90. 増殖
翌朝。シグレと同じ宿に部屋を取ったナナキとシノと共に、二人からも絶賛の評価を貰いながら女将さんの朝食を摂る。天気が崩れていない限りは毎朝採取に出掛けていることを、食事の傍ら二人に告げると、ナナキもシノも即座に同行を希望してきた。
話を聞けば、二人は北門から街の外に出た経験は無いとのことだし、同行して景色を眺めるだけでも悪くない経験にはなるだろう。シノは生産の天恵を〈調理師〉と〈縫製職人〉に絞っているとのことだったが、ナナキは案の定自分と同じ全天恵を取得しているらしいので、折角だしそのまま錬金ギルドでの生産作業に付き合わせるのも悪くないかもしれない。
『鉄華』の前でカグヤと落ち合い、北門を出て〈アリム森林地帯〉のエリアに進入する。道なりに進んで森の中に入り、林道の中で感じる朝の新緑というものは大変気持ちが良く、改めて目が覚める思いがした。
「ここは良い所ですね、兄様」
不意にナナキが告げたその言葉は、〈アリム森林地帯〉を指してのものか、それとも〈イヴェリナ〉という世界全体を指してのものか。どちらにしても、シグレとしては即座に首肯できる言葉だった。
「―――ああ、そうだ。カグヤ、ユーリ」
「……うん?」
「はい? 何ですか、シグレさん」
「ゼミスさんが、採取ついでに山菜を採ってきて欲しいと言っていたのだけれど。自分はその辺の知識が全く無いんだけれど……判りますか?」
すっかり失念していたが、山菜を採ることを思えば今朝はカエデにも同行を頼むべきであったのかも知れない。彼女なら、先日ゼミスさんの所の依頼で山菜採りの護衛として同行した経験があった筈だから、少しはそちらのことについても詳しかっただろうに。
「あ、大丈夫です、判りますよ。詳しいという程ではないですが」
「……私も、少しなら判る」
二人のどちらからも色好い返事が貰えて、内心ほっとする。ゼミスさんにはその場で、あまり期待しないで欲しい旨を告げこそしたものの。色々とバロック商会には世話になっていることもあり、なるべく先方の期待に応えたい気持ちはあるからだ。
「道中で見かけた分だけでいいそうだから、積極的に探したりまではしなくていいと思う。折角だし自分も山菜のことを覚えたいから、見かけたら教えて貰ってもいいかな?」
「はい! お安い御用です!」
「……ん、了解」
二人に教わり植物の特徴を覚えて、〈斥候〉の《地図製作》スキルで位置を把握してさえしまえば、あとは定期的にゼミスさんの元に山菜も一緒に届けることも難しくないだろう。
もちろん、季節の移ろいに従って採れるものも変化していくだろうから、今後も二人には何度も教わる必要があるだろうけれど。
「山菜ですか……良いですね。腕を振るう場所さえあれば、私も個人的に採取して帰りたい所なのですが」
「調理師のギルドか何かで、調理場所を借りたりできるんじゃないかな?」
「可能ですが、ギルドの生産場所には部外者を同行出来ません。せっかく料理を作っても、その場で召し上がって頂くことができないのですよね」
「む、なるほど……。それは困るね」
ギルドは、あくまでも技術の修練施設であるという位置づけなのだろう。部外者が入れないとなると、〈調理師〉の天恵を有している自分やナナキはギルドに登録すれば入れるだろうけれど、ユーリやカグヤを同席させることができなくなってしまう。
皆で採った山菜を、皆で一緒に食べられないというのでは、楽しみも半減してしまうだろう。調理を行える場所が、用意できればいいのだろうけれど……。食事だけの利用も可能であるシグレの泊まっている宿では、いつ客が来るともしれないから、女将さんに頼んだ所で台所を貸して貰うようなことも難しいだろうし。
「……やっぱり、家を借りた方がいいのかな」
「家を借りる、のですか……? 随分と話が飛躍なさいましたが、もしかして何かご予定がお有りなのですか?」
「予定というか、黒鉄や八咫が温泉に一緒に入れるように、温泉付きのそれなりに大きな家を借りようかとは前々から思ってるんだよね。幸い、金額的には問題無さそうだし」
「ああ、なるほど―――。そういえば昨晩の温泉では、黒鉄様はタライのようなものに湯を張って、その中に身を浸しておられましたね」
黒鉄には散々世話になっているし、なるべく希望を叶えたい気持ちはある。
先日ゼミスさんに相談した際に伺った諸々の話などをそのまま伝えると、シノは暫し考え込むような素振りをしてみせてから。
「家屋の管理ぐらいでしたら、私の方で何とかできると思いますが」
何でも無いことのように、そう答えてみせた。
「―――そっか。シノはそっちのプロみたいなものだもんね」
「現実世界とは勝手が違う部分もあると思いますし、上手く出来ない部分も出てしまうとは思いますが。それでも、下手な方を雇われるよりは余程上手く務める自身が御座います」
「なるほど……。もし家を借りた場合は、お願いしても構わない?」
「ええ、勿論で御座います。借家とはいえシグレ様の家ということであれば、シグレ様のメイドたる私が適切に管理するのは当然の義務と言えると思います」
現実世界でシノがナナキに、引いては自分に対してメイドとして仕えてくれていることには、とても感謝しているけれど。別に、その主従関係にこちらの世界でまで縛られなくても構わないのだけれど。
とはいえ、シノの提案はシグレにとっては有難いものだ。当人も嫌がっている様子は全く無く、寧ろ乗り気であるようだし、後ほど山菜などを届ける際にでも改めてゼミスさんに相談してみることにしよう。
◇
ガルゼは臆病な魔物ではあるが、レベルは3と然程低いわけではない。ウリッゴに比べれば突進力も劣ってはいるものの、こちらから攻撃を加えれば申し訳程度に備わっている角を用いて果敢に突進攻撃を行う。勢いはなくとも体躯自体はウリッゴよりも大きい為か、その威力も案外低くはなかったりする。
そうした魔物と戦う上で、レベルが1に戻ってしまっているナナキとシノの事がシグレは気がかりだった。シグレがレベル1の時からウリッゴを狩ることができたのは、カエデという頼もしい味方が居てくれたことと、自身が後衛の術師であったからだ。接敵しなければ攻撃される危険がない魔物であれば、自身が後衛というのはそれだけで有利に働くことになる。
だが、細身の剣を携えているナナキにしても、懐剣を握っているシノにしても。二人とも前衛である以上、敵の攻撃を被弾すれば手痛いダメージを貰うことになるかもしれない。
少なくともシグレは、初戦を終えるまでそう思っていたのだが。―――どうやらその心配は、全くの杞憂であったようだ。
ナナキは身軽い動きで完全にガルゼを手玉に取り、ガルゼの集団と何戦繰り返しても、ただの一撃さえその身に受けることは無かった。それどころか回避する度に《応撃》によるカウンターが繰り出されるため、ナナキが相手をしている魔物は、それだけで着実にHPを奪われていくことになる。
シノに至っては―――完全に〝消滅〟していた。戦闘が開始する瞬間に、ふっと消えるようにシノの姿は見えなくなり、しかし見えないながらもどこかで攻撃行動は行っているらしく、時折まだHPに余裕があるガルゼを一撃の下に葬り去ってみせたりする。
どうやらナナキが〈騎士〉のスキルである《威嚇》で敵の注目を引き、シノが裏方となって隙を晒した敵に致命的な一撃を加える。そういった二人なりの連携のようなものが、どうやら既に出来上がっているらしかった。
苦戦らしい苦戦もせずに、いつもの倍近いペースでガルゼを討伐していく。
二人が充分過ぎるほどに戦力であり、こちらの火力が高いというのがハイペースに狩りを展開している一因ではあるのだが。もうひとつの理由として、渓流沿いの小径を歩いているだけでも、かなりのペースでシグレや八咫がガルゼの群れを捉えてしまうというのがあった。
『―――狩っても狩っても、増える一方な気がするな』
「そう、ですね……。あんまり良くない徴候な気がします」
黒鉄の呟きにカグヤが答える。毎日のように林道から外れ、渓流沿いに森の中へ分け入っているからこそ体感できるが。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日。僅か一日経つ毎に、しかし確実に森林内のガルゼの個体数は間違い無く増殖している。
思えば、護衛として荷馬車の荷台に座った冒険者の人達こそ、幾度となく見かけたことがあったが。林道を徒歩で移動している人や、あるいは林道から逸れて森の中へ入っている冒険者の姿というものは、初対面の時のユーリを除いて全く見かけたことが無い気がする。
林道の傍にまでは、基本的に魔物が出ることが無い。もし林道の傍にまで魔物が出るような時には、既に森林内の魔物が致命的に増えすぎた状態下にあるときだけだ。故に、荷馬車の護衛をするような冒険者がガルゼの個体数を減らすために貢献することはなく、ガルゼを狩るためには常に林道から逸れた場所を探索しなければならない。
「あとで私の方から、冒険者ギルドのほうに状況を報告しておきますね」
「すみません、カグヤ。よろしくお願いします」
カグヤはシグレ達の採取に同行した際、冒険者ギルドの常設依頼として貼り出されている素材を中心に採取するため、街に戻った後は必ずギルドへ納品の為に立ち寄ることになる。クローネさんに念話で報告しようかと考えていたシグレだったが、カグヤが直接ギルドに立ち寄って報告してくれるのであれば、そのほうが適切だろう。
面倒な事態に発展するようなことが、無ければ良いのだが……。
お読み下さり、ありがとうございました。
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