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(改稿前版)リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
5章 - 《忙しき日々に新たなり》

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97. 日日に新たなり

 いつもの面子での『松ノ湯』の利用を終え、入浴の後にはやはり普段通りの流れで『バンガード』での夕食に落ち着くと。事前にシグレのほうから念話による連絡を入れていたこともあり、ほどなくしてゼミスさんも来店しシグレ達に同席した。

 『バンガード』は冒険者ギルド内に併設された店ではあるが、別に冒険者でなければ利用できないというわけではない。自らも夕食を注文し食事と共にカエデやカグヤと暫し歓談の時を過ごしたゼミスさんは、食事が終わって二杯目のコーヒーにシグレが口を付け始めた頃を見計らって、唐突にシグレの目の前に一枚の書面を提示してきた。


「シグレ様、本日はこちらをお届けに参りました」

「こちらは……?」

「邸宅に関しての見取り図になります。勿論、温泉も付いておりますよ」

『……おお』


 〝温泉〟という単語に反応して、テーブル脇の黒鉄が嬉しそうな声を上げる。

 ゼミスさんから受け取った見取り図は、ちゃんと見るよりも早く対面側に座るカエデによりすぐにシグレの手元から取り上げられてしまった。カエデの隣に座るカグヤと共に、興味津々といった様子で見ているようだ。


「これって、もしかして凄く……大きい建物なのではないですか?」

「そうですね。うちの商会長の自宅と、同じぐらいの広さがあると思います。シグレ様がお使いになるかは判りませんが、厩と馬車を格納する場所もありますよ」

「使う予定は全くありませんね……」


 だが、室内設置の小型な温泉であればいざ知らず、黒鉄の望むような露天の温泉が付いた邸宅ともなれば、相応の大きさになるであろうことは初めから織り込み済でもある。不要な施設など有っても管理の手間にしかならないだろうけれど、多少は目を瞑る必要もあるだろう。


「こちらの邸宅で宜しいのでしたら、シグレ様相手であれば貸すことに何の問題も無い、とスコーネ様は仰っておられました。とはいえ使っていない期間も長く、手直しすべき部分もあるかもしれませんので、実際にシグレ様にお貸しする場合には幾許かの期間的な猶予を頂くことになると思いますが」

「それは、有難いですが……」


 ようやくカエデの元から返ってきた見取り図を見ながら、シグレは戸惑う。

 見取り図の書き方が現実世界のそれとは微妙に異なっていて読みづらい部分もあるが、記されている邸宅には、一階と二階を合わせて余裕で10部屋以上はあることが窺える。シグレが予想していた建物よりも数段大きい建物であることは間違い無く、借りるにしてもこれではかなり賃料が高く付くことになるのではないだろうか。


「……スコーネ様、ですか?」


 そのことをシグレがゼミスさんに問うよりも早く、カグヤが訝しげにそんな声を漏らした。


「カグヤは、スコーネさんをご存じですか?」

「あ、はい。存じています。……というか『鉄華』の大家さんですね」

「―――ああ、なるほど。そうだったのですね」


 道理で『鉄華』で販売している霊薬のことや、その生産主であるシグレのことをスコーネさんが知っていたり、またカグヤと何かしらの面識があることも窺えたのだろう。『鉄華』の大家と説明されて多少驚きはしたものの、それ以上に頷ける部分があるような気がした。

 ゼミスさんの補足に拠ると、魔物対策に外壁などで堅牢に護られているような大都市の場合には、殆ど総ての土地や建物というのは何かしらの貴族が所有するものであるのだと言う。個人で所有することは難しく、貴族から土地ごと建物を借りることで自宅や店舗を持つのが一般的であるらしい。

 だから全く業種が違う別々の店舗であったり、あるいは随分と場所離れている家同士の持ち主が、同一の貸主であったりすることも珍しくはないそうだ。


「いかがでしょう? シグレ様のご希望に添う邸宅だと思いますが」

「実際に見てみないことには何とも言えませんが―――しかし、かなり規模の大きな邸宅であるようですし、賃料も高いのではないですか?」

「そうですね……。通常であれば、相場は月に50,000gita程度かと思われますわ」


 ―――月30,000gitaクラスの家が良い、と。

 以前シグレにそう勧めていたのは、他ならぬゼミスさん本人だと思うのだが。


「……ですが、シグレ様がひとつ条件を呑んで頂けるようでしたら。スコーネ様はこちらの邸宅を、シグレ様に無償で貸しても良いとのことですわ」

「は?」


 共に〈ペルテバル地下宮殿〉での狩りを行ったことで、多少の誼を通じた意識はシグレの側にもあるが。とはいえ、幾ら何でも〝無償で〟という提案には違和感を覚える。

 というか、あまり度を過ぎた無償という提案には、正直を言って却って拒否反応を覚えてしまう部分が大きい。もちろん狩りを通じてスコーネさんの人柄を理解しているつもりなので、別に他意があっての提案では無いとは思うのだけれど。


「……一応お伺いしますが、その〝条件〟というのは?」

「はい。こちらの書類を、合わせてご覧頂いてもよろしいですか?」


 ゼミスさんから新たに差し出されてきた一枚の用紙を受け取って広げて見ると。それは先程受け取った邸宅のものとは異なる、全く別の建物の見取り図のようだった。

 入口が広く、入ってすぐに巨大なフロア。とはいえ建物のサイズ自体は、先程の邸宅とは比べものにならない程に小さいものであるようだ。フロアに繋がる奥側には小部屋があり、あとは二階と地下に幾つかずつ部屋が配置されている。


「これは―――もしかして、店舗の見取り図ですか?」


 どう見ても居住に適する設計であるようには見えない。シグレがそう問うと、ゼミスさんもすぐに「ええ」と頷いてみせた。


「シグレ様は、いま〈陽都ホミス〉の中に〝霊薬〟を扱う店が幾つあるのかご存じですか?」

「……いえ、存じませんが」


 それが何か、この見取り図に関係があるのだろうか。


「おそらくカグヤ様はご存じですよね?」

「あ、はい。店主さんとも面識がありますので、存じています。少し前まではもう一店舗あったのですが……今は〝フラットリー霊薬店〟というお店、ただひとつだけですね」

「―――そうなのですか」


 シグレやユーリの生産した霊薬を『鉄華』に扱って貰う上で、その販売価格の設定については、度々他の霊薬店から指摘を受け是正を繰り返しているという話をカグヤから何度か聞いている。

 他にライバルとなる霊薬店がたった一店舗しかないのであれば、霊薬の価格差が生じることで相手が問題とするのは当然と言えば当然だろう。道理で武具店の一角で販売しているような霊薬にまで、逐一値段是正の要求をわざわざ持ち込んでくる筈である。


「今ある霊薬店は決して悪いお店ではありませんわ。一店舗のみという独占状態にありながら、しかし決して霊薬の価格を必要以上に釣り上げることなく、初心者・初級者の冒険者向けの霊薬を安価に抑えながら大量に供給しています。……一方で高レベル向けの等級の高いポーションは必要充分な供給量を満たせず、かなり高額に釣り上がってしまっておりますが」

「なるほど……」


 そんな折に、唐突に相場を無視して上級相当のポーションを安価で売り出す輩が出れば、苦情のひとつも入れるのは当然のことかもしれない。


「貴族というのは土地や建物の貸主であると同時に、街そのものの方向性を決める管理者でもあります。特定の業種が過多になり過ぎないよう抑制したり、あるいは不足しているものがあれば補わなければなりません」

「なるほど。……それで、自分に?」

「はい。この街は中央都市のひとつですので、高レベルの冒険者や傭兵の方々も数多く滞在しております。ですので初級者を優先する『フラットリー霊薬店』の方針とは裏腹に、高級な霊薬にも高い需要があるのが実態だったりもするのですが」


 確かに、『鉄華』に置いている霊薬の売れ行きを知っているだけに、そのゼミスさんの言葉には頷けるものがあった。


「シグレ様に、この街で霊薬を扱う店を開いて欲しいとスコーネ様は考えていらっしゃるようです。それも既存の店舗とは別で、とりわけ中級や高級の霊薬を中心に扱うような店舗の開設をお望みとか」

「……正直を申し上げれば、あまり気乗りしません」


 寡占状態の市場に踏み入るほど、そもそも自分は商売というものに対して貪欲ではない。物を生産する以上、それを売って第三者の手に渡らせたいという欲求は少なからず持っているが、結局はその程度のものだ。

 特定分野の供給者が一手しか無い形態を独占、二手しかないことを複占と言ったりするが。その一手となることを望まれても、自分はあくまでも冒険者業の片手間程度にしか生産に従事するつもりがない。

 カグヤの店の一部を間借りして販売する程度であればともかく、その程度の意識しか無い人間が自ら店を持つことがあまり正しいことであるようには思えなかった。


「霊薬や薬の販売店というものは、近年になって他の都市が揃って待遇を露骨に向上させていることもあり、天恵を持つ生産者が〈陽都ホミス〉からは大分減ってしまっているそうで……。おそらくシグレ様の利用している錬金ギルド内でも、あまり他の職人の姿は見かけないのではないですか?」

「それは、確かに……」


 言われてみれば、錬金ギルド内の工房があれだけ広いにも拘わらず、いつも他に利用している人は2~3人程度しか見かけたことが無い。

 そういうものなのかと漠然と思っていたが。あれは他の都市に、職人を誘致されてしまった結果だったのか。


「錬金ギルドの方にも、新しく霊薬店を作りたいという旨のお話は、スコーネ様の方より以前から提案なさっていたそうなのですが。しかし、錬金ギルドの中で唯一突出して技量の高い20レベルの錬金術師の方には、毎回すげなく断られていたそうでして」

「………………」


 ―――元、20レベルの錬金術師。

 それはたぶん、ユーリのことだ。


「しかし今回、シグレ様の作る霊薬を実際に知られたことで、スコーネ様から白羽の矢が立てられまして。是非ともやってみて貰えないか、ということでしたわ」


 無論、有難い申し出では、ある。

 まして自分の生産した品を知っての誘いであるのだから、職人としてはこの上なく誉れなことでもあるのだろう。


「店舗の賃料は、お金でなく物納で。毎月〝好きな霊薬を霊薬20本〟納品してくれれば、それで構わないそうです」

「それはまた……随分と、破格の条件ですね」

「ええ。店舗自体も一等地にありますので、純粋に賃料としてだけでも破格の条件であると私も思いますわ。しかも今回は、邸宅のほうまで無償で貸し出すとのことですから……」

「至れり尽くせりではありますね……」


 これが店舗だけの話であれば、迷い無く断っていただろうが。まさか家を借りる話とこのように絡めて来られるとは思わなかっただけに、シグレは暫し返答に詰まる。

 黒鉄の望みを叶えたいとは思うし、店自体にも全く興味が無いわけではない。それに地下探索を通じてスコーネさんの人柄を知り、シグレとしても率直な敬意と好意を抱いていただけに、その人が自分に対してこれだけの厚遇をもって提案してくれているのだと思うと嬉しくもあった。


『……ユーリは、どうしたいですか?』


 シグレの隣に座る彼女に、念話でそう訊ねてみる。

 自身で判断できないことを、彼女に任せるようで申し訳ないのだけれど。


『シグレのお店なら。―――やってみたい、かも』


 おそらくは錬金ギルドから、自分で店を持つという提案を何度も蹴ってきたであろうユーリが。意外なほどに乗り気な口調でそう答えたのを聞いて、幾許かシグレの迷いが消えた気がした。


「ひとまずは、家と店を一度見てからでも良いですか?」

「―――え、ええ。それは勿論です」

「それから少し返事に時間を下さい。ユーリを初めとした皆と少し相談した上で、熟慮して決めたいと思いますので」


 即答で頷くこと自体は避けながらも、シグレなりになるべく前向きな返答をゼミスさんに返す。

 スコーネさんが自分を評価して下さったのだから。それに応えられるかどうかは判らないが、折角の機会だし精一杯やってみるのも良いだろう。―――ユーリの口から紡がれた、思いのほか積極的な言葉に感化されるかのように、シグレは心の裡でそのように考えていた。


 ただでさえ、最近は確実に忙しなくなりつつあった日々が。これから更に忙しくなってしまうかもしれない―――そうした予感も、あるいは少しだけ楽しみにさえ思いながら。




                - 5章《忙しき日々に新たなり》了


 

お読み下さり、ありがとうございました。


会場に行ったわけではないのですが、夏の祭典関連で少々奔走しておりました。申し訳ないです。

あと17日の夜に眠ると19日の朝でした。い、一体何が……。


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文字数(空白・改行含む):5211字

文字数(空白・改行含まない):5017字

行数:136

400字詰め原稿用紙:約13枚

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