63. 世界の主役
「まずは長らく待たせてしまったようで、済みません」
「いえ、この時間に司教の方が忙しいことは、自分も察して然るべきでした……。それに、メルフェディアさんに大聖堂内を案内して頂きましたので、退屈はしませんでしたので」
「そうですか。それなら良いのですが」
言葉自体は柔らかくとも、多少威厳ある語調を意識して発せられるライズさんの言葉が、けれどシグレには聞いていて少しむずむずする。司教の方の発言としてだけ捉えれば何一つおかしい所はないのだが、これも〝鈴木さん〟の役割演技の一環なのだと思うと、なんだか可笑しく思えてしまう部分もあるからだ。
ライズさんにも、シグレのそうした気持ちが判るのだろうか。時折、僅かに気恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、ライズさんは続けた。
「一応、こちらも司教として〝羽持ち〟の人が初めて訪ねてきたときに、話すよう決まっていることが幾つかありまして。その話もさせて貰いたいのですが―――まずは先にシグレさん達の、今回の訪問の用向きを伺っても構わないかな?」
「あ、はい。こちらのユーリの、天恵の変更をお願いしたいのですが」
「天恵の? ですが、それは―――」
少し驚いた顔で、ライズさんはまじまじとユーリのことを見つめる。
けれど、さすがは〝ゲーム〟を管理している側の人間というべきか。おそらくユーリのステータスを見たのか、ライズさんはやがて納得したように頷いてみせた。
「なるほど―――銀梢、ですか」
「ユーリからは〝羽持ち〟の銀梢であれば天恵の変更が可能、という話を聞いておりますが。それは事実なのでしょうか?」
シグレの問いに、ライズさんはすぐに頷いて応えた。
「可能です。〝羽持ち〟の財産である方は、所持者本人に近い恩恵を受けることができます。即ち―――〝死〟ぬことがなく、天恵の変更が可能になりますね。……尤も、銀梢であれば恩恵を受けるまでもなく、死からは免れ得る立場ではありますが」
「財産、ですか……?」
「お気を悪くされたら申し訳ないですが。あなたの命令に絶対的に従い、従属する相手というのは、即ちあなたにとっての〝財産〟であることと何も変わりません。―――〝奴隷〟同様であると申し上げてもいい。シグレさんはそういう風に考えたことが無いのかも知れませんが」
「……考えたこともありませんね」
そもそも、ユーリが自分の〝銀梢〟となってしまったこと自体が、シグレ自身の意志を完全に無視したことでもあったし。少なくとも、ユーリのことを奴隷同様であるなどとは考えたことも無いわけだけれど。
けれど、ライズさんが言わんとしていることも、判らないでも無かった。ユーリに対して何かを命令などをするつもりは全く無いけれど、シグレが本気で命じれば彼女は抗うことができない筈で。彼女の意志を無視して無下に扱おうと思えば、それは……できてしまうのだから。
「考えたことが無いのでしたら、今後も考えなくとも宜しいでしょう。シグレさんの意志に従う相手であるからといって、意の儘に利用しなければならないというわけではありませんしね」
「そうします。それで、ユーリの天恵の変更についてですが―――」
「ああ、いまリストを出しましょう」
どこからともなく取り出した一枚の用紙を、ライズさんはテーブルの上に置く。
見覚えのあるそれは、どうやら天恵の一覧表であるらしい。キャラクターを作成する際に深見さんから見せられたウィンドウと、全く同じ書式でそれは書かれているようだった。
ライズさんは同じく一本のペンをどこからか―――おそらくは〈インベントリ〉の中から取り出し、幾つかの天恵を横線で打ち消していく。
「天恵を変更しますと、代償として戦闘職と生産職のレベルがどちらも1に戻ってしまいます……が、これは現時点でどちらもレベル1のようですし、特に問題ありませんね。打ち消し線を引いた天恵は、ユーリさんの種族では取得することができません。消されていないものから最低1つ以上、最大で10種類まで取得することができます」
「……ん。ありがとう、ございます」
ユーリが初めて口を開き、ライズさんにお礼を言いながら用紙を受け取る。
改めて見てみても、随分と種類が多いな―――と、ユーリの用紙を脇から眺めながらシグレは思う。ユーリも数の多さ故に迷わずにいられないのか、用紙を前に少し困ったような顔をしていた。
「……シグレ。少し、考える時間を貰っても、いい?」
「はい。自分はライズさんと暫く話をしていますので、ゆっくり考えて下さい」
「では次は、こちらから少し話をさせて貰ってもいいかな?」
ライズさんの言葉に、すぐにシグレは頷いて応える。
こちらからも訊きたい話はあるが、それは後ででも構わないだろう。
「ありがとう。では少し、話をさせて貰うけれど―――まず最初に、大事なことなのでこれだけは覚えていて欲しい。この〈イヴェリナ〉の各中央都市にある、大聖堂。その司教をしている人間は、僕自身を含め、全員が〝羽持ち〟の味方だから。シグレさんは困ったことがあれば、いつでも僕らを頼ってくれて構わない」
「それは……。何となく、判ります」
司教とは、即ちゲーム開発側のスタッフであり、GM同様の立場にあるのだから。
プレイヤーである〝羽持ち〟に対しては、間違い無く味方であるのだろう。
「僕らは、全員が〝司教〟という立場を持っている。だから必要な時にはこの立場を使って、君達を支援することもある。……支援といっても、僕らが直接仲間として君達と一緒に戦ったり、あるいはお金を渡したりするわけじゃない。君達〝羽持ち〟が、こちらの世界を謳歌できるように手助けをする、という意味だね」
「……それは例えば、どのような形ででしょう?」
「そうだね、例えば―――誰かがこの〈イヴェリナ〉で初めて剣を手にしたとき。武器を得たことに浮かれて、街中の人が居ない区画で、試しにこれを鞘から抜いて素振りしてみたとする」
近接職の天恵を持っていないので、シグレがそういう行為に及ぶことはおそらく無いだろうが。
しかし、仮想世界と判っている環境下でとはいえ、リアルな武器を手に入れたなら。あるいはそういう行動に出てしまう人も、居てもおかしくはないかもしれない。
「ちなみに、これは僕の担当するここ〈陽都ホミス〉で実際にあったことだね」
「……あってもおかしくないとは思いましたが、実際にあったのですか」
「一年ちょっと前かな。十四……いや、二十八歳ぐらいの男の子だった」
14という数値が、現実世界での年齢を指すのだろう。
確かに、そのぐらいの年頃の子供であれば、実際に武器を手にしたらまず振り回したくなってしまうのも理解出来ようというものだ。
「これは厳密に捉えれば、〈イヴェリナ〉に於いては法に反する行為だ。街中で抜き身の武器を、濫りに扱うことは禁じられているからね。素振りをしたいなら街の外に出るか、もしくは然るべき訓練施設を利用しなければならない。少なくとも公の場ではしてはいけないんだ」
「―――ああ、なるほど」
多くのVR-MMOに於いて、世界はただプレイヤーの為だけに存在する。NPCはあくまでもNPCとしての枠内を逸脱した行動を取らないし、当然ながら自律した思考というものを持ち合わせては居ない。NPCはプレイヤーを楽しませるためだけに存在する脇役であり、主役の座はプレイヤーの為だけにある。
しかし、この〈リバーステイル・オンライン〉では―――。〈イヴェリナ〉に住む街の人達は、誰もが自分なりの生活を営み、喜怒哀楽を感じ、個人として〝生きて〟いる。
それは最早〝NPC〟という文字列を宛がうことが、シグレには適当だとは思えない程だ。カグヤやユーリを見て、どうして彼女達が〝NPC〟や〝AI〟だなんて思うことができるだろうか。彼女達もまた、違いなくこの世界の主役のひとりひとりに違いないのだ。
そして、現実世界の人間と何ら変わることがない生活を営み、社会を構築している〈イヴェリナ〉に於いて、秩序を保つための一定のルールが存在しているであろうことは充分に考えられる話だった。
プレイヤーである〝羽持ち〟は、こちらの世界でのルールを知らない。
しかし、例え〝羽持ち〟であっても、こちらの世界を構築する個人の一人でもあるのだから。法律などの形として定められたルールを破れば、然るべき報いを受けることを秩序が要求するのは至極当然の摂理だと言えた。
「有り体に言えば―――先程例に挙げたような、軽微な罪程度であればね。僕らの立場を以てすれば、無かった事にすることは造作もない。〝羽持ち〟がこの世界に無知であるのは、ある程度致し方無い所でもあるのだから。無意識的に犯した程度の罪なら、僕たちが支援して何とかしてあげられることもある」
隣のメルフェディアさんが、話を聞きながら露骨に眉を顰めているが。
しかし、ライズさんの言わんとしていることは、シグレにはよく判った。
「例えば、人の家に上がり込んで、箪笥を開けて〝薬草〟を取る。―――こんなことなんかも〝羽持ち〟であれば全く無意識にやってしまってもおかしくはないよね。もちろん、そこに悪意は一切無いにも拘わらず」
「……判ります」
「でも、それを不法侵入や窃盗だとして捕まって。数ヶ月に渡って拘留されたり労働に従事させられたりするのは、ちょっと可愛そうだろう?」
それは確かに、可愛そうだ。
この世界の人に取っては、勝手に入ってきた人が物を取っていくというのは、もう犯罪以外の何物でもないだろうけれど。RPGのお約束を履行しただけで、長期に渡り不自由を強いられるというのは……。
「というわけで、僕らは君達が〈イヴェリナ〉を楽しむために必要であれば、ある程度までなら立場を利用して力を振るうこともある。―――けれど、覚えて於いて欲しい。庇える範囲にも、限度というものがある」
「……限度、ですか。例えば、人を殺めたりなどですか?」
「そう。不運の事故などであればあるいは、まだ救いがある場合もあるかもしれないけれどね。悪意をもって人を傷つけたりした場合には、当然その報いを受けなければならない。これは〝羽持ち〟であっても、決して例外ではない。―――例外としてはならないんだ」
「判ります」
酷すぎる罪科に対して報いを求めるのは、プレイヤーが相手であっても当然のことだとシグレには理解できた。
この世界の主役は〝羽持ち〟だけではない。総ての人達が、等しく主役なのだ。
もちろんそれは、実際にシグレがこちらの世界で多くの人と交流を重ねた今だからこそ、当然のものとして理解出来ることなのだろうけれど。
『そうした状態に陥ったとき、僕たちスタッフがプレイヤーの人達に薦められることは、きっとゲームを辞めることだけになってしまうと思う』
念話で、ライズさんがそう続ける。
『僕たちは、僕たちそれぞれが作りたい理想や目標があって〈イヴェリナ〉という世界を作った。だから、できることならプレイヤーのみんなには、ただこの世界を現実同様に楽しんで欲しいと願っている』
『……ゲームを開始するときに、深見さんも同じようなことを言っていました。提供したいのは〝ゲームの世界〟ではあっても〝嘘の世界〟ではない、と』
『うん、それは僕たちの開発側の総意と言ってもいい。僕たちはただ、この世界へ来た誰もに、夢の世界での〝もうひとつの人生〟を楽しんで欲しいだけなんだ。だから―――少しでも気持ちが判ってくれるのであれば、プレイヤーの人達にも僕たちと同様にこの世界を愛して貰えると嬉しい。現実世界と分け隔てのないものとしてね』
ライズさんの言葉に、素直な気持ちからシグレも頷く。
彼が望んでいる言葉が、いまのシグレには違いなく理解出来る。
『僕たちはGMとして、任意のプレイヤーをこの世界から追放する権限を与えられてはいるけれど。できることなら、この権限は永久に使わせないで欲しいんだ。―――多少の権限は有していても、僕たち自身も他の皆と同じ、この世界を楽しんでいるひとりに過ぎないのだから』
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