56. 淋しくて
システムヘルプを利用しても良かったのだが、何しろ事情が事情である。込み入った話をすることになるだろうから、少しでも気心の知れた相手のほうが良いだろう。そう思い、シグレは〝ルイン〟という名前を思い浮かべて念話を送とうと試みる。
今まで、どこかから届いた念話に返答を返すことはあっても。自分から誰かに念話を送る機会など無かった事を今更ながらに思い出す。電話と違って念話には着信音のようなものがないから、こちらを全く意識していない相手にいきなり話しかけなければならないわけで。どう話切り出せば良いものか、一瞬シグレは困ってしまった。
『突然すみません。シグレと申します。えっと……これで、届きますか?』
『―――あら』
名前だけしか知らない相手へ念話を送るやり方を、誰に教わったこともないが。果たして、シグレのそれは上手く相手へ届いたらしい。念話の先から聞こえる『あらあらあら』という声は、こちらの世界へ足を踏み入れるその時に聞いた、深見さんの声と全く同じものだった。
『お久しぶりです、時雨くん。こちらの世界は楽しめていますか?』
『ええ、お陰様で。今は本当に、毎晩ごとに切り替わるこちらの世界を、もうひとつの人生として楽しんでいますよ』
『ふふ、そうですか……。その回答は、私共にとっては最高に嬉しい評価ですね』
くすくすと、念話の向こうから届く深見さんの声が。まだ半月程度しか経っていない筈だが、随分と懐かしいものであるようにシグレには感じられた。
それだけ、こちらの世界で過ごす日々を濃密なものとして体験できていることの、証左でもあるのかもしれない。
『すみません。連絡するときは午後に、という話は覚えていたのですが。ちょっと取り急ぎ深見さんにお訊きしたいことができまして』
『あら、何でしょう? お答えできることには、お答えしますが』
『昔、こちらの世界に存在していた〝ユミコ〟さんというキャラクターのプレイヤーについて教えて下さい。戦闘職は〈伝承術師〉〈秘術師〉〈銀術師〉の3種。生産職の天恵も、少なくとも〈錬金術師〉は有している筈です』
『……あまり、利用者の個人情報を、第三者に提供するのは』
『この世界は〝存在しない〟ことになっているゲームです。それを縛る法律なんて存在しない―――そう自分に言い聞かせて下さったのは、どなたでしたでしょうか?』
『うっ……。それは、私ですねえ……』
深見さんが言葉に詰まる。
『それに自分が聞きたいのは、少なくとも現実世界で〝個人情報〟とされるような類の内容ではありません。住所とか本名とか、そういう情報が聞きたいわけではないですので』
『……ふむ。何か事情がお有りのようですね?』
コホン、と念話でも咳払いをひとつ。
相変わらず、このわざとらしい咳払いが深見さんなりのクセであるらしい。
『判りました。ではまず先に、時雨くんの事情を少しお聞かせ頂けますか? その話を聞いた後に、必要な情報をこちらからも提供致しますので』
『ありがとうございます。お時間は大丈夫なのですか?』
『大丈夫ですよ。新規の方の案内担当をするのは、本日は私ではありませんから。ああ、そうだ―――今日新しく始める方は、シグレ君の、でしたね?』
『……はい? 何がでしょう?』
『ふふっ。いえ、何でもありませんよ。ただ―――大変ですね、って。ちょっぴりそう思っただけです』
念話先で、くすくすと何か面白そうに深見さんが笑っている。
その意味をシグレは当然訝しく思ったのだが、深見さんはとうとう答えてはくれなかった。代わりに、シグレが求めた〝ユミコ〟さんに関する情報は後でちゃんと教えてくれたので、目的は充分に達せられたわけだが……。何となく釈然としないものが、シグレの心には残された。
◇
『自分たち〝羽持ち〟は、この〈イヴェリナ〉とは別に。もうひとつ、自分たちが生きる世界を持っています。〝羽持ち〟の人達は誰であっても例外なく、一日おきに〈イヴェリナ〉ともうひとつの世界を、交互に行き交いながら生きているのです』
深見さんとの念話を終えて『バンガード』に戻り。ユーリ達と同じテーブルに座り、たまには違うのをと思って注文した紅茶をマスターから受け取ってから。他言無用にお願いします、と予め前置きした上で、シグレは皆にそうパーティ念話で語った。
シグレの言葉に、ユーリもカグヤも、そして黒鉄も驚きを露わにする。けれど、これに一番の驚きを見せたのは、斜め前に座っていたカグヤだった。
『え、ちょっ……!? い、言っちゃっていいの? それ』
『話して駄目とは言われませんでしたから』
シグレが念話の為に席を立つ前、カエデもシグレの意図を察して頷いてくれたから。シグレが今まで誰と話して、そして誰に〝駄目とは言われなかった〟のかは、敢えて言わずともカエデにも伝わるだろう。
『……いいのかしら、そんなんで……』
『いいんじゃないでしょうか? あちらが駄目と考えるのであれば、おそらくこちらも〝秘匿のルール〟に組み込まれていたと思いますし』
プレイヤーであるシグレとカエデには〝秘匿のルール〟が課せられている。それはつまり、ゲーム自体のことやゲーム内でのことを、現実側の世界で他人に話したり広めてはいけないというルールだ。
しかし、このルールはそれが総てであり、逆のことに関する制限は一切触れられていない。―――逆とはつまり、現実世界のことをゲーム内で話す、ということである。
無論、濫りに広めようとしたところで誰も信じないだろうけれど。今回は事情が事情なので、一定の理解を示してくれるかもしれない。そう考え、シグレは一度、皆に話してみようと思ったのだ。
『ご存じの通り、自分たちはこちらの世界で例え魔物に屠られたとしても、死ぬことがありません。ですが〝もうひとつの世界〟では、そうではないのです』
『つまり、ユミコは……』
『……亡くなっておられるのだそうです。それはおよそ3年半前の、10月27日のことだったとも聞きました。ユーリ、日付は合っていますか?』
ユーリは少し戸惑いの表情を浮かべながらも。けれど、やがてゆっくりと頷いて答えた。
『……合っている。その日の朝を、今でも忘れたりはしない』
現実世界で1日を過ごした後に、〈イヴェリナ〉では同じ日付の朝を迎える。
ユミコさんが現実世界の27日に亡くなったのだとしたら。同日〈イヴェリナ〉での朝6時までには、おそらく彼女はこちらの世界から、文字通り〝失われた〟ことになるのだろう。
具体的な病名こそ教えては貰えなかったが。深見さんの話では27日の日中に、急に容態が悪化して亡くなられたという話であったから。〈イヴェリナ〉に於ける前日までのユミコさんは、本当にいつも通りの姿でユーリと接していたのかもしれない。
『ユーリ』
彼女の名を呼ぶ。
『まだ、理由を聞いていません』
『……理由?』
『先程、自分はユーリに、〝どうして突然こんなことをしたのか〟と訊ねました。私の血を吸って、勝手に〝銀梢〟として自分と契約してしまったことについてですね。―――本来であれば〝銀の契り〟というものは、両者の合意が無ければ成り立ちません。これは当然と言えば当然で、誰だって自発的に、誰かの支配下に置かれようなどとは考えないからです。……そんなことをしても、普通に考えてメリットなど何ひとつ有りはしない。ユーリのように、自分から契約を望むケースというのは、元より考慮するようなことでもないのでしょう』
逆に、デメリットなら数知れないほどにあるだろう。
そもそも、ユーリのような女性が、自分から男性の支配下に望んで置かれるということは。普通であれば、間もなく相手の意の儘に押し倒されるであろうことは、想像に難くない。
少なくとも、ユーリは幼くは見えても、それを考えずに済ませられるような。魅力のない女性では、全く無いようにシグレには思える。
『けれど、ユーリはそれをしてしまった。それ自体の謝罪は既に受けましたし、もう何も言うつもりはありませんが。……ただ、自分はその理由が知りたい。ユーリが話して下さったのは、以前の主であるユミコさんのことで、自分と勝手に契約してしまったことの理由ではない筈です』
『………』
『教えて下さい、ユーリ。……どうして、自分と?』
シグレの問いに、ユーリは暫し逡巡する。
けれど、やがて訥々と心の裡を語り始めてくれた。
『……ユミコは、自分たちのような〝羽持ち〟のような人は、きっと誰でもみんな優しいって、そう言ってた。私はそれを、今でも信じている』
誰でも、かどうかは判らないが。NPCの人達の多くが善良に接してくれるこの世界では、なかなか悪人では居られる人も少ないだろうな、とシグレも思う。
それに、この世界はゲームではあっても非現実ではない。毎日こちらの世界でも生きていかなければならない以上、プレイヤーである〝羽持ち〟が周囲に優しく誠実にあろうとするのは当然かもしれず、ユミコさんの言うことも満更間違いというわけでも無いだろう。
『……だから私は、ユミコを失って1年経った頃には、もう心の中で決めてたの。もしもこの先……種族が〝銀術師〟で〝羽持ち〟の人と、出会うことがあったら。勝手に契約してでも、その人の〝銀梢〟になろうって。……もう一度、誰かのものになってみたいって、そう思ってたの』
『つまり、相手は誰でも良かった?』
『……ん、ごめんなさい。条件を満たしていれば、誰でもいいとは思ってたかも。そもそも、銀術師なんて種族の人は殆ど見る機会もないし、そもそも銀術師は身体的な特徴が血ぐらいしかないから、外見で判別がつかないし―――思ってはいても、会える可能性なんて、まず無いとどこかで諦めてもいたの』
確かに、外見だけなら銀術師は人間と全く変わらない。
シグレの種族が銀術師であることは、カグヤと共にユーリとフレンド登録を済ませた後、ステータスを見たことで知ったのだろう。
(……ああ、だからか)
思えば、あの時ユーリは唐突に『シグレは〝羽持ち〟なの?』と、自分に対して随分と唐突に訊ねてきていた気がするが。あの問いは、ユーリにとって種族が銀術師であるシグレが、羽持ちであれば―――という意図を籠めた問いであったのだろう。
『でも、私はシグレと会ってしまった。会えないと思っていた相手に、会えてしまったの。……シグレが優しい人なのも、すぐに判った。ユミコの言った通りだった。―――だから、ごめんなさい』
『それは済んだことなので、気にしないで下さい』
謝罪は既に受け取ってあるし、もう謝られるようなことでもない。
でも、自分はまだ、契約したその〝理由〟を貰ってない。
『―――どうして、いま一度契約する相手を求めたのですか?』
三度目の問いに。
ユーリはその双眸に、涙を溢れさせて。
『だって……! ひとりは、淋しすぎるの……!』
しゃくり上げるような震えた言葉で、ユーリがそう伝えてくる。
初めてユーリの内から、感情が言葉となって溢れ出た気がした。その言葉が違いなくユーリの本音であり、望みであることは疑いようも無かった。
当たり前のように一緒に居た相手を失うというのは、とても辛いことであっただろう。まして別離が唐突のことであり、別れの言葉ひとつさえ交わせなかったとなれば、その苦しみや悲しみは相当なものであるだろう。
ユーリにとって、ユミコさんという女性がどの程度の存在であったのかは、あくまでもシグレには想像することでしか理解出来ない。……例えユーリが、代わりとしてシグレを求めているのであっても。自分にその代役が上手く務まるのかどうかも判らない。
―――それでも。
肩を震わせて泣いている少女の力になりたいと思うのは。当然ではないか。
「一緒に居ましょう、ユーリ」
少しでも、彼女の淋しさを紛らわすことができるのなら。
望む限りは、傍に居てあげたいとも思った。
「ユーリが淋しくないように。自分で良ければ、一緒に居ますから」
「………っ!」
相変わらず泣きじゃくるばかりのユーリの表情は見えなくて。シグレの提案に、彼女が喜んでくれるのかどうかは判らなかったけれど。
それでもユーリは、シグレの右手の袖を掴んで離さなかった。片手で目元を擦り泣き濡れる傍であっても、シグレの袖だけは離さないで居てくれた。
お読み下さり、ありがとうございました。
-
文字数(空白・改行含む):5148字
文字数(空白・改行含まない):4951字
行数:142
400字詰め原稿用紙:約13枚




