85. 地下二階
「―――《破魔矢》!」
スペルによって生成される矢が、シグレの構えた練魔の笛籐に番えられた形で現れる。あとは引絞った弦をそのままに放てばよく、大きく右上方向に逸れて打ち出された矢は、けれど強い誘導性に引かれた弧を描いて最後に残ったゾンビドッグに命中する。
既にユウジとカエデの攻撃によって虫の息であったゾンビドッグは、すぐに光の粒子となって掻き消えた。
「もう、あんまり苦戦しなくなっちゃったねえ」
「そうですね……」
カエデの言葉に、シグレも同じ気持ちで頷く。少なくともカエデやユウジ、ユーリが同行してくれている場合に限れば、地下一階の魔物を狩るのには苦労をすることも無くなっていた。
地下一階で出現する魔物のバリエーションがそれほど多くないこともあり、一度それぞれの魔物に有効な対策が判明してしまえば、あとは同じ方法での対処を繰り返すだけである。
スケルトンやゾンビドッグはそもそもカエデやユウジが難なく倒してしまうし、レイス・マジシャンは《捕縛》で動きを封じてしまったり、あるいは《軽傷治癒》や《破魔矢》のようなアンデットに対して有効なスペルをユーリと共に撃ち込むことで先んじて倒してしまえばいい。
レイス・ウォリアーも、黒鉄用にカグヤに頼んで誂えた銀の懐剣が大変に有用で、この武器であれば通常の武器同様にレイスを傷つけ、怯ませることができた。この結果を確かめて、早速ユウジとカエデの二人もそれぞれ銀製のショートソードと銀製の穂先を用いたショートスピアを1本ずつカグヤに発注した。
黒鉄を含めた前衛全員に銀の武器が渡ってしまえば、結局の所レイスも普通の魔物と変わらない。盾で攻撃を防ぐことができないため、レイスを交えた何体もの魔物に囲まれた場合などにはユウジもさすがに苦戦する様子を見せたが、そうした場合でも詠唱の20秒間さえ持ちこたえてさえくれれば、あとはシグレが《業火》で総てを焼き払ってしまうことが出来た。
八咫によって描かれた地下一階の地図も、既に踏破率は50%を超えてしまった。地下二階へ繋がる階段も、西側のものは既に発見してしまっており、地下一階の魔物に苦戦することが無くなってしまっている以上、地下二階へ降りてみようという話が、誰の口からともなく生じるのは自然な流れでもあった。
「確か、地下二階の魔物のほうが、貢献度が多めに手に入るんだったか?」
「ええ、そのように司教さんから聞いています」
ユウジの言葉に、シグレは頷きながら答える。
「獲得できる貢献度は、討伐した魔物レベルによって決まるそうです。地下二階であれば、相手によって多少差が出てくると聞いています」
「なるほど。だったら肩慣らしも充分だろうし、予定通り行ってみるとするか。魔物のレベルが高い方がドロップ品も良くなるだろうし、おそらくは宝箱の中身もそちらのほうが期待できるだろう」
「この面子であれば、多少の無茶もできるしねー」
隣を歩くユウジに当たらないよう、器用にぶんぶんと槍を振り回すカエデ。
難易度の高いエリアに挑むというのは、彼女にとっても滾るものがあるらしい。意気揚々といった様子で、その足取りは頼もしい。
安全な狩りというのも悪くは無いが、やはり危険度が高い狩りというのも、それはそれで魅力的なものではある。……こんなことを言うと、またカグヤに怒られてしまうかもしれないけれど。
◇
ユウジの盾に《発光》のスペルだけを掛け直してから、地下一階エリア西端の階段を下りていく。
三十段ほど降りて折り返し、もう三十段ほど降りて到着した地下二階に入って最初の部屋は、階段に侵入する前の部屋と全く形状をしていた。もしかするとこの階も、地下一階と全く同じような部屋の配置をしているのかもしれない。
幸い、最初の部屋に魔物は居ないようだった。代わりに、北・東・南いずれの方向の先にある部屋からも、シグレの《気配探知》には魔物の気配が伝わってくる。特に東側の部屋はかなりの数が集まっているようだ。
「八咫、お願いしていい?」
『―――心得ました、大旦那様』
ユーリの使い魔である八咫に地下二階の探索を頼み、シグレもまた《千里眼》のスキルを駆使して視界を飛ばし、周囲の部屋を順に探っていく。
魔物の多そうな東側はさておき、北側の部屋を視認してみると。早速、いかにもな杖を持っている、厄介そうな魔物を見かけた。
「北の部屋に杖を持った魔物が居ますね。名前はハッグ、レベルは12です」
「―――ハッグ? もしかして老婆の姿をしていたりするか?」
「ええ。背の低い老婆で、爪が長いですね。ご存じなのですか?」
視界を飛ばしたまま、ユウジに声だけで問いかける。
「北海辺りの伝承に出てくる精霊―――だったかな。ちとうろ覚えだが。いわゆる〝魔女〟と聞いて連想するイメージの原型とされているものだな」
「なるほど。……レベルも高いし、厄介そうですね」
言われてみれば、確かに〝悪い魔女〟という単語から真っ先に連想しそうな外見をしている。そのまま『ヘンゼルとグレーテル』などの物語に配役されても、全く違和感が無さそうだ。
地下一階の魔物のレベルが4から6の間だったこともあり、魔物のレベルは一気に倍増したことになる。その杖からどのようなスペルを放ってくるのかは判らないが、魔女のイメージの通りであるなら間違い無く面倒なものを色々と使ってくるのだろう。
「北側は大部屋ですが、そのハッグという魔女が2体居る他には、スケルトン・ウォリアーが3体居るだけですね。但しスケルトンのレベルは10に上がっていて、手に持っている剣と盾がどちらも少し立派になっている気がします」
「5体か。手頃ではあるが……他の方向はどうだ?」
「東側は小部屋なのですが、部屋に入りきらないぐらい魔物が溢れてるので論外という感じです。南側は―――西洋甲冑の見た目をした魔物が8体居ます。鎧の中身が無くて、甲冑だけが独りでに動くような魔物ですね。武器は両手剣で、魔物の名前はホロウ。レベルは11です」
「いわゆる〝動く甲冑〟なのかな。ゲームでは定番だよねえ」
衛兵の方から事前に話を聞いていた魔物であるし、その姿も想像通りではあったのだが。しかし実際に《千里眼》で姿を目にしてみると、その迫力ある威容にはなんとも圧倒されるものがある。
そもそも西洋甲冑というもの自体が、調度品として見ても迫力のある一品であるのだ。しかしその鎧がわらわらと合計8体も、しかも大振りな両手剣を携えて闊歩しているというのだから―――思わず、軽く冷や汗をかいてしまいそうな。圧倒するような威圧感があった。
「戦ってみたい気もするが……さすがに能力が判らない魔物相手に、8体同時というのは辛いか。ここは北側のほうから回ってみるとしよう」
「了解です」
北側の廊下のほうへ歩みながら、シグレは内心で作戦を考える。
妥当な手段としては、やはりハッグの1体を《捕縛》で無力化してしまうことが挙げられるだろう。成功するかどうかは賭けになるが、そう分が悪い確率でも無いように思える。
《目眩まし》はハッグには効くかも知れないが、スケルトンにはおそらく効かない気がする。何しろ、頭の部分には頭骨があるのみで目玉が無いのだから。
『……シグレ。そのお婆さんには、《眠りの霧》が効く?』
「えっと―――どうでしょうね。アンデットであれば効かないかもしれませんが、精霊や動物扱いであれば効くのかもしれません。一度は試してみるのも、悪くないかもしれませんね」
『……判った。私はそうしてみる』
確かに、もし効くのであれば地下一階では全く出番がなかった《眠りの霧》も有用だろう。睡眠に陥った敵は攻撃を加えれば起こしてしまう可能性があるが、逆に言えば攻撃さえ加えなければ長時間無力化状態を継続することができる。
―――と、そんな事を考えていた最中。
不意に《気配探知》による敵の位置情報が揺らめいたことに、シグレは気付いた。
『魔物に気付かれたかもしれません』
『……おおっと、了解!』
念話で仲間に警告だけ告げてから、すぐに目の前の方向へ《千里眼》を飛ばす。
大部屋に位置していた5体の魔物が、明らかにシグレ達が居る方向を警戒しながらその距離を詰めてきている。―――こちらの存在に気付かれていることは明白だった。
『スケルトンを前衛に詰め寄ってきています。このまま廊下で戦闘に突入しましょう』
『わかった! ユーリ、どっちかの付与を頂戴!』
「名も無き万象の荒ぶる力よ、炎熱となりて彼の武器へと宿れ……《炎纏》!」
要請に応じて、ユーリがカエデの武器に炎を宿らせる。
《炎纏》の消費MPは《理力付与》よりも大きく、効果時間も短いが、そのぶん追加で与えることができるダメージ量は《理力付与》に比べれば大きい。短期決戦に持ち込むならそちらの方が有用であるとユーリは考えたのだろう。
シグレも彼女の判断に倣い、ユウジの剣に《炎纏》のスペルを付与する。
《捕縛》の呪文を心の中で準備しながら、視界に魔女が映る瞬間を待った。
お読み下さり、ありがとうございました。
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