05. 行き過ぎたマルチクラス
マルチクラスは案外馬鹿に出来ない。
戦闘職の解説書を一通り読み終えたあと、シグレが抱いた率直な感想がそれであった。
最初ぐらいは自分のキャラを強いと錯覚してみるのも―――なんてことも一度は思ったりしたが。錯覚でも何でも無い。少なくとも序盤限定であれば、マルチクラスの優位性は確実に顕著なものとなりそうだ。
シグレがそう確信する理由は2つ。初級スペルの使い勝手の良さと、各職のパッシブルスキルの利便性だ。
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《衝撃波》
聖職者Lv.1/消費MP:20
詠唱時間:0秒 再使用時間:5秒
敵単体に衝撃ダメージを与えて、大きく後方にノックバックさせる。
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《破魔矢》
巫覡術師Lv.1/消費MP:20
詠唱時間:0秒 再使用時間:5秒
弓が必要。破魔矢を生成して敵単体を射つ。
死霊系の魔物には2倍のダメージを与える。
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《魔力矢》
伝承術師Lv.1/消費MP:20
詠唱時間:0秒 再使用時間:5秒
杖が必要。敵単体に必ず命中する魔力の矢を発射する。
術者の〈戦闘職〉レベル合計値に応じて、一度に発射される矢の数が増加する。
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《霊撃》
精霊術師Lv.1/消費MP:20
詠唱時間:0秒 再使用時間:5秒
片手に空きが必要。名も無き精霊を敵単体に衝突させる。
衝撃によるダメージを与えると共に、大きく後方にノックバックさせる。
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《狐火》
精霊術師Lv.1/消費MP:20
詠唱時間:0秒 再使用時間:5秒
片手に空きが必要。火の精霊を敵単体に抱き付かせて瞬間的に炎上させる。
火属性ダメージを与えると共に魔物を怯ませる。このスペルの火は燃え広がらない。
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現時点でシグレのスペルスロットに初期から登録されている、攻撃系のスペルはこの5つである。威力は記載されていないが、どれもレベル1で覚えるスペルなわけだし、おそらく大した殺傷力は持たないだろう。
だが、『詠唱時間』がどれも0秒に設定されており、詠唱の必要なく即発動可能と言うのは、それだけで特筆に値する。しかも一度そのスペルを使用した後、もう一度使えるようになるまでの『再使用時間』も5秒と非常に短く、単純に考えてもこの5つのスペルを〝回す〟だけで秒間1発ずつの攻撃スペルを魔物に対して打ち込めることになる。
無論、レベル1の初級スペルなのだから威力は推して知るべしと言った所なのだろう。とはいえ、そうであっても間断なく連射できるとなれば話は変わってくる可能性は高い。しかも5つのスペルのうち《衝撃波》と《霊撃》にはノックバック―――つまり魔物を後方へ〝押し出す〟効果があり、《狐火》には魔物を〝怯ませる〟ことで足を止める効果が期待できる。
つまり、ある程度の距離がある状態から戦闘を開始さえできれば、魔物が自分の傍にまで接近してくるのを上手く阻害しながら一方的に火力で屠ることもできるかもしれず、これなら『やられる前にやる』という、シグレにとって最重要な基本戦術を達成することも不可能ではないかも知れない。
それに、初期からシグレが扱える攻撃スペルはこの5種類だけだが、スロットに登録されていなかっただけで他のクラスにも初期レベルから使用可能な攻撃スペルは存在するかもしれない。引き出しが増えればそれだけ戦闘が便利になるのは間違い無いだろうから、各クラスの施設については、やはり早めのうちに一度訪問する方がよさそうだ。
特に〈秘術師〉というクラスは謎で、スペルスロットは他職同様に4枠あるのに、最初からスロットに登録されているスペルが何故かひとつもない。この辺も施設を訪ねて詳しい人に質問してみないことには、現状ではシグレ自身にも理由が全く判らなかった。
(あとは上手く装備の切り替えができるように、ちゃんと練習しないとだな)
そして何より、早めに杖と弓を買い揃えるべきだろう。まずはスペル自体を扱える装備そのものが無ければ、切り替え練習も何もあったものではない。
そういえば、今のところシグレが扱える攻撃系スペルの消費MPはそれぞれ20で固定らしく、現時点のシグレの最大MPである〝128〟からは6回まで使うことができる。逆に言えばいかに連射が可能かもしれないとはいえ、スペルを6発行使した時点でMPは枯渇同然になってしまうわけだが……。これは各職の優秀なパッシブルキルのお陰で何とかなりそうだった。
魔法職のパッシブスキルには、どのクラスにも必ず『MP回復率+5』のボーナスが付属している。このボーナスは魔法職ではない〈斥候〉のパッシブスキルには設定されていないが、代わりに〈銀術師〉には倍の『MP回復率+10』が備わっていた。だから10職合計すると、合計でちょうど『MP回復率+50』の恩恵を得ることができる。
どうやらこれは『1分間でMPが最大値の50%回復する』ことを意味するらしい。試しに治療スペルなどを無駄に自分自身に掛けまくってMPを使い切ってみたら、きっちり2分の経過で全快した。
単一クラスの魔法職キャラに対して10倍のMP回復速度が得られるというのは、あまり休憩を挟まず連戦することが可能だろうから価値が高い。逆に言えば単一クラスの魔法職キャラの場合は20分掛けなければMPを最大値まで自然回復させられないわけだから、おそらく本来はMPを回復させるポーションなどを多用して戦闘することが想定されているのだろうか。割合回復のようなので、最大MPが増えれば回復速度も上がることも将来的に見て恩恵が大きそうだ。
もちろん、シグレの場合であってもMPを回復させるポーションなどを併用すればより快適度は向上するに違いない。総ての生産職を所持しているから、自作することも可能ではあるのだろうけれど―――。
(……生産はお金に余裕ができてから、だな)
大抵のオンラインRPGなどでは、序盤の生産というものは得てして稼げないものだ。
生産のスキルが向上し、高度な品の良品を作れるようになって初めて、ある程度の収入を期待できるというのが一般的である。少なくとも店などで生産素材を購入しながら行うのでは赤字確定だろうし、生活費にも困りそうな現状で手を出すことでも無いだろう。
初めのうちは、素材が偶然揃ったものだけを作っていく感じになるだろうか。コストを掛からずに作れたアイテムならば、抵抗無く気軽に使用することもできそうだ。
そういえば、素材ってどうやって集めるのだろう。
フィールドから採取するのか、それともモンスターを倒したりして得る物なのか。
生産職についての解説書のほうも見れば判るかもしれないけれど……視界の隅に表示されている時計は『09時10分』を示している。もう冒険者ギルドも空いているだろうし、今日の所はそちらを優先することにしよう。
収入のアテさえ確保すれば時間は幾らでもあるのだから、何を始めるにしてもまずそれからだ。
◇
「おや、まだ朝早いのにもう出るのかい?」
部屋を出て階段を下りた所で、緩い割烹着のようなものを着た年配の女性に話しかけられた。
ゲーム開始時に勝手に割り当てられた部屋であって、シグレが自分で取った宿ではないから一瞬誰なのか判らなかったが。おそらくはこの人が宿の女将さんなのだろう。
「はい、ありがとうございました。鍵をお返ししますね」
「鍵を返すってことは、連泊はしないってことでいいのかね? 代金さえ払ってくれるなら同じ部屋を使い続けて貰っても構わないけれど」
……それは考えてなかった。
確かに、いずれにせよどこかに宿を取ることは必要不可欠なのだから、当面はこのまま同じ部屋を使い続けるほうがいいのかもしれない。
宿を固定にする意味があるわけでなし、その都度適当な宿に部屋を借りる形でも別に構わなくはあるのだが。もし宿の部屋が総て埋まったりして部屋が借りられない状態に追い込まれることがあれば、空室のある宿を探して歩き回ったり、最悪野宿をする羽目になる可能性もある。本気で金に困ればそれも吝かではないが、余裕があるうちに要らぬ面倒や苦労を背負うことも無いだろう。
「そう、ですね。では差し当たり、今晩も同じ部屋を使わせて頂けますか」
「あいよ、じゃあ鍵は返すよ。朝食は食べていくかい?」
「お願いします」
「なら合計で240ギータ程払って頂戴な。好きな席に座ってくれて構わないよ」
そう言うと女将さんは朝食の準備をしてくれるのか、その場を離れていく。
この宿の1階は、食事処と酒場を兼ねているようだ。広めの店内にカウンター席が10ばかり設けられており、あとは沢山のテーブルが設置されている。さすがに朝だからなのか閑散としている感は否めないが、幾つかのテーブル席では既に酒を呷っている人達も居たりするようだ。
まだ朝なのに……いや、それとも朝まで飲んでいたのだろうか……。
ひとまず、誰にも利用されていないカウンター席に腰を下ろし、インベントリから〝意識〟して240gitaを手の中に取り出す。右手の中に2種類の銀貨が、合計6枚取り出された。日本の硬貨と違って数字が掘られておらず、シグレには見分けを付けることができないが。2枚あるのが100gita銀貨で、4枚有るのが10gita銀貨ということなのだろう。
〈インベントリ〉から取り出す分には両替の手間は不要なのだろうか。望んだ金額だけを、きっちり手の中に取り出せるというのは地味に便利だ。
「はいよ、パンは食べるなら無料でおかわりできるから、必要なら言っとくれ」
「ありがとうございます、代金はそちらに」
「うん、丁度あるね。じゃあ確かに、今晩の宿代も頂いたってことで」
出て来た朝食を受け取りながら、カウンターに置いた6枚の硬貨を受け取って貰う。
宿の相場が200ギータだという話だったから、朝食の代金が40ギータということなのだろう。
(おお、これは旨そうだ……)
朝食の内容は平べったい円形状に延ばされたパンが2つと、半熟の目玉焼きにチキンの香草焼き。朝食から肉が出てきたことにちょっと驚くけれど、その香りの良さに絆されて思わずゴクリと喉が鳴る。
出されたパンは、手に取ると意外なほどに熱かった。そのフォッカチオに良く似た形状のパンを千切って口の中に放り込むと、その温かさと肉桂独特の香りに思わずシグレの顔が綻ぶ。
―――旨い。病院の買店で売っている、冷たいパンとは全くの別物だ。
「パンはうちの自慢だからね、気に入って貰えたなら嬉しいよ」
そんなシグレの表情を見てか、女将さんが嬉しそうにカラカラと笑いながら告げる。
気に入ったなんてものではない。可能なら毎日でも食べたい。
「チキンはちょっと味付けを濃いめにしてあるからね。パンで挟んでも美味しいよ」
「なるほど、やってみましょう」
それは絶対に美味しそうだ。
実際、言われた通りにしてみるとこれが馬鹿みたいに美味しい。チキンのソースが垂れそうになるのを上手く防ぎながら食べると、昔幼い頃に好んで食べたチェーン店のハンバーガーの記憶なんて消し飛ぶかのような鮮烈な美味しさで、一気に目が覚めた。
付け合わせの目玉焼きとの相性も良く、シグレはあっという間に皿の上を平らげ、思わずパンを1枚おかわりまでしてしまった。普段は食が細いほうなのだが―――人間、本当に美味しいと思うものと出会ったときには、自然と胃袋が広がってしまうモノであるらしい。
おかわり分も難なくお腹の中に収めてしまった。
やれやれ、病院の朝食もこれぐらい美味しければ文句もないのだが。
お読み下さり、ありがとうございました。
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