96. 新しいレシピ
地下宮殿での狩りを終えた後は、一旦皆と別れて錬金ギルドに戻った。
朝はバロック商会での雑談や、初めて〈錬金術師〉としての生産を行うナナキの付き合ったこともあり、色々と慌ただしく生産の為にあまり時間を裂くことができなかったからだ。
その割に、忙しなく生産作業を行った今日の午前中のうちに、シグレの生産職としてのレベルはとうとう「2」へと上がっていた。毎日のようにギルド内の工房で生産作業に従事し、100本や200本単位で生産しているのだから、そのうち上がるだろうとは思っていたが。シグレの予想以上に早く、その機会は訪れた。
生産職のレベルが上がると、自力で生産を行える基本レシピの種類が増加する。
レベルが1のままでは僅かに3種類の霊薬しか作ることができないため、主に添加要素である『混合ゼル』の内容を弄ることで、霊薬のバリエーションを色々と増やしたりしていたのだけれど。やはり3種類に制限されたままでは辛いと思い始めていた所だったので、レベルが上がってくれたのは有難い。
錬金ギルドでは、珍しくワフスさんではない人が窓口に立っていた為、ギルドカードを提示して利用権が有ることを確認して貰った上で、二階の書庫を利用した。
今まで製作したことのある霊薬は、総てユーリから直接教えて貰ったために本でレシピを確認するようなことはしたことがなく、書庫を利用するのは何気に初めてであった。
二階に上がった錬金ギルドの廊下には四つほど部屋が並んでおり、その一番手前のドアに『書庫』と書かれたプレートが貼り付けられている。
ドアを開けて中に入ってみると、窓が開放されて風通しの良い六畳ほどの部屋の中に、大きな三つの書架が窓を避けて壁際に備え付けられていた。部屋の中央には六人ほどが掛けられるテーブルがあり、テーブルの中央にはサイズの揃った用紙の束とインクの瓶、何本かの羽根ペン、ペン先を調整するための小さなナイフが入った籠が置かれている。
書庫の利用者は自由に使って構わないと言うことだろう。本の貸し出しはできないとのことだったが、筆記具に用紙まで備えてくれているのは有難い。
秘術書の写本製作に用いるための筆記具がシグレの〈ストレージ〉の中には入っているが、折角なので厚意に甘えて使わせて頂くことにした。
初心者向けの本が並べられている書架の一角はすぐに判ったので、その辺りの本に目を通しながら要点だけを書き写していく。
ベリーポーションやメロウポーションといった既に製作法が判っているレシピについても、改めて読んでみると思わぬ発見があって面白い。特に添加要素については、シグレの知らない素材を用いた物も色々と掲載されており、なかなか為になる内容が得られた。
霊薬の作成に際して、自分が手を出せる基本レシピ自体は、生産職のレベルが上がらなければ種類の幅が拡がらないが、添加要素についてはレベルの制限が無い。どんな素材をどういった種類で組み合わせて『混合ゼル』を製作するかについての知識は、レベルがそうそう上がらないシグレにとってはとりわけ有難いものである。
勿論、レベル2で製作できるようになる基本レシピそのものについても、メモを取ることを忘れない。レベル2で作成可能になるレシピは合計で10種類とかなり多いのだが、一方で効果はどれも何れかの能力値や最大HP/MPなどの増強系ポーションに特化されたものばかりで、種類が多く増える割には生産可能な霊薬の幅そのものはそれほど拡がらないような印象を受けた。
効果時間もあまり長くないようだが、こちらはユーリから事前に聞かされていたので特に驚かなかった。能力値を増やすようなアイテムは〈錬金術師〉の他に〈薬師〉や〈調理師〉も作成することができ、その効果時間は生産の種類によって大きく異なるのだ。
〈錬金術師〉が作る能力増強ポーションは効果時間が数分程度のものから、長くても1時間程度と短めである代わりに、能力値自体は大きく上げることができる。一方で〈薬師〉や〈調理師〉による能力強化アイテムは効果量が控えめである代わりに持続時間がかなり長く、狩りの間に服用し直したりする必要が殆ど無い。
それぞれに利点と欠点があるので、どちらが優れているというものではない。同じ種類の能力値を強化するアイテムであっても生産方法が違うものは同時に服用することが可能らしいので、もちろん全種類を活用することが最良の選択ではあるのだろうけれど。
(……あんまり売れないらしいんだよなあ)
難点としては、HPやMPを回復させる霊薬に比べて、能力値を増強させる類の霊薬は売れ行きがあまり良くないという話をユーリから既に聞かされていた。こういった増強系ポーションというのは、ある程度纏まった金を稼ぐような裕福な冒険者などしか使用しない為に、購入層が限定されてしまうのが原因との話だった。
だからユーリはこの手の霊薬をあまり作らないらしいのだが。売れにくい物とはいえ、カエデやユウジなどの友人に配布するのは喜ばれそうなので、シグレとしては結構興味があるのだった。
素材を市場などで購入していれば別だろうけれど、森林などで拾って来た素材だけで作れるのであれば、別にそれが利益を生み出さない物であっても構わない。掛かるコストは霊薬用の小瓶代ぐらいのものだろうし、それで友人に喜んで貰えるなら充分である。
森林内の群生場所を記録してある植物素材の中には、その使い途が判らないために採っても腐らせてしまうだけだと考えて、敢えて採取していないようなものも結構ある。新たに作成可能になるレシピの中にそれらの素材を利用できるものが幾つも含まれていて、嬉しさのあまり鼻歌交じりにシグレはメモを取っていくのだった。
◇
一通りのメモを取り終わったのは、いつもの共同浴場前での待ち合わせ時刻が近づいてきている良い頃合いだった。本を元の書架に戻し、メモを取った用紙を〈ストレージ〉に収納してから錬金ギルドを出る。
少し前までなら日が暮れているような時間なのだが、まだ夕焼けが空一面に広がっているのはそれだけ夏が本番になってきたという証なのだろう。
シグレ自身はあまり夏の暑さが好きではないものの、風が吹いている涼しげな夕焼けの街並みを歩くのは、風情があるようで悪い気はしない。いつも通り微かに潮の香りを伴って届く風を感じながら、海が近いという話こそ何度か耳にしながらも、その景色をまだ見てはいないなあとふと思う。
現実世界では、例え海が見たいと思ってもなかなか叶えるのは難しいだろう。ならばこちらの世界で代わりに、一度ぐらいは海を見に行ってみるのも悪くないかもしれない。海沿いでしか採れない素材というのもユーリから聞いたことがあるし、そちらにも少なからず興味がある。
『―――念話、失礼致します』
そんなことを考えている折、不意に届いた念話にシグレは一瞬びくりとする。
『その声は……ゼミスさん、ですか?』
『はい、左様です。シグレ様はいま、お話しても大丈夫でしょうか?』
『大丈夫です。共同浴場に向けて、ひとりで移動中ですので』
『ああ―――そういえば、ちょうどそのような時間ですわね』
共同浴場である『松ノ湯』には、時折ではあるがゼミスさんも同行することがある。
〈イヴェリナ〉に住む人達の感覚では、浴場という物は週に一度か二度程度にしか利用しないものであるから、毎日のように利用するシグレやカエデ達のペースのほうが異常なのだ。カグヤやユーリはシグレ達に毎晩付き合ってくれるが、そちらのほうが例外というものだろう。
『えっと……それで、どのようなご用件でしょう?』
共同浴場に参加する際には、ゼミスさんはカエデに連絡を入れる。わざわざシグレのほうに念話を送ってきた以上、それとは違う用向きがあることは察せられた。
『実は、先程までスコーネ様が当商会にいらしておりまして』
『……といいますと、朝にされていたお話の続きでしょうか?』
『ある意味ではそうとも言えますが……。そちらの関連で、シグレ様と直にお話をさせて頂きたいことが御座いまして。本日はお風呂の後に、皆様でいつも通りに〝バンガード〟でお食事を?』
『ええ、多分そうなると思います』
山菜の納品に合わせて、バロック商会関連の飲食店を幾つかゼミスさんから教えて貰ってはいるので、たまにはそちらへ行ってみるのも良いのだけれど。風呂を出た後には街中も暗くなっているだろうし、初めて訪ねる店を探し歩くには不向きだろう。
あまりバンガードばかりを利用するのもどうかとは思うのだが。バンガードはメニューの種類がかなり豊富な上に値段も安いため、利便性が高くなかなか他に候補を探し出すことができないでいる。
『では、そちらに私もお邪魔させて頂けましたらと思いますわ。宜しければお風呂上がりの頃にでも、一度念話を送って頂けませんでしょうか?』
『そのぐらいでしたら、お安い御用です』
ゼミスさんの頼みを快諾し、忘れないように心に刻む。
どうせ明日も、朝の採取を終えた頃にバロック商会を訪問することになるのだろうから、別に明日でもいいのでは、とも思うのだが。何か急を要するようなものや、あるいは長くなりそうな話でもあるのだろうか。
ゼミスさんは『そちらの関連で』と言っていた。朝にスコーネさんがゼミスさんの元を訊ねていたのは、空いている店舗の利用相談が目的であった筈で―――もしかしてまた、店を借りる気は無いか、という話でも振られたりするのだろうか。
シグレは家を借りたいのであって、店を借りたいのではない。より正確に言えば黒鉄も一緒に利用できる温泉を借りたいだけであって、それ以上のものを求めているわけではないのだが……。
お読み下さり、ありがとうございます。
夏の祭典絡みのあれこれで少々慌ただしくしております。すみません。
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文字数(空白・改行含む):4031字
文字数(空白・改行含まない):3922字
行数:70
400字詰め原稿用紙:約10枚




