少女との出会い
昼下がりの町。
オラは母の祖母が営んでいる甘味処に立ち寄り、妹の栞と一緒に甘味を食っておった。
甘味処の店外の洋風ベンチに座って、オラは串団子をほうばり、オラの隣の栞は両手で饅頭をほうばる。
甘味というたら、串団子じゃろ。三色団子もええし、みたらし団子もええな。
考えただけで、涎が出るわい。
栞は、甘味というたら、饅頭らしい。蓬饅頭も好きで、おはぎも好きじゃ。
饅頭も美味いが、やっぱ団子じゃろ。
甘味処に寄ったら、大体、オラは串団子を頼んで、栞は饅頭じゃ。
熱いお茶を飲んで一服したら、もう幸せじゃ。
その時、店の暖簾から、紅い前掛けをした母ちゃんが両手でお盆を持って現れた。
お盆の上には、急須と湯呑、小皿には見たこともない菓子が盛られていた。
「はい。カステラよ、食べてみて。うちの常連のシーボルトさんが異国のお土産に持って来てくれたのよ。カステラは、異国の洋菓子みたいよ。卵で生地がふわふわしてて美味しいのよ。紅茶に合うわね」
母ちゃんがオラたちにウィンクして、お盆をベンチの上に置く。
母ちゃんが、湯呑に茶を注ぐ。湯呑から、湯気が立った。
オラと栞が、興味津々に小皿に盛られたカステラをまじまじと見る。
カステラは、上にこんがり焼き色がついており、焼き色の下に、柔らかそうな黄色をしていた。
オラは小皿を持って、不思議そうに首を傾げ、カステラの焼き色を触ってみた。
生地がべたついて、指の腹にカステラの生地が付いた。
指の腹に付いた、カステラの生地を舐めてみる。
甘くて、生地のふわふわ感が口に広がった。
カステラの黄色ところを人差指で突いてみると、柔らかくて、ふにふにしている。
カステラを手に取って、一口ほうばる。
「ね? 美味しいでしょ?」
母ちゃんが両手を合わせて、目を輝かせて訊いてくる。
「初めて食うたが、カステラ、美味いのう」
オラは一気にカステラを食うて、指の腹についたカステラの生地を舐める。
栞を見ると、カステラを美味しそうに食べている。
どうやら、指の腹についたカステラの生地を舐めるのに苦戦している。
栞も、カステラが気に入ったらしい。
「あっ、お茶より、紅茶がいいわね。持ってくるわね。ちょっと待ってて」
母ちゃんが、思い出したように掌の上で拳を叩くと、暖簾の奥に小走りに消えて行った。
「栞、カステラ美味いじゃろ?」
オラは栞の顔を覗く。
「うんっ!」
栞は満足げに頷く。
「放してよ! あんたらと遊ぶ気ないんだから!」
その時、少女の怒鳴り声が聞こえた。
オラは少女を見る。少女はピンクの花柄の着物を着ていた。
「お嬢ちゃん、可愛いな。どうだい? この町の遊郭で働いてみないか?」
「お嬢ちゃんなら、人気の遊女になるよ。お金も稼げるよ」
オラの目の前で、ガラの悪いならず者二人組に絡まれている少女。
どうやら、ならず者の二人組は、町で遊女の卵を探していたらしい。
遊女の卵を探すために、遊郭に雇われたならず者ちゅうことか。
そげな乱暴なやり方で、遊女の卵なんか、見つかるわけないじゃろ。
刀なんぞ腰に下げおって、遊郭も、雇う人間を間違えたんじゃろな。
ならず者の腰に、大小が下げられている。
刀か。物騒じゃのう。関わらんほうがええわい。
オラは無視して、もう一切れのカステラを口にほうばろうとした。
口を開けたまま、視線は少女の方に向いた。
「知らない男に抱かれるより、好きな男に抱かれるほうが、よっぽどマシよ!」
少女が男の股間を、思いっきり蹴った。
あの女、男の急所をやりおった。
ありゃ、痛いで。
「いててて! こいつ、玉蹴りやがった!」
男が股間を押さえて、兎のように跳ねている。
やがて地面に崩れて、縮こまり身体を回らせながら唸る。
「このアマぁ! やりやがったな!」
男が、鞘から刀を抜く。
刃先を喉元に向けられた少女。
さすがに少女は腰が抜けたのか、尻餅をついた。
もう見てられん。
オラはベンチから立ち上がって、小皿にカステラを置き、少女の元へ駆けた。
指の腹についた、カステラの生地を舐めながら。
「大丈夫か?」
オラは少女に手を差し伸べる。
「あんたの手、べたついてない? きゃっ」
オラの手を受け取って、立ち上がろうとする少女。
しかし、足首を押さえ、唸る少女。
どうやら、尻餅をつく時に捻挫したらしく、立ち上がれないでいる。
「手がべたついとるんは、カステラちゅう洋菓子じゃ。卵がふわっとしてて、これがまた美味いんじゃ」
オラは少女から手を離して、腕を組んで首を縦に振る。
「カステラ? って、あんた。感心してる場合じゃないでしょ!」
少女が首を傾げて、拳を振り上げて、オラに怒鳴る。
「おい、ガキ。いいとこで邪魔するな! お前も斬られたいか!」
オラと少女のやり取りを見ていたならず者の男は苛立って、刀を肩で叩き、オラに刃先を向ける。
「こげな話してる場合じゃなかったわい」
オラは少女の前で両手を真っ直ぐ横に広げて、ならず者の男を睨み据える。
「へっ。丸腰のお前に、何ができるってんだぁ?」
ならず者の男は鼻で笑う。
丸腰のオラに勝ち目はないじゃろ。
じゃったら、少しでも時間を稼いで、こいつらから逃げんと。
オラは屈んで片膝を地面につき、手を後ろに回して、ならず者の男に見えないように地面の砂を握った。
「跪いて、斬ってくださいってかっ!」
ならず者の男が刀を振り下ろす。
「食らえや!」
オラは握った砂を、ならず者の男の顔にかける。
「うわっ! やりやがったな! 眼に砂が入りやがった!」
ならず者の男は、眼や口についた砂を手で払ったり、唾を吐いたりした。
よし。うまくいったわい。
これで、しばらくは時間が稼げるじゃろ。
「今のうちに逃げるで!」
オラは少女に振り返って、少女を起こそうと少女の手を繋いで、少女を立ち上がらせようとする。
「ちょ、ちょっと。足を捻挫してるのよ!」
少女は立ち上がるも、片足を上げてこけそうになる。
「忘れとったわい。ほれ、おぶるけえ」
オラは顔を少女に振り向け、オラの背中を少女に向けた。
「あ、ありがと。尻餅ついた時に、足挫いたみたい」
少女はオラの背に遠慮がちにちょこんと乗っかる。
「意外と重いな。お前、肉の食い過ぎとちゃうんか」
オラは立ち上がり、少女をおぶって走り出す。
「う、うっさいわね。早く走りなさいよ! もぉ!」
少女はオラの頭を両手で叩いた。
背後から、ならず者の怒号が聞こえる。
「逃がさんぞ!」
しつこいのう。
声からして、追手は一人か。
相方は、相変わらず急所をやられて、しばらくはあのままじゃろ。
この辺は、あまりこんけえ。
ここは撒くために、小道に行くか。
オラは右に曲がって、小道を進んだ。
石塀の向こうに、竹林が広がる。
入り組んだ小道だった。
何度も曲がり角を曲がり、分かれ道を適当に進む。
夢中に小道を走るうちに、そこは不運にも袋小路だった。
後ろは石瓶。石塀の向こうに庭が広がっている。
「やっと追いついたぜ。へへっ」
ならず者が刀を舐めながら、じりじりとオラたちを追い詰める。
オラは後退る。一歩。また一歩。
オラは地面を見る。
袋小路は石敷きで、握れそうな砂はなかった。
手詰まりじゃ。
オラの頬に冷や汗が伝う。
「まあ、ここまでよく逃げたよ。そこは褒めてやる。だが、知らない道を行っちゃいけねぇなぁ」
ならず者が刀を肩に置いて、詰めが甘いとばかりに、人差指を小さく振る。
オラの前まで、ついにならず者が歩み寄る。
後ろは、石塀で行き止まり。
「女は頂くぜ! 実は俺はよぉ、嘘ついてこの女を異国に売り飛ばそうとしてたんだ。騙して悪かったなっ!」
ならず者が不気味に高笑いしながら、刀を振り下ろした。
もうダメじゃ。
オラは両目を瞑った。
少女はオラの背中で「きゃっ」と声を漏らす。
オラの着物の皺を握り締めた。
「な、なんだ! 前が見えねぇ!」
ならず者の怒鳴り声が聞こえる。
オラは瞼をゆっくり開けた。
ならず者の頭に、マントのような物が被さっている。
「感心しないな。ならず者が、子供を斬る趣味があるとはな」
ならず者の背後で、別の男の渋い声が聞こえた。
オラはカニ歩きして、恐る恐る身を乗り出して、ならず者の背後の男を覗き込む。
ならず者の背後の男は、長い髪を後ろで束ねて、長い前髪が目許に垂れている。
口に煙草を銜え、黒い制服を着ていた。
ならず者の背後の男は、オラを一瞥して、ならず者の背中を睨み据える。
ならず者の背中に、煙草の煙を吹きかける。
「!? 貴様、何者だ!?」
ならず者がマントを乱暴に取って投げ捨て、男に振り返る。
「憲兵団、一番隊隊長の伊藤だ。子供を追い回しているお前を見かけてな」
伊藤が煙草を吹かして、煙草の煙をゆっくり吐いた。
「伊藤だと? 聞かねぇ名だな」
ならず者の男が、刃先を伊藤に向ける。
「お前など斬る価値もない。大人しく寝ててもらおうか」
伊藤が煙草を吹かしながら、素早くホルスターからオートマチック銃を抜いて、ならず者に銃を撃つ。
一発の銃声。オートマチック銃の銃口から、煙が龍のように昇る。
「ぐぁぁぁぁぁ!」
男の身体に青白い電気が走り、痺れながら崩れた男は、うつ伏せに倒れた。
男は泡を吹いて、痺れているのか、身体がぴくぴく動いている。
オラはうつ伏せに倒れたならず者を見下ろした。
なんじゃ。
あの武器、おっそろしいのう。
「連行しろ」
伊藤が、うつ伏せに倒れたならず者の男を見下ろして煙草を吹かし、小道の奥を顎でしゃくる。
「はっ」
伊藤の後から、制服を着た憲兵団がならず者の男の肩に手を回す。
憲兵団がならず者の男を立ち上がらせ、ならず者の男を引きずって連行していく。
「お前の行動と勇気、称賛に値する。彼女を守ってやれ」
伊藤は煙草を吹かすと、ホルスターにオートマチック銃を収めて、マントを拾い上げた。
マントを肩に引っかけ、踵を返した。
オラは呆気に取られて、生唾を飲み込んだ。
安心して、その場に足が崩れる。
「か、カッコいい。伊藤さんかぁ。あたし、好きになっちゃったかも」
少女の暢気な声が聞こえる。
その後、深いため息を零した。
「なんじゃい。人がせっかく助けたちゅうのに。その態度はなんじゃ」
オラは苛立って、少女を背中から下ろす。
「この役立たず! あんなならず者くらい、伊藤さんみたいにやっつけなさいよ!」
少女は立ち上がって、片手を腰に当てて、人差指をオラの肩に小突く。
その後、捻挫した足が痛みだしたのか、捻挫した足を上げてよろける。
「なにゆうとんじゃ! みたじゃろ、あの刀を! オラは丸腰じゃったんじゃぞ!」
オラも負けじと立ち上がり、少女に振り返って拳を振り上げ、少女に怒鳴る。
「もういいわよ! あたし、歩いて帰るから。あんたは、とっとと消えなさい」
少女は痛そうに片足を引きずって、オラの肩を両手で叩いて、手をひらひらさせる。
「はぁ!? また襲われても知らんけえの! ほいじゃの!」
オラは踵をかえして、大股で小道を歩いて行った。
なんじゃい、あの女。
可愛い顔して、えげつないわい。
あんな女、二度と会いたくないわ。
オラの背後で、少女の倒れる音が聞こえた。
ああもう、面倒な女じゃ。
オラは頭を掻いて、小道を引き戻った。
「無理すんなや。手かすけえ」
オラは、倒れた少女に手を差し伸べる。
「う、うん。さっきは言い過ぎた。ごめん……」
うつ伏せに倒れた少女は、オラの手を取って俯く。
「もうええけえ。ほれ、背中乗りんさい。おぶるけえ」
オラは少女の手を離して片膝を地面につき、少女に背中を向ける。
「う、うん」
少女が遠慮がちに、オラの背中にちょこんと乗る。
「オラたち、助かってよかったのう」
オラは立ち上がって、小道を歩き始める。
「そうだね。助けてくれてありがとう」
少女がオラの背中に顔を埋めた。
少女のいい香りが鼻をくすぐる。
少女の胸の感触が、オラの背中に当たる。
オラは思わず、興奮して鼻血が出そうになり、鼻を手で摘まむ。
「どうかした?」
少女が心配そうに、オラに訊いてくる。
「い、いや。なんでもないけえ」
オラは顔を少女に振り向いて答える。
「あっ。もしかして、あたしの胸があんたの背中に当たってる!?」
少女が上半身を、オラの背中から離す。
「し、仕方ないじゃろ。おぶってんじゃから。胸くらい当たるわい」
オラは顔を少女に振り向けたまま答える。
「この変態っ! やっぱ、下ろせ~!」
少女がオラの肩を両手で叩く。
足もばたばたさせて。
「おい、暴れるなや。お前、肩叩き上手じゃのう」
オラは少女をおぶりなおす。冗談を交えながら。
オラと少女は、小道を抜けて、町に消えて行った。
背中の少女の文句が、町に響く。
それからしばらくして。
「おーい。新しい門下生連れてきたで!」
道場の表門から、宗次郎の声が聞こえる。
オラは道場の庭で、竹刀の素振りをしていた。
竹刀から顔を上げて、道場の表門を見る。
栞も、庭で蝶々を追いかける足を止めて、不思議そうに小首を傾げ、道場の表門を見ている。
「宗次郎。その女、誰じゃ?」
オラは額の汗を手の甲で拭う。
宗次郎の背中に隠れている少女を見て首を傾げた。
少女の顔は宗次郎の背中で隠れている。
少女は長い髪を後ろで、紅い紐で束ねていた。
淡いピンクの単衣にたすき掛け、黒い袴に白い足袋で草履。
「紹介する。オレのいとこ、茜じゃ。今日から、茜は門下生じゃ」
宗次郎が少女の背中を手で押し出して、少女の肩に手を置く。
「茜です。よろしくお願いします」
少女が丁寧に頭を下げて、顔をゆっくり上げる。
「ああ! お前はあの時の!」
オラは驚いて少女を指さした。
「あ、あんたは!」
少女も負けじと、オラを指さす。
宗次郎は栞と顔を見合わせ、宗次郎は首を傾げた。
宗次郎は訳がわからず、目をぱちくりしていた。
栞は、顔の前を飛び回る蝶々を、楽しそうに追いかけた。
やれやれ。この女にしごかれるで。




