54. 忠犬は斯く語りき
午前中の『バンガード』は今日も閑散としていて、静かなものだった。
冒険者に時間の制約はない。依頼などであればその対象次第では時間に縛られることもあるのだろうけれど、基本的には冒険者とは魔物を狩り、その素材を商会などに売却することで日銭を稼ぐ職業だからだ。
魔物は総じて夜目が利く。故に夜に魔物と戦うということは、種族やスキルなどで暗視能力を有した冒険者でもない限り、わざわざ好んでハンデを付けて戦うようなものだ。
冒険者は時間に捕われないが、打算的で用心深い生き物でもある。朝から夕方に掛けての見通しの良い光溢れる頃というのは、即ち狩りに適した時間帯でもある。だから『バンガード』はこの時間、閑散とする。ここが混雑するのは、大体辺りが暗くなる前後で、狩りから引き上げた冒険者が押しかけてくる時間帯だと決まっていた。
思い思いのものをカウンターで注文し、シグレとユーリ、そして黒鉄はカエデとカグヤが手を振っている窓際のテーブルに歩み寄る。
今朝もちょうど9時頃に、いつも通りカグヤから話しかけられてきた念話の声。まさに天の助けであるかのように不意に届いたその声に、シグレは思いのほか自分が発した念話の声が情けないものであることも厭わず、縋るように求めずにはいられなかった。
『助けて下さい……』と。
「シグレさんから何かを頼りにされるなんて、初めてのことですから。ちょっとびっくりしてしまいましたよ」
そう告げるのは昨日とは異なり、涼しげな薄青の絣が入った小袖を身につけているカグヤだった。腰から下が袴姿であるのはいつもと同じなのだが、今までは桜色の小袖を纏っている所しか見たことが無かったので、少しいつもとは違った印象を受ける。
「すみません、頼ってしまって……」
「いえ、私で力になれるか判りませんが。何でも話して下さいね?」
稚い笑顔をいっぱいに浮かべながら、シグレにそう告げてくれるカグヤの優しさが有難かった。
「とはいえ私達は、何しろ全く事情が判らないから。まずは色々と説明を聞かせて貰わないことには、何も言えないんだけどね」
そう告げるカエデは、今日は革鎧を身につけておらず、落ち着いた色合いを基調にしたパンツルックの行動的な装いをしていた。おそらく今日は狩りにはいかず、町歩きの予定だったのだろうか。
「……説明はもちろんしますが、長くなるかもしれません」
「あー、いいよいいよ。そのぐらいの覚悟はしてるからさ」
「すみません」
お店のマスターが届けてくれた品々から、自分が注文した珈琲を受け取る。
一口啜ってその香ばしさとほろ苦さを堪能すると、少しだけ気持ちがリラックスできるような気がした。
「とりあえず、念話用にパーティを配りますので。そのあと、ユーリのステータスを見て貰ってもいいですか? ―――特に〝種族〟の部分を」
「……ん、何だかよく判らないけど、了解」
カグヤはユーリをフレンドとして登録しているから、そのままでも見ることができるだろうけれど。カエデがユーリを登録しているのかは判らないので、閲覧して貰う為にはパーティを配る必要がある。
ユーリは念話でなければ少し会話が苦手な部分もあるので、その辺も考慮すればまず先にパーティ念話ができる環境を用意してしまったほうが得策だろう。
3人に加入要請を送ると、カグヤとユーリの分は『既に加入しています』というエラーメッセージが視界内に返されてきた。おそらくは昨日から組んだままだったのだろう。
「……これは〝ぎんしょう〟って読むのかな? 初めて見る種族名だけれど」
「読み方はそれで合ってます。滅多に居ない種族だと思いますので、知らないのも無理ないことだと思いますね」
「つまり、いまシグレさんが何かお困りなのは、ユーリさんのこの種族と何か関係があるのでしょうか?」
カグヤの言葉に、シグレは頷く。
「察しが良くて助かります。その……突然のこと過ぎて、自分ではどうしていいか判らなくて。すみませんが、知恵をお借りできれば有難い」
「シグレに分かんないことで、力になれるとも思えないけどねー。……ま、話を聞くぐらいなら、喜んで付き合うよ?」
「私も、シグレさんのお力になれるか判りませんが、お話を伺うぐらいでしたら」
二人の好意が有難い。
あまり自分から一方的に話し続けるのは得意ではないのだが。シグレは自分の知る限りの『銀術師』と『銀梢』に関する知識を、訥々とカエデとカグヤの二人に説明した。
銀術師の血―――即ち、涙銀を望んで得た相手が、銀梢となって銀術師の支配下に置かれること。シグレの涙銀を飲んだことを、ユーリが認めていること。そして、その行為が成った証拠として、ユーリのレベルが1に初期化されてしまっていること。
総ての事情を説明するのには、30分近い時間が必要だっただろうか。
一通りのことを話し終えた後に、カエデが最初に口にした疑問。それは、シグレ自身でさえ全く予想していなかった言葉だった。
「まず、黒鉄の話を聞いてみるといいんじゃない?」
「……え?」
「私には、黒鉄が一枚咬んでいるようにしか思えないんだけど?」
驚きの表情のまま、シグレは斜め後ろに座り佇んでいる黒鉄の姿を伺う。
先程、珈琲と一緒にマスターに注文した黒鉄用の肉料理が。一口も付けられないまま、項垂れる黒鉄のすぐ前で、すっかり冷め切っているようだった。
『……すまぬ、主人』
あの日、召喚した黒鉄と使い魔の契約を結んで、まだそれほどの時間は経っていないが。誠実な性格と、忠義に厚い性分を理解したことで、シグレは黒鉄に対して既に絶対の信頼のようなものを置いていた。
それだけに―――黒鉄のその返事は、シグレに対してあまりに想定外のものだった。
「黒鉄。……本当に?」
『すまない、主人……。我がユーリ殿に協力したことについて、些かの弁解もするつもりはない。昨晩、野暮用と偽って留守にしたのも、部屋の鍵を開けて置いてくれるよう頼んだのも、総てはユーリ殿に協力したが故のことだ』
それは、裏切りの吐露以外の何物でも無かった。
けれどシグレに―――〝裏切られた〟という気持ちは全く湧かなかった。黒鉄がそうしたというのであれば、行動に足る何かしらの理由があったのだと。そのようにしかシグレには考えられなかったからだ。
「済んだことだし、それは気にしない。でも、黒鉄は理由無しにそんなことは絶対にしないと思う。……理由を聞かせて貰っても?」
『……主人、忝ない。理由を端的に言うなら……ユーリ殿を憐れに思ったからだ』
―――憐憫。
黒鉄が告げたその理由に、シグレは一方で驚かされ、けれど一方では納得しても居た。堅い口調に隠された黒鉄の性格に、案外情に厚い部分があることを知っているからだ。
例えば街を歩いていれば、時折黒鉄のことを怖がるような女性や子供と遭遇することもある。街の中に居るような魔物は総じて〝使い魔〟だから、暴力を振るったりすることが無いことを街に住む人は理解しているのだが。それでも街中に魔物がいれば怖いと思う人が居るのも道理であるし、そもそも魔物以前の問題として、首輪もついていない大型犬が居れば怖いと感じる人が居るのは当然のことでもあるだろう。
黒鉄はそういう人を察したとき、常にその相手から距離を取るように歩き、絶対に視線をそちらに向けないように配慮する。恐がりな人というのはは、何よりも視線が自分のほうに向けられ、意識の対象とされることを恐れるものだ。それが判っているから、黒鉄は努めて恐怖を与えないように行動するのだろう。
また、あるいは逆に街中で女性や子供達などに絡まれ、愛玩の対象とされてしまうことも間々ある。そうした人達に頭や毛並みを撫でられる間、ただじっと黒鉄はされるがままにしていることが多い。それもまた、彼なりの優しさの一面であるのだろう。
「憐れに? どゆこと?」
『我は主人が、初めて得た〝主〟であるので、経験したことはないのだが。長年の知己である魔犬の中には、過去に使い魔としての主を持っていた者も居る。……そうした者の中には、戦いの中で主を護りきることが出来ず、死別したことで〝使い魔〟としての契約を喪失し、強制的に送還された者も居る』
使い魔には、使い魔同士の世界があるのだろうか。
自分が召喚して喚んだにも拘わらず、今更ながらシグレは召喚術師として、召喚獣のことについて何も知らないで居ることに気付かされた。
『我は一度、主を護れなかった』
「……それは」
黒鉄の言葉に、震える声を漏らしたのはカグヤだった。
〈迷宮地〉であるゴブリンの巣で。シグレは黒鉄に、カグヤを逃がして貰うことを優先させたことがある。
結果、シグレがゴブリン・ジェネラルに破れて戦闘不能となったのは、無論シグレが自分で選択した結果であるのだから、僅かにさえ黒鉄のせいではない。だが、黒鉄はそのことについて責任を感じているようだった。
そして、責任を感じているのはおそらくカグヤもなのだろう。あのとき素直に逃げていれば、あるいは黒鉄がシグレと共に戦えたかもしれない―――と。そうしていれば、戦闘の結果も変わり得たのかもしれないと。そのように、女は考えているのだろう。
「ゴブリンに敗れたのは、自分の腕が未熟だっただけだよ。黒鉄はちゃんと、命令したことを成し遂げてくれたじゃないか」
逃げるのを渋るカグヤを、ちゃんと迷宮の外へ逃がすこと。
あの時のカグヤは頑なだったし、それは決して簡単なことでは無かった筈だ。
『慰めは無用だ、主人。……それに今重要なのは、我が主人を護れなかったという経験をしたということだ。主人は〝羽持ち〟であったが故に死を免れ得たが、そうでなければもう二度と、会うことも叶わなかったであろう。当然我も、元居た世界へ強制送還されていただろうな』
「……シグレさんと、二度と会えなく……」
『死は容易く人を失わせる。一時の無力が、然れど永遠に渡る苦痛となり、残酷な結果だけを無情に突き付けることも有り得るだろう。―――あの時、我は主人を失い得たのだと。一度そのように考えてしまったが最後……最早その畏怖は、我の心に棲処を根差して離れてはくれぬ』
黒鉄の話に聞き入るカグヤは、既に殆ど泣きそうな顔になっている。
一方で、シグレとカエデは、ただただ黒鉄の話に驚きを隠せないでいた。
(……そんなことまで、考えていてくれたのか)
シグレは黒鉄に対して、全幅の信頼を置いていたつもりだったけれど。
それでも―――あるいは心のどこかで、魔犬である黒鉄もNPCの1体に過ぎないと侮っていた部分があったのかもしれなかった。
あの時、戦闘不能になったことにシグレ自身は殆ど何とも思わなかった。一撃で、元々少ないHPの何倍もに相当するダメージを受けたことで、相応の痛覚のようなものこそ明確に感じたが。痛みなどというものは一過性のものだからすぐに忘れてしまうし、精神的なショックは全く無かったから、既に取り立てて意識するような思い出でもなくなっているのだけれど。
まさか、そのことに……黒鉄がそんなにも囚われているなんて、知らなかった。
『故に、我はユーリ殿を無視することができなかった』
「そっか、ユーリは……」
『うむ。ユーリ殿は既に一度、過去に〝主〟を失っている。そのことを思うと……我には、彼女が憐れに思えてならなかった。ユーリ殿が我が主を、新たな主にと望まれるのであれば。我も……それに協力したいと、そう思ってしまったのだ』
僅かな間を置いて、黒鉄は続ける。
『―――例え、そのことが。主人の意志に背くものであっても』
お読み下さり、ありがとうございました。
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400字詰め原稿用紙:約12枚




