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(改稿前版)リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
3章 - 《創り手の快楽》

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53. 銀梢

 その日、シグレが〈イヴェリナ〉で目覚めたのは、いつもと同じ朝6時のことだった。

 眩い陽光が、カーテンの隙間から部屋の中に差し込んでいる。世界の姿は全く異なっていても、太陽が朝から注がせてくる光のそれは、現実であっても〈イヴェリナ〉であっても全く変わらない。

 眠い目を擦りながら上体を起こそうとして―――妙な違和感が、右手に纏わり付いているのにシグレは気付いた。右手に……というよりは、右手の親指にだろうか。温かな何かが絡みついていて、それを自由に動かすことができない。

 それがどうしてであるのか。ようやく眠気がクリアになってきた視界で見確かめてみて―――シグレは、思わず絶句する。


「……ユーリ?」

『おはよう、シグレ』


 ベッドの傍に身体を寄せるようにしながら。

 シグレの親指を、口の中にすっぽりと銜え込んだユーリが、そこには居た。


「………………あの。何をしているのか、聞いても?」

『指を、咥えている』


 念話なので、シグレの指先を口腔内に咥えていても、彼女の言葉が乱れることはないようだが。どちらかというと、動揺のあまりにシグレの思考のほうが乱されっぱなしになっていた。


『……あぅ』


 力を入れて彼女の口の中から指先を引っ張り出すと、何だか不満そうな声をユーリは漏らしてみせた。


(何故、人の指先を咥えて……・?)


 一体何の目的があって、こんなことを?

 そもそも、いつから? どうやって部屋の中に?

 突っ込みどころが多すぎる状況を理解しきれず、まだ半分寝惚けた頭の中で、シグレがぐるぐると回らない思考を持て余していると。


『……指の怪我はまだ痛い?』


 ユーリが、唐突にそんなことを訊いてきた。


「怪我……?」


 昨日〈イヴェリナ〉の中でやったことは思い出せる。渓流沿いで素材を採取し、工房でユーリに〈錬金〉を教わり、皆で風呂と食事をした。確か、それだけの一日だった筈で、指先に怪我を負ったりするようなことは特に無かった筈なのだが。

 ―――しかし、ユーリの唾液でふやけたシグレの親指には、確かに明確な傷が存在していた。まるで血判か何かのために、小刀などで指先に軽く傷を入れたかような、そんな程度の軽微な傷。今は止まっているようだが、おそらくつい先程までは血も流れていたのだろう。


「………………まさ、か。ユーリ」


 〝血〟という単語に思い当たる節があり、シグレは思わずユーリを見つめる。

 珍しくフードをしていない彼女は、したり顔で微笑みながら。


『ごちそうさまでした』


 そんな風に、言ってのけたのだ。




    ◇




 〈イヴェリナ〉には、22の種族があるとされている。

 その人口のおよそ5割が「人間」が占め、これに「エルフ」と「ドワーフ」を加えると、その割合は8割にも達すると言われている。種族が22あるとはいっても、その割合には顕著な差があるらしい。


 以前、長い雨が降り始めた初日と二日目の頃。シグレは図書館を訪ね、そうした知識について学んだことがあった。

 こちらの世界は自分にとって、何も判らない完全な〝異世界〟である。そう考えたシグレは、まずは職業の施設を訪ねるよりも先に、この世界自体を理解することに努めようと思ったのだった。

 とはいえ、一概に『世界自体を理解する』といっても、その範囲は極めて広く、容易くない労力と時間が必要になるであろう事は想像に難くない。なのでシグレはまず、この〈イヴェリナ〉の中にある主要な『都市』についてと、同じく〈イヴェリナ〉の中に生きる『種族』の2つの情報に絞り、知識を得ようと努力した。

 なのでシグレは、自分の種族である『銀術師』を初めとした総ての種族に対し、それなりの知識を有しているのだが―――。



 〈イヴェリナ〉には22の種族があるとされているが、この中には『希少種』と呼ばれるものが4つ含まれている。その名の通り、希少種とは単純に個体数が少ない種族のことを示し、その数が増えないのにはどれもそれなりの理由を抱えていた。

 この4種の希少種は、更に2種の『上位希少種』と『下位希少種』に分類することができる。上位と下位とはいっても、個体数に更なる顕著な差があったり、個体の持つ能力値に隔たりがあるというわけではない。『下位希少種』は、『上位希少種』によって意図的に〝増やされる〟種であり、自然と生殖により個体数を増やすような種ではないというのが、上位・下位として呼び分けられる明確な理由だった。

 例えば、上位希少種に『吸血種』、下位希少種には『鬼宿』と呼ばれる種族がある。吸血種は攻撃能力に特化された種族であり、身体能力の[筋力]や[敏捷]が高く、精神能力の[知恵]と[魅力]などの能力値も高い。一方で耐久能力に関してはエルフ以上に打たれ弱く、銀の武器に対して弱いという判りやすい弱点も有する。また〈聖職者〉や〈巫覡術師〉などの信仰を必要とする天恵を得られないという欠点も持っている。

 吸血種はその名の通り、他者の血を吸うことがある。といっても、血を吸うことが生きる上で必要というわけでは全く無いらしく、これは常に自分の手下を増やす目的で行われる。

 吸血種に一定量の血を吸われた相手は本来の種族特性を失い、『鬼宿』と呼ばれる新たな下位希少種として生まれ変わる。鬼宿は自らを作り替えた主人である吸血種に支配され、その命令に抗うことができなくなる。

 能力値は吸血種とは真逆で防御性能に特化されており、死ぬ自由さえ主である吸血種に奪われているため、例え戦闘不能に陥っても主人の傍で何度でも蘇ることができる。吸血種は生涯で3体までの相手に対して、吸血行為を行い、鬼宿として支配下に置くことが出来る。防御能力に劣る吸血種は、文字通り自分の手下であるこれら3体の鬼宿を『盾』として扱い、戦闘を行うことが多いようだ。


 一方で、吸血種とはある一面で対極の特性を備える希少種も存在していたりする。それは、シグレの種族でもある『銀術師』のことだ。

 銀術師は、今よりもずっと古い時代、まだ魔法の体系化が曖昧だった頃の〈秘術師〉と〈錬金術師〉によって作られた錬金生体―――即ち、人工的に作られた生命体という意味で〝ホムンクルス〟に相当する。見た目は人間と何ら変わらないが、銀術師の体内には血液が一切存在せず、代わりに〝涙銀(るいぎん)〟と呼ばれる特殊な液体金属が満たされている。種族として『銀術師』である者は、同時に必ず戦闘職としての〈銀術師〉の天恵を兼ね備え、自らの根源であり血脈である〝銀〟を自在に操るスペルを扱うことができる。極めて高い精神能力値を持つが、一方で身体能力値は絶望的に低く、大半の近接戦闘職の天恵を得ることができない。

 また、吸血種と同じ『上位希少種』である銀術師は、同様に対応する『下位希少種』を生み出せる存在でもあった。その下位希少種の名は『銀梢(ぎんしょう)』と呼ばれ、これは吸血種とは全く逆の手順で生み出される。

 即ち、吸血種が相手の血を〝吸う〟ことで支配するのとは対照的に―――自らの血を〝飲ませる〟ことで、相手を下位希少種たる『銀梢』へと生まれ変わらせ、あとは吸血種と同様に死の自由を奪い、支配する。

 但し吸血種のように一方的に行うことができるものとは異なり、例え望まない相手に涙銀を飲ませたとしても、相手を生まれ変わらせることはなく、その支配も及ばない。涙銀を受け容れる相手に覚悟があり、相手の支配下に置かれることを望む意志が無ければ、『銀梢』は誕生しないのだ。

 この儀式を〝銀の契り〟と呼ぶ。常に両者の合意の元に行われるものであるため、『銀梢』が誕生する機会は『鬼宿』が誕生する機会以上に稀ではあるが、吸血種のように支配できる上限はない。

 天恵としての〈銀術師〉とは、誰よりも巧みに〝銀〟を操る能力者であり、同時に〝銀梢〟を操る者でもある。〈銀術師〉のスペルの中には、自分の支配下である銀梢にしか効果を及ぼさない類のものも多く、これは自身と契約を交わした銀梢を手元に持たない〈銀術師〉にとって、全く役に立たないものだ。






(……ひとまず、状況を整理しよう)


 起きたばかりだというのに、嫌な汗がだらだらと頬を流れていた。

 いっそ銀術師について何も知らなければ―――朝起きた瞬間からベッドの傍らに幼い女性が居るこの状況を見ても、男でありながら貞操がどうこう、などという妙な心配をするだけの滑稽な話で済んだのかもしれないが。


 1. シグレの親指には傷があり、おそらく出血していた

 2. その指を、シグレが目を覚ます瞬間まで、彼女は咥えていた


 その2点だけであっても、何があったのかは想像に容易くて―――。

 想像出来てしまうだけに、それを認めてしまうのが怖かった。


『シグレ』

「……はい」

『私の、ステータスを、見て』


 ステータスを見てしまえば、現在(いま)のユーリの種族が何であるのか、すぐにはっきりしてしまう。

 見るのが怖い気持ちを抱きながらも、ままよと思いながら―――シグレはユーリの求める通りに、彼女のステータスを〝見て〟みることにした。




------------------------------------------------------------------------------------

 ユーリ/銀梢


   戦闘職Lv.1:秘術師、伝承術師

   生産職Lv.1:錬金術師


   最大HP:20 / 最大MP:77


   筋力: 5 強靱: 5 敏捷: 9 反応: 9

   知恵:32 意志:16 魅力:13 加護:16

------------------------------------------------------------------------------------




(ですよねー……)


 案の定、と言うべきか。彼女の種族欄には『銀梢』と刻まれていた。

 それはまさしくシグレの流した血―――即ち、涙銀が。ユーリの身体に作用してしまっていることの証左以外の何物でも無かった。


『……シグレ、勘違いしないで』

「え?」

『シグレは気付いてなかったみたいだけれど……。私は昨日、シグレと初めて出会ったときにはもう、種族は〝銀梢〟だった』


 ―――そう、だっただろうか。

 昨日、ユーリから自己紹介を受けたあとに―――確か、シグレは一度、ユーリのステータスを見ている筈だった。

 その時に、彼女の戦闘職の天恵が、自己紹介された通りに〈伝承術師〉と〈秘術師〉であることを確認し、そのレベルが6であること。及び、彼女の生産職である〈錬金術師〉のレベルが20にも達していることを知ったのだから。間違い無い筈だ。

 けれどその時に、ユーリのステータス欄にどういった種族名が刻まれていたかまでは、シグレは全く覚えていなかった。あまり重要なことだとは思わず、見逃してしまっていたのかもしれない。


(……もし、ユーリの言う通りなら)


 ユーリを『銀梢』へと生まれ変わらせたのが、彼女がつい先程までシグレの指を咥えていたせいではないのなら。随分と驚かされてしまったけれど、何とかシグレも安堵の息を吐くことができる気がした。


『見て欲しいのは、そこじゃない』

「……え?」

『私が見て欲しいのは……私の、レベルのこと』


 慌ててシグレは、いま一度ユーリのステータスを意識して表示させる。

 そこに表れたユーリのレベル欄には。戦闘職も生産職も―――どちらも〝1〟という数字が、端的に刻まれていた。


『……私は元々〝銀梢〟だったから、これだけでは証明にならない』


 でも、とユーリは続ける。


『でも……私のレベルが〝1〟に戻っているのは。シグレの涙銀を体内に取り込んだことで、私がまた新しい〝銀梢〟として生まれ変わったから。……シグレは昨日、私のレベルを一度〝見て〟いるはず。だから―――こっちでなら、ちゃんと証明できると思うの』


 確かに、シグレは間違い無く昨日、ユーリのレベルを確認した。

 その彼女のレベルが、今は〝1〟になっている。それは―――。


(自分のせい、なんだ……)


 もちろん、責任の所在という意味だけで言うなら、それはユーリのせいだろう。彼女が勝手にシグレの部屋に侵入し、勝手にシグレの指を傷つけ、勝手にその指を咥えて涙銀を取り込んだのだから。

 けれど、そうではない。そんなことは重要では無く―――大事なのは、ユーリがシグレの〝銀梢〟となってしまったことだ。


「……ユーリ」

『うん』


 名を呼ぶと、ユーリは嬉しそうに微笑む。


「正座」

『う……』


 シグレが〝明確な意志を籠めて〟命じた言葉に、そのユーリの表情が嫌そうなものに一変する。

 それでも彼女はすぐにシグレの命令に従い、部屋の床に正座してみせた。


「………………どうしよう」


 明確な意志を籠めて命じたことは、支配下の銀梢にとっては絶対の命令となる。

 命令に従ったユーリの姿を見て、望まぬ形で自分だけの〝銀梢〟を得てしまったことを理解せざるを得なくなったシグレは。

 銀術師である自身に備わるその能力に、今は泣きたい気持ちで一杯だった……。

お読み下さり、ありがとうございました。


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文字数(空白・改行含む):5453字

文字数(空白・改行含まない):5188字

行数:167

400字詰め原稿用紙:約13枚

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