61. 聖典
先程までシグレ達が居た部屋は〝聴堂〟と言うらしい。神官や修道士に対して、大聖堂を訪れた街の人が直接話をすることができる広間で、実に様々な相談が寄せられるのだそうだ。
怪我の治療や病気の治療から始まり、治療師の派遣、聖水の頒布、あるいは単に神官の人に話を伺いたい人など、訪ねてくる人の目的は千差万別であるらしい。また、冒険者の利用も多いそうで、その多くは治療や《浄化》などの聖職者スペルを目的としたものだそうだ。そういえばカエデも以前、血糊などで汚れた鎧を大聖堂で綺麗にして貰うことがあると言っていたのを覚えている。
無論、タダではない。修道士や神官が力を貸した内容に応じて、幾許かの寄付を要求することになっているようだ。但し、金銭を払えないような貧しい人であっても、奉仕活動の参加を寄付の代わりとして利用することができるらしい。
「修道士や神官の方は皆、ここで暮らしているのですか?」
「はい。とは申しましても、大聖堂はあくまでも来訪される皆様の為の施設です。こちらに務める者は皆、基本的に隣の修道院で暮らしております。……私は少々事情がありまして、そちらには住んでおりませんが」
居住空間などは丸ごと別の建物へ切り離しているわけか。
だとするなら、こちらの建物はあくまでも外部からの来訪者向けの施設と解釈しても良いのだろうが。どこに立ち入ることが許されて、どこへ立ち入ることが禁止されているのか。一見して判りにくいこともあり、どうせなら建物自体で区切っていてくれればと思う。
先程の聴堂より少し戻り、廊下の扉を開けて脇の部屋に入ると。そちらは二つばかりの書架と、六人掛けぐらいの長いテーブルが設置されただけの、やや小ぢんまりとした部屋だった。
掃除はされているようだが、換気状態が悪いのだろうか。部屋に入ると、いかにもな古書を思わせる匂いが鼻につく。
書庫と呼べるほど蔵書数が多いようには見えないが、他に表現する適切な言葉も思い当たらない。
「こちらは、聖典書庫になっております。〈聖職者〉の天恵をお持ちの方でしたら、自由に利用頂いて構いません」
「聖典……ですか?」
「魔法職の天恵を数多お持ちのシグレ様には、〝魔術書〟と申し上げた方が判りやすいかもしれませんね。〈聖職者〉のスペルを入れ替えるためのもの、とお考え頂ければ宜しいかと思います」
―――これがそうなのか。
魔法職の天恵を多く有してはいても、シグレはまだスペルを入れ替えるための手段というものを知っているわけではなかった。ユーリから《固定化》のスペルを修得可能な写本を貰ってはいるが、それだって原本を直接見たことがあるわけではない。
ただ、ゲーム開始時に部屋に置かれていた解説書の内容から、戦闘職に関連する施設で〝スペルスロット〟に登録しておけるスペルを変更することが可能である、ということだけは理解していた。
二つしかない書架に収められている本は、多く見積もっても150冊も無いだろう。書庫を名乗るには少ない冊数であるが、これら一冊一冊が、いずれもスペルが記録された本となると話は別だった。―――思っていたよりも、ずっとスペルの種類は多そうだ。
「どのようなスペルがあるのか、多少拝見しても宜しいですか?」
シグレがそう希望すると。メルフェディアさんはそれに可否を答える代わりに、一枚の用紙をシグレに向けて差し出してきた。
「こちらに収められている聖典の種類と、スペルの効果。修得に必要なレベルなどを纏めたものです。宜しければお持ちになって下さいませ。……ご覧の通りの手狭な所ですので、漠然と聖典を閲覧なさるよりは、事前に何を修得なさるのか、目的を決めてから利用される方がよろしいと思いますわ」
「……なるほど、ありがとうございます」
受け取った用紙に軽く目を通してみる。スペル名と効果、詠唱時間に再使用時間、そして消費MPに必要レベル。仔細を知るために必要な要素が簡潔に纏まっていて判りやすい。
各スペルの修得に必要なレベルは1に設定されたものが10種類近くあり最も多く、それ以上の各レベル帯には1~2種類ずつ満遍なくスペルが配置されている。レベルが上がる毎に、必ず1種類は新しく使用可能なスペルが存在する感じになるだろうか。
受け取った用紙には必要レベルが20までのスペルしか記載されていない。おそらく別紙で続きが記載されたものもあるのだろうが……おそらく縁が無さそうだ、とシグレは内心で苦笑する。レベル20どころか、10に達するのだっていつの話になるやら。
「聖典はこの部屋の中でだけ閲覧が可能です。乱暴に扱って破損させたり、部屋から持ち出そうとした場合には、すぐに外の衛兵が駆けつけますのでご注意下さいね。書庫はいつでも開いておりますが、なるべく日中にご利用下さいませ」
「質問があります。聖典は、写本を作ったりしても構わないのでしょうか?」
殆ど何も考えずにシグレはそう訊いてしまっていたのだが、その問いは彼女にとって意外なものであったらしい。メルフェディアさんは一瞬、小さな驚きを露わにする。
「―――ああ、なるほど。シグレ様は〈秘術師〉でいらっしゃいますものね」
けれど、シグレのギルドカードを一度見て、天恵の全容を理解していることもあり。メルフェディアさんはひとり納得してみせる。
「特に禁止されているわけではありませんが、不可能だと思います。聖典をお作りになれるのは司教様だけと聞いております。写本を作る、というようなことが可能なのは、おそらく〈秘術師〉の方が利用する書物だけに限った話であると思いますよ」
つまり、スロットに登録するスペルを入れ替える際には、必ず大聖堂を訪ねなければならないのか。必要な時にスペルをすぐ入れ替えることができないのは、少々不便ではある。
しかし秘術師は秘術師で、いつでも手元の秘術書や写本を元にスペルを書き換えられる利点はあるが、一方でスペルの数を揃えるのはかなり大変だろう。どちらが便利というわけでもなく、一長一短だと理解すべき所か。
「あと二点ほど、質問させて頂いても宜しいですか?」
「はい。私に判ることしかお答えできませんが、それでも宜しければ」
「ありがとうございます。この〝聖典〟の揃えは、どこの都市の大聖堂を訪ねても同じものが並んでいるのでしょうか?」
「―――いえ、取り揃えには違いがあると聞いております。この書庫にある聖典のスペルを、他のものと入れ替えるために〝忘れて〟しまった場合には。もしかすると、この都市でなければ再修得ができないかもしれませんね」
逆に言えば、大聖堂があるような他の都市を訪ねれば。ここ〈陽都ホミス〉では得られない他のスペルを修得できるかもしれないということか。
それはそれで興味深い所ではある。……というよりも、こういった理由でもなければ、なかなか他の都市を訪ねようなどとは自分は考えないかもしれない。
「もうひとつの質問は、何でしょう?」
「〝スペルスロット〟についてお伺いしたいのですが。これは、レベルが上がれば増えるものなのですか?」
「いえ、増えませんね。……とは申しましても、他の魔法職については存じませんので、あくまでも〈聖職者〉に限っての話になりますが。こちらの場合は、司教様に許可を頂いて1スロットずつ開放する形になります」
「―――その〝許可〟というのは、どのようにすれば頂けるものなのでしょう?」
先程受け取った、この書庫で修得可能なスペルの一覧には、便利そうに思えるものが幾つもあった。
だが、スペルスロットが4のままでは。先程メルフェディアさんも口にしていた通り、いずれかのスペルを〝忘れて〟しまうことでスロットに空きを作らなければ、新たに何かのスペルを修得するということは出来ないのだろう。
困ったことに―――ある意味、嬉しい悲鳴ではあるが―――〈聖職者〉クラスに初期から登録されているスペルはどれも大変に有用であり、シグレにはどれひとつとっても〝忘れる〟ことが躊躇われた。
現在修得しているスペルは《衝撃波》《軽傷治癒》《浄化》《防腐》の4種類である。《衝撃波》は無詠唱で行使可能な上、離れた的にも瞬時に効果を及ぼし、回避されることがなくノックバック付と、攻撃系スペルの中でも群を抜いて使い勝手が良い。
《軽傷治癒》は失っても他のクラスの回復スペルで代用可能ではあるが、初級の回復スペルはどれもHP回復量が低いために、HPが大きく減った状態の仲間に対しては連続使用が求められる場面もある。再使用時間がそれなりにあるために、これを忘れることも躊躇われた。
《浄化》はカエデやユウジのような近接職の仲間と一緒に戦う時のために持っておきたいし、戦闘では使い途が無い《防腐》も採取の際には大活躍する。どちらも替えが利かないスペルであるから、やはり忘れてしまうという選択肢は無かった。
どれも忘れるわけにいかないとなると、新たに〈聖職者〉のスペルを修得する為には、スロットを増やすしかないわけで。だからこそ、メルフェディアさんに質問をぶつけてみたわけだが。
「お答えするのは構わないのですが……。折角、後ほど司教様とお会いになるのですから。そのお話は司教様へ、直接お訊ねになるのが宜しいと思いますわ」
頭を小さく左右に振ってから、メルフェディアさんはそう言ってみせる。
それも道理である。シグレも素直に彼女の言葉に頷いて応えた。
お読み下さり、ありがとうございました。
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