06. 冒険者ギルド
眩しい太陽の下に立つシグレを取り囲む、見渡す限りの周囲一面は、夢にまで見たファンタジーの世界である。
石畳の街路はアスファルトに比べて固く、所々に出っ張っている部分もあり意外に歩きにくい。シグレが履いている靴が、現代のスニーカーのように綺麗で安定した形状をしていないことも歩きにくさの原因のひとつなのだろう。時折不意に足を引っかけて思わず焦ったりもする。もし転んでしまったりしたら、固い石畳の街路はとても痛そうだ。
けれどそうした幾つか意識される些細な不自由さも、こうして自分の足で思う儘に歩き回る機会自体が久しぶりのシグレにとっては気にもならなかった。誰の手も借りず、誰にも迷惑を掛けず。思う儘に動き回れて、自在に景色を変えることができる。そんな普通は当たり前の事が、けれど堪らなく嬉しい。
当然だけれど汚いガスを撒き散らす自動車などは走っておらず、騎乗した人や荷馬車を時折見かけるだけの世界の空気はとても澄んでいて心地良い。煉瓦や石を積んで造られた2~3階建ての家々が多いのは、地震が起きない世界ならではの光景だろうか。不規則に並び建つ家々に視界が阻まれて遠くを見渡すことはできないけれど、時折風に乗って潮の香りが届く気がするから、案外海が近いのかもしれない。
似たような景色が続く街並みは迷い易そうだけれど、マップを視界の隅に開いておけることに気がついてからはその心配も無くなった。冒険者ギルドに行ったことは無くても、マップには最初からその場所が記されている。そして目的地の位置さえ正確に判っていれば、システム的な補助が働くのか、そこに辿り着くまでの順路というのは何となく〝感覚的に〟理解出来るようになっているらしく、初めて歩く入り組んだ街並みの中に身を置いていても、まるで長年住み慣れた街を歩くかのようにシグレは全く迷わなかった。
常々(良く出来たゲームだなあ)と思い知らされる。
というか、さっき朝食を食べていた最中などには、すっかりここが『ゲームの中の世界』であること自体忘れてしまっていた気がする。それ程にこの世界〈イヴェリナ〉は完成度が高い。
景色も、料理も、人も。どれを取っても現実と遜色を見出すことができない。知っている世界と景色が異なっていても、ここには人の営みや息遣いが感じられる。生きている景色が確かに在る。
宿から十数分も歩くうちに、それらしい少し大きめの建物が見えてきた。
二階建てと思われる、やや年期の入った石造りの建物。その入り口の隅には「冒険者ギルド」と日本語で書かれた板が立てられている。中世欧州を思わせる完成度の高いファンタジーの世界の雰囲気の中、唐突に現れた『日本語』看板の違和感の剰りに少々肩を落とさせられながら。けれど一方では、異国語で書かれてもそれはそれで困るのだろうから、致し方無い部分なのかなとも思った。
やや小さめで目立たないギルドの看板は、看板本来としてちゃんと機能しているのだろうか。お店と違って無理に客を集める必要が無い施設なのだろうから、そんなものでもいいのかもしれないが。
まばらにではあるが人の出入りはあるようだ。腰に帯剣している人が多く、斧や槍と言った身の丈程もあろうかという武器を抱えた人も見ることができる辺りは、さすが冒険者を管理する施設だけのことだけはある。
当たり前と言えば当たり前なのだけれど、武器を全然持たずに出入りをする人は……全く居ないわけではないけれど、明らかに少ない。居たとしても明らかに商人や農民といった風体の人達ばかりで、そうした人達はおそらくギルドに何かしらの〝依頼〟を持ち込む側の人達なのだろう。
(……武器を買ってから来た方が良かったか?)
今更ながらそうも思うけれど、そもそも武器屋の場所をシグレは知らない。冒険者ギルドや大聖堂と言った公的で有名な場所であれば幾つかはマップに初めから記載されているけれど、お店などの位置までは記されていないのだ。武器を購う為には、まず店を探す所から始めなければならないのだ。
冷やかしで来たわけではないのだから、堂々と入れば問題無いだろう。自分が初心者なのは違いない事実なのだから、いっそギルドの中で武器を扱う店の情報を訊ねるぐらいの気構えで居た方が良さそうだ。
◇
冒険者ギルドの中は、まず入ってすぐの所に大きな掲示板が幾つも並んでいるのが特徴的だった。B5サイズぐらいの沢山の用紙が張り出され、何人かの人達がそれを真剣な目で見つめながら品定めしている。おそらくは、あの張り出された用紙ひとつひとつがギルドへの依頼なのだろう。
そうした掲示板群と人の脇を擦り抜けるとギルドの窓口があった。窓口の脇には二階へ上る階段もあって、その先からは何だか楽しげな喧騒が聞こえてくる。おそらくは食事処か酒場のようなものがギルドの二階に併設されているのだろうか。
「冒険者ギルドに何か御用事ですか?」
ぼんやりと突っ立っていたシグレに、手が空いている窓口の女性がそう声を掛けてくる。亜麻色の綺麗な髪を湛えた、とても女性らしい人だった。
勝手が判らなくて少し躊躇している部分もあったから、向こうの方から話しかけて来てくれたのが有難い。
「えっと……失礼します、初めてギルドに来たのですが」
「ふふ、それで戸惑っておられたのですね。こちらへは何かご依頼に? それとも仕事が欲しくていらっしゃったのでしょうか?」
「後者です。こちらで仕事を頂くにはどうしたらいいですか?」
シグレがそう答えると、ギルドの人はカウンターに取り出していた『依頼票』と書かれた用紙を引っ込めて、代わりに『ギルド登録票』と書かれた用紙を取り出す。
自分が冒険者志望だと思われていなかったことが判って、思わずシグレもちょっぴり苦笑してしまう。
「……すみません、武器をお持ちでいらっしゃらないので、依頼に来られた方とばかり」
「いえ、無理もないです。見ての通りの初心者ですので、宜しければ後ほど近場で武器などを購えそうなお店も紹介して頂けませんか?」
「ええ、もちろんです。ギルドは冒険者の皆様のバックアップが仕事ですので、私達にお手伝い出来ることは遠慮無く何でも言ってみて下さいね。それではこのギルド登録用紙にお名前と種族、あと天恵について記入して下さい」
―――天恵?
「すみません、天恵とは何のことでしょう?」
「あなたが生まれ持った才能の欠片のことですね。御自身の〈ステータス〉を見れば『戦闘職』の天恵が書いてありませんか? また、もしお持ちでしたら『生産職』の天恵も書いてあると思うのですが」
「なるほど。……これを『天恵』と呼ぶことを、いま知りました」
確かに、クラスが備わっているということは、イコールその道の才能があるということなのだから、それを『天恵』と呼ぶのは理に適っている。彼女の言い回しから察するに、戦闘職の天恵は誰にでもあるものだけれど、生産職の天恵は無い場合もあるのだろうか。
無意識に本名で書きそうになった名前を慌てて押し留め、名前欄に『シグレ』と記入する。種族は……ステータスウィンドウを開いて、そこから『銀術師』と書き写した。
「わ、珍しいですね……。銀術師の方は、このギルドで初めてかもしれません」
「そうなのですか?」
「ええ、私も初めて見ました。見た目は人間と何も変わらないのですね……とても痩せていらっしゃるのが、個人的にちょっと羨ましいです」
「……それはあまり、種族関係ないような」
痩せたくて痩せているわけではないので、苦笑する他ない。
にしても、そこまで珍しい種族なのだろうか……。しかし言われて見れば確かに『銀術師』は明らかに異端と言っていい設定の種族である。キャラメイクの時に聞いた話に拠れば、確か血液の代わりに液体金属を満たして造った〝ホムンクルス〟という設定だっただろうか。そんな人が街中にほいほい居るようなものでもないだろう。
「ふむふむ、シグレさんと仰るのですね。私はギルド員のクローネと申します。こちらのギルド支部で当分活動なさるご予定ですか?」
「当面はそのつもりです。初心者ですが、色々とご指導頂けましたら」
「ふふ、こちらこそ宜しくお願い致します。シグレさんは真面目なのですね」
「真面目? このぐらい普通ではないですか?」
「良くも悪くも冒険者ギルドに登録される方は、実戦などの経験もあるような猛者の方々が多いですからね。語調が荒かったりする方など珍しくもありませんし、シグレさんのように殊勝で丁寧な言葉を尽くされる方はあまり居ませんので」
そういうものか? とも一瞬思うけれど。
窓口の脇にある階段の先からは、時折いかにも豪放な笑い声なども聞こえてくる辺り、確かにその通りなのかもしれない。
「先程から気になっていたのですが、こちらの二階には何が?」
「ギルドの二階では、酒場兼食事処のような場所を提供させて頂いております。お値段はそこそこ安めにさせて頂いておりますので、暇な時には是非ギルドの2階で過ごして頂けましたらと思います。依頼内容に対して人手が足りないときや、一緒に活動する仲間を捜しておられる方が来た時。それと緊急の依頼が来たときなどは、二階で過ごしておられる方に協力をお願いすることもありますね」
「なるほど……」
確かに、ギルド内で寛げる場所を提供していれば人手が足りないときに速やかに人員を補充することができる。腕に自信のある荒くれ者が多いというのなら、ギルド内で酒を提供するというのは安全面でどうなのかとシグレは考えてしまっていたが、そういう目的であれば設置されていることにも頷けた。
「色々と見て回りたい場所が多いですので、おそらくあまり寛がせて頂くことは……。ですが、料金が安いのでしたら、普通にご飯目的で利用させて頂く機会は多いかもしれませんね」
「ええ、それで充分です。是非ご利用下さいませ」
クローネさんの笑顔に、シグレも笑顔で応える。
名前と種族の欄を埋めたから、次は〈戦闘職〉―――もとい天恵の記入だ。ステータスウィンドウに表示されている順番に欄に記入していく。
「聖職者と巫覡術師のマルチクラスですかっ! 種族的に銀術師もセットでしょうから、これは凄いですねー」
「そ、そうなのですか?」
聖職者と巫覡術師まで書いた所で、目の前から大きな声でそう言われてびっくりしてしまう。
先程から、クローネさんの反応にこちらが戸惑うばかりだ。
「そうですよー。マルチクラスの方はそれなりにいらっしゃいますが、ここまで魔術職ばかりで揃っている方もなかなかいらっしゃいませんから。パーティなどでは引く手数多だと思いますよ?」
「……えっと、なんだか雰囲気的に大変申し上げにくいのですが」
「はい?」
「自分の魔術職って、その3つだけじゃなくてですね……」
秘術師、伝承術師、星術師……。シグレが1つ登録票に天恵を書き加えていく度に、今度はクローネさんの表情がひとつずつ暗くなっていく。
9つの魔法職を書き終える頃には、彼女は訝しむような呆れるような、何とも読み取れない複雑な表情を見せていた。最後に『斥候』と書き記したあとには、実際には何も言われずともまるで彼女の表情から嘆息の声が聞こえてくるかのようにさえ感じる。
「げ、元気出して下さいね……」
こちらとしては、そんな悲愴な声で『元気出して』なんて言葉を口にする、クローネさんにこそ元気を出して欲しいのですが。
「その反応は、やはり成長が遅いということに対するものでしょうか?」
「あ、はい……天恵は才能の種です。そして冒険者にとって戦闘職の天恵とは、そのままその人が活躍できる分野の指標でもあります。天恵を複数持つ方は複数の分野の才能を扱える優秀な冒険者となれる可能性がありますが、代わりにそれだけ各々の天恵が育まれる速度は遅くなり、天恵を1つしか持たない方よりも習熟してレベルが上がるまでには時間が必要になります。……ここまではご存じでしょうか?」
「理解しています」
「この天恵ですが2つか3つぐらいまででしたら、ただ『成長が遅い』程度で済むのですが……4つ5つ目の天恵を持つ辺りからは、絶望的な程に成長が鈍ってしまうのです。ですので多すぎる天恵を持つ方というのは大抵、自分は冒険者に向いていないと早々に諦めてしまわれる場合が殆どで……」
「……なるほど」
確かに、指数関数的にレベルアップに要する労力が増大する以上、天恵が多すぎる人は他の天恵が少ない人達と比べれば却って『冒険者に向いていない』と言うこともできるだろう。
共に戦う仲間よりも成長が著しく劣るという悲しさは相当なものであるだろうし、それで引退する人が出るのも無理ないことだ。
とはいえ、自分の場合は自ら望んでそう設定したわけだが。
「私は、辞めませんよ」
だからシグレは、クローネさんにそう告げる。
早々に諦める人が殆どであっても、シグレの場合は己の意志でそう設定したのだから嘆くことなど何も無い。このキャラクターの遅緩な成長自体を楽しみたいとさえ思っているのだから。
「自分は10の天恵を持っているみたいですが、諦めるつもりは全くありませんので。これから当分の間こちらでお世話になるつもりです。―――よろしくお願いしますね?」
そう言ってから、シグレは右手を彼女の前に差し出す。
右手を出してしまった後に、少しだけ(しまった)とも思った。こちらの世界に〝握手〟という文化があるのかどうかを、シグレは知らないからだ。
「……ふふ、こちらこそ宜しくお願い致します。社交辞令でなく、シグレさんのご活躍を私も楽しみにしておりますね?」
「期待を裏切らないで済むよう、頑張ってみたいと思います」
そのシグレの心配は杞憂に終わったようで、ほっとする。
クローネさんは一瞬だけ驚いた顔を見せたあと、嬉しそうな笑顔で私の手を握り返してきてくれた。
「そういえば、自分は生産職の天恵も10有るみたいなんですが……」
「うわァ……」
人の目の前で『うわァ』て。
お読み下さり、ありがとうございました。
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