第五十一話【青年、再び迷宮へ】
迷宮に潜ってしばらくは非常に楽だった。
事前に書いてあったヘロヘロの地図でも、あると無いとでは大違いだ、進み易さが違う。
カンテラを照らしながら現在地を把握しつつ、俺達は奥へ奥へを歩みを進める。
道中、ゴブリンに襲われる事も無く、周囲もしーんと静かな物で。
「ねえ、ジムって歳は幾つなのかしら」
「二十二歳だが」
「嘘っ! 六つも上なのね……ジムさん?」
「今更敬語はやめてくれ……」
なんて、ちょっと気の抜けた雑談もしながら進んでいた。
正直彼女が十六歳だとは思わなかったが……思った以上に若かった。
となると、彼女は今年で三十歳か……今、彼女は何処で何をしてるんだろうな。
クレアの相方の遺体があった場所へとたどり着くと、そこは綺麗に片付いていた。
転がっていたはずのゴブリンの死体は他のゴブリン達が持ち去ったのだろう。
埋葬する為か……或いは食べるのか。あまり考えたくはないが。
「……大丈夫か?」
「うん、平気。いつまでも気にしていられないもの」
クレアは気丈に振舞っていたものの、昨日の今日で少し堪えている様子だった。
そんな様子からか、あまり彼女の相方について聞く気にはなれなかった。
心に傷を負った者を更に苦しめるような真似は、誰だってしたくないだろう?
そこからある程度進むと、俺が昨日戦ったゴブリンの巣へと到着する。
気配は少なくとも無く、入っても問題なさそうだった。
俺はゆっくりと巣の中へと入り、カンテラで照らした。
身体を自由に動かせる程の広さの小部屋。
昨日はじっくりと見れなかったが、動物の毛皮や焚火の残りカスなどが散乱している。
散らかっているのは昨日戦ったせいだろう、毛皮は寝床だったのだろうか?
ゴブリンの死体は跡形もなく無くなっていて、血痕だけが残っていた。
「ここから先は……こっちに繋がっているのか」
俺達が来た道の向かい側に、先へと続く道はあった。
その先からはツンと鼻をつく匂いが漂ってくる。
何か獣の肉を煮込んでいるような……そんな感じの匂いだ。
残念なことに決していい匂いではない。俺とクレアは顔をしかめた。
「……あまり先には行きたくないな」
「ええ……ここのゴブリン達って、何を食べてるのかしら」
「こんな僻地に居るんだし、食べられるものは限られるよな」
「……ミミズ、とか?」
「やめろ、想像したら気持ち悪くなる」
彼女の言葉に苦虫を噛み潰したような顔をしながら、俺は鼻をつまんで先へと進む。
この異臭にはかなり参った。嗅げば非常に臭いし鼻をつまめば片手が塞がる。
しかし後年、見つかったとある遺物を参考に、この異臭対策用の道具が開発される。
学者達はその遺物を『洗濯ばさみ』だか何だと言っていたが、まあ見た目はともかく非常に画期的な物で、洞窟の迷宮に挑む時は必ず用意する代物だ。
さて、そんな小話はさておき、俺達は異臭に耐えつつゆっくりと進んでいた。
段々強くなる異臭、ゴブリン達の騒ぎ声―― この先に居るのは間違いなかった。
俺は音を立てないように注意して進む。相手は夜目が効く以上、不利なのは相変わらずだ。
そして辿り着いたのが広々とした大部屋。中央に大鍋があり、グツグツと煮え立っていた。
内部は焚き木のおかげで非常に明るい。乱痴気騒ぎのおかげか、ゴブリンには気付かれていない様だ。
俺達はランタンの明かりを消し、近くの岩陰に身を隠す。
「静かに」
俺がぼそりとそう呟くと、クレアは頷いて隅の方へと隠れる。
獲物に気付かれないように息を殺す狩猟隊での経験はここでも生き、身を隠してじっくりと眺める事が出来た。
大鍋を囲み、ゴブリン達が原始的な酒を楽しんでいるようだ。
大鍋の横には踏み台が用意されており、その上には調理役のゴブリンが鍋の中を棒でかき回している。
鍋の内部はここからじゃ見えないが―― あまり想像はしたくない。
そして鍋を挟んで奥の方には俺達よりも一回り大きい存在が鎮座していた。
暗がりでよく見えないが、兎に角大きい存在。体長は三メートル程だろうか。
でっぷりと太った大柄のゴブリン―― 大鬼だ。
そいつは王座のような粗末な椅子に腰かけ、頬杖をついてうとうとと眠りこけていた。
「……他に道は見つからない。とするとここが――」
「最深部、ね」
恐らくそうだろうと俺達は頷き合った。
少なくとも最奥に居るあのデカブツがここの長である事は見ても明らかだったし、奴が守護者なのだろう。
俺は急いでここまでの地図を書きあげて、脱出の準備を整えた。
「よし、地図は書いた。後は帰るだけだ」
「……」
「……クレア?」
その時、彼女の顔が少し強張っていたのを思い出す。
「あいつらが、あの人を……」
「……! クレアやめろ、気持ちを抑えるんだ」
彼女の手を持ち、必死に落ち着かせる。
ヘレンが言った言葉を忘れた訳ではない、『守護者とは決してやり合うな』と。
仮にゴブリン相手なら戦えなくも無いだろうがしかし、目の前に居るのは巨大な魔物。
彼女が一体何を考えているのか分からないが、圧倒的に勝ち目がない事は明白であった。
「っ……大丈夫、ジム。一瞬で終わらせるから――ッ!」
クレアは俺の手を振りほどき、本を片手に岩陰から飛び出てしまう。
「やめろ! クレア!」
つい叫んでしまう俺。クレアが外に出た時点でゴブリン達に既に気付かれていた。
パラパラと自然に開かれるクレアの古びた本。開かれたページから魔法陣が宙に展開される。
クレアはその魔法陣に手をかざし、詠唱を始めた。
「古の精霊よ、我の呼び声に応え顕現せよ、その力を魔神ウィアナの名の下に振るい、眼前を一掃せよ――」
クレアの周囲に集まる異常な熱気。それは徐々に熱を増していく。
もはや彼女の傍に近寄る事が出来ず、俺はただ岩陰でこれから起こる事を見ている事しか出来なかった。
ゴブリン達も枝や粗末なナイフを手に持ち、クレアへ向かって投げるもそれはクレアに届かず燃え尽きる。
奥のホブゴブリンが敵襲を察し、立ち上がって雄叫びを上げた。
「――"エンシェント・フレア"ッ!」
彼女がそう叫び、ホブゴブリンへと向かって手を伸ばした、刹那。
部屋が異常な熱気と光に包まれ――"何度も爆発"した。
――――――
――――
――
「ケホッ、ゴホッ……! クレア! 無事か!?」
爆発が収まって数分が経過しただろうか。
岩陰に隠れていたおかげで無傷で済んだ俺はクレアの名を呼び、立ち上がった。
部屋の内部は酷い惨状だった。
ゴブリンが居た場所は焦げカスしか残っておらず、鍋も焚き木も全て吹き飛び瓦礫の山を作っていた。
クレアの立っていた場所には誰もおらず、跡形もなく消え去ってしまったようだった。
「クレア……道連れなんて馬鹿な事しやがって……」
俺は膝を突き、落胆した。
非常に短い間だったものの、俺にとって彼女は大切な友人になっていた。
流浪の生活の末に出来た、軽口を言い合える仲間――それを失った悲しみは深く。
「……はぁっ……勝手に、殺さないで頂戴」
その声を聞いた時の安堵は、想像に容易いと思う。
彼女は俺の後方から、砂埃まみれの黒いローブをはたきながらよろよろと歩いてきた。
「"マジック・シールド"……間に合ったけれど、かなり遠くまで吹き飛ばされてしまったわ」
どうやらエンシェント・フレアを唱えた後、すぐに自分を防御するための魔法を唱えていたらしい。
後で聞いた話だが、このような高速詠唱は魔術の達人でも至難の業らしく、彼女が魔術の才能に非常に長けているという事を示していた。
それはともかく、俺は目の前で彼女が死んだものと思っていたから――。
「なによ、その顔」
多分、相当嬉しかったのか。顔をくしゃくしゃにして喜んでいたと思う。
そんな様子を見てクレアもまたふふっと笑って――。
「グオオオオオオ――――ッ!」
その雄叫びが聞こえた時、その笑顔も驚きに変わった。
俺が振り向くと、瓦礫を押しのけようともがき苦しむホブゴブリンの姿。
瓦礫で奴の周りは塞がれているものの、それは間もなく取り除かれようとしていた。
「嘘っ……確かにエンシェント・フレアは成功した筈なのに……!」
絶望の一色に染まるクレアの顔。
必殺の決め手が失敗した今、撤退しか残されていなかった。
しかしどうやらホブゴブリンは逃がしてくれる気はさらさら無く、こちらを睨みつけて雄叫びを上げていた。
「"守護者とはやり合うな"、か。本当その通りだな、ヘレン」
帰還魔法の巻物を読む事も考えたが、奴が瓦礫を取り除く時間を考えれば魔法陣に乗った瞬間に攻撃されるだろう。
かといって走って逃げる程の体力がクレアに残っているかと言われたら否である。
……なら、やる事と言ったら一つしか無いだろう?
「クレア、魔力はどのくらい残ってる?」
「もう殆ど……回復するには時間が居るわ」
重たい鞄を降ろしながら、俺はクレアに聞いた。
「アイツを倒せそうな魔法が撃てるまで、どのくらい掛かる?」
「多分、数分……って、何をする気なの?」
「――上等」
覚悟を決め、ホブゴブリンの眼前へと駆けて躍り出る。
クレアが何かを叫んでいた気がしたが、この時の俺は無我夢中で殆ど覚えていない。
瓦礫を吹き飛ばし、ホブゴブリンが俺へと向かって雄叫びを上げる。
それは戦いの始まりを意味していた。
――さあ、避ける戦いの始まりだ。





