないのだ。
急いで体勢を立て直す。頭から着地だなんて最悪な事はしたくない。
猫の様に、猫の様にとイメージし、何とか宙で身体を捻ってうつ伏せの状態になる。
しかしホブゴブリンはそんな俺を待っている訳も無く、確実に仕留める為に棒を振り上げて待っていた。
着地した瞬間に俺を叩き潰す腹積もりらしい、ならば俺はこうするしかない――っ!
「へぶっ!? っ……ぐうぅーッ!」
腹面で着地した後、そのまま転がって回避。
耳元を棒がかすめて地面に叩き付けられた。
痛さでちょっと涙が出そうになるがそれは我慢。
ちょっと格好悪い逃げ方だな――なんて気にしていたら死ぬ。
ある程度距離を取った所で急いで立ち上がり、走って距離を取る。
『逃げ足』のおかげで広い場所で距離を取るには苦労しない。
また、ホブゴブリンが傷だらけというのもあり、動きが明らかに鈍い事も幸いしていた。
「ジム! 大丈夫!?」
「いいから回復に集中してろっ! 俺は大丈夫だ!」
痛む腹を抑えていたら後方からクレアの声が聞こえてくる。
物陰に隠れているのだろうが、今のでホブゴブリンに勘付かれてしまわないか、少々心配になった。
俺は彼女の声に応えると、瓦礫の破片を手に持ってホブゴブリンへと思いきり投げた。
「おらッ! お前の攻撃なんぞ当たるかッ、ノロマッ!」
「ガアアアアアア――――ッッ!」
奴を激昂させこちらへと注意を引き付ける。クレアには近寄らせないようにしなければ。
ぶんぶんと棍棒を振り回して、こちらへと向かってくる傷だらけのホブゴブリン。
とりあえず彼女の位置から引き離す事に成功したが、まだ魔力の回復には時間が掛るだろう。
奴をもっと引き付けるにはどうしたら良い? 俺しか見えないようにするにはどうしたら――
逃げ回りつつそんな事を考えていると、ふと視線に入った物が一つ。
"粗末な作りの木の器"―― この時、俺にはある考えが一つ浮かんだ。
急いでそれを手に取ると、俺はある物を探した。
それは"大鍋"。エンシェント・フレアで吹っ飛ばされたが、頑丈な鉄製の鍋ならば何処かに転がっている筈。
「はぁっ、はぁっ……ッ! あった!」
それは瓦礫の上に斜めになって転がっていた。
急いで瓦礫を駆けのぼり、中身を確認。少量だがまだアツアツの物が残っていた。
後方には棒を持って瓦礫を登ろうとするホブゴブリンの姿。そうだ、もっと近寄って来いっ!
俺は木の器で中のシチューのようなものを掬うと。
「そらっ、お前の大好物をくれてやるッ!」
奴の"身体"目掛けて思いきり振りかけてやった。
アツアツのシチューが身体に掛かればもちろん熱いだろう。
更に全身が焼け焦げ、傷だらけの今ならば――!
「ガアアァァァッ!? アアアァァァッッ!」
「"沁みるような味"だろッ、デカブツ!」
あまりの痛さにか、シチューの掛かった部分を押さえつけるホブゴブリン。
俺が思った以上に効いているようだった。……何が入っていたんだろうか、あのシチュー。
とにかく、チャンスなのには変わりない。俺は木の器を投げ捨てホブゴブリン目がけて跳躍。
痛がる奴の頭を踏みつけ、更に飛び地面に着地。
「さあ来いよ! お前の相手は俺だッ!」
振り向いた奴に向けて人差し指をくいくいっと上げるハンドジェスチャー。
痛みと屈辱を味わったホブゴブリンを怒らせるのには十分で――。
「――ッッ! ガアアアアアアアアッッッ!」
棍棒をバンバンと地面に叩き付けながら激しく激昂。
もはや俺しか眼が行っていないのは明らかだった。
上手い事いった、これで後はクレアを気にする事無く逃げ回るだけだ。
しかしここで俺はミスを犯していた。
ヤツを怒らせすぎたのだ。
「ちょ、早――」
怒り心頭のホブゴブリンは、俺目掛けて突進を繰り出してきた。
その速度は先ほどの比じゃない。まるで暴走する牛のような速さだ。
どうやら余りの怒りで痛みすらも忘れたらしい。もう奴は誰にも止められない。
これじゃ単純に逃げ足で走って逃げても追いつかれる――!
「――火の精霊よ、我の呼び声に応え顕現せよ。魔神ウィアナの名の下に全てを飲み込め!」
その時である、彼女の詠唱が聞こえたのは。
「"ファイア・ボール"ッ!」
放たれる高速の火の玉は、ホブゴブリンの脇腹を直撃。
刹那、その火の玉は一気に膨れ上がり、ホブゴブリンの身体を全てのみ込んだ。
「伏せてっ!」
俺はその声に反応し、咄嗟に地面に伏せる。
次の瞬間、とてつもない爆風と響き渡る爆音に思わず耳を塞いだ。
ホブゴブリンに着弾した火の玉は、奴を飲み込みながら爆発したのだ。
爆発が終わった後見上げれば、その場に立ち尽くすホブゴブリンの姿。
かふぅ、と息を吐くとその場に倒れ込み、動かなくなった。
「……やった、わよね?」
そう言いながら岩陰からひょこりと顔を出すクレア、発射の後隠れていたらしい。
俺は立ち上がり、恐る恐る倒れ込んだホブゴブリンに近づき足先でつんつんと突く。
ホブゴブリンはピクリとも動かず、どうやら息絶えた様子だった。
「その、ようだな……っつつ」
冷静になれば先ほど打った腹がまた痛み出す。
夢中で気が付かなかったがあちこち傷だらけ、手も足もボロボロだ。
あんな化け物を相手によく戦ったものだと、心の中で自分をほめてやりたい。
「……っ! やった! やったのね、私達っ!」
そんな事を考えていると、嬉しさの余りかクレアが俺に抱き付いてきた。
「無事でよかった、ジム! 本当に良かった……!」
「よ、よせ恥ずかしい! あと痛い! ちょっと痛いから!」
「あっ、ごめん」
そう言うとクレアはぱっと離れて、少し照れていたのを覚えている。
「……ごめんなさいジム、私のせいで危険な目に遭わせてしまって」
「いいって事さ。言ったろ、乗りかかった船だって」
「でも私、勝手な事してしまったわ」
「気にするな、相方の仇を討てて良かったじゃないか」
「……うん」
そう言うと、彼女はありがとうと小さく呟くと黙り込んでしまった。
今思えば勝手な行動をして、責任を凄く感じていたんだろうな。
「……そうだ、遺物」
暫く間を置いた後、クレアはその空気を変えるかの様にそう呟いた。
「遺物……ああ、そうか。守護者を倒したんだもんな、何処かにあるかもしれない」
「探してみましょう」
こうして、俺とクレアの宝探しが始まった。