62. 司教
続いて大聖堂の二階を案内されると、そちらには通常の本を多く取揃えた正しい意味での書庫や食堂、それからベッドを備え付けた幾つもの個室などが配置されていた。
メルフェディアさんは先程、修道士の居住空間は総て隣の建物にあると言っていたはずだ。訝しく思いながらシグレが彼女を見遣ると、メルフェディアさんもその理由が判るのだろう。すぐに頷いて説明してくれる。
「こちらは入院棟です。スペルですぐには治療できないような、大怪我を負われた方。あるいは疾病などに冒された方をお泊めして、治療する為の施設ですね」
「ああ、なるほど―――」
つまり、大聖堂とは病院を兼ねる施設であるらしい。廊下を歩いていると、外出着とは異なったいかにも緩い服装を身につけた人とよくすれ違うが、これは入院患者の方々であるのだろう。
(……身につまされるものがあるな)
現実世界で似たような場所に殆ど閉じこもっているだけに。どの入院患者の人を見ても、シグレはあまり他人のような気がしなかった。
「二階は基本的に入院なさっている方の為の場所になります。ご自由に立ち入り頂いても構わないのですが、お知り合いが入院なさっていて面会にいらした、ということでもない限りは、あまり立ち寄る必要が無い場所と思われますね」
「そうですね……。大聖堂の中は、以上で総てですか?」
階段は二階までしかなかった。
これより上の階が無いのであれば、案内は以上になるだろうか。
「一階になりますが、先程の聴堂の奥に司教様や司祭様がお使いになる部屋があります。こちらは後ほどご案内するときにお見せすることになると思いますから―――あとは、地下に通じる道がありますね」
「……道?」
先程、一階から二階に上がる階段の所には、一階から地下へ降りる向きの階段も見られた。これほど大きな建物であるのだから、地下室があることぐらいは別におかしくないとは思ったが。
地下室ではなく、地下に通じる道、と表現した彼女の意図が判らなくて。シグレがどういう意味なのか問うと、メルフェディアさんも頷いてから説明してくれる。
「シグレ様は〈迷宮地〉というのを、ご存じですか?」
「……存じてはおります。魔物が無尽蔵に湧く所、のことですね」
先日痛い目を見たばかりです、とは思っても口に出さないが。
「街に住む方でも、案外知られていなかったりするのですが。この大聖堂と王宮の地下には〈迷宮地〉があるのです。名を〈ペルテバル地下宮殿〉と言うのですが」
「王宮と大聖堂の地下に、〈迷宮地〉が―――ですか。それは何とも、物騒な話ですね」
〈迷宮地〉の魔物には上限が無く、適切に狩ることで数を減らさなければ、際限なく増え続けてしまう。無論、何かしらの対策はしているのだろうが……地下と通じる道がある以上、王宮と大聖堂という街の根幹とも言える施設の喉元に〈迷宮地〉が在るというのは、何とも危険なことだと思えた。
(しかし、地下宮殿と来たか)
これが、いわゆる地下墓所などであれば。大聖堂などの根本に、アンデッドが巣くうダンジョンが―――というのは、RPGでは割とありがちな設定であるようにも思えるのだが。
地下宮殿と聞いて最初に連想されるのは、現実世界のイスタンブルにある、かの有名なバシリカ・シスタンだろうか。尤も、あれは確か貯水を目的とした施設だったような気がするが。
「その〈ペルテバル地下宮殿〉には、自由に立ち入っても良いのでしょうか?」
難易度がどの程度の〈迷宮地〉であるのかは知らないが。街から一歩も出ずに挑める〈迷宮地〉というのは、利便性が高くて良いようにも思える。
あるいは多少リスクが高くとも。どうせデスペナは大したことがないのだし、ソロ狩りの練習に利用してみるのも良さそうだ。殺されてもすぐに戻ってくることができるだろうし、HPに乏しい自分には、ある程度ソロで被弾せずに賢く戦うやり方の修練を積む必要がある気がする。
(……地下であれば、夏場でも涼しいかもしれないしな)
それもまた、正直なシグレの気持ちではあった。
炎天下をあまり歩かずに、地下に潜れる〈迷宮地〉まで足を運べるというのは、夏場にはとても良さそうだ。
「地下へ進入するには、司教様の許可が必要です。一度許可を受けられれば、自由に入ることができますね。……こちらも、詳しくは司教様本人に直接お訊ねになるほうが良いかもしれません」
「なるほど、承知しました」
なんだか司教の方に合う前に、訊ねるべき内容ばかりがどんどん増えていく気がするが。それだけ実りある会話ができることを、素直に期待することにしよう。
◇
司教の方が戻られたという連絡は依然として届かないままであるそうだが、案内と共に大聖堂の中も一通り見てしまった。あとは司教の方の部屋で待たせて頂くという話になり、メルフェディアさんに先導されて先程の聴堂のほうへと戻り、さらにその先の区画に進む。
大聖堂に入った後はさっぱり見かけなかった衛兵の姿が、聴堂を抜けた後からは再び見られるようになってきたのは、おそらく司教や司祭といった方々が詰められている区画の重要性からなのだろう。メルフェディアさんが一緒に居てくれるから何も言われずに済んでいるが、一人でこの辺りまで来ればすぐに衛兵の方に詰問されるであろうことは容易に推察できた。
脇に幾つも並んだ部屋をスルーし、廊下の最奥突き当たりへと辿り着く。
そこに在るドアの前に立つ二人の衛兵に軽く一礼してから、メルフェディアさんは二度ほどドアをノックして暫く待った後、返事が無いのを確認してからドアを押し開いた。彼女も衛兵の人も、中に司教の方がまだ不在であることは承知しているのだろうから、それは殆ど儀礼的な行為であるのだろう。
部屋の中に入ると、そこは個人の私室というよりも、どう見ても応接室といった雰囲気の部屋だった。大きめのソファーが向かい合って並べられ、その間に背の低いテーブルが備えられている。
部屋の奥側にもドアがひとつ。おそらくは、そちらが本当の意味での私室なのだろう。司教ともなれば来客も多いだろうから、いまシグレが居る部屋は私室とは名ばかりの応対用の部屋であると思われた。
「どうぞ、お掛け下さい」
メルフェディアさんに勧められて、隣のユーリと共にソファーに腰掛ける。予想以上にふかふかとした感触に迎えられ、いかにも高価な品であることが窺われた。
さすがに座ることは憚られたのか、黒鉄がソファーの隣の床面にちょこんと座り込む。メルフェディアさんだけが直立したまま、司教の方が来られるのを待っていた。
『―――おはようございます、シグレさん』
そんな中、メルフェディアさんともユーリとも違う、どこか幼い女性の声で話しかけられて一瞬シグレはどきりとする。
視界内に〝意識〟して時計を表示させると、時刻は朝の9時過ぎを示していた。すっかり失念してしまっていたが、いつの間にか『鉄華』の廻転作業を終えたカグヤが念話をくれる、定例の時間になっていた。
『おはようございます、カグヤ』
『……ん? なんだか声が少し緊張してらっしゃいますね。もしかして、念話には都合が悪い状況だったりしますでしょうか?』
普通に挨拶を返しただけのつもりだったのだが、カグヤにはあっさり見抜かれてしまう。
実際に声に出したわけでもない念話の声から、多少の緊張感まで見抜いてしまうその洞察力の高さに、舌を巻く思いだった。
『……申し訳ありません。後ほど、こちらから念話を送り直しても?』
『あ、別に用事があったわけではありませんので! シグレさんにそこまでして頂かなくても、大丈夫ですよ』
『いえ、是非後ほど送り直させて下さい。自分も毎朝、カグヤとの会話を楽しみにしていますので』
『―――うぇっ!? そ、そうなんですか!?』
シグレの告げた言葉に、念話の先でカグヤが明らかに狼狽した様子を見せる。
嘘を吐いたわけでは無く、毎朝楽しみにしている気持ちがあるのは正直なシグレの気持ちではあったが。……もう少し、別の言い方があっただろうか。
『わ、私で宜しいのでしたら。是非、いつでも、念話を送って下さい!』
『ありがとうございます。それでは一旦、失礼しますね』
カグヤとの念話を終えると、斜め前に立っているメルフェディアさんと不意に目が会う。シグレが念話に没頭していたことが、察せられたのだろうか。彼女は何も言わずに、ただにっこりと微笑んでみせた。
なんとなく気恥ずかしい気持ちになって、じっとしているのも落ち着かず。自身やユーリ、黒鉄のステータス画面などを開いて眺めながら時間を潰していると。
「お戻りになったようです」
メルフェディアさんがそう告げてから十数秒の間があってから。
部屋の奥側のドアがガチャリと開かれ、中から随分と背丈が高いひとりの男性が姿を見せた。年齢は現実換算で20代後半ぐらいだろうか。185cmぐらいはありそうな身長は、少し男として羨ましくも思える。
神官の方が来ている白装束に、黄と金の装飾が加わったような。多少の華美さが備わった衣装に身を包むその姿は、背丈の高さも相俟ってまさしく〝司教〟の風格を備えているように思われた。
「ああ、いいよいいよ。どうぞ座ったままで」
明らかに目上の人であるから。半ば反射的にソファーから立ち上がって出迎えたシグレに、司教の人はそう告げてくる。
改めて座り直したシグレの対面側に、司教の人もゆっくりと腰掛ける。高級でサイズの大きいソファーである筈なのだが、背の高い司教の人が座ると適切なサイズに思えるから不思議だった。
「こちらの司教をしております、ライズと言います」
名前を告げて、小さく頭を下げてから。
『―――それとも、カピノス社の鈴木ですと名乗った方がいいかな?』
おどけた表情をした司教のライズさんから、不意にそんな念話も聞こえてきて。
その言いぐさに、思わず緊張も忘れて破顔させられてしまったシグレは。自分からも言葉と念話とで、この世界と現実、二つの自己を紹介することで応えてみせた。
お読み下さり、ありがとうございました。
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