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佐藤道場

 あれから、神さまは出て来なかった。

 あの調子じゃ、しばらく出てこないじゃろ。


 神さまの力が戻るまで、平和でいいわい。

 まあ、首飾りは付けているがの。


 そして、今日も、剣の修行――


「一っ! 二っ! 三っ! ほら、手を休めない!」


 今日も佐藤道場で、茜ちゃんの掛け声と手を叩く音が道場に響く。


 というても、この道場は爺ちゃんの代で潰れておる。

 多くの門下生がいるわけでも、粋な額が飾ってあるわけでもなく。

 かというて、刀架(とうか)があるわけでもない。

 とまあ、飾り気のない道場じゃ。


 オラは門下生の宗次郎と一緒に、竹刀の素振りをして汗を流していた。


 宗次郎は、オラの幼馴染。

 茜ちゃんは、宗次郎のいとこじゃ。


 門下生は、宗次郎、茜ちゃん、オラの三人。

 剣に興味を持った宗次郎と茜ちゃんが、父ちゃんにどうしても稽古をしたいいうもんで。

 父ちゃんの粋なはからいで道場を開けている。

 もちろん稽古代はいらんけえの。その代わり、道場の掃除は大変じゃ。


 宗次郎と茜ちゃん、芝居小屋で見た侍の剣さばきに惚れ込んだんじゃろ。

 オラは退屈じゃったぞ。妹の栞も眠そうじゃった。


 父ちゃんの稼業は刀鍛冶。

 毎日、刀を鍛えて、憲兵団に刀を売っている。

 そう、父ちゃんの刀は国に貢献しているのじゃ。


 茜ちゃんは、宗次郎に連れられて、この道場の門下生になった。

改めて茜ちゃんを見たときは、オラは腰を抜かした。

 茜ちゃんの白い顔、茜ちゃんの細い手。

 どこぞの遊女が来たかと思ってしもうた。

 それくらい、茜ちゃんはべっぴんじゃった。


 まあ、茜ちゃんをならず者から助けたがの。

 そん時は、ろくでもない女じゃと思ったけえ。


 茜ちゃんは道場の門を叩くなり、父ちゃんの指導のもと、みるみる剣の腕を伸ばした。

 今じゃ、オラたちの先生じゃ。


 オラと宗次郎は、冗談交じりに、茜ちゃんを「先生! いや、師匠!」というては、茜ちゃんの怒られる。

 茜ちゃんにそげなこと言うたら、拳が飛んでくるけえ。おっかないわい。


 茜ちゃんは、師範代の父ちゃんに気に入られておる。

 いつも父ちゃんは、「茜ちゃん、光秀の嫁になってくれぬか?」と真剣に言っておる。

 何が嫁じゃ。オラは、まだ十六じゃぞ。茜ちゃんは、オラの一つ下じゃ。


「ダメじゃ。こげんなもん、何の得になるんじゃ」

 オラは疲れて尻餅をついた。竹刀を床に投げ捨てる。

 掃除の行き届いた床が、床に落ちた竹刀を映しておる。


「なに休んでるのよ! それでも、葛城(かつき)さんの息子なの!」

 茜ちゃんが、両手に腰を当てて、オラの顔を覗き込んでいる。


 葛城は、オラの父ちゃんじゃ。

 オラは茜ちゃんを見上げた。


 茜ちゃんは長い髪を後ろで、紅い紐で束ねている。

 淡いピンクの単衣にたすき掛け、黒い袴に白い足袋。


 オラの隣の宗次郎を見上げる。

 宗次郎はオラと同じ格好で、白い単衣に黒い袴に白い足袋。


「なにしとんじゃ。そげんな腰抜け、茜は光秀の嫁になってくれんぞ?」

 オラの隣で、宗次郎が軽々と竹刀を素振りしている。

 宗次郎が竹刀を振る度に、木刀が気持ちよさそうに風を切る音が聞こえる。

 宗次郎は汗一つ掻いてない。


「べ、別にええじゃろ。国は憲兵団が守ってるんじゃ。何も心配いらんじゃろ」

 オラは頬を紅く染まらせて、胡坐をかいて頬杖を突いた。

 鼻で笑って、つまらなそうに庭を見る。


「蝶々さん~」

 紅い振袖を着た、妹の栞が楽しそうに蝶々を追いかけている。

 栞が動くたびに、髪飾りが小さく揺れている。


「あんたは暢気(のんき)でいいわねっ! 一条仁(いちじょうじん)が、この国で暗躍しているのよ!?」

 茜ちゃんのゲンコツが、オラの頭に飛んできた。


「なにすんじゃ! オラに関係ないわい!」

 オラは唸って頭を両手で押さえながら、茜に舌を出した。


「光秀。いつかお前は、茜を泣かす日が来るで? そんなんで、茜を守れるわけないやろが!」

 宗次郎が素振りを止めて、オラに竹刀の刃先を向ける。


「そ、宗次郎。どうしたのよ?」

 茜が心配そうに、宗次郎の肩に手を置いた。


「……ちょうどええわ。宗次郎、勝負じゃ。お前にカッコつけさせんで?」

 オラは竹刀を拾って、ゆっくりと立ち上がる。

 宗次郎を睨み付けて、中段の構えをする。


「勝ったら、茜はオレの女じゃ。それでええか?」

 宗次郎もオラを睨み付けて、上段の構えをする。


 二人の間に、激しく火花が散った。


「また喧嘩? もう男って、なんでこうなのっ」

 茜ちゃんが顔を片手で覆って、呆れたように首を横に振る。


「また喧嘩か? ほら、茶菓子でも食べて、心を落ち着かせろ」

 父ちゃんが、お盆の上に急須と湯呑、茶菓子皿を載せて来た。

 茶菓子皿には、饅頭、羊羹、おはぎが小皿に盛ってある。


 父ちゃんは白いタオルを頭に巻いて、丸いメガネを掛け、首にも白いタオルを巻いている。

 藍染めの長袖の上に黒い半纏、藍染めの長ズボンに、黒い足袋。

 父ちゃんの頬が炭黒くなっている。


 父ちゃんが屈み込んで両膝を床に付けて、お盆を静かに道場の縁側に置く。


「饅頭!」

 栞がお盆目がけて、猪のように突進してくる。


「勝負はお預けじゃ。茶菓子でも食おうで」

 宗次郎が鼻で笑って、竹刀を床に置いて、道場の縁側に胡坐をかいた。


「オラも、稽古に打ち込まんとのう」

 オラも鼻で笑って、竹刀を床に置いて、道場の縁側に胡坐をかいた。


「うわぁ。美味しそう! これ、お母様が作ったんですか!?」

 茜ちゃんがお盆に目を落として、斜めに手を合わせ、美味しそうな茶菓子に目を輝かせている。


「ああ。うちの嫁は、甘味処で働いているからね。嫁の祖母の店なんだ」

 父ちゃんが、急須で湯呑に茶を淹れる。

 湯呑に注がれた茶が美味しそうな音を立てて、湯気を上げている。


「大きくなったら、働かせてください!」

 茜ちゃんが父ちゃんに土下座する。


「はははは。茜ちゃん。光秀の嫁になったら、考えておくよ」

 父ちゃんが笑いながら頭の後ろを掻いて、冗談を言う。


「か、葛城さん。こ、困りますよ」

 茜ちゃんが顔を上げて、頬を紅く染まらせる。

 困ったように、父ちゃんに上目使いをしている。


「冗談だよ。じゃ、私は刀を鍛えるから、これで」

 父ちゃんが茜ちゃんの頭を撫でる。

 すぐに立ち上がって、道場の奥に消えて行った。


「あれは、冗談じゃないの。光秀、茜が好きなんじゃろ? 隠さんでもええで?」

 宗次郎が饅頭をほうばりながら、不敵な笑みをオラに向ける。


「な、なにを言うとんじゃ。そんなわけないじゃろが」

 オラは饅頭を喉に詰まらせて、咽た。

 忙しく咳き込んで、慌てて茶を飲む。


「だ、大丈夫!? 光秀」

 茜ちゃんが、オラの背中を優しく擦る。


「ほれ見ろ。お似合いじゃねぇか」

 宗次郎が吹き出した。

 そして、宗次郎も饅頭を喉に詰まらせ咽た。

 忙しく咳き込んで、慌てて茶を飲む。


「宗次郎、大丈夫?」

 栞が、宗次郎の背中を優しく擦る。


 オラと宗次郎は、顔を見合わせた。

 可笑しいというように、笑い合った。

 栞と茜も、顔を見合わせて、笑い合った。


 本当は、わかってたんじゃ。

 この動乱に、剣がないと茜ちゃんを守れないくらい。

 でも、オラは怖いんじゃ。

 人を守るために、剣は振りたくないんじゃ。

 剣は、人を殺める。

 人を生かす剣なんて、どこにもない。


 父ちゃんは言うておった。

「この世には、二つの剣がある。人を殺す剣と、人を生かす剣。お前は、人を生かす剣を極めろ」


 そんな刀が、何処にあるんじゃ。

 オラは空を仰いだ。


 いつか、一条仁と闘う日がくるんじゃろか。

 不安が過る。


「あっ、思い出したで!」

 オラは急に声を上げた。


 栞が驚いて、目を見開いている。

 目をぱちくりして、不思議そうに小首を傾げた。


「なんじゃ、勝負の続きか?」

 宗次郎が、茜が淹れてくれた茶をすすりながら言う。


「今日は、栞の誕生日じゃろ?」

 オラは栞の頭を撫でた。


「そういえば、今日は栞ちゃんの誕生日じゃない!」

 茜が思い出したように手を叩く。


「お前らは留守しとれ。オラと栞は、誕生日プレゼントを買ってくるけえ」

 オラは、縁側の踏み石の下駄に足を入れる。


「お金はあるの?」

 茜ちゃんが心配そうに訊いてくる。


「大丈夫じゃ。今日の朝、父ちゃんに百文貰ったけえの」

 オラは茜にピースする。


 宗次郎がニヤニヤしながら、オラたちを見ている。

 宗次郎は無視じゃ。


「そう。何買うの?」

 茜ちゃんが栞の頭を撫でた。

 栞の小さな頬に頬擦りをして、抱き付いている。


「それはお楽しみじゃ」

 オラは道場を背に、空に向かって、両手を腰に当てた。


「栞、行ってきます」

 栞が、軒下の踏み石の草履に足を入れる。


「あ~。光秀がいなくなったら、誰に怒鳴ればいいのよ!」

 茜の退屈そうな声が聞こえてくる。


「知るか。宗次郎に相手してもらえ」

 オラは茜を放って、栞と手を繋いで、表門に向かって歩き出した。


「光秀の馬鹿ぁ!」

 茜の声が、通り過ぎてゆく。


「栞ちゃん! 光秀に、好きなもんこうてもらうんじゃぞ!」

 宗次郎の声が聞こえる。


オラと栞が表門を潜って、大通りを歩き出した。

飲み屋、飯屋を通り過ぎ、看板娘の客呼びの声が響く。


「つ、辻斬りじゃ~」

 その時、鍬を担いだ農民が、オラたちの横を走り去る。


「なんね?」

 甘味処の店外の腰掛椅子で、串団子を食べていたおばさんが、不思議そうに鍬を担いだ農民の背中を見送る。


「なんじゃ?」

 オラも不思議そうに、鍬を担いで走り去る農民の背中を見送っていた。


 大通りの向こうで、人の悲鳴が聞こえる。

 オラは大通りの向こうを見た。

 人影が、人を斬った。


「見ちゃいかん」

 オラは慌てて、栞の両目を手で覆う。


 少しずつ、その人影が近づいてくる。


 頭に左半分の般若の面を被り、もう右半分は顔に包帯を巻いていた。

 包帯の隙間から髪の毛がはみ出し、右半分の眼に黒い眼帯を付けている。

 身体は憲兵団の黒いマントを羽織り、身体も包帯が巻かれ、片肌脱ぎの紅染めの着流し。

 手に黒い革手袋を付けて、右手に刀が握られて、刃先から血が滴っている。

 左手で辻斬りした男の着物の襟首を掴んで、地面を引きずっている。

 脚は左足の膝下から着流しの生地が無く、足に巻かれた包帯が露わになっている。

 足に黒い革靴を履いている。


「九十九本目の刀の出来は悪かったな。オレの火傷を治すには、まだ血が足りねぇ」

 不気味な男が、男を引きずりながら歩いてゆく。


 通行人は、囁き合っている。

 この男こそが、一条仁なのだ。


「仁さん。昼間から辻斬りしないでくださいよぉ」

 爽やかな笑顔を浮かべている少年が、不気味な男の後に追いつく。

 頭の後ろを掻きながら。


 少年は、短髪で白いシャツの上に青い単衣。縞の袴を穿いて、白い足袋に藁草履。


「人を斬って何が悪い。この町の刀は全部試したのか?」

 仁が、辻斬りした男を片手で持ち上げ投げ捨てた。


通行人が騒いでいる。

 逃げ出す通行人もいる。


「ええ。百本目の刀は、甘楽さんで試したらどうです?」

 少年が閃いたように、掌の上で拳を叩いて、仁に提案する。


「屋敷での借りがあったな。お前に邪魔されて、甘楽を殺りそこねたじゃねぇか」

 仁が高笑いしながら、大通りの奥に消えてゆく。


 一条仁、人を斬ったんか?

 一条仁の刀は、父ちゃんの言う、人を殺す剣。なんか?

 一条仁。楽しそうに、人を斬っておった。遠くからでもわかった。


 まだ、人を生かす剣の意味が、オラにはわからんが。

 もしかして、人を生かす剣の意味は、人を守る剣なんじゃろか? 

 それが、人を生かす剣。


 だとすればじゃ。

 オラは、一条仁と闘わねばならん。

 そんな気がする。


 この国で暗躍する、一条仁。

 奴の狙いは、政府の転覆。そして、国盗り。


 オラは立ち尽くして、一条仁の背中を見送っていた。

 いつまでも。


「兄ちゃん。ここ臭い」

 オラに目隠しされた栞が、首を横に振る。

 栞が手で鼻を摘まむ。


「ああ、すまん。じゃ、行くか」

 オラは栞と手を繋いで歩き出した。


 まるで、一条仁の背中を追うように。

 一歩歩けば、血生臭いのが薄れていった。

どうも。浜川裕平です。


信二エピソード執筆中に、このシーンが思い浮かんだので、急いで執筆しました!

未来は出来ているので、後は過去の調整ですね(笑)

まあ、未来も調整できますけど(汗)それが、自分の創造する世界!


光秀:オラ、一条仁を倒せるんやろか……

作者:大丈夫! 私がなんとかします!

茜:作者都合じゃん。

作者:……

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