第四十六話【青年、エルフに会う】
ダンジリアに着く頃には、田舎から出て二年が経過していた。
もはや心も身体も疲弊しきっていた俺は、ここが駄目だったらもうトランパル辺りで一生靴磨きをするしかないと諦めていた。
ギルドにはもう出向く気すらも無かった。どうせ門前払いされる事は分かっていたからだ。
食い扶持を得られる仕事を探しつつ、俺は靴磨きの仕事を続けていた。
そんな時だ、あのエルフ―― ヘレン・メル・ルナルモアに出会ったのは。
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時刻は夕方。太陽が地平線に沈み始めた頃。
「今日も客は居ないか……」
ふう、と路地の片隅で溜息をつく俺。
腹は減り、ヒゲも伸びっぱなし。まるで浮浪者みたいな恰好だ。
あの時は本当に酷い時期だった。客もいなけりゃ飯も無い。仕事も一向に見つからない。
希望は何一つ無かった。
今日は店仕舞いをして、体力を温存する為に寝るかと考え始めた頃。
行き交う人の中から、一人の若い女性が此方へと向かってくるのが見えた。
金髪に緑眼、モノクルを掛け、少し気品のある恰好をしている女性──エルフだ。
その女性は俺の前に立ち止まると、にっと笑ってこう言った。
「よお青年、アタシと一緒に来ないかい。いい仕事があるんだ」
見た目とは裏腹に出てくるぶっきらぼうな口調。
一番最初に思った事は「なんか変な奴が来た」だったっけ。
「……仕事って何です? 言っておきますが怪しい仕事は断ってますので」
「なに、別に怪しい事じゃない。れっきとした"依頼"だよ」
そういうと彼女は、ギルドの印章を取り出して俺に見せつけた。
「貴女、ギルドの……」
「"ヘレン・メル・ルナルモア"だ、『逃げ足』の青年。どうだ、アタシの話を聞いちゃくれないかい」
それが、俺とヘレンの最初の出会いだった。
一切を諦めていたギルドからの依頼に、俺は半信半疑になりつつも少し心は踊っていた。
「……分かりました、話だけでも聞かせてください、ヘレンさん」
「さん付けは辞めてくれ、それに敬語じゃなくてもいい。その方が気が楽だ」
「では……ヘレン」
「よし」
満足そうに頷くヘレン。
本当、見た目以外はエルフらしくない奴だったよな。
だからこそ、俺を救ってくれたのかもしれないが。
「じゃあまずはその格好をなんとかしないとね」
そういうと、俺の手を掴んでぐいっと引っ張り何処かへと連れて行こうとする。
見かけによらず凄い力だったのを覚えている。馬鹿力ってやつだろうか。
「お、おい、どこに連れて行く気なんだ?」
「風呂屋だよ、その髪とヒゲをなんとかしてきな!」
「金は無いんだ、そんなところ行けるわけ……」
「アタシが払ってやるから心配するな。ほら、足動かす!」
「ちょ、ちょっと早……っ」
俺はヘレンに、半ば強制的に風呂屋へと連れて行かれた。
周りから見たら、美人が浮浪者を連れ歩く妙な光景だったと思う。
風呂屋の前で硬貨袋を握らされ、尻を叩かれて「さっさと行きな」と急かされたのを覚えている。
……思い返しても、本当にエルフらしくない奴だよなぁ、ヘレンは。
◇
俺は風呂屋でヒゲを剃り、髪を整えてもらい、外に出る。
外ではヘレンが街灯に寄りかかり、本を読んで待っていた。
タイトルからして、経営術の本か何かだったと思う。
今考えると、新米ギルドマスターだった彼女も相応の苦労をしていたんだろうな。
「随分と若返ったじゃないか、ええ?」
「そりゃどうも……気になっていたんだが、どうして俺のスキルが『逃げ足』だって分かったんだ?」
「噂になってたからさ。仕事先を探してる"ハズレスキル"の青年がいる、とね。アタシが求めてる人材だとすぐに分かったよ」
当時は噂になる程、俺は浮いた存在だったらしい。
まあハズレスキルなんて滅多にいないしな。みんな何かしらの役に立つもんだ。
それに手当たり次第仕事を探して声をかけて回っていたから、噂になるのも無理はない。
「さて、早速仕事の話……もいいが、飯でも食いに行こうじゃないか。いいレストランを知ってるんだ」
「……本当に良いのか?」
「勿論、二言はないよ」
正直、俺はこの時彼女のことを疑い始めていた。
ここまでしてもらうのはあまりにも話が美味すぎる、と彼女の善意を疑っていた。
しかし悲しいかな、極度に空腹だった俺は飯の誘惑に勝てずに承諾する。
この時は数日間ろくに食べてなかったからな。
レストランは風呂屋から近い場所にあった。
高級感溢れるしっかりとした佇まいのレストランだ。
正直、この時の俺の身なりでは入ることすらおこがましい場所だった。
「いらっしゃいませ、ヘレン様。今日はお連れ様もご一緒の様子で」
「ああ、窓際のいつもの席は空いてるかい?」
「ええ、空いてますよ。すぐにご案内致します」
ウェイターがすぐに席へと案内してくれる。
窓越しに通りがよく見える席、そこに案内された。
メニューを出されると、今まで見たこともないような名前の料理がずらりとならんでいた。
「さ、好きなものを食べな」
「好きな物って言っても……」
「ふふ、全部初めて見るって顔してるねぇ。アタシが選んでやろうか?」
「……頼む」
もはや食えるものならなんでも良かったが、出来るなら美味いものが食べたいと考える卑しさは残っていた。
俺はヘレンに代わり注文をしてくれるよう頼み、席からの眺めを楽しむことにした。
通りは街灯に照らされて、行き交う人達が見える。
子連れの家族。先を急ぐ馬車。楽しそうに話す人々……。
いつからだろうか、この光景が見えなくなっていたのは。
この時、俺の中で失いつつあった物がゆっくりと戻ってきているように思えた。
「良い席だろ?」
「ああ、うん……良い場所だ」
「ここからは色んな人間の表情が見れるんだ、見てて飽きないよ」
注文が終わったヘレンも、一緒に外の光景を楽しんでいた。
なんの変哲も無い、特別じゃない景色。日常の光景。
でも俺は、この時の景色を忘れる事は無い。
「ふっ、そろそろ仕事の話に入ろうか。ええと……しまったね、名前を聞くのを忘れていたよ」
「ジムだ。ジム・ランパート。改めてよろしく頼む」
「ああ、よろしくねジム。……さて、まず本題に入る前にギルドの現状を説明させてほしい」
そういうとヘレンは真剣な表情で語り始めた。
「迷宮については知ってるね? 約二十年前に出現し始めた"異世界から来たダンジョン"。それらを今、冒険者達が攻略して回っているってことも」
「ああ、よく知っている。俺も冒険者になろうとしていた時期があったから」
「なるほどね。その迷宮なんだが……最近妙に複雑化してきてね、新しい迷宮も出始めたんだよ」
この時の迷宮の数はそう多くなく、遺物も市場を時々出回る程度しか無かった。
種類も草原の迷宮ただひとつのみだったのだ。
その中で新しい迷宮の出現はどれくらいの話題になったか、想像に容易いだろう。
「そのせいで数多の冒険者が迷宮で命を落としている、今この瞬間もね……。ギルドとしてはこれ以上人員を失う訳にはいかないんだが、遺物という異世界の宝が目当てで潜る冒険者も少なくなくてね、参ってるのさ」
「なるほどな……それがヘレンの言う"仕事"に関わってくるのか?」
ヘレンは頷いて話を続けた。
「そう、そこでギルドは新しく"ある職業"を発案した。冒険者よりも先に迷宮へ潜り、迷宮内部を測量し、罠や宝の記された地図を作る。言わば"迷宮探査のプロフェッショナル"」
ヘレンはにっと笑い、たった一言言い放った。
「――"迷宮測量士"」