89. ナナキとシノ
「シグレの妹の、ナナキと申します。よろしくお願いします」
「ナナキ様のメイドを務めさせて頂いております、シノと申します。何卒よろしくお願い致します」
共同浴場『温泉・松ノ湯』の入口前にて。ナナキとシノの二人を紹介すると、ユウジとカエデ、そしてカグヤの三人は、誰もが随分と驚いてみせた。ナナキの容姿もさることながら、ことシノの格好は目を引くから無理ないことだとも思う。
「まさか、こっちの世界でメイドを目にすることになるとは……」
「い、いやいや。本来の世界観的には寧ろこっちのほうが、メイドさんが居てもおかしくないんじゃないかな?」
「……お、おお。そういえばそうだな」
「お二人が並んでいますと、どこかの貴族のお嬢様とお付きのメイドさんにしか、見えないですね……」
各人の反応も、案の定シノに対するものが殆どではあった。
完璧なメイドとしての姿、そして立ち振舞い。その二つを兼ね備えているシノの隣に悠然と立っている、ナナキの姿を認めれば、カグヤが妹を貴族のそれだと見紛うのもまた無理ないことだろう。
「まだ、こちらの世界に来て十日ほどの初心者ではございますが。どうぞ色々と、ご教授頂けましたら助かります」
「俺らも別にそれほど長くやってるわけじゃなし、教えられるようなことがあるか判らないが……。こちらこそ、宜しく頼む。俺はユウジ、〈重戦士〉をやってる」
「よろしくお願い致します。……あの、やはり私からも自分の戦闘職を申し上げた方がよろしいでしょうか?」
「そうだな、一緒に組む機会もあるだろうし、聞かせて貰えると有難いが」
「承知しました。えっと、それでは改めて―――ナナキです。レベルはまだ1で、戦闘職は〈細剣士〉をメインに、〈重戦士〉と〈騎士〉。魔法職に〈聖職者〉と〈巫覡術師〉、〈精霊術師〉に〈付与術師〉の4職。あと補佐カテゴリから〈学者〉と〈斥候〉、〈修練者〉を取得しています。どうぞよろしくお願いします」
「………………えっ?」
天恵を列挙するナナキの言葉に、半ば閉口させられながらカエデが微かに驚きの声を上げる。―――無理もない。
「なんというか……。さすがは、シグレの妹さんという感じかしら……」
「そうだなあ……」
ユウジとカエデの言葉に、シグレとしては苦笑するしか無い。
シグレからしてみれば、妹が大量に天恵を取得したのは少々意外ではあったが。もしかすると、自分が取得した天恵の形を何らかの手段で知り得て、それを模倣するように10の天恵を取得したのかも知れない。
妹にしてもシノにしても、二人とも不思議とシグレと同じものを好むような所があるから、それならば納得できるような気がした。
◇
かつての雨降りの日々が嘘であるかのように、最近は朝も夜も連日晴天ばかりが続いている。露天風呂から見上げる月も、満月に少しだけ欠けているのが惜しいと思えるぐらいはっきりと見通すことができ、また月と同じぐらいに明瞭に観ることができる星々も含め、総てが夏らしい風情だと思えるのは悪くない。夏は夜、とはよく言ったものだ。
冬の寒さが僅かに残っていた頃に比べれば、熱い湯に身を浸した瞬間の感動こそ薄れてしまったものの、それでも温泉自体から得られる喜びそのものには何ら変わる所がない。こうして幾度となく溜息を吐きながら肩まで身体を鎮めているだけで、今日一日忙しなく駆け回った疲労が湯に溶け出て洗い流されていくかのようだ。
きっと、今の自分はとても満ち足りた、そして情けない緩んだ表情をしているのだろうなと思う。温泉の魔力には抗うようが無く、こういう顔になってしまうのは仕方の無いことだと思えた。
「脱衣所もワンサイズ上になってくれて、助かったぜ……」
共同浴場の施設内に入った頃には困ったように眉尻を下げていたユウジもまた、今はほっと安堵したような緩んだ表情で、シグレの隣で湯に浸かっている。
ナナキとシノの二人が増えたこともあり、今回はいつもよりサイズが大きい露天風呂を借りたのだが。それが幸いして、脱衣所内は部屋の間を仕切るように脱衣籠を収めた背の高い棚箱が立っており、自然と男性陣と女性陣の間の視線が遮られることになったからだ。
男に見られるのは女性も嫌だと思うのは当然だろうけれど、男からしても女性に見られるかも知れないというのは、普通であれば落ち着かないものだろう。脱衣のタイミングさえ恙無く過ごすことができれば、あとは誰もが全身にバスタオルを巻いてくれるから、あとは洗い場を使うタイミングさえ被らなければ裸を見てしまう恐れもない。
「なるほど-。二人とも一度天恵を再選択したから、レベルが1なんだ?」
「はい。元々はシノが天恵を振り直したいという話で大聖堂に同行したのですが、折角の機会なので私ももう一度決め直そうと思いまして」
「元々は私は生産に〈調理師〉だけを選んでいたのですが、〈縫製職人〉の天恵も取得しなければ服の一着も繕えないことに後になって気付かさせられまして……。裁縫のひとつも出来ぬはメイドの名折れ、今いちど設定し直すしかないと思いまして」
「まだ私もシノもレベルは2でしたので、レベルが初期化されることにも、あまり抵抗がありませんでしたので」
女性陣は女性陣で、既に打ち解け合ったかのように会話に華を咲かせていた。
天恵を10取得していれば、レベルを2にするのでも結構な労力が必要ではあるのだが……。ナナキもシノも、一度何かにハマると没頭してしまう性分であるので、シグレよりもずっと多くの時間を狩場に裂いていたのかもしれない。
シグレも今朝まではレベル2に過ぎなかったわけで、これはうかうかしていると二人にレベルを抜かれてしまう日も早そうだ。
「そういえば先程、ナナキさんは戦闘職の天恵を〈細剣士〉〈重戦士〉〈騎士〉の3つをお持ちと言っておられましたが。全て傾向がバラバラですが、どれをメインに使っておられるのですか?」
「あ、〈細剣士〉がメインです。ですのでレイピアや軽い剣を主に使っています。回避を重視した戦い方をしていますね」
「なるほど。〈重戦士〉の《応撃》を活用しているわけか」
ナナキの説明に、得心したようにユウジが頷く。
〈重戦士〉の《応撃》はユウジのように盾を使って防がずとも、敵の攻撃を剣で弾いたり、あるいは普通に回避した際にも条件を満たすことができ、攻撃してきた魔物に対して手痛いカウンターの一撃を見舞うことができる。
〈細剣士〉が装備するような軽い武器では、それほど高い威力を望むことはできないだろうけれど。―――〈細剣士〉と〈重戦士〉。天恵名から受ける印象が真逆のように見えて、案外相性が悪いと言うことも無いようだ。
「……でも、スペルも使う、の?」
「はい、使いますよ。どれも装備制限が緩い魔法職なので、剣を持ったままで使うことができますから」
ナナキの魔法職は〈聖職者〉〈巫覡術師〉〈精霊術師〉〈付与術師〉の4種。
〈聖職者〉〈付与術師〉の2種には、スペルを使う際の装備制限が一切無いし、〈巫覡術師〉も矢を撃ち出す類の〝射弓スペル〟意外であれば、武器を問わずに行使することができる。〈精霊術師〉のスペルを使うには必ず片手が空いている必要があるが、軽装の片手武器しか使わないのであればこれも全く問題がないはずだ。
〈付与術師〉として、10分間効果が持続する《理力付与》や《生命吸収》、あるいは《小活力》などのバフを自分に掛けながら武器を取って戦うことができ、傷を負えば自ら〈聖職者〉や〈巫覡術師〉のスペルで治療することができる。〈精霊術師〉のスペルである《霊撃》や《縛足》は敵を弾き飛ばしたり転倒させたりすることができるから、前衛として自ら追撃できればより活かすことができるだろう。
(考えられていて、面白い構成だなあ……)
多くのオンラインゲームとは違い、Wikiが用意されているわけでもないのに。よくもまあ、これだけ色々と考えてキャラクターを作れたものだと思う。
「前衛として戦いスペルも使う、か……。どうしてまた、そういうハイブリッドな魔法剣士タイプを選んだんだ?」
「兄様がお好きなんです。何でもできる代わりに結局どこも秀でていないような、そういった器用貧乏なタイプのキャラクターって」
不意に皆の視線がシグレのほうに向けられてきて、思わずびくっとしてしまう。
……確かに、そういうタイプのキャラクターは大好きではある。もしも魔法職を全部セットで取得することが不可能な仕様であったなら、おそらくは自分も殆ど同じような天恵の選び方をしたことだろう。おそらくは望んだ形のものとなるまで、何度となく天恵をリセットしながら好みに合う物を探すべくやりこんだに違いない。
「……間違ってはいないけれどね。でも、ナナキのキャラクターなんだし、そこはナナキ自身が好きなように設定した方がいいんじゃないかな?」
「兄様のお好きなものが、ナナキの好きなものですから」
あっさりとそう言い切られては、とりつくしまもない。
いや、自分で納得した上で選んだのであれば、シグレがとやかく言うようなことでも無いのかもしれないけれど。
「……そういえばさ、ナナキちゃんはシグレの妹で、シノちゃんはナナキちゃんのメイドなんだよね?」
「いえ、正確にはシノは兄様のメイドです。兄様のご厚意で私の方に貸して頂いているだけ、のようなものですね」
「そ、そうなんだ……。ともかくさ、二人ともシグレの後を追ってこの世界に来たんだよね?」
「はい。それは勿論、仰る通りで御座います」
カエデの言葉に、ナナキの隣のシノが頷く。
普段から白いフリルの付いたヘッドドレスを片時も手放さないシノも、さすがに風呂の中にまで着けてくることはないらしい。頭に何も着けていないシノの姿というのは、見ていてなかなか新鮮なものがあった。
「二人とも、どうやって〈リバーステイル・オンライン〉のことを知ったの? 他言無用のルールがある以上、妹さんやメイドさんのような近しい人が相手とはいえ、シグレが話したとは思えないんだけれど」
カエデの問いに、ナナキもシノもぴしっと表情を凍り付かせる。
……盗聴して知った、とは言えないだろうしな。
ナナキに仕えるように勧めてから長いものの、シノは未だにシグレのことを自分の仕える相手だと考えてくれているらしく、シグレに対して隠し事をすることはできても、嘘を吐くことはできない。
シグレが聞いているこの場でカエデに対して嘘を吐くこともまた、シノにとっては許せないことであるのだろう。本来であればナナキに対して助け船を即座に出すであろうシノが、口元までもを凍り付かせたまま、何も言えないでいる。
ナナキはナナキで、あまり嘘が得意なほうではないし、やはりシグレの前で嘘を吐くことを好まない所があり、何も言えないで居るようだった。
「え、えっと……?」
気まずそうに、二人に対して困ったような顔をするカエデ。
カエデからしてみれば、別にナナキたち二人を咎めるようなつもりは全く無く、純粋な疑問として訊いてみただけの言葉だったのだろう。
このまま場が硬直してしまうのは、あまり良くないことだ。
「妹とシノは、入院生活をしている自分を監視してくれているんですよ」
シグレからしてみれば、二人が病室内に盗聴器か何かを仕掛けていることは、随分前から把握していることではあったが。
―――ナナキもシノも、まさか知られているとは思わなかったのだろう。シグレの言葉を聞いて、血の気が引くかのように二人ともさっと顔を青ざめる。
シノの方に至っては小刻みに震えている様子までもが窺えたが、彼女の名誉の為にシグレはそれに見ない振りをした。
「か、監視……?」
「はい。あちらの世界で、自分は一応難病指定の疾患持ちですからね。何かあった時の為に、二人とも自分の状況を把握すべく、病室の状況をモニターしてくれているのですよ」
「そ、そうなんだ……?」
カエデが、ちらりとナナキのほうを窺う。
シグレが総てを判った上で助け船さえ出せば、ナナキにしてもシノにしても嘘を自由に並べることが出来るようになるだろう。
「―――は、はい。それで、兄様に対して〈リバーステイル・オンライン〉の説明を行うスタッフさんの会話を、偶然耳にしてしまいまして」
「ああ、なるほどねえ。それでお兄ちゃんが心配になって、そのゲームについて企業のほうに問い合わせたりしたんだ?」
「ええ、そのような、ものです」
若干、しどろもどろになる部分もあったが。嘘の苦手なナナキにしては、割合上手く言葉を並べられた方だと思う。暫く見ていないうちに、ナナキも少しずつ大人になっているんだな……。
『も、申し訳ありません、シグレ様……』
『兄様。シノは私の命令に忠実だっただけです。……総ての罪は、私ひとりで』
シグレのほうを見ずに、けれど念話で二人から謝罪の言葉がすぐに届く。
ナナキはともかく、シノからこんな切羽詰まった謝罪の言葉を聞かされたのは。おそらく―――これでまだ、二度目のことだろう。
『いいよ。自分の方こそ、知ってたのに黙っててごめんな』
良くも悪くも、情に流されやすく、騙されやすい自分のことを、シグレは自分なりに理解している。理解しているだけで、改めることは全くできなでいるわけだけれど―――。
ナナキもシノも、そうしたシグレの〝危うさ〟を知っていればこそ、何らかの監視装置を自分の病室に対して仕掛けるような行為に及んだのだろう。両親が遺した、一財産と言って良いだけの資産を有しているシグレが、無警戒でありながらも親戚などに奪われることなく今の今まで失わずに居ることができているのは、警戒心の強い二人の助力があってこそのことだ。
―――つまり、総てはシグレの為にしてくれたこと。
なればこそ、二人に対して怒ったりするような気持ちも、叱ったりするような言葉も。シグレは初めから持ち合わせてなどいなかった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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