52. 羽持ちの深い眠り
風呂を終えたあと、皆でギルド二階の『バンガード』へ夕食を取りに行こうという話になり、冒険者ギルドに顔を出すと、ちょうど窓口にはユウジの姿があった。
「何だ、案外シグレもやり手だなあ? 両手に花でも満足できないと見える」
「ええ、そうですよ。羨ましいですか?」
「はっはっ! 言ってくれるじゃねえか!」
女性ばかりを三人も同行させているシグレの姿を一目見て、ユウジは即座にからかいの言葉を投げてきたけれど。軽く躱すと、ユウジは嬉しそうにシグレの背中をバンバンと何度も叩いてきた。正直、結構痛い。
折角の機会なので、ユウジも誘って『バンガード』で食事を取り、ユウジのことを三人に紹介する。カグヤは自分の店の上客であるとのことで、ユウジとは既に面識を得ていたようだった。またカエデとユウジも直接組んだことこそ無くても、互いにギルドの中でよく見かけていた為に、見知った顔ではあったらしい。
「……へえ、カエデは〈騎士〉か。それならシグレも一緒にやりやすいだろうな」
「そう思うでしょー? ところが最近のシグレくんは、若い子にお熱らしくてつれなくてねえ……。悲しいことにお姉さんのことは相手にしてくれないのさ」
そんな会話を交わしながら、二人してちらちらをこちらを見てくるものだから、やりづらくてシグレは思わず苦笑せざるを得ない。カエデとユウジは互いに相性がよく会話が弾むらしいが、ちょこちょことこちらに飛び火してくるのが……。
さらに言えば、シグレの隣では二人の会話を聞きながら、カエデよりもずっと年上であるカグヤが頬を引きつらせている。いかにも含む所有るといった語調で、カエデに〝若い子〟呼ばわりされたのが納得いかないらしかった。
「カグヤが飲んでいるそれは、お酒ですか?」
あまり居心地が悪いのも何なので、シグレはカグヤに話題を振ってみる。
先程からカグヤがちびちびとグラスに移し、飲んでいる淡い桃色の濁りを湛えた瓶の飲み物。カグヤはバンガードで食事をする際に、いつもこれを注文しているようだったのだけれど。前々からそれが一体何なのかは、シグレも気になっている所だったのだ。
「あっ……は、はい、お酒です。こんな見た目ですが、日本酒ベースのリキュールだったりするんですよ?」
こっちの世界にも〝日本酒〟は普通にあるのか。
さすがに〝日本〟という国自体はこちらには無いのだろうが……にも拘わらず、酒だけが正しい名前でこちらの世界に持ち込まれているというのは少々意外だった。
……案外、折角色々なものを楽しめる仮想世界を作るのだから。こういうのは、酒に関しては妥協を許さなかった、一部の製作スタッフの譲れない酒の趣味が反映された結果だったりするのかもしれない。
「よかったら、一杯いかがですか? グラスは余分がありますし」
「……自分は酒を飲んだことがないので、飲めるかが判りませんが。それでも良いのでしたら」
「ええ、飲みやすくて初めて向きだと思いますし、是非。お注ぎしますね」
シグレが手にしたグラスに半分ほど、控えめにカグヤが入れてくれたその酒を、ゆっくりと口元に近づける。フルーティな香りが鼻腔を擽り、時折知り合いが病室に持ち込んでくれる、高級なジュースに近しい芳醇さを感じた。
「……殆どジュースですね、これ」
というか、飲み口もジュースとあまり変わらず。初めての酒ということで警戒していたシグレにも、何の抵抗もなくそれは飲むことができた。
「甘めのリキュール系でしたら、案外こんなものですよ?」
「そうなのですか……。悪くないですね、こういうの」
少々甘すぎるため、カグヤのように毎回こればかりを飲みたいとは思わないが。
時折カグヤに付き合って、一緒に飲みたいなと思える程度には、充分に美味しさを楽しめる酒だなと思った。
「―――そうだ、ユウジ。ちょっといいですか?」
「ん、どうした?」
「そちらのユーリに習いながら、今日初めて〝ベリーポーション〟という霊薬の生産をやってみまして。大量に作ったので、50個ばかり受け取って貰えませんか? 無料で構いませんので」
「ああ、ベリーポーションな。確か〈錬金術師〉の初心者がよく作るんだったか。……貰えるんなら、有難い。HP回復系のポーションは幾らあっても足りないんでな」
事情を知っている、カグヤもユーリも、そしてカエデまでもが。何も知らずに受け取ろうとするユウジを見て、密かな笑みを浮かべて見せている。
カグヤやカエデは良い反応を見せてくれたけれど、ユウジの場合はどうなんだろうな。―――と、シグレもまた思っていたりするので、人のことは言えないのだが。
「ではユウジの〈インベントリ〉に送っておきますね」
「おう、有難い。早速明日の狩りででも使わせて貰うよ」
シグレが渡したベリーポーションの効果について、ユウジはこの場ではチェックしなかったようだ。
ユウジがどんな反応を見せてくれるのか、この場で見られないのは少し残念だったけれど。明日実際に使ってみながら、どんな風に驚いてくれるのか。想像を馳せるのも、それはそれでなかなか楽しいことではあった。
◇
ギルドの前で皆と解散したとき、時計の針は22時を指していた。
今は帰路の夜道を、シグレの隣でユーリだけが歩いている。彼女の宿もこちらのほうであるのか、特に何も言わず自然とシグレと同じ方へ足を向けていた。
「ユーリの宿もこちらですか? 良ければお送りしますが」
今日一日、散々世話になったのだ。折角方向が同じなのであれば、そのぐらいのことはさせて欲しいと。そう思ってのシグレの提案に、けれどユーリは頭を振ってみせる。
『……大丈夫。その必要は無い』
「そうですか? ……ですが確かに、この街は治安が良いですしね」
『私は、シグレと同じ宿に泊まる』
ぼそっと、小さく漏らすようなユーリの声は。
けれど念話であるから、はっきりとシグレにも聞こえた。
「ユーリ、それはさすがに……」
『もちろん私は私で別の部屋を取る』
「……ああ、それでしたら、まあ」
つまり、ちょうど新しく宿を探していた所だった、ということだろうか。
別に誰の所でも良いから、適当に誰かと同じ宿を取りたいとユーリは考えていたのかもしれない。だとするなら、カグヤはおそらく自分の店に住んでいるのだろうから、シグレと同じ場所で宿を取ろうと彼女が着いてくるのも判らないでは無かった。
「ご飯が美味しい宿です。きっとユーリも、気に入るかと」
『……それは、とても楽しみ』
同じ部屋ということであれば当然色々と問題があるが、別に〝宿を同じに〟というだけであれば構わないし、歓迎すべきことでもあるのだろう。
シグレがそう言うと、ユーリは静かにそう呟いた。そういえば『バンガード』でもユーリは小さな体躯の割に意外と量を食べていた気もするし、案外食べるのは好きなほうなのかもしれない。
『……主人』
「うん? どうしたの黒鉄」
『済まないが、少し野暮用ができた。今夜は留守にしても良いだろうか』
黒鉄は普段、シグレと同じ部屋で、宿から借りた二枚の毛布に身体を埋もれさせながら眠っている。屋根があり風雨に晒されず、清潔で温かい毛布まであるとは何とも贅沢な話だ―――と、黒鉄はそうした睡眠環境をとても気に入っている様子だったのだが。
「それはもちろん構わないけれど……。良ければその〝野望用〟というのに、自分も付き合いますが?」
「いや、それには及ばない。夜のうちに帰れるかも判らないしな。主人は寝付きが良い方であるし、このような時間に付き合わせるというのも障りがあろう」
寝付きが良いのは、システム的な補助があってのものなのだが。
しかし確かに黒鉄の言う通り、シグレが夜を通して起きていることができないのは間違い無いのだから。無理に野暮用を手伝おうと申し出れば、それは却って黒鉄の迷惑になる可能性もある。
「ん、判った。怪我には気をつけてね」
『心得た。ああ―――ひとつ我儘を言っても良いのなら、部屋の鍵を今夜は閉めないで置いて貰えると有難い。もし早く終われば、我もやはり毛布の中で眠りたい気持ちはある』
「了解。どうせ物取りの心配もないしね」
羽持ちであるシグレの貴重品は、総て〈ストレージ〉の中にある。
仮に宿の中に泥棒が入ってきたとしても、盗られる心配は全く無い。鍵を開けて置くぐらいのことは何の問題にもならないだろう。
宿の前で黒鉄を見送り、宿の中でユーリの宿泊手続きに付き添う。
ユーリの部屋はシグレの隣室になったようだ。互いの部屋の前で別れたあと、シグレはひとり自室の天井を見上げながら、物思いに耽った。
ゴブリンの巣に挑んだあの日から、シグレの傍に黒鉄はいつもいてくれたから。こうしてひとりで夜を過ごすというのは、随分と久しぶりのことであるように思えた。
部屋にひとり、何もせずに居るというのも落ち着かず。ベッドの中に入って目を閉じると、まだ眠くなる補助を受けられる24時には早いのだが、既にうとうとと心地良い眠気が意識を霞ませていく。
そのまま眠気に抗いもせずに。シグレはゆっくりと、自分の意識を微睡みの中にへと溶かしていくことを選んだ。
―――きっと明日もまた、いつも通りの朝が来るだろう。
その時はまだ、いま少し先の未来に一切の疑いさえ抱かない儘に。
お読み下さり、ありがとうございました。
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