68. 咄嗟の選択
一戦目の時と同様に、魔物の不意を突くべく黒鉄と共に気配を殺しながらシグレは廊下を一歩一歩進んでゆく。
しかし、地上から降りてくる先程の廊下とは違い、今度は地下宮殿内の区画と区画を繋ぐものであるせいか、廊下は真っ直ぐに伸びた直線の路である。敵のレイスは二体とも廊下のちょうど先に居るため、もし魔物のうち一体でも偶然こちら側を振り向けば、いつ気付かれてもおかしくは無かった。
『我が先行するとしよう。敵の魔術師の狙いが、主人に向くと不味い』
『了解。無理せずにね、黒鉄』
『うむ、任せておけ』
ある程度の距離にまで近寄った後、黒鉄は一気に加速して魔物達との距離を詰める。その足音にか、黒鉄を察知した両手剣を持ったレイス・ウォリアーが機敏に反応し、黒鉄のほうへと向き合い剣を構えた。
仲間のその反応を見て、敵襲だと理解したのだろう。レイス・マジシャンもまた杖を構えようとする―――が、ウォリアーへと向かうかのように見えた黒鉄が急に進路を変え、まさに杖を掲げんとしていたマジシャンへと咥えた懐剣で斬りかかる。
「輝ける万象の礎たる力よ、彼の武器へと宿りその真威を閃け―――《理力付与》!」
シグレのスペルに応じて、黒鉄が咥える銀の懐剣が淡く青い輝きを帯びる。
どうせ《生命吸収》は役に立たない。だったら、急造のなまくらであることは承知の上で、少しでも武器攻撃力を上げる方がまだ有用だろう。
しかし、《理力付与》を帯びた懐剣ごと突進した黒鉄の身体は、そのままレイス・マジシャンの体躯を擦り抜けてしまう。物理攻撃が通用しないというのは、なるほど霊体らしく触れられず素通しになってしまうということであるらしい。
けれど同時に、黒鉄に飛び込まれたレイス・マジシャンのローブは一端に切れ込みが入り、魔物のその表情にも僅かな苦痛の色が浮かんでいることもまた窺えた。―――どうやら銀の武器は多少なりにも有効ではあるらしい。
「魔力を支配する〝銀〟よ、彼の魔物を捕えよ―――《捕縛》!」
マジシャンのほうは黒鉄に任せたのだから、シグレは自分の役割を果たさなければならない。銀の武器が有効であるならば、銀で縛るスペルもまた有効だろう。
そう思ったのだが―――《捕縛》のスペル発動と同時にレイス・ウォリアーの周囲に現われた幾重もの銀のロープを、絡みつかせるよりも先んじて振り払われた両手剣が、瞬く間に切り裂いた。
(何と―――!)
レイス・ウォリアーが抱える剣は、長さ2メートルはあろうかという程の威容を持つ大剣である。太さ自体は然程でもないように思えるが、長さが長さだけに重量が相当なものであることは想像に難くない。
にも拘わらず、スペルの発生を確認したのち、僅かな間隙さえ置かずに容易く斬り捨てるとは―――。両手剣から繰り出されたその離れ業に、魔物のしたことでありながらもシグレは感嘆せずにいられなかった。
自分を戒めようとしたスペルの行使者がシグレであることを察したのだろう。レイス・ウォリアーは黒鉄を視界の外に置き、一目散にシグレのほうへと向かい駆けてくるが、その足も思いのほか速く驚かさせられる。革鎧は動きをさほど制限しないのかもしれないが、両手剣を抱えていてこれだけ機敏に動けるとは。
(……もしかしたら、重量の概念が無いのか?)
ふと、そんなことも思う。レイスの肉体が霊体であるのと同様に、革鎧や両手剣といった装備品もまた半透明であり、霊体であるように見える。
重量という縛りがないのであれば、重さを苦ともしないウォリアーの動きにも多少は納得できる気がした。もしかすると、肉体に合わせて霊体として構築されたときに、装備品も重量が失われているのか、あるいは極端に軽いものとなっているのかもしれない。
軽いのならば―――それだけ良く飛ぶかもしれないな。
「―――《衝撃波》!」
そう考えて、使い慣れている《衝撃波》を選んだのだが、これは良くない選択であったようだ。
もし命中すれば、シグレに向けて一気に距離を詰めようとするウォリアーを大きく弾き飛ばすことができたかもしれないが。《衝撃波》はその名の通り、魔物に対して〝衝撃ダメージ〟を与えることでノックバックさせるスペルである。そして、どうやらその〝衝撃〟とは物理的な効果であるらしく、走り寄るレイス・ウォリアーに対しては何の効果も及ぼさなかった。
シグレはその様子を見て、一瞬スペルが不発したのかと思った。《衝撃波》のスペルには、他の攻撃スペルにあるかのように明らかな行使エフェクトが存在せず、ただ単純に魔物の身体へと直接作用して吹っ飛ばすというものであるからだ。―――不発したのではなく、効かなかったのだと正しく理解するまでの数旬。その僅かな迷いが、向けられた両手剣の切っ先とシグレとの距離を更に縮めさせてしまう。
(この魔物に、最も有効な手立ては、何だ……!?)
相手が駆け寄る速度が、当初思っていたより随分と速いため、それなりに距離を開いていたにも拘わらず思いのほか余裕が無い。次の一手で、せめて相手の足だけでも止めなければ、駆ける勢いもその儘に袈裟斬りにされる未来が待つだけだ。
自分の持つ攻撃スペルと拘束スペルの数々。
多すぎる天恵に齎された、選択肢だけは多いその中から、僅かな逡巡の後にシグレはひとつのスペルを選び出して行使する。
「―――《霊撃》!」
シグレの手元で名も無き精霊が顕現し、目の前のレイス・ウォリアーに向かう。
おそらく最も有効なダメージを与えることができる手段は《破魔矢》だろう。しかし、4レベルのスケルトン・ウォリアーのHPを半分しか削れなかったスペルで、6レベルのレイス・ウォリアーを一撃で葬れることは考えにくい。となると、結局ノックバックや足止めといった直接的に相手の足を止めるスペルを成功させなければ、倒しきれないままに先に地に伏せる羽目になるのはこちらのほうだ。
動きを止めるのに適したスペルは《捕縛》《眠りの霧》《金縛り》《目眩まし》《縛足》といった所だろうか。
《捕縛》は先程失敗したばかりで、まだスペルが再使用ができる状態にはないので論外だ。《眠りの霧》は、スケルトンよりはレイスのほうがまだ効くかもしれないとも思えるが……果たしてアンデッドに効果があるのだろうか。麻痺を誘発させる効果を持つ《金縛り》も、そもそも神経に効果を及ぼすスペルがアンデッドに効くかどうかは疑わしいものがあった。
《目眩まし》は、そもそも相手の知覚が『視覚』に頼ったものなのかどうかが、試しに使ってみないことには判らない。《縛足》は大地の精霊を行使して地面を隆起させ、相手の足を絡め取って転ばせるといったものだが、これだって隆起させた土面をレイス・ウォリアーが素通りする可能性を考慮すると、いまいち頼りない気がする。
攻撃スペルで足止め効果を持つものは《衝撃波》を除けば他に二種類しかない。《霊撃》と《狐火》―――どちらも精霊術師のスペルだ。《狐火》は相手を炎上させて瞬間的に足を止めるスペルだが、これは効果があるかもしれない。ただ、相手を遠ざけたり大勢を崩したり、拘束効果が持続するようなスペルではないので、結局立ち直った相手に斬られることになるだろう。
結局《霊撃》を選んだのは殆ど消去法のようなものだった。《霊撃》は召喚した名も無き精霊をぶつけることで、衝撃ダメージを与えてノックバックさせるスペルであるが―――果たして、精霊が及ぼす〝衝撃ダメージ〟というものが、物理的な作用なのか魔法的な作用なのかはシグレにも判らないのだ。
―――その、苦肉の策として召喚した名も無き精霊が。
レイス・ウォリアーが横薙ぎに振るった両手剣により、一刀の元に断たれて消滅させられてゆくその様を。目の前すぐの距離で見てしまったシグレは、さすがにもう自分の死を覚悟するしかなく。
精霊を斬り葬った勢いもそのままに、レイス・ウォリアーの返す一閃がシグレの身体を容易く斬り裂いていく様子が、当事者である自分自身でもよく判ってしまった。
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あなたは 『戦闘不能』に陥りました。
300秒後に『〈ペルテバル大聖堂〉:地下』で復活します。
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斬られる痛みは相応にあったが、死の代償なのだから当然だろう。
それよりもシグレには、復活までのカウントダウンを眺める傍らで念話により届いてくる、自分が倒されたことを知って黒鉄が上げる悲痛な声の方が、よほど痛みを伴って心に突き刺さってくるかのように思えた。
お読み下さり、ありがとうございました。
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