49. 迷惑の約束
『……凄いのが、できたでしょう?』
『確かに、凄いは凄いですけれど……』
時間経過で品質劣化|(特大)、って。
《固定化》のスペルがあるからいいようなものの、もしもそれが無かったとしたなら……この性能の変化は、逆に悪化していると言えるかもしれないものだ。
品質が94で回復量が352だから……品質値に対する回復量は3.75倍になるだろうか。ヒールベリー自体が元々品質の1.5倍相当の回復量を持つから、それを更に乗算で2.5倍増させていることになる。
しかし、品質値に対する回復量の倍率に優れているということは、品質値が少し下がってしまうだけでも、それに応じて回復量が劇的に下がっていくことに繋がるだろう。
『……早いうちに《固定化》を。私も手伝う』
『そ、それもそうですね―――』
考え事や雑談に興じるのは、やるべきことをやった後だ。
ベリーポーションの瓶を手に取り、スペルに意識を集中させる。
「……《固定化》」
潜めた声でスペルの名前を唱えると共に、シグレのMPが192から32に減少する。《固定化》の再使用時間は短いらしく、数秒も後にはすぐにもう一度使用できる状態になっていた。
だが、再使用するにはシグレのMPが全く足りない。2回目の《固定化》を使うために、つまりMPを32から160まで回復させるのには、シグレの場合で80秒程掛かる。それでMPを完全に使い切ってしまえば、次の3回目以降は100秒ずつMPの回復を待たなければならない計算にもなる。
毎分、最大MPの50%回復できるシグレでこれなのだから、ユーリもまた大変だろう。レベルが高いだけあってシグレが生産したベリーポーションを2本連続で《固定化》してみせるが、それはおそらくユーリ自身の最大MPの多さによるものだ。レベル差はあれど、MPの回復速度で言えばシグレとあまり変わらないかもしれない。
『……ユーリ』
MP回復待ちの間に。
シグレは静かに、彼女の名前を呼ぶ。
『うん?』
『自分は〈錬金〉の……。いえ、生産自体が初心者ですから、まだ判らないことのほうがずっと多い。ですが、そんな自分にも明確に判ることがあります』
『……ん、言って』
『これは―――他人に教えて良い内容では、無いと思うのですが』
それは生産自体のレシピのことについてでもあり、秘術の写本のことについてでもある。あるいは、どちらか片方をシグレに教えただけであれば、それほどシグレだって問題視はしなかっただろう。
ユーリが教えてくれた『添加』のレシピは、ポーションの効果を大きく引き上げてくれる。代償として、品質の劣化速度も急速なものとなってしまうようだが、おそらく《固定化》のスペルがあればこれを無力化できてしまう。つまり両方を他人に譲ってしまえば、それは無条件にポーションの効果を上げられる製法そのものを、他人に譲り渡してしまうことに等しい。
レシピと秘術。この2つはおそらく、ユーリにとって重要な財産であるはずだ。彼女は望むならこの2つを駆使して、相当なお金を稼ぐことができるだろう。あるいは、既に充分過ぎる程に稼いでいるのかもしれない。
だというのに。この2つを両方とも、しかもまだ会って間もない人間に提供する。そんなユーリの思惑が、シグレには全く出来なかった。
『……シグレに、協力して欲しいことがある』
シグレの目をまっすぐに見据えて、ユーリはそう告げた。
『その為に、私はシグレの信用を得る必要があった。シグレに、自分が価値のある人間だと、主張する必要があると思った。―――だから、こうした』
『……ユーリが私に求める〝協力〟には、それだけの価値があるのですか?』
『私にとっては、そう。……シグレにとってはたぶん、大したことではない』
『教えて下さい。何をユーリに協力すれば良いのですか? 自分にできる範囲内のことであれば、厭うつもりはありませんから』
こんな大層な対価など貰わなくとも、協力ぐらいなら惜しむ気持ちは無かった。内容にもよるが、ユーリがそれを言葉に出して望んでくれれば、大抵のことならば協力することができただろう。
それだけに、有無を言わさず法外な報酬を〝先払い〟してしまったユーリに対して。シグレは僅かな苛立ちを孕んだ感情を、覚えずにはいられなかった。
『……私はシグレに、ひとつ迷惑を掛ける』
『迷惑、ですか……?』
ユーリの言葉の意味が掴めなくて、思わず鸚鵡返しにシグレは訊ね返す。
『そう。……そしてそれは、私が自らの意志で、シグレに対して迷惑を掛ける、ということ。あなたに迷惑を掛けると判っているのに、私は〝それ〟をする』
『……説明が具体性を欠いていて、よく判らないのですが』
『事前には詳しく説明できない。私がシグレに全部説明できるのは、たぶん総てが終わった後になる。……協力して欲しいことというのは、他でもない。あなたに迷惑を掛ける私を許して欲しい、ということ』
できれば、具体的な〝迷惑〟とやらの内容を話して欲しい所なのだが。ユーリはその辺の詳しい部分については、黙して語ってはくれない。
そして、内容こそよく判らないが、シグレに対して迷惑を掛けること自体は、ユーリにとって確定事項であるらしかった。許して欲しいとだけ言われても、その〝迷惑〟の内容が判らないことには、返事のしようも無いと思うのだけれど……。
『判りました』
だが、それがユーリの望みであれば。
どんなものかは判らなくとも。ユーリの希望に、ただ『許す』という約束ひとつで応えられるのであれば。どうせ迷惑を掛けられることが確定事項なのであれば、自分にできるのは笑って受け容れてあげることだけだ。
『どんな迷惑かは存じませんが、自分はユーリの希望に応えますよ』
『……ありがとう、シグレ。羽持ちの人は、いつだって優しい』
そう言って、ユーリは何かに想いを馳せるかのように静かに瞼を閉じた。
ユーリの知る、羽持ち―――つまり、プレイヤーの人も優しい人であるらしい。そういえば、ユーリはすぐにシグレのことを羽持ちであると見破ったりと、プレイヤーに対して少し詳しい様子も見られるが。彼女の近しい友人にプレイヤーが居るから、きっとそうなのだろう。
『……ん、こっちもできた』
シグレが5本目のベリーポーションの《固定化》作業を終えたのに少し遅れて、ユーリも5本目の《固定化》を終える。
〝特大〟と付いているぐらいだから、それこそ数十秒や1分おきぐらいに品質が下がっていくのではないかと覚悟していたけれど。そこまで早いものでもないらしく、ユーリが最後に《固定化》を終えたベリーポーションも、品質値は94のまま全く低下してはいないようだった。
『……特大だと、だいたい10分毎に1ずつ下がる』
シグレの疑問がユーリにも判ったのか、彼女はそう教えてくれる。
ということは品質値が94あっても、940分後には完全に損なわれることになる。そして品質値が0になれば、おそらく回復量が0になり、ポーションとしては完全に無価値なものになってしまうだろう。
(……そのままでは1日と持たない、ということか)
作成しておよそ16時間後には、その価値を完全に失う。より品質の高い品を作れれば寿命も多少は延ばせようが、それでも1日持たせることは難しいだろう。
エピレフとコナミントの組み合わせ、だったか。このレシピは《固定化》が無ければ、おそらく使い物にはならない。効果を2.5倍にも増幅させるのは確かに魅力的だが、そのことに付随するペナルティが重すぎる。
なればこそ、そこからペナルティだけを容易に排除できてしまう《固定化》というスペルが、どんなに異常なものであるか―――。
『……次を、作らないの?』
シグレの顔のすぐ目の前に、覗き込むようにしてユーリの顔がある。
考え事に没頭すると回りが見えなくなるのは悪い癖である。近すぎる距離にまで迫った彼女の顔に今更ながら気付かされ、思わずシグレは驚きのあまりに硬直してしまった。
『そ、そうですね……作りましょう。ユーリにも継続して《固定化》の手伝いをお願いしても宜しいですか?』
『うん、もとよりそのつもり。……沢山作って、カグヤを驚かせよう』
……そういえば。
カグヤはおそらく、良くも悪くも初心者に見合った腕前のベリーポーションをシグレが持ち込んでくると考えているだろう。ベリーポーションは日持ちしないが、代わりに普通のポーションよりも相場が安い。冒険者にとって負担が少ない商品だから、質が悪くてもよく売れる―――と、そんなことも言っていた気がするし。
(そのカグヤの元に〝これ〟を持ち込むのはどうなんだろう……)
ユーリの指導の下で作ったこのベリーポーションは、《固定化》のお陰で問題無く日持ちさせることができる。ベリーポーションというだけで評価が下がりがちだとユーリは言っていたから、《固定化》したかたといって他のポーション類ほどの値段では売れないかもしれないが。
……それでも、この効果量はちょっと馬鹿にできない気がする。少なくとも『冒険者にとって負担が少ない商品』ではなくなっているような気がするのだが。これ、結構な値段で財布に負担を掛ける気がするし……。
『ユーリ、ひとつ訊きたいのですが。少し前に、中級ポーションとしてのひとつの目安が〝回復量120〟であると、そう言っていましたよね。』
『……うん。人によって多少の差はあるけれど、大体それぐらい』
『では、その中級より更にひとつ上のランクに達する目安というのは?』
『だいたい〝回復量300〟ぐらい。その辺からは上級ポーション扱い』
『………………では、コレは?』
『上級』
シグレが自分で作ったポーションを指さしながら問うと、ユーリは即答した。
『……おねだんは、1本当たり3,500gitaくらい』
そして、さらなる追撃がユーリの口から紡がれる。
シグレの目の前には、既に完成した10本分の〝上級〟ベリーポーション。そして〈インベントリ〉の中には、まだまだまだこれから続けて生産する予定の、あと190本分のポーション用小瓶が収められている。
一瞬だけ、頭の中で3,500gitaという単価に、合計200本分という総数を掛け合わせた計算結果を頭の中に描いてから。……シグレはすぐに考えることをやめて、その数値を振り払った。
お読み下さり、ありがとうございました。
色々と投稿予定が狂ってしまい、申し訳ありません。
予定より1日滞在時間が延び、先程出張から帰宅しました。
少々疲れておりますので、返信などは申し訳ありませんが明日に。
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