72. 秘術師ギルド
秘術師ギルドは冒険者ギルドなどの他の主要な施設と同様、マップには最初から位置が記されていて、それは街の北東部郊外に程近い場所にあった。
例によってシステム的な補助を受けながら、殆ど感覚的に秘術師ギルドまでの道のりを歩くと、街の中心部から離れるに従ってどんどん街並みが寂れていくのがどうしても目に付いてしまう。
外の街道へ通じる門がある場所であれば、都市の外周部であっても中央部に次ぐ活気があるのを何度も見てきているが、〈陽都ホミス〉の都市外へ通じる門は東西南北の四箇所にしかない。門がない方角の外周部というのは、こんなにも差がある物なのか―――街の景色や、街並みを歩く人の姿格好を見ながら、シグレはしみじみとそう思った。
ただ、いわゆるスラムのような酷い状況とまではなっておらず、道が妙に狭く入り組んでいるのは少々気になるが、街の中央部に比べると巡回する衛兵の姿をよく見かけることもあり、治安面では特に問題がないようだ。それでも見目に判るほど中央部に比べて活気が無く寂れた景色であるように見えるのは、単に主要な居住者層の所得差があるからなのだろう。
(ここ、なのか……?)
そうした街並みの一角、いかにも普通の家のような建物の前でシグレは立ち止まる。マップに記されている秘術師ギルドの位置が正しいとするなら、この場所で正しい筈なのだが……。目の前にはいかにも小さな、一軒の普通の石造りの民家が建っているだけである。
扉は閉められ、ギルドであることを示す看板も掛かってはいない。本当にここで合っているのだろうか……と訝しく思うが、周囲にそれらしい建物もなく、近くの別の建物と間違っていると言うことも無さそうだ。
(ユーリの同行を、断らないほうが良かったかな……)
黒鉄とユーリには、自分がギルドで諸手続をしている間きっと退屈させてしまうと思い、その同行を断って来たのだけれど。こんなにも判りにくい建物であるのなら、付いてきたそうにしていたユーリを拒まない方が良かったかも知れないと今更ながらに思う。
とりあえず、この建物の中に誰か居るなら話だけでも聞いてみるべきだろう。そう思い、目の前のドアをコンコンと数度ノックして暫く待ってみる。
すると、暫くの間があってから。随分と伸びた無精髭を湛えた、現実換算で三十代後半ぐらいの男性の顔が、開かれたドアの隙間からにゅっと飛び出してきた。
「……何だ?」
「え、っと……。こちらは秘術師ギルドで、合っていますか……?」
その奇妙な対応に、やや混乱させながらシグレはそう訊ねてみる。
訊いておきながら何だが、全く合っている自信は無くなかった。
「天恵は持っているか?」
「はい」
「……なら入れ。ここがギルドで合っている」
ドアを開けてくれた男性に促されて、ギルドで合っていたらしい建物の中に入ると。そこには、ひとつのテーブルの上に洗っていない食器と鍋とが乱雑に置かれており、部屋の隅には洗っていない物と思われる洗濯物が散らばっており―――ギルド施設とは全く思えない、いかにも男の一人暮らしといった趣の、生活感のある部屋が狭いながらに一面に広がっていた。
正直、あまり長居したい場所では無いような気がする。
「悪いな、汚い場所で。おまけに茶も出せやしない」
「それは構いませんが……ここが本当に、秘術師ギルドで合っているのですか?」
「変なこと言う奴だな、ここがギルドだと判ってて来たんだろ? ―――ま、お前さんの言わんとしていることもよく判るがな」
ガハハと豪快に声を上げながら、男性は酷く愉快そうに笑ってみせた。
少し酒臭いが、まだ陽がようやく天頂に差し掛かったようなこの時間から、既に飲んでいたのだろうか。
「俺はカーバンと言う。一応、この街の秘術師ギルドを管理している」
「シグレです、よろしくお願いします」
「悪いがギルドカードを見せてくれ。天恵の有無だけは確認しとかなきゃならない決まりになってるんでな」
要請通りにシグレが〈インベントリ〉からギルドカードを取り出し、手渡すと。
カーバンさんはそれを見て、ほう、と感嘆の声を漏らしてみせた。
「名前はシグレか。随分と愉快な天恵をしているな、苦労も多いだろう?」
「よく言われますが、自分は楽しんでいますので」
「そうかい。本人が楽しめるんなら、良い天恵なんだろうな」
シグレの目の前にあるテーブルの上に、カーバンさんの手から4冊の小さな冊子が乱雑に投げ置かれる。
何度か見たことがあるからシグレも知っているそれは、〝封印された秘術書〟に間違い無かった。
「ギルドの登録料は2,000gitaだ。払えるか?」
「大丈夫です」
「なら、この4冊は持っていっていい。初めて〈秘術師〉を志す奴には、支援としてまず4冊の秘術書が与えられることになっている。〈秘術師〉の天恵があるなら、この秘術書を読み解き、そこに記されたスペルを自分の物にすることができるだろう」
意識して〈インベントリ〉から2,000gitaを取り出し、カーバンさんに手渡す。
代わりにテーブルに置かれた4冊の秘術書を受け取り、〈インベントリ〉の中へと収納した。ここで読むのは難しそうだし、あとで部屋に戻ってから読み解く方が無難だろう。
「魔術師タイプの魔物と戦った経験はあるか?」
「あります。以前、ゴブリン・シャーマンと戦ったことがありますし……ああ、今朝もレイス・マジシャンとも戦いました」
「ほう? お前もなかなか珍しい奴だな。〈地下宮殿〉に潜っているのか?」
「今朝初めて潜りました。マジシャンの相手をする前に、隣に居たレイス・ウォリアーからあっさりと斬り殺されてしまいましたが」
「ははっ! アイツは魔法職の天敵みたいなもんだ。〝羽持ち〟で良かったな? 本来ならやり直しなんて利かないものだからな」
「それに関しては、反論の余地もありませんね……」
〝羽持ち〟なればこそ、前情報を然程仕入れることもなく無策で突撃した部分も当然ありはするのだが。
その結果、きっちり敗北させられているのだから世話がない。
「話が少し逸れたが、魔術師タイプの魔物というのは大抵、そこそこの確率で秘術書をドロップする。いまお前さんに渡した4冊の秘術書で満足できなくなったら、魔術師タイプの魔物を積極的に狩ることでレパートリーを増やすこともできるだろう」
「……では、スペルスロットのほうは、どうすれば増やせますか?」
「未鑑定の秘術書を、このギルドに4冊寄付すれば5枠に増やしてやれる。寄付だから代金などは一切出せない。この形で受け取った秘術書は、今後新たに〈秘術師〉を志す奴の、最初の支給品に充当されるだろう。それ以上も望むなら、6枠目以降は1枠解放する毎に10冊の寄付が必要になるな」
「なるほど……」
案外楽なようにも思えるが。未鑑定でなければならない、というのが地味に痛い条件であるようにも思う。読み解いた結果として必要なさそうな秘術書を寄付する、ということは出来ないわけだ。
「既に読み解き、内容を明らかにした秘術書。及び、それから内容を書き写した写本。これらは〈秘術師〉同士で交換したり売買したりする分には、好きにやって貰って構わん。但し〈秘術師〉というのは本来、その名の通り己の扱える術を秘匿するものだ。―――やるなら、こっそりとやれ」
「……判りました」
「次から、ここを訪ねるときは俺に念話をくれ。他の客が来てないときしか、客を入れないことになっている。〈秘術師〉の中には、己が〈秘術師〉の天恵を有していることを隠したい奴も居たりするからな。……最も、〈秘術師〉は魔物から秘術書を調達し、自分で勝手にスペルの登録を書き換える職業だ。あまりギルドに来る用事というのも無いだろうが」
「了解です。何か個人的に判らないことなどができましたら、カーバンさんに念話でお訊ねしても?」
「それぐらいは構わんぞ。但し、何回か利用したら酒ぐらいは奢れ」
「そんなことで宜しければ」
最初は、豪放で無頓着な男性なのかと思ったが。話してみると、なるほどカーバンさんがギルドを任されるだけの人物であることは理解出来てくる。
酒を奢る程度の安い報酬で相談が許されるのなら、願ってもないことだ。
「……シグレは、今後も大聖堂の〈地下宮殿〉に通うつもりなのか?」
「一応、そのつもりです。明日も早速、友人と一緒にもう一度行くつもりですが」
「その〝友人〟というのは、前衛か?」
カーバンさんの問いに、シグレは頷いて応える。
ユーリは違うが、ユウジもカエデも、そして黒鉄も前衛には違いない。
「なら、ちょうど俺の手元に悪くない秘術がある。そうだな―――3,000gitaで写本を譲ってやろう、買わんか? 無論これはギルドとしてではなく、俺の〈秘術師〉としての個人的な提案だが」
「ふむ……。どのようなスペルかは存じませんが、有難い提案です。是非買わせて下さい」
「おう。もし役に立たなかったら金は返してやるよ」
〈インベントリ〉から3,000gita分の銀貨を取り出し、渡す代わりに1冊の写本を受け取る。
どのような秘術なのか、説明してくれないので何も判らないが。例えどのようなスペルであったとしても、写本一つの購入対価として3,000gitaというのは、決して高く無いものであるように思えた。
「ま、頑張ってこい。―――明日の狩りが上手くいったら、一杯奢れよ?」
「判りました。では、もし上手く行かなかったら愚痴りますからね?」
「ははっ、怖い怖い。ま、そのぐらいは付き合ってやろう」
受け取った写本を〈インベントリ〉に収納しながらそんなことを言ってみると、愉快そうにカーバンさんは笑って応えてみせた。
収納する傍ら、脇目に見た写本のタイトル部には。暗い部屋の中であっても『炎纏』という文字が記されていることが、暗視能力を有するシグレにははっきりと見て取ることが出来た。
お読み下さり、ありがとうございました。
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行数:104
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