プロローグ【烽】
短めです。
── 遥か彼方から忍び寄る気配 ──
うつらうつらとしていた子供たちをようやく寝かし付けた母親がピクリと耳をたて、やがてゆっくりとベッドから立ち上がる。
まるで夢遊病者のように覚束無い足取りで羽目殺しの窓から辺りを窺い、何処か想いを馳せるようにして、寝室を後にする。
足並みは緩やかに。
だが徐々に駈け足は早さを増し、だだっ広い敷地内を騒音が響き渡る。
紐で結われた長い髪が四季独特の風に棚引き、豊かな双丘がゆさゆさと激しく揺れていた。
今や3人だけの母親ではない。
静けさが漂う、ひっそりと佇むも荘厳な古城の主。
かつてその立派な城を一目観ようと世界各地から観光客が集い賑わいを魅せていたであろう。
しかし全く人気はなく、辺りは閑散として、闇夜をひとすじの月光だけが祝福しているようであった。
「はぁっ……はぁ……っ」
城を脱け出した母親は少しばかり小高い丘へと辿り着き、天を仰ぐかのように大きくその身を反らした。
瞳を閉ざし、全神経を集中させる ──
懐かしさが胸を締め付けて、ゆっくりと口許が歪み邪悪な笑みを浮かべる彼女。
いや、『残虐』の悪魔デルメト。
込み上げてきた嬉しさを堪らず吐き散らかす。
「クックックッ……。クククククッ……。くわーはっはっはっはっは!!」
狂喜に充ち溢れた慟哭が辺り一面を覆い尽くしてゆく。
一頻り終えたあと、それでもまだやってくる歓喜に堪えつつ。
「ついに……遂に……叶えなされたのですね! グランヴィア様!!」
デルメトは涙が滝のように溢れるを止めようともしなかった。
その傍らで、いつの間にか集っていた面々も同じようにして始終涙を流している。
見た目は人間。 中身は悪魔。
この地に住まう者達は皆、全てがデルメトの ── 悪魔の眷属と成っていたのだ。
「母上様。 ようやく…… 始まるのですね?」
ずるりと舌を舐めずる中年男性。
でっぷりとした腹からはまだ足りないのか可愛らしい音が鳴る。
そんな彼をデルメトは、愛しそうに優しく見つめ、甲斐甲斐しく頭を撫でてあげるのだ。
「そうですよ……。 ほら、ご覧なさい……」
人差し指は宙高くを目指し、皆は釣られてその先に渇望の眼差しを注ぐ。
滲む月明かり。
揺らぐ星々。
時が止まったかのように全ての音は鳴りを潜め。
やがて ── 大気を引き裂き、轟音が響き渡った。
夥しいまでの数の異形。
その魁が一瞬にして彼等に気付き、降り立つ先にはまだ泣き止まないでいるデルメトがいた。
デルメトは目前の異形に対して、恭しく膝を折る。
「……準備は整ってございます」
「うむ。御苦労」
美しい星。
地球に降り立った『暴虐』の悪魔・グランヴィア。
彼は、かつてないまでに凶悪な微笑みを浮かべて遥かに広がる大地を見やる。
「さぁ、ここからが本番だ!!」
この時を以て、地球は直ちに異形に浸食された。
次回は1月20日辺りの予定です。




