98. カーバン
〈秘術師ギルド〉は〈陽都ホミス〉の北東部、その外れにある。
街の中心部から外れに外れた一帯は真昼だというのに人通りが少なく、道は馬車が通れないほどに細い。窓を閉ざした家も多く、全体として寂れているような印象さえ受ける。
その半分の理由は、賃料が低い家々が集まっている為にやはり所得の低い者達が集まり、日中は街の中心部に稼ぎに出て留守にしているからだ。もう半分は〈陽都ホミス〉内に普段は居住しない者達の別邸として―――即ち、多くが農民の別邸として利用される建物であるからだろう。彼らは農閑期と買い出しの際にしか都市には出てこないから、この時期に尚更郊外地域から活気が薄れるのは当然のことでもあった。
空き家が多ければそれだけ犯罪が多くなりがちでもあるが、殊にその点に於いては〈陽都ホミス〉の衛兵達は頑張っていると言えるだろう。郊外地域に対してもかなり巡視の数を増やし、その治安を高い水準で維持している。
そのぶん何かと金が入り用なのか、度々モルクを初めとした貴族相手に寄付を要求してくるが、充分な結果を出した上で求めてくるのだから文句の付け様がない。気前よく払ってやるのもまた、貴き者の義務というやつなのだろう。
実際金を出すだけの道理は有り、貴族は遍く渡って街を護る義務を有している。〈陽都ホミス〉の城壁内にある家々は、そのほぼ総てが何れかの貴族が所有する土地であり建物であるからだ。それはこうした寂れた郊外の一角に至っても例外では無く、実際モルクもこの付近に何件もの家々を有している。
賃料は1件当たり月々にして僅か1,500gita程度しか得られないが、街の中心部に有しているものとは異なり、郊外地域に於ける格安物件は容易に借り手を見つけることができる。それこそ建物の前に賃料と連絡先でも書いた看板を掲げておけば済むぐらいなのだから、借り手が見つからずに頭を悩ませる必要が無いのは済むのは有難かった。
いま訪ねに向かっている〈秘術師ギルド〉もまた、モルクが長年貸している土地と建物であった。ギルド用地として使うのであれば無償で貸してやる―――嘗て友人にそう言ったら、嬉々としてギルドとは名ばかりの自宅同然の場所として使い始めたものだから、当時は随分と閉口させられたものだ。
どうせ無償なのだから街の中心に近い建物にすれば良い物を、わざわざこんな郊外の手狭な家にした理由も、友人は『そのほうが客が来ねえだろ?』と言って憚らなかった。当時はその友人を〈秘術師ギルド〉の長として推挙したことを少なからず後悔もしたものだが―――しかし、一度としてその件に関して苦情らしい苦情などが届いたことも無いのだから、あれで案外ちゃんとギルド長として尽力していたりもするのだろう。口の悪い奴ではあるが、何だかんだで面倒見の良い部分があったりする友人でもあるのだ。
ギルドであることを示す看板ひとつなく、一般の民家と何ら変わらない玄関口。そのドアをゆっくり二度ほどノックしてから開くと、ちょうど内側からドアを開けようとしていた無精髭の酷い友人―――カーバンと目が合った。
「モルク……お前、勝手に開けてんじゃねえよ」
「ここはギルドなのだろう? ならば自由に入って悪い筈もあるまい」
「そういうことは〈秘術師〉の天恵持ってから言いやがれ」
口の悪さは相変わらずであるが、別段モルクが家の中に入るのを押し留めたりしない辺りがいかにも彼らしい。まだ昼間だというのに吐息が酒臭いのは少々感心できないが、カーバンは多少の酒で酔ったりするわけでもないから、業務に支障が出ない範囲であればわざわざ突っ込む程でもないだろう。
「言っておくが、茶は出ないぞ?」
「判っている。自分の飲み物は持参しているよ」
そう言われることは判っていたので、道中の露店でハシ茶を購入してきてある。
個人的にはあまり好きな味ではないが、どうせ暑さのせいで温くなってしまえば何を飲んでも旨いとは感じられない。喉を潤す以上の役割は初めから求めていなかった。
「ならいい。何か土産はないのか?」
「一応〈インベントリ〉にガルゼの肉があるが……。料理、できるのか?」
料理の腕前に疑問を抱いているわけではない。カーバンが自分などよりも余程そういったことに長けているのは、彼と幾度となく野営を共にしたことがあるモルクには既に充分理解出来ていることだ。
そうではなく、モルクが腰掛けている座席とテーブルの周囲一帯に、無造作に散乱している鍋や食器類。いかにも一人暮らしの男らしい乱雑さに打ち捨てられたその様を見せられては、調理素材を渡したからといって料理ができるような環境だとは思えなかったからだ。
「ちっ、素材で持って来やがったのか。面倒だが……まァ、材料があるなら作れるようにするさ」
「そうか、では私の分も頼むよ。まだ昼食を摂っていなくてね」
「初めからそのつもりで持ってきたんだろうに……」
床から幾つか拾い上げた調理器具と食器類を流しに突っ込み、カーバンは慣れた手つきでそれらを洗浄していく。
郊外のこの辺りには下水道はあるが、まだ上水道は備わっていない。故に流しはあっても水を出すための蛇口は無いのだが、そんなことはカーバンにとっては問題とならない。《流水》のスペルにより自在に水を操ることができ、かつ《浄化》のスペルまで扱うことができる彼にとっては、物を洗うことなど容易い作業であるからだ。
《流水》は〈精霊術師〉のスペルであり、《浄化》は〈聖職者〉のスペルである。いずれも初級のスペルではあるものの、これらを生活に駆使できるというのは一体どれほど贅沢なことであるだろう。
「この肉、もしかして自分で狩ってきたのか?」
「うむ。街の北門も、ここからそう遠くないしな」
「酔狂なヤツだな……。ガルゼが居る辺りまでは、門を出てから結構歩くことになるだろうに」
〈陽都ホミス〉の北門を一歩でも潜れば、その先は〈アリム森林地帯〉のエリアになるが。実際に森林へと入るためには、北門を出てから少し歩かなければならない。
ましてガルゼを狩るとなれば、充分に森林内に入った上で林道を逸れた場所へ行かなければならない為、北門が近いと言うだけで何の気無しに狩ってくるようなものではない。カーバンはそう言いたいのだろう。
「ちょうど、森林内に少し用もあってね」
流しの隣に設置された鉄板が熱せられ、その上でスライスされたガルゼの肉が激しい音と煙を立てながら焼かれていく。カーバンは左手に杖を持ちながら、慣れた手つきで焼けた肉を引っ繰り返していた。
鉄板を熱しているのは《熱線》スペルの応用だろう。確かそれは〈伝承術師〉のスペルだった筈だ。
「森林に用、だと? 何かあったのか?」
「先日、探索を共にした青年から、森林内のガルゼが増えすぎているという話を聞いてね。折角なので、この目で実際に確認してきた。だから肉を持参したのはそのついでだな」
「む―――そりゃ、真実なら面倒な話だが。モルクから見て、どうだったんだ?」
「良くないな。このまま放置すれば、七日と待たずに何かの被害が出るだろう」
一般的に〈迷宮地〉以外のフィールドというものは、魔物が一定の個体数を超えると基本的に増殖が緩やかになるものではあるのだが―――〝森林〟などの限定された特殊環境下に於いては、必ずしもそれは期待できない。
ガルゼを初めとした草食の魔物は、いずれも初夏から秋の初めに掛けての餌が多い時期に繁殖力が増す傾向がある。そして草食の魔物の個体数が増えれば、間もなくそれを喰らう肉食の魔物が増えることを意味する。
「森林内の盗賊の根城をチェックしてきたが、既に逃げ出してもぬけの殻だった。機に聡い盗賊共が場所を移しているとなれば―――」
「なるほど、猶予はそれほど無さそうだ。……その話、グリフにはもう?」
「森から帰る途中に念話で一応知らせておいた。既に情報は冒険者から齎されていたらしいが、確認はこれからだったようだ。今日か明日中にも冒険者ギルドで対策を組むと言ってはいたが……間に合うかは微妙な所だろうな」
それでも複数の冒険者が森へ向かいガルゼの討伐を行ってくれれば、被害をある程度抑えることができるし、手遅れになるにしてもその時期を多少は遅らせることができるだろう。
最悪の事態に陥った場合、その対処には軍で当たることになるが。軍を動かすには貴族院に動議を図らなければならない為に何かと時間が掛かるし、〈アリム森林地帯〉で軍を動かすとなれば〈森林都市フェロン〉との境であるから、当然相手方との折衝も必要になるだろう。少しでも準備に使える猶予期間を延ばせるなら、そのほうが良い。
「ほらよ。要るならパンぐらいは付けてやろうか?」
「おお、頂こう。珍しくサービスがいいな」
「腐らす前に処分したいだけだ」
皿に載せた焼きたてのガルゼ肉のステーキを受け取ると、旨そうなスパイスの香りが鼻腔を擽る。
小さく切り分けて口元に運ぶと、良い按配の塩加減が軽く疲労している身体には殊更美味しく感じられる。肉を焼いただけの代物ではあるが、そんな単純なものでさえキッチリ旨く仕上げてくるのだから侮れない。
「暇をしているのなら、カーバンも森に行ってみんかね?」
「……いや、俺は遠慮する。ギルドを空けるわけにも行かんしな」
「だが、客が来ているようには見えないが?」
ぼつぼつとでも客が来ているようであれば、いかに自宅同然に使用している建物とは言え、ここまで酷い惨状にはならないだろう。
モルクの言葉にカーバンもばつが悪そうに頭を掻きながら、「そりゃまあな」と答えてみせた。
「〈秘術師〉は、他の魔法職と違ってスペルを修得する際にギルドを訪ねる必要が無いからな。確かに、客なんて滅多に来るものではないが。……しかし、なればこそギルドを訪ねてくるような奴らには初心者が多い。少なくとも日中には、長時間空けるというわけにはいかん」
「……そうか、残念だ。久々にお前と共に狩りをしたい気分だったのだがな」
「俺が自分の天恵に限界を感じて、疾うに冒険者を引退した身なのは知っているだろう? 今更引っ張り出そうとするのはやめてくれ」
カーバンが現役を退いた時の一言を、今でもモルクははっきりと覚えている。
俺の実力ではもう、お前らに付いていけない―――苦みを噛み締めるかのような表情で、あの時そう吐露したカーバンのことを、モルクはどこか淋しい気持ちと共に振り返る。
「―――だから、シグレに自分の〝秘術〟を託したのかね?」
モルクの言葉に、さすがにカーバンも暫し驚きを露わにしてみせた。
「なんだ、シグレと既に面識があるのか?」
「ちょっとした縁があってな。先日、共に〈迷宮地〉を探索する機会があったのだが。持っている剣に《炎纏》が付与された時には、さすがの私も驚いたぞ」
「ああ、すると〈迷宮地〉ってのは〈ペルテバル地下宮殿〉のことか。あそこのレイスは面倒だし、《炎纏》のスペルなら有用なんじゃねえかと思ってな。3,000gitaで譲ってやった」
「金を取ったのか……」
「当ったり前だろう。タダで秘術を譲る奴は、もう〈秘術師〉じゃねえよ」
何がおかしいのか、くつくつとどこか楽しげにカーバンは笑ってみせる。
「……ま、ちょっとは応援してやりたくなったってのも正直な所かね。魔法職の天恵を5つ持って生まれた俺は、割合早々に自分の才能に見切りを付けて現役からは退いちまったってのに―――あのシグレって青年は、10もある自分の天恵のことを何て言ったと思う?」
「ほう? 何と言ったのかね?」
「〝自分は楽しんでいますので〟だってよ。―――凄ぇな、成長の遅さに苦しんでいた当時の俺なら、絶対に言えない台詞だぜ?」
カーバンは五つの天恵を有している。〈聖職者〉と〈伝承術師〉、〈精霊術師〉に〈付与術師〉、そして〈秘術師〉の5つである。
天恵は多く恵まれるほどに多彩なことができるようになるが、反面それだけ成長速度に重い枷となって引き摺るものでもある。カーバンはそれを気にして、あの日自ら自分自分に対して落第の印を付けて離れたわけだが―――。
その倍の天恵を持ちながら、その台詞が吐けたのなら。確かに、シグレの胆力には畏れ入るものがある。
真実かどうかは知らないが〝羽持ち〟は自らの意志で天恵を選べるという話を何度か耳にしたことがある。もしかするとシグレは自らの意志によって10の天恵を選んだのかもしれないが……。
「なるほど、豪毅なことだ」
確か、彼のレベルは3に上がったばかりと言っていただろうか。天恵を10も抱えていれば、3レベルという未熟な値でさえ、決して楽な道ではなかっただろう。
例え自らの意志で選んだものであれ、敢えて苦難を続けられるというのは充分に敬意を抱くべきことだ。
彼と出会ったのは全く偶然のことではあったが。シグレという青年に、モルクは少なからず興味を抱かずにはいられなかった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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