9.
僕を胸に抱いてモスグリーンのふかふかした座椅子にその小さな身体を沈めた彼女は、もはや寂しさがその視界に映らないことを願うかのように、力を込めてそのつぶらな目を閉じた。あんまり強く目を塞いだものだから、彼女の滑らかな白い眉間にはうっすらとしわが寄って、余計に辛そうに見えた。
チッ、チッ、チッ。
彼女の桃色の唇が音を紡ぐことをやめると、今まで気づきもしなかった秒針の音が途端に耳障りに聞こえてくる。
僕はなんだか目を開けているのが苦しくなって、彼女の胸の中で静かに目を閉じた。
暖かさと柔らかさと優しい匂いが僕を包んでいたけれど、彼女の寂しげな表情を見たせいか不思議と浮ついた気分にはなれなくて、むしろ冷たいほどの静けさが視界を塞いだ僕の世界を覆っていた。
トクン、トクン、トクン。
チッ、チッ、チッ。
彼女の心臓の鼓動と秒針の音が混じりあって僕の耳に流れ込む。心を落ち着かせるはずのそのリズムは彼女の不安を映してかどこか不規則で、むしろ僕をいたたまれない気持ちにさせるのだった。
「……ふぅ」
長いのか短いのかわからない時間がすぎて、彼女はため息とともに目を開ける。
視界を塞ぐことで寂しさを忘れようという彼女の試みは、失敗に終わったみたいだった。目を開けると同時に、半ば反射的に傍らの携帯電話を手に取り、折りたたまれたそれを開いて変わりがないことを確認して、それからふと我に帰り自分の行為にため息をついて座椅子の背もたれに倒れ込む。ずっと目の前にいたのだから、携帯電話の着信を聞き逃すことなんてありえないのに。
僕が心配そうに見上げていることに気づいた彼女が、びっくりしたような目で僕を見て、それから目を細めてふっと笑う。
「ごめんごめん、また心配させちゃったね」
懸命に微笑む彼女の瞳が、寂しげに揺れる。
「……にゃあ」
「猫ちゃんってば、そんなに心配そうな顔しないでよ。あたしは、大丈夫だから」
大丈夫、大丈夫。自分に言い聞かせるように彼女は呟く。
大丈夫じゃないよ。ちっとも大丈夫じゃない。
無理に持ち上げた唇は嗚咽をこらえてるし、頼りなく揺らぐ瞳は涙をこらえてるじゃないか。
泣きたい時は泣けばいいのに。強がる必要なんてないよ。誰も見てないからさ。
僕は大丈夫。僕は猫だから。気にすることはないよ。僕はただの猫だからさ。
でも僕のそんな思いは彼女には伝わらなくて、彼女はまだ強がってる。僕の背中をなでたり、ほっぺを引っ張ったりして無邪気に遊んでるふりをしてる。
彼女が強がってるのは、きっと、彼女自身に対してだ。自分に一番、嘘をついてる。
ああ、僕が猫じゃなかったら。
僕の言葉が、彼女に届けばいいのに。
そんなふうに思って、でも待てよ、と思う。
言葉が通じたら、どうだというのだろう? 僕は彼女に、どんな言葉をかけてあげられるというのだろうか?
彼女の心を慰めるような気の効いた言葉なんて、僕にはわからないや。
猫だったらとか、人間だったらとか、本当はきっと、そんなこと関係ないんだ。
僕の心が彼女に伝わらないのは、猫だからじゃない。伝えようとしていないからだね。
だから僕は、精一杯の伝えたい思いを込めて、彼女の白い腕に爪を立てた。




