86. 勇姿
魔物を視界内に捉えてから先制のスペルを撃ち込む―――そうしたシグレの思惑は、けれど容易く打ち破られてしまった。
こちらのアンブッシュを看破しているかのように、先方の小部屋から廊下に向けて撃ち放たれてきた二条の電撃が、幾何模様を描くかのように廊下の壁に幾重も反射しながらシグレ達の一行を襲う。廊下自体はそれほど狭いものでないとはいえ、目まぐるしく反射を繰り返す二本の電撃を躱すのは至難の業であり、背の低い黒鉄を除く全員がその洗礼に捉えられてしまった。
「―――ぐうッ!」
シグレ自体には殆ど痛みもダメージも無いのだが、それは偏にカエデが身代わりになってくれているお陰である。自分自身が被った被害に加えて、シグレとユーリの分を加えた三人分のダメージを負ったカエデは、電撃という抗い難いその痛みに歯を食いしばりながら呻きの声を上げた。
「―――《小治癒》!」
「……《軽傷治癒》!」
ここ数日、地下での狩りを毎日のように続けたことでカエデのレベルは7にまで上がっているのだが、最も堅牢な〈騎士〉である彼女のHPでさえ、三倍ともなれば一気に危険域にまで押し込むほどの威力となる。
慌ててシグレもユーリも、自らの身代わりとなってくれたカエデに治療魔法を掛けるものの、その回復量は失ったHPを充分に埋めるものではない。
「―――《小活力》!」
《小活力》は付与術師のスペルで、10分間対象者のHPを徐々に回復させる状態にするバフを与えることができる。効果時間が長い代わりに、その回復速度があまり速くないという難点はあるが、他の治療魔法と併用すれば小さくない差となって現われる。
強力なスペルは得てして再使用時間が長めに設定されているものだ。暫くはこの雷撃が来ないことを祈りながら、ユウジを戦闘にシグレ達は先方の部屋へと突撃を敢行する。このまま廊下に留まっていても、視界内に見えない対象へ攻撃する手段を持たないシグレ達が、一方的に不利な状況に陥り続けるだけだ。
『……ごめん、もう大丈夫!』
カエデもまたユウジに続いて突撃しながら、ポーションを服用して残りのHPを全快させる。彼女の残りのHPを補填すべく《軽傷治癒》のスペルを行使しかかっていたシグレは、慌ててそのスペルを中断して次の行動へと備えた。
(これは、不味いな……)
部屋に布陣する魔物の構成は、《千里眼》で事前で確認した通りスケルトン・ウォリアーが3体にハッグが2体。スケルトンが前衛としてしっかりと壁を形成しており、その背後でハッグ2体が既に何かのスペルの詠唱状態に入っている。
治療魔法は初級のものであっても、再使用時間が攻撃スペルの2倍近く長い。先程はカエデの治療に手一杯でユウジの回復を出来ていないこともあり、再び全体攻撃系のスペルでパーティに大きな被害を被れば、立て直すこと自体は出来ても、その後が続かなくなる可能性が高い。
何としても、ハッグのうち少なくとも片方のスペルを止めなければならない。
「―――《衝撃波》!」
《捕縛》で拘束し、杖を取り落とさせることも考えたが、単純に詠唱を妨害するだけであれば詠唱時間が無く、かつ魔物に対して即作用する《衝撃波》によりノックバックで弾き飛ばしてしまう方が早い。
《衝撃波》のスペルで弾き飛ばされたハッグの片方は、さすがに自分の身体を2メートル近く弾き飛ばされてまで詠唱を続けることはできず、起き上がると杖を構えて新たにスペルの詠唱を開始した。
できればもう片方のハッグの詠唱も止めたいが、《捕縛》の詠唱には5秒かかる。そんな悠長なスペルの詠唱を今更開始する余裕は無いだろう。《衝撃波》と同様に敵を弾き飛ばすことができる《霊撃》は、詠唱の手間無く即発動が可能だが、召喚した名も無き精霊が敵に着弾するまで少し時間が掛かってしまう。
「彼の魔物達を抗えぬ深淵へと導け……《眠りの霧》!」
次の手として何のスペルを行使すべきか。逡巡するばかりで踏み出しきれなかったシグレよりもかなり後方から、ユーリのスペルが行使される。
《眠りの霧》の詠唱時間は6秒と短くないのだが、おそらく部屋に足を踏み入れた瞬間から即座に詠唱を開始していたのだろう。詠唱は完成し、ハッグのスペルよりも先んじて効果を発動する。
―――かに思われたが。どうやらタイミングを同じくしてハッグのスペルもまた完成してしまったらしい。ユーリのスペルが敵集団を白い霧で包み込むのとほぼ同時に、シグレ達のほうもハッグが行使したスペルにより吹雪の渦で呑み込まれた。
「―――《軽傷治癒》!」
巻き起こる氷片と強風で視界が薄らとしか見確かめられない中、けれどカエデのHPバーがじりじりと削られていく表示だけがはっきりと視認できる。ぼんやりと見えるカエデに向けてシグレは迷わず治療魔法を放つが、回復させた分の幾許かのHPは、1秒と持たずにダメージに呑み込まれてしまう。
それでも、無駄ではない。数秒間は続いた吹雪が収まった時点で、カエデのHPを何とか最大値の半分程度は留めることができた。
(もう片方のハッグにも撃たれていたら、やばかったな……)
倍のダメージを受けていれば、さすがにカエデも持たなかったろうし、回復の支援を受けられずに孤軍奮闘しているユウジでさえ、あまり余裕が無い状況に追い込まれたことだろう。結局、脅威となるスペルを有する魔物に対しては、撃たせないことが最大の戦略となりそうだ。
その肝心な脅威として認めざるを得ない魔物であるハッグは、吹雪の直前にユーリが間に合わせた《眠りの霧》により、二体とも睡眠の状態下にあった。
睡眠状態に陥った敵は、攻撃を加えない限りはそうそう目を覚ますことがない。レベルが格段に上がったとはいえ、スケルトン・ウォリアー3体だけであればユウジとカエデにとっては苦戦するような相手ではなく、既に3体のうち2体を二人が瀕死状態にまで追い込んでいた。
シグレも弓を構え、引絞った弦の中に《破魔矢》のスペルを番えることで、二人の戦闘に加勢する。ハッグの二体に手を出すのは、ユウジとカエデの二人を全快させてからでも遅くないだろう。
◇
「―――じゃあ、あの魔女はアンデッドじゃなかったのか?」
魔物達に機先を握られたことで、予想外に苦戦した地下二階での初戦。その戦闘を終えた後、呼吸を整えながらユウジがそう問いかける。
「余裕がありましたので先程試しに《小治癒》のスペルを撃ち込んでみた所、普通にHPが回復していたようですから、間違い無いと思います。おそらくは精霊や怪物―――といった括りの魔物、なのかもしれませんね」
「……なるほどな。それで睡眠は効いたってわけか」
「睡眠は睡眠で便利だから、痛し痒しって所かもねえ……」
アンデッドには眠りが効かない。昨日ライズさんと大聖堂の廊下で偶然すれ違い、その際に少し会話を交わしたのだが。会話の中でライズさんにそのことを訊いてみた所、それはどうやら間違い無いらしい。
アンデッドとは、死により本来導かれる筈の甘き眠りから、何らかの理由によって逸してしまった存在であるのだという。死という眠りそのものから免れ得ている魔物に、どのような形のものであれ〝眠り〟が通用する筈が無い―――ライズさんが言うには、そういうことであるらしい。正直、判ったような判らないような、何とも微妙な感じではある。
《眠りの霧》は範囲対象のスペルであるから、アンデッド群の中にハッグが紛れ込んでいても、特に対象を視認せずにとりあえず行使できるから便利ではある。難点は勿論成功率の低さで、今回はたまたま二体とも眠ってくれたから良かったものの、次からもこう上手くはいかないだろう。
「カエデには、負担を掛けっぱなしですみません」
『……ごめんなさい、カエデ』
「あー、いいっていいって。役に立てるのは私も嬉しいし、さ」
魔物のスペルに全員で巻き込まれては一気にHPを奪われ、そしてシグレとユーリのスペルによりHPが回復させられれば、また魔物のスペルにより大ダメージを受ける。HPが激しく乱高下する状況というのは本人にとって落ち着かないだろうし、何より彼女は相応の痛みを負っている筈だった。
制限されている痛みとはいえ、臨場感のある戦闘の最中に受ければ相応の痛覚となって感じられる。自分で受ける分には何とも思わないが、その負担をカエデに押しつけているのだと思うと、少なからず申し訳ないと思う気持ちがあった。
「やっぱり〈騎士〉っていうのは、味方を護れて初めて〈騎士〉なんだよねえ。ちゃんと二人を護れたのなら、私は遣り甲斐もあって楽しいかな」
シグレもユーリも、吹けば飛ぶような程度のHPしか有していない。いま二人がこの場に立っているのは、間違い無くカエデのお陰であった。
「……頼もしいですね、カエデは」
「あははっ。どんどん頼っちゃっていいのよー?」
快活なカエデの笑顔を見ていると。物理的にも精神的にも、実際カエデに随分と頼りきってしまっている自分のことに、改めて気付かせられるような気がする。
この〈イヴェリナ〉の世界で初めて体験した戦闘の時から。自分よりも前に立ち、魔物を相手に一歩も怯まず戦う彼女の勇姿を、シグレは見てきている。
カエデに助けられるのと同じぐらいに。カエデを助けられる自分で在らなければならない。仲間というのはきっと、そういうものだろうから。
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