88. 〈イヴェリナ〉での再会
〈ペルテバル地下宮殿〉での狩りは問題無く終わり、久方ぶりのレベルアップを迎えたことでシグレのレベルは3へと上がった。各種ステータスが大きく向上したのは勿論、総ての職業で新たにパッシブスキルを修得することができたようで、今後は一層狩りが便利になるかもしれない。
その辺の差異を感じながらもう少し地下での戦闘を重ねたくもあったし、レベルが3に上がったら大聖堂の聖典書庫で新たに覚えたいスペルもあったのだが、予定が入ってしまっては仕方が無い。予定通り数戦だけこなしたあとは、すぐに地上へと帰還することを選択した。
最初からゾロゾロと連れたって会うのは逆に困らせてしまうかも知れないと思い、ユーリも含めて同行していた皆とは冒険者ギルドに向かう道すがら、思い思いの場所で別れた。ギルド前まで同行してくれた黒鉄も、事情を何となく察したのか露天巡りでもしてくると言ってきたので、新たに幾らかのお金を渡して好きに街中を探索してきていいと答えた。
黒鉄は出店の肉料理などを食い漁るのが趣味でもあるので、時間を潰すのには困らないだろう。こと出店に限れば、同じ場所で食事を摂ってばかりで居るシグレよりも詳しかったりもするので侮れない。
一時間後という約束はかなり余裕を見てのものであったため、帰り道で一切魔物に絡まれなかったこともあり、寧ろ20分以上早く着いてしまったのだが。妹や志乃の性格から考えれば、もう来ている可能性もある。
シグレのように現実同様の見た目をしていれば声を掛けるのは容易いのだが。折角の機会だし、容姿を変えている可能性は低くなく、髪色のひとつでも変わっていれば判別できないかもしれない。その時は向こうから声を掛けて貰うのを待つか、あるいはクローネさんに連絡を取るしかないだろう。
時間的には、クローネさんは既にギルドでの務めを終えているだろうか。時間外に念話を送るのも多少心苦しいが、事情が事情なので彼女も気を悪くしたりはしないだろう。
(ああ、でも―――)
菜々希はともかくとして、志乃の外見が変わっているのは想像できない。
志乃は自分を〝メイドである〟と決めた日から、外見に関しては常に同じ状態をキープし続けており、そこに拘りがあることは容易に察せられた。ゲームだからといって、彼女は外見を変えるような考えは、おそらく僅かにさえ持つことはないだろう。
……下手をすれば、この世界でさえメイド服を着ているかも知れない。
◇
「―――兄様!」
諸々の心配は、果たして杞憂であったようだ。冒険者ギルドの中に足を踏み入れるや否や、掛けられてくる声があったからだ。
声色もイントネーションも全く同じ、シグレが誰よりも聞き慣れている声。その声を、まさかこの〈イヴェリナ〉で聞くことになるとは、昨日まではまったく想像していなかったことだけれど。
「菜々希。……だよね?」
「そうですわ、兄様。妹の顔をお忘れになりましたか?」
「まさか、忘れるはずがないよ。……ただ、見た目が随分と変わっていたからね」
顔の容や、体躯に関してはシグレが覚えている記憶像と全く同じであるのだが。髪と目の色に関しては、全くの別人であった。
綺麗な金髪に、透き通るような碧眼。髪型はいつも通り二つ結びのおさげ髪にしているが、髪色が黒から金に変わったせいか、顔立ちだけであればいつも以上に幼く見える。学生を思わせるような、整った衣装を着ているために服装だけなら少しは大人びて見えもするのだが……総合的には、やっぱりいつもより少し幼く見えた。
「少し別の自分になりたくて……。いつも通りの儘の格好ですと、兄様に妹としてしか思って頂けない気がしましたので」
「どんな姿をしていても、菜々希は妹だけれどね。……志乃は変わらないね?」
「はい。私はメイドですので」
理由はよく判らないが、その意気は理解出来るような気がした。
仕事に障りの無い短い黒髪に、白いフリルの付いたヘッドドレス。それにメイド服姿も合わさって、普段見慣れている志乃の姿と、その外見は全く変わらないものであった。
とはいえ、こちらはある程度予想もしていたし、寧ろそれ以外の格好で志乃が姿を見せたなら、そのほうがシグレは驚かされただろう。
「……とりあえず、ここではゆっくり話ができないかな」
冒険者ギルドに入ってすぐの位置は、掲示板をチェックしている冒険者から丸見えである。学生の貴族令嬢を思わせる菜々希とメイド服の志乃の取り合わせは、正直言ってかなり人目を引くこともあり、この場所ではゆっくりと会話することもできそうにない。
二階に行ったら行ったで、人目を集めることになるのだろうけれど。冒険者が時間を過ごすために設けられた飲食店で、正しく冒険者である自分たちが利用して咎められることも無いだろう。
「話の続きは二階でいいかな? 冷たい珈琲ぐらいは二人にご馳走するよ。ここの珈琲は、なかなか悪くないと思う」
「はい、兄様の仰る通りに致します」
「シグレ様がそう仰るのでしたら、かなりの物でしょうね」
周囲から集まる視線を潜り抜け、そそくさと二階の『バンガード』まで移動し、アイスコーヒーを3人分注文して空いているテーブルに腰掛けた。
幸い、店内は比較的空いているようで、階下に比べれば人目を集める心配は無さそうだ。炎天下というほどではないけれど、それなりに暑い中を歩いてきたこともあり、渇いた喉を潤せるのは有難かった。
飲み物を口にして一息ついた後、目の前の菜々希と志乃にフレンド登録の要請を送信する。まず拒まれないことは判っていたので、送って良いのかとは訊かなかった。
「ありがとうございます、兄様」
それぞれ二人の名前と共に、要請が承諾された旨のウィンドウがすぐにシグレの視界内に表示された。
「なるほど、名前もそのまま〝ナナキ〟と〝シノ〟にしたんだね」
「はい。兄様から呼んで頂ける名前が、変わるのは嫌でしたので」
「私も同意見です」
菜々希と志乃は現実世界でも毎日のように見舞いに来てくれて会っていることもあり、毎日呼び方が変わってしまうようだと、少なからず混乱したり違和感を覚えてしまうかもしれないから、その辺を斟酌してくれたのだろうか。
有難いとも思うが、気にせず自分の好きに設定してくれてもいいのに。
「そういえば、クローネさんの話に拠れば、二人とも五日ほど前からギルドに訪ねてきてくれていたらしいけれど。……こっちの世界に来ていたのなら、呼び出してくれて構わなかったんだよ?」
「えっと……もし冒険者ギルドに兄様がいらしたら、クローネさんから念話を頂ける手筈になっておりまして。その―――急に登場して、驚かせたかったのです、兄様のことを」
「そうなんだ?」
こうして〈イヴェリナ〉の中で現実同様に顔を合わせているだけで、今でも少なからず驚かされてはいるのだけれど。
ナナキの思惑に乗ってあげられなかったことは、正直残念だった。
「待つのは構わなかったのですが……。クローネさんが仰るには、以前は兄様も毎日のように冒険者ギルドに顔を出しておられたとか。ですので、五日間も姿を見せないで居るとなりますと、少々心配になりまして……」
「ああ……二人に心配させてしまったのなら申し訳ない。最近は近場の〈迷宮地〉や生産に掛かりきりになってて、ギルドの依頼などには全く着手して無かったんだ」
「そうだったのですか。―――〈迷宮地〉、というのは何でしょう?」
「えっと、ダンジョンみたいなものかな」
いつかの日にユウジから教えて貰った〈迷宮地〉の知識を、そのままナナキとシノに説明する。〈ゴブリンの巣〉のことも、そして現在探索を進めている〈ペルテバル地下迷宮〉のことも、自分の知る限りを二人に伝えていく。
「大聖堂の地下にダンジョンがある、という話は司教の方から聞かされておりましたが……。まさかそちらに、シグレ様が行っておられるとは思ってもおりませんでした」
「……あれ? 志乃は司教のライズさんに会ったことがあるんだ?」
「はい、私もナナキ様も、天恵を変更したことが有りますので。その際に大聖堂のほうには立ち寄らせて頂き、司教のライズ様からお話を伺っております」
大聖堂には毎日通っているから、もしタイミングが会えばそちらで会うようなことも有り得たのかも知れない。
きっと偶然大聖堂で二人に会ったりしたら、さすがにシグレも驚かずにはいられなかったことだろう。
「その〈迷宮地〉という場所には、私達もご一緒して宜しいのでしょうか?」
「〝死ぬ〟ことになる危険性が低くない所になるけれど、それで構わないのなら。体験したことはある?」
「まだありません……が、多少の痛みぐらいは、覚悟の上ですので」
痛覚は、戦闘を正しく体感する上で必要なエッセンスなのだと、シグレも今では充分に理解出来た気がする。設定を弄れば痛覚を感じないようにもできるらしいが、それは真っ当な楽しみ方ではないだろう。
本人にその覚悟があるのなら、無論厭うつもりはない。臨場感の中では、痛みも相応のものとなって感じられるが、別に我慢できない程でもない。
「じゃあ、明日のお昼からでもいいかな? あと良ければ今夜二人に、よく一緒に狩りや探索をやってる仲間を紹介したいんだけれど」
「勿論、お付き合い致しますわ。兄様とご一緒する機会の多い皆様とは、是非私も知己を得たいと思いますので」
「私もお邪魔でないようでしたら、是非お願い致します」
「邪魔なんてことは、勿論無いよ。ただ、最近はいつも夜の7時ぐらいからになるから、時間が半端に空いちゃうけどね……」
現在の時刻は既に午後5時前頃になっているから、7時までとなるとやや中途半端に空き時間が出来てしまうことになる。1時間程度であれば『バンガード』の中で話し込んでいればすぐに経ちそうなものだけれど、2時間となると却って時間を潰すのが面倒そうだ。
「でしたら宜しければ、兄様がご滞在なさっている宿へ案内して頂けませんか?」
「宿に? それは構わないけれど……どうして?」
「兄様の同意さえ頂けますようでしたら、同じ宿で私と志乃と、三人で部屋を取り直したいと思いまして。……あちらの世界では、兄様と一緒に住むことも叶いませんでしたし……」
それを言われると、シグレとしては申し訳ない限りだった。
本来であれば家族というものは同じ家に住むべきで、兄弟という物は同じ環境下で育つべきものであるからだ。だというのに、自分は居心地が良いことを理由に入院生活から逃れる意志さえ持たず、妹であるナナキと同じ家で過ごした時間を、さして長く持っているわけでも無かった。
生前の父母に入院を勧められた時、飛びついたのはシグレの意志だった。恨みがあるわけでもないが、尊敬するべき部分を何一つ持ち合わせていない両親とは、別に在宅療養という道を選んだとしても会う機会など殆どありはしない。そういう意味では、特に入院に拘る必要があったわけではないが―――。
しかし下手に在宅療養ということになれば、その負担はメイドである志乃に行くことになるのは明白で。志乃からすればそれも仕事のうちであるし、嫌とは言わないだろうけれど―――金銭の授受があるとはいえ、自分より年下の稚い少女に、負担を押しつけるようなことはしたくなかった。
在宅療養と言えば聞こえは良いが、実質は在宅介護と何も変わらないのだ。
兄らしいことを何もしてやれなかったことを、申し訳なく思う。
それが妹の望みであるなら、叶えてやりたいが……。
「既にいま三人部屋を借りてるから、それはちょっと難しいかも……」
「そうなのですか? 狩りなどをご一緒されている方と、共同で部屋を借りておられるということでしょうか?」
「うん、ユーリって子と一緒に部屋を借りてるね。自分もユーリも〈召喚術師〉の天恵を持ってるから、互いの使い魔も一緒に暮らしてる」
「なるほど……。使い魔も一緒となりますと、大きな部屋が必要なのでしょうね」
黒鉄にしても八咫にしても、あまり無駄に動き回るのを好む性分ではないので、実際は案外そうでも無かったりはする。率先して床で寝ようとする黒鉄にベッドを一台押しつけたのは、あくまでもシグレの意志だ。
「その同室のユーリ様という方は、女性なのでしょうか?」
「あ、うん、そうだよ。年齢を訊いたことはないけれど、現実換算でならナナキやシノよりも少し年下なんじゃないかなって思う」
「……使い魔がいらっしゃるとはいえ、年下の女性と二人暮らしなのですか?」
シノの言葉に、ナナキの表情がぴしっと固まる。
シグレ自身が望んでなったことで無いとは言え、それを突かれると痛い。ユーリと共に暮らしているのは、結果として彼女の保護者のようなものになってしまった責任を果たすためであり、決して他意のあるものではないのだが―――。
「……そう。私はシグレと、ふたり暮らし」
不意に傍から掛けられてきた、その声。
振り向けば、そこに居たのは杖を握ったローブ姿の少女。話に出ていた、ユーリ本人であった。
「ユーリ……。工房に行ったのでは無かったのですか?」
「……そのつもりだった、けれど。シグレに《固定化》を手伝って貰う必要がありそうだったから、来ちゃった」
―――来ちゃった、って。
いや、二人にユーリのことを説明するには、本人が居てくれた方が早いけれど。
「兄様。その子が同室の方ですか?」
「あ、うん。紹介するよ。この子はユーリ、同じの宿の部屋に住んでる」
「……初めまして。私は、ユーリ。〝銀梢〟としてシグレと契約している」
「その〝銀梢〟というのは、何でしょうか?」
銀梢、という単語はあまり一般に通じるものではない。キャラクター作成の際に〝銀術師〟については説明を受けているかもしれないが、初期種族として選択できない〝銀梢〟のことまで、わざわざスタッフの方も説明したりはしないだろう。
ナナキに問われて。ユーリはどう答えたものか、考え込む素振りをしてから。
「えっと……。シグレの、奴隷のようなもの?」
僅かな間を置いてから、はっきりとそう口にした。
「―――兄様。少々お話があるのですが?」
「―――シグレ様。私も少々、お伺いしたい旨がございます」
明らかに笑っていない笑顔を浮かべながら、突如として詰め寄ってきた二人の。その誤解を適切に解くためには、果たしてのように事情を説明すればいいだろうか……。
お読み下さり、ありがとうございました。
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