55. ユミコ
「黒鉄―――」
『……ま、シリアスな話は脇に置いておくとして、だ』
シグレの方を、ちらりと一瞥してから。
そのあと黒鉄は、ゆっくりと皆のほうを見つめた。
『我ひとりでは、主を護るのにも手に余る、というのが正直な所だ。味方であってくれる者は、多いに越したことは無いと判断したのも理由のひとつ。何しろ、我が主人は斯様に脆弱であるからなあ』
「……それを言われると、何も言い返せません」
「あはっ。……ま、あのHPは無いわよねえ」
『ユーリ殿は主人の物になることを希望している。ならば、使い魔としては多少の手助けをするぐらいは吝かではない。ユーリ殿を主人と契約させること。それが主人の意に沿わぬ行動になるとしても、結果的に主人の為と成るのであれば、我は主人を失う可能性が減るそちらのほうが良い』
結果的には、全部自分のことを思ってしてくれたこと―――か。
「狡いな、黒鉄は。……そういうこと言われたら、叱れないじゃないか」
『叱責を受けるなら、それも楽しみではあったが―――ま、主人は少々優しすぎる嫌いがある故、そう言うだろうとも事前に思ったしな。それに―――』
「……それに?」
『目の前に、自分の好きに出来る女性が居るとしても。どうせ主人のことだ、力に任せて何かをしよう―――などとは考えぬだろう?』
「あ、うん。それは無いね。少なくとも自分の方からは、絶対に無い」
現実世界でも、例えば志乃などは時雨の望みにいつでも忠実に応えてくれる存在であったけれど。そんなつもりには全くならなかったし。
それ以前の問題として。敬意を抱く相手に対しては、敬意をもって接する。そんなことは当たり前のことだ。自分に錬金の手解きをしてくれた恩義もある相手に、乱暴を振るうなどと言うことは有り得ない。
「ふうん。……あくまで〝自分の方からは〟なんだ?」
「……何が言いたいんですか、カエデ」
「べっつにー。ただちょっと思っただけかな。シグレは自分から相手に色々するよりも、相手の方から色々される方が好きなんだね?」
「―――そ、そそそそ、そうなんですか!?」
なんだか、横から急にテーブルへ身を乗り出すようにカグヤが食いついてきた。
「……誤解です。自分に受動的な性分があることは認めますが、別にそういった性癖を持っているということは、断じてありません」
「そ、そうですかぁー……」
そのままテーブルに突っ伏して、沈み込んだカグヤ。
彼女のそうした反応を眺めていて、相変わらず楽しい子だなあとシグレは思う。
『シグレ』
「はい、ユーリ」
『……まずは、全部纏めて一度謝らせて。ごめんなさい』
ぺこりと、小さな体躯を畳んでユーリが頭を下げてくる。
謝らせてしまっているシグレのほうが、何だか却って申し訳ないような気持ちになった。
「……謝罪は確かに。なので、もう謝って頂くのは結構です。ですが、ひとつだけユーリにどうしても話して頂きたいことがあります」
『うん』
「どうして突然、こんなことをしたんですか?」
済んでしまったことは今更、どうにもならない。時間を戻せたらいいのにとは思うけれど、逃避するよりも総て受け容れることが今は肝要だろう。
ただ、どうしてユーリがこんな行動に出たのか。シグレにはどうしても、それが理解出来なかった。今後のためにも、理由だけははっきりと聞いておかなければいけない。
黒鉄の発言から察するに、ユーリが過去に一度、自分の主を失っているようなことだけはかろうじて理解できたけれど。だからといって―――何故、その代わりが自分なのか。
『……名前は、ユミコ。それが、前の私のご主人様の名前』
ほぼ間違い無く、それは日本人の名前だ。
ユーリが〝羽持ち〟に詳しいことから、既にある程度察してはいたが。やはりそれは、前の主が〝プレイヤー〟であったかららしい。
「女性ですよね。〝羽持ち〟だった?」
『……うん、羽持ちだった。きっとカエデよりも、もう少しだけおとなだと思う。天恵は〈伝承術師〉と〈秘術師〉、そして〈銀術師〉だった』
「ユーリは、そのユミコさんの……えっと〝銀梢〟だっけ? それだったんだ?」
『そう。……私、初めて錬金ギルドに登録したとき。ベリーポーションの作り方を教えてくれたのがユミコだった。それ以来、私は多くの〈錬金〉をユミコに教わった』
「優しい人だったんですね? ユミコさんって」
「……うん。優しくて、面倒見のいいひとだった。ユミコ採取に行く時には、いつも私も一緒について行っていたんだけど……。でも、そのうち、私が居ることで、ユミコの行動範囲を狭めていることを知った」
その理由は、何となく察しが付いた。
先日、カグヤを伴った行動を振り返り、自分でも何度となく反省したばかりだ。
「危険性が高い場所に行けないから、ですね?」
『そう。ユミコは私が一緒に居ることで、リスクが高い場所には足を運べなくなっていた。ユミコは私の安全をまず第一に考えてくれたから、そのせいで迷惑を掛けてしまった』
「………」
自分も、そうすべきだったのだ。
〈ゴブリンの巣〉に出現する魔物は、どう考えてもシグレよりもレベルが高い魔物ばかりだった。
ユウジと共に一度相当を行ったとはいえ、多少は魔物が補充されていることは判っていた。ならば、自分よりもレベルが高い魔物なのだから、敗北するリスクを充分に考えていなければならなかったのだ。少なくとも―――死を喫すれば、それが正しく〝死〟に繋がるような。カグヤを連れて行って良い場所では無かった。
カグヤはあの時のことを、自分が迷惑を掛けたと考えているようだけれど。シグレからすれば、それは思い違いというものだった。どう考えても、危険な場所だと知っていながら、浅慮に彼女を連れて行ったシグレだけが悪いのだから。
『ある日。ユミコは私を図書館に連れて行き、1冊の本を見せてくれた。それは、銀術師という種族に関する本だった』
「……その本で私は〝銀の契り〟に関する情報を得た。シグレは知っていると思うけれど、この街には銀術師に関する施設が存在しない。銀術師のギルドがあるのは、ずっと北にある都市の1箇所だけ」
すみません、いま初めて知りました。
『だからユミコも〝銀の契り〟に関しては詳しくは知らなかった。……でも、幸いその本には契約に関する手順と、その効果が記されていた』
もしかすると、それは自分が読んだのと同じ本かもしれない。
シグレも図書館の中で種族に関する文献を漁ったとき、似たような本を読んだ記憶がある。〝銀術師〟は希少種族であるせいか情報を纏めた文献は少なく、けれどその本1冊で充分な知識が得られたのを覚えている。
『〝銀術師〟と契約して〝銀梢〟に生まれ変われば、例え死ぬことがあっても主の傍で何度でも蘇ることができる。―――願ってもないことで、私がユミコと契約するまでには数日と掛からなかった』
「……さーら? これっと?」
「銀術師と、銀梢のことですよ」
間違い無く、ユーリ達もシグレと同じ書物を読んだのだろう。
あの書物では、銀術師と銀梢のことは常にその呼び方で統一されていた。
「えっと、その……ユーリさんと契約した、ユミコさんは一体……?」
『……今はもう、いない。なくなってしまった』
黒鉄の言動から、既に亡くなっていることは察しがついてはいたが。
しかし、すると当然の疑問がもうひとつ湧いてくることになる。
「ですが、ユミコさんは〝羽持ち〟なのですよね? ……それなのに、亡くなったのですか?」
カグヤも同じことを考えたのだろう。すぐにユーリに問い返していた。
〝羽持ち〟に死は訪れない。―――〝プレイヤー〟だから当然、と言ってしまえば身も蓋も無いが。亡くなるようなことが有り得ないのは間違い無い。
『亡くなった、のではない。―――〝なくなった〟の』
「……え?」
『〝居なくなった〟と言ってもいい。……ある日、目を覚ましたら。同じベッドで眠っていたはずの、ユミコの姿が無かった』
ユーリの話を聞いて、ひとつの可能性がシグレの頭の中に浮かぶ。
もしそうだとしたら―――それは、悲しすぎる別れの形だ。
「朝早く起きて、どこかに出掛けられた……とかは?」
『有り得ない。……シグレやカエデは判っていると思うけれど、〝羽持ち〟の睡眠のリズムは常に変化しない。遅くとも夜の3時までには意識を失い、そして朝の6時きっかりに目を覚ます。そうでしょう?』
「……まあ、そうね。言う通りだわ」
『私は普段、短時間しか睡眠を取らない。いつもユミコより遅くまで起きて、ユミコよりも早く起きる。なのに……その私が、同じベッドにいてユミコが出掛けるのに気付かない筈が無い』
確かに、睡眠時間が固定である以上、その時間にユーリを差し置いて出掛けたりすることは無いだろう。……まさか、ゲームの中で夢中遊行症ということも無いだろうし。
『それに、契約を交わした銀梢は、常に主のパーティに加入したままになる。……なのに、パーティは解散され、私は気付けばひとりぼっちだった。ユミコの名前は、フレンドリストからさえ消えていて……』
自分が、世話になっていた相手が。仲の良かった相手が。
同じ部屋で、ベッドを共にして眠るほどに親密だった相手が。眠っている間に、消え失せてしまう―――それは、さぞ恐ろしく、悲しい出来事だったのだろう。
最後は殆ど震えるような声になりながらも、過去の記憶をそう吐き出すユーリ。瞼の端から溢れた水滴が彼女の頬を伝うのを見て、シグレは言い様のない焦燥と怒りのような感情を覚えた。
「……すみません、ちょっと出て来ます」
「シグレ。こんな状況で……どこに行くの?」
「事情を知っているかもしれない人に、念話で直接話を伺ってきます。……ここでは何ですので、外で話してきますよ」
シグレの言葉に、その意図を察したのだろう。一瞬だけ驚いた顔を見せたものの、やがてカエデは頷いて送り出してくれた。
その〝ユミコ〟という人が〝プレイヤー〟であるのなら。誰に話を訊くのが、最も詳しい情報を得ることができるのか。それを考えるのは、容易いことだった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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