漕ぎ出そう。新たな未来へ、突き進め! その12。
その時、唐突に歩みは止まる。
どっと疲れが押し寄せてきて、一同は腰を休ませた。
周囲は疲労が甚だしく漂い、一塊に集まり互いに身を寄せあっていたようであった。
よく見れば、家族だけではない。
まったく身も知らぬ者達が互いの手と手を取り合い、ただ一身に温もり合っていたのである。
ドーム状に広がる避難地。
数千人を収容出来る施設は至る所、沈痛な面持ちをした者達で埋め尽くされていた。
空調などはごく些細なもので、各々が持ち寄った僅かばかりの電子器具が立ち並んでいる。
ぶぅんぶぅん、とけたたましく鳴るのは暑さを偲ぶモノ。
煽る団扇などは汗を吹き飛ばすこともない。
じわりじわりと染み着く肌着。
見渡すこと、蜃気楼を醸し出すほどに湯気が漂い、皆は咽びかえっていたのである。
「なに……これ……??」
その状況に一切着いてゆけず、じっとりと髪は棚引いた。
ふたつに結わいだ髪型は目線と伴い、有り得ない光景を見つめては失望しているようであった。
カナミは真剣にヒナを心配していたのだが、辿り着いた場所にてガックリと膝を落としてしまう。
目の奥につんざくらう血の匂い。
思わず耳を塞ぎたくなる慟哭。
赤子の絶叫などは特に心を責め、苦しさと切なさがひたすらに締め付けてきたのだ。
目も耳も塞ぎたくなるような有り様に踞ろうとしてしまう。
そんなカナミに、自分達も疲れきっているであろうに配給された食事を片手にして、逞し気に彼女達は優しい言葉を投げ掛けた。
「大丈夫? とにかく……元気出して、ね?」
「そうじゃぞ? 何よりも……そら、これでも食べてみよ」
差し出されたのは、漆色に鈍る御茶碗だった。
即座に手にしていた辺りは流石は神の使い手なのだろうか。
いや、そのまなじりには愛情が滲むばかりに皺が寄る。
神官戦士ガガドーザはカナミの震える身体に毛布を掛け、冷えきった掌の上に温もりを乗せた。
仄かにうだる湯気と美味しそうな臭いが鼻腔を擽る。
海の幸で満たされた味噌汁と、または海鮮丼が手渡される。
両手で優しく包み込まれた温もりに導かれ、カナミは一筋の涙を溢してしまった。
柔らかな温度や食欲が充満した被災地。
各々が手渡された食器の温もりだけに本能を満たしていった。
自然と添えられたお椀へと口が運ぶ。
……喉元から一気に胃袋へと伝い、頬を温もりが占拠する。
斯くも味噌汁とは美味いモノだったのか。
重圧から解き放たれたようにして、白い吐息は辺り一面を埋め尽くしていったのである。
「ひとまず……これで全員かなぁ?」
「そうじゃの……いやはや、何処に行っても、天災というものは等しいし、命はすべからくして平等よの」
まるで悟りを開いたような台詞が辺りに深々と響き渡る。
神の教えに携えたのは当然であろうか。
神官戦士ガガドーザ。
大地に根付く妖精が放ったひとことであった。
彼の一言により現実味が更に増し、カナミは途方にくれてしまうのを余儀無くされる。
ここに辿り着くまでに幾十もの凄惨且つ、目まぐるしいまでに激しい闘いを繰り返してきたのだ。
それは常軌を逸したモノであり、思わず口許を塞ぎたくなる光景である。
カナミは決して彼等のような歴戦の戦士でも、ひとかどの冒険者でもない。
「みんなを守りたい」という確固たる意思はあったのだが、あまりにも未熟であった。
ほどなくして、己の不甲斐なさにほとほと呆れ返ってしまい頼りない愚痴を吐き出してしまう。
「はぁ……アタシ。 何やってんだろ……」
体育座りのようにして丸まる。
ちんまりと佇むその様は誰の目から見ても儚くも悲しげであった。
うっすらと滲み寄る一筋の涙。
それが更に己を締め付けるのだ。
ごろん、と床に投げ放たれた意識も虚な、死者のように横たわるヒナ。
愛しきひとを横目にしながら、カナミは悲嘆にくれるのだ。
そんな彼女を更に心配して肩に手をかけ、精一杯の温もりを与えようと。
励まそうとするレインシェスカであったのだが ── 突如、違和感を覚えた彼女は急ぎ早に講堂をあとにして駆け出した。
呆気にとられた彼女の代わりに、神官戦士ガガドーザが言う。
「何じゃ……あの星は……!?」
東京ドームのモニターには衛星からの状況が逐一放送されていた。
言葉を失うばかりに感動たる夜空の星々ではなく、禍々しき漆黒の星を観て、皆は息をすることすら忘れて、本能だけが恐怖を突き付けられ覚悟するしかなった。
一切合切を呑み尽くさんばかりに轟音を吐き散らかしていたそれは穢れなき威光を放つ月を呑み干してゆく。
皆既月食などと甘やかしく荘厳なモノではない。
甲高い傲慢な唸り声は奈落と融合したかの如く、月だけではなく星々を呑み込み肥大化していったのであった。
立つのもやっとの程で、その衝撃の光景を直に目の当たりにしたふたりだけでなく、皆は一様にして立ち尽くすしかなかった。
呆然としてしまい、神にすがる想いで両手を合わせる一同は、ただ拝むことしか出来ない。
「神様……どうか……お救いください……」
もし、この世に神が入れば、このような惨状は引き起こされなかったであろう。
分かっているのであろうが……神などは決して、居ない。
届くことの無い願いに、祈りを捧げようがそれは無駄なことなのだ。
遠巻きに笑い声が響き渡る。
生け贄を求める怪物達は狂喜乱舞しているようであった。
「「「きゃははははははははははははは!!!!」」」
恍惚の表情を浮かべる怪物達の口角は千切れんばかりに開かれ、それぞれが与えられた役割を果たすべく、動き出す。
決してそれは己が食欲を満たすワケではない。
これが当然であったかのように、異世界からやってきた邪悪な存在は更なる蹂躙を開始するのだ。
悲鳴は尽きることを知らない。
犯される現実は混沌へと塗り替えられてゆく。
と ── 突然。
空気を割るようにして熱い吐息が、暗い世の中を断ち切るようにして放たれた。
「……レインシェスカさん!!」
息を切らしながら巨漢を背負い、ようやく合流を果たした剣士。
身体じゅうに夥しいまでの返り血にまみれたトールは上空の異変に気付くまでもなく息巻くのだ。
咄嗟にその有り様を見て、レインシェスカとガガドーザは言葉を失ってしまった。
ぽっかりと空いた胸元からは大地を埋め尽くさんと血潮が流れていたのだから。
まさか……私達のリーダーが??
『最強の存在』であり『天災』とまで称された者が??
いったいこれはどういう状況なのだろうか……。
一切、心音など感じ取れない。
ただ、破滅の針音だけが皆を恐怖に陥れていたのである。
「ジャニアース!! 何してんのよ!!」
── レインシェスカの、切ない絶叫だけが、木霊していった ──
次回は3月29日です。




