~プロローグ:光秀と栞~
妹の栞と手を繋いで、オラは町を歩いていた。
この通りは、店が多く並び、喧騒と活気づいている。
オラは、栞に優しく微笑む。
「欲しいもんあるか?」
オラの隣を歩く栞は、可愛い着物を着ている。
栞が歩くたびに、栞のポニーテールが小さく揺れる。
栞は、オラの顔を見上げて、オラの着物の袖を引っ張ってくる。
栞は物欲しそうに、顎に人差指を当てて、小首を傾げる。
嬉しそうに、店に並んだ物を指さす。
栞が目を輝かせて、オラに訊く。
「兄ちゃん。なにこうてくれるん?」
栞が嬉しそうに、オラの着物の袖を強く引っ張る。
「ん? 内緒じゃ」
オラは栞の頭を撫でて、栞と睨めっこした。
ちょっと変な顔をしてみる。
「ケチ」
栞が頬を膨らませて、そっぽを向く。
まだ栞が頬を膨らませて、そっぽを向いたままだ。
「兄ちゃんが悪かったけえ」
オラは頭の後ろを掻いた。
しばらく、オラと栞の沈黙が続いた。
栞は人見知りが激しく、内気な女の子じゃ。口数が少ない。
栞の友達は、幼馴染の宗次郎、宗次郎のいとこの茜じゃ。
栞と茜は仲がいい。女の子同士じゃからかの。
もちろん、宗次郎と栞も仲がええが。
とにかく、栞は、宗次郎と茜に懐いておる。
そんな栞を、オラは放っておけんのじゃ。妹思いじゃけえ。
栞は物珍しそうに、キョロキョロしている。
今日は、栞にやる、髪飾りを買いに来たんじゃ。
栞。兄ちゃんが、可愛い髪飾りをこうたるけえの。
町の光景が通り過ぎてゆく。
甘味処で、三色団子を食べている旅人。
咽たのか、急に胸を叩いて、慌ててお茶を飲んでいる。
店の若い女が、店の奥からやってきて、団子で咽た旅人の背中を心配そうに擦った。
行商人が手を叩いて大声を上げ、客を必死に呼び込んでいる。
男が真剣に、店に並んだ魚を見ている。料理人じゃろか?
少し考えてから、大きい鯛を買った。刺身にするんやろか?
遊女らしき、二人組の若い女が話し込んでいる。
手を叩いて笑ったり、怒ったりしている。
きっと世間話じゃろな。
鍬を担いだ、農民らしき二人の男が通り過ぎる。
彼らの表情が暗く、会話も少なかった。
農作物が採れんかったんやろか?
三人組の子供たちがはしゃいでいる。
一人は女の子で、歌いながら手毬をついている。
二人は男の子で、無邪気に追いかけっこしている。
この町は、表向きはこうして明るいがの。
裏じゃ、勘兵衛が牛耳っているけえの。
勘兵衛は、この町で一番の金持ちじゃ。
町長でさえ、勘兵衛には手を出せんでおる。
きっと、金で町長を黙らせておるんじゃろな。
噂じゃ、勘兵衛は武器を都から密輸しておると聞いたことがある。
誰かがそう言うておったが、それが本当なら恐ろしいのう。
それにじゃ。いつも、勘兵衛の傍らにおる、勘兵衛の用心棒、銀二。
銀二は龍之介の義理の兄らしいが、銀二は恐ろしい男じゃ。
龍之介は、勘兵衛の息子じゃ。
龍之介も、これまた勘兵衛と似てたちが悪いけえ。
銀二は人斬りで有名じゃけえの。物騒じゃわい。
じゃけえ、勘兵衛には誰も逆らえん。
よそ見していると、誰かとぶつかった。
「いてっ」
「その娘、ワシにくれんか? その娘、気に入ったんじゃ」
「りゅ、龍之介……」
オラは腰が抜けて、尻餅をつく。
思わず、尻餅をついたまま後退る。
顔を上げると、高そうな袴を着た龍之介が、腕を組んでいた。
龍之介がオラを見下して、不敵な笑みを浮かべている。
龍之介は、銀二の義理の弟になる。えらい兄を持ったもんじゃ。
龍之介は、いつも三人の子分と一緒で、無銭飲食を繰り返しておる。
店のもんは、龍之介たちに困り果てておる。
かというて、龍之介に逆らえん。親の顔があるけえの。
「お前、その娘の男か?」
龍之介が、オラを鋭く睨み付ける。
栞がしゃがんで両膝を地面につき、オラに抱き付いてくる。
栞が、龍之介の顔を見たくないのか、顔をオラの着物に埋めている。
栞は、龍之介が怖いんじゃろ。
「ワシに付き合ってくれんか。欲しいもんこうたるで?」
栞は、着物に顔を埋めたまま。顔を横に振る。
栞の抱き付く力が強くなる。
「栞が、こわがっとるじゃろ」
オラは、栞の頭を優しく撫でた。
栞を安心させるように、栞を抱きしめる。
「ほう、栞いうんか。可愛い名前じゃのう。力づくでも奪ってええんか?」
龍之介が、仁王立ちで腕を組んでいる。
「やれるもんならやってみい。栞は、オラが守るけえの」
オラは立ち上がった。着物についた砂埃を払う。
栞も、ゆっくりと立ち上がらせる。栞の着物についた砂埃を払ってあげる。
「さすが、栞の男や。気にったで!」
龍之介が鼻で笑った。
可笑しいというように、大笑いしながら手を叩いた。
「栞、行こう」
オラは栞を連れて、踵を返した。
「待てや! おいらからは逃げられんで?」
「おで、団子喰いたい。腹減った」
「わいも腹減ったなぁ。哲、その団子よこせや!」
オラの目の前に立ちはだかる、龍之介の子分の悪ガキ三人組。勝、安、哲じゃった。
三人とも、安っぽい着物を着ている。
龍之介も、三人に着物をこうてやればええのに。
勝は、手の骨を鳴らして、不気味な笑みを浮かべている。
哲は、袋から団子を取り出して食っている。食いしん坊め。
安は、腹が減ったのか、お腹を押さえている。急に哲の団子を横取りする。
「よう腹減る奴らじゃ。栞を手に入れてからじゃ。好きなだけ食わしてやるけえの」
龍之介が呆れたように、顔に手を当てて顔を横に振る。
龍之介が隙を見せておる。逃げるなら今じゃ。
栞には、手出しさせんけんの。汚い手で触らせんで。
こいつら油断しておるけえ。
「栞、走れるな!?」
オラは栞を連れて走り出した。
「わっ」
栞が、小さく声を漏らす。
三人か。
安は、細い体系じゃけえ。体当たりしたら吹き飛びそうじゃ。
やってみるか。なんとかなるじゃろ。
「行かせるもんか!」
三人組の誰かの声がした。たぶん、勝の声じゃろ。
通せんぼをしている三人組の真ん中の安。
オラは、細い体系の安に勢いよく体当たりを食らわした。
予想通り、細い体系の安は吹っ飛んだ。
安。今度から、体力つけとけよ。
その細い体、みっともないけえの。
オラはその隙に逃げた。
勝と哲は、顔を見合わせて、呆気に取られている。
「なにやっとんじゃ! はよ捕まえんか!」
オラの背中で、龍之介の怒鳴り声が聞こえる。
ここは一通りが多いけえの。それが救いじゃ。
うまく人に紛れ込めば、しばらくやり過ごせるじゃろ。
今日は賑わっているけえ。下手に逃げるよりマシじゃ。
オラは、うまい具合に人ごみに紛れ込んだ。
大人が多いので、子供のオラたちは、上手く人ごみに身を隠せた。
しばらく人に紛れ込んで歩いていると、ふいに水車小屋の影から、女に声を掛けられた。
「あんた、龍之介に追われてるんだろ?」
水車小屋の影で顔が隠れている。女は煙管を吸って、煙を吐いた。
華やかな着物を着て、艶めかしい。男が寄ってくる色気があった。
お団子頭から垂れ下がった長い前髪で、顔が少し隠れている。
女は、垂れ下がった長い前髪を掻き上げて、オラに微笑む。
「な、なんじゃ。お前」
女の魅力に吸い寄せられるように。オラは、その女に何故か歩み寄った。
「兄ちゃん。知らない人についていっちゃダメ」
妹の栞が、オラの着物の袖を引っ張て、その場から動こうとしない。
「大丈夫。お姉さんは、悪いことしないよ」
女は栞に歩み寄って、屈んで栞の頭を優しく撫でる。
水車小屋の影から出てきた女の顔は綺麗じゃった。
ものすごい美人じゃ。
オラは、美人を前に思わず緊張した。
自然に背筋が伸びる。
「それ、臭い」
栞が、女の煙管を指さして、栞は鼻を摘まんだ。
小首を一生懸命に振っている。煙管の煙が苦手らしい。
確かに、煙管の煙は臭い。
オラは、煙管の煙は、なんとか大丈夫じゃった。
あまり、煙管の煙は好きでないがの。
「ごめんごめん。でも、これ、美味しいんだよ? お嬢ちゃんには、まだ早いね」
女が栞を抱きしめて、栞の頭を撫でる。
女が立ち上がる。
「お前、何もんじゃ?」
オラは、怪しい女を見上げる。
女の口紅が色っぽくて、思わず生唾を飲み込む。
「さっき、お前さんが龍之介に絡まれてるのを見かけてね。それで、助けてやろうと思ったまでさ」
女が煙管を吸って、煙管の煙を粉のようにオラに吹きかける。
「ごほっ。ごほっ。龍之介のやつ、オラの妹を連れ出そうとしたんじゃ。ごほっ」
オラは咳き込みながら、煙管の煙を掻き消そうと、必死に手を振った。
「兄ちゃん。この人、いい人?」
栞が鼻を摘まんだまま、鼻声で喋る。
オラの着物の袖を引っ張って、オラの顔を見上げる。
「可愛い妹じゃないか。こっちきな」
女が顎でしゃくる。
女が、栞に微笑んで手招きしている。
「だ、誰か知らんが、龍之介に捕まるよりマシじゃ」
オラは変に納得して、妹を連れて、女の後について行った。
「兄ちゃん。あの人、悪い人?」
栞が心配そうに、オラの顔を見上げる。
栞は、まだ鼻を摘まんでいる。
「さあの。心配いらんじゃろ」
オラは、栞を安心させるように、栞の頭を撫でた。
女は、オラたちの会話が聞こえていたのか、振り向いて微笑む。
やがて女が、どこかの店の裏口に入って行く。
オラたちも、小走りで女の後を追う。
店の裏口の戸を開けてすぐ、女が突っ立っていた。
「そこ入ったら、うちの店の厨房じゃけえ」
女は石畳の上に立ち止って、引き戸に顎をしゃくる。
「そ、そろそろ、名前教えてくれてもええじゃろ?」
オラは女を一瞥し、伏目で、女と目が合わせられずにいる。
「ここまで来れば安心じゃろ。うちは神楽じゃ。あんたたちは?」
女は裏口に目をやる。
寂しい目で、入ってきた裏口を見つめたまま。
煙管を吸って、煙をゆっくり吐く。
「オ、オラは、光秀。この子は、オラの妹の栞じゃ」
オラは女を一瞥してから、栞の頭の上に掌を載せた。
「光秀と、栞ちゃんやね。よろしくね、栞ちゃん」
神楽が、栞に微笑んで、ウインクする。
栞が照れたのか、恥ずかしそうに俯いた。
栞の頬が紅くなっている。
「神楽、ここの店はなんじゃ?」
オラは栞の頭を撫でてから、辺りを見回した。
「遊女の店や。うちの店は、性的なサービスはないけえ」
神楽が肩を竦める。
不敵な笑みを、オラに向ける。
「ゆ、遊女の店じゃと!?」
オラの顔が一気に紅くなる。
鼻血が出そうになり、慌てて鼻を押さえる。
「兄ちゃん。遊女ってなあに?」
栞が、オラの着物の袖を引っ張って、顔を上げて訊いてくる。
煙管の煙に慣れたのか、鼻を摘まんでいない。
「お嬢ちゃんには、まだ早いけえ。知らんでいいからな」
神楽が屈んで、栞の頭を撫でた。
「光秀、大丈夫か? 鼻血出てるで?」
神楽が懐から、ピンクのハンカチを取り出した。
「う、うるさいわい。ちょっと興奮しただけじゃ」
オラは、神楽が差し出したハンカチを奪い取って、鼻を吹く。
鼻血が出ないように、オラは空を仰ぐ。
「可愛いのう。うちが相手してやろうか?」
神楽が、豊満な胸をオラの顔に押し付けて、オラの頭をガシガシと掻く。
「え、ええわい! オラは、茜が好きなんじゃ!」
オラは恥ずかしくなって、神楽の胸から放れる。
気になって、神楽の懐から覗く豊満な胸を一瞥してしまう。
「ふうん。今度、茜ちゃん紹介してな?」
神楽が垂れ下がった前髪を掻き上げて、オラに微笑む。
神楽が腰に手を当てて、オラの顔をまじまじと見つめる。
「お、覚えておったらな。けど、ここには二度とこんけえの!」
オラは、ハンカチで鼻を吹きながら、神楽に舌を出した。
栞は不思議そうに小首を傾げて、二人を見比べながら、目をぱちくりさせている。
「残念やな。さて、うちは店に戻るけえ。うちの母に面倒を見てもらいんさい」
神楽が小さくため息を零す。
栞に微笑んで、栞と握手した後、栞に手を小さく振っている。
神楽は立ち上がって、煙管を吸いながら、奥に消えていった。
「なんじゃ。こんなとこじゃ、落ち着かんわい」
オラは大股で、着物の袖をまくって、引き戸に向かった。
「兄ちゃん。お腹空いた」
栞が、オラの着物の袖を引っ張る。
そう言われてみれば。
今日はおやつ食ってなかったのう。
オラのお腹が鳴った。
「なんか、食わしてもらうかの。なあ、栞?」
オラは栞の顔を覗き込んだ。
「うん。栞、饅頭がいい」
栞が、オラの顔を見て微笑む。
「饅頭は、年寄りが食うものじゃぞ?」
オラはため息を零して、栞に呆れる。
「饅頭、美味しいもん」
栞が立ち止って、頬を膨らませ、身体をくねくねさせる。
涙目になって、今にも泣きそうだ。
そんな栞を見て、オラは笑った。
栞も笑った。ちょっぴり涙を零して。眼に滲んだ涙を手で拭う。
引き戸の前で。オラは深呼吸をする。
オラは胸を撫で下ろした後、引き戸をゆっくりと開ける。
はじめまして。浜川裕平です。
数年前から構想していた物語を、2015年から本格的に執筆していたのですが……
本編を執筆している途中で、本編とリンクする百年前のエピソードを、どうしても書きたくなりました。
先に、百年前のエピソードを書き上げてから、本編を投稿しようと思います。
お時間がある時に、この物語を読んでくださると嬉しいです。
どうぞ、この物語をよろしくお願いします。




