46. 初めての〈錬金〉
錬金ギルドは、受付の部屋が割合手狭であるのに反して、工房の中はかなり広かった。利用者のひとりひとりが個別に使えるなかなか大きめの机が、ゆうに十数人ぶんは設置されている。さらに工房の脇にはソファーが設置された休憩スペースのような場所まで設けられていた。
一週間で300gitaという利用料金自体も、決して高いものではないと思えるのに。その安い料金で、これだけの施設を自由に利用できるというのは有難い限りだ。
「席はどこでもいいのですか?」
『……うん。設備に差はない。好きな席でいい」
シグレ達の他には、一組の大人の男女が工房を利用しているようだった。わいわいと楽しそうに歓談しながら作業をしているようだけれど、おそらくは夫婦か何かで利用しに来ているのだろう。
折角広々とした工房なので、先客の人達とは少し距離を置いた席に陣取る。
作業机の上には、B4サイズ程の大きな白い板が設置されていた。一見すると判りにくいが、触れてみると板の表面が、あたかも釉薬を塗り焼いた陶器のようにガラス質の層で覆われているのが判る。机と固定されているわけではないようだが、かなり重量がある板であるらしく、試しに両手で持ち上げようとしてみてもシグレの筋力では微動だにしなかった。
『それは〝錬金台〟と言う、無くてはならないもの』
「錬金の作業には、この板を必ず使うわけですか?」
『そう、必ず使う。〈錬金術師〉の天恵を有している人がこの台の上で作業を行うと、錬金系統の特性を持つ素材であれば、その力が活性化されて顕れる」
「活性化……ですか」
急に話が専門的になってきたな。
活性化という単語も用途が様々であるので、案外解釈が難しいが。
『……少し先に説明する。シグレは〈錬金術師〉と〈薬師〉の天恵、この二つの違いが判る?』
「いえ―――さっぱりです。何が違うのだろう、とは思ったことがあります」
〈錬金術師〉は『霊薬』を作る。それはベリーポーションなどを初めとした、HPを回復させる効果を持つ『薬』であったりする。
なれば〈錬金術師〉と〈薬師〉の違いとは、一体何なのか。
『……例えば、ヒールベリー。生でも食べられるし、ジャムにしたりもする食用の果実。これは元々身体に良い果実とされ、病人の体力を回復させたり、疲労を緩和させたりする力がある。これを〝薬効〟と呼ぶ。……ここまでは、いい?』
「ええ、そこまでは理解出来ます」
『うん。……この『薬効』を増幅させる為の天恵を〈薬師〉と言う。天恵を持つ薬師は〝調薬台〟というものを使って、この薬効を意図的に増幅させることができる。単純な効果の増幅でも可能だし、意図して特定の薬効だけを増幅させたり、あるいはその効能を少しだけ歪ませることもできる』
「つまり、生産した品の持つ効果というのも、あくまで効能の強化という範囲に留まるわけですね。それから外れた効果を持たせることは出来ない」
『……そう。シグレは賢い。説明が楽でいい』
素材自体が持っている効能自体を発揮させることはできないから、別の効果を加えるためには、別の素材を添加することになるのだろうか。
この辺は〈薬師〉の話でもあるし、あまり突っ込んで訊いても仕方無いか。
『続ける。いま話した通り、ヒールベリーには〝身体に良い〟という薬効がある。この薬効は―――私達〈錬金術師〉には、全く関係が無い』
「………………え? 無関係なのですか?」
『そう。薬効はあくまで〈薬師〉の領分。〈錬金術師〉にとっては何も関係無い。ヒールベリーは身体に良いが、生で食べたからといって怪我が治ったり、HPが回復するわけではない。この効果自体は、薬効とは完全に別物』
確かに、体力回復や疲労回復自体は、怪我が治る効能と関係ないとも言えるか。
温泉に入ったりベッドに身体を横たえれば疲労は取れるだろうけれど、それで怪我が治ったりするわけではないだろう。もちろん宿屋に一晩泊まればどんな怪我も全快する―――なんてのは有り得ない。
『ヒールベリーは薬効とは別に、HPを回復させる〝錬金特性〟を有している。私達〈錬金術師〉が、錬金台の上でヒールベリーを扱うと、普段はオモテに出ていないこの特性が活性化される』
「……なるほど。薬効とは別ですが、その力を元々ヒールベリーは有しているわけですね。〈錬金術師〉はそれを引き出すことができる。つまり、元々ある〝錬金特性〟を引き出すことができるだけであり、やはり〈薬師〉と同様に、その錬金特性の範囲から外れた効果を持たせることはできない」
『うん、その通り。……ちなみに〈薬師〉にしても〈錬金術師〉にしても、天恵を用いた加工を加えた時点で、その素材の組成は破壊され、形状が著しく変質してしまう。〈薬師〉であれば薬効を増幅させた素材は、ぼろぼろの粉末状になってしまう。〈錬金術師〉の場合には、濃縮された液体状になる』
「液体状……。だから溶媒を加えて、ポーションにするわけですね」
『そう。必ず液体になってしまうと判っているのだから、無理に固体に戻そうとするよりも、液体のままで活用した方が楽。だから水などを加えて、霊薬―――つまり、水薬にする』
ということは〝錬金術〟とは言っても、『金』を作る学問というわけではないのだろうか。
ゲームなどで登場する〝錬金術〟は、名前とは裏腹にそもそも金を作ることを目指している場合の方が少ない気がするので、今更ではあるのだが。
「素材の錬金特性を引き出して、液状になってしまった素材。そこからさらに調薬台を用いて薬効を増幅させる作業を行った場合には、素材の形状はどうなるのでしょう?」
『………えっ?』
〈薬師〉として加工すると粉末になる。
〈錬金術師〉として加工すると液体状になる。
ならば、両方の天恵をもって加工をした場合にどうなるのか。それは、当然のようにシグレの中に生まれた疑問ではあったのだが、ユーリは酷く驚いたかのように、こちらを見つめていた。
『……か、考えたこともない。どうなるんだろう……』
「そうですか……。すみません、変なことを訊いて」
『ううん、言われてみれば尤もな疑問……。是非、シグレが試すことがあったら結果を教えて欲しい。そもそも〈薬師〉と〈錬金術師〉、二つの天恵を有している人のほうが希有なのだから』
「……なるほど。機会があれば挑戦してみます」
爆発したりしないだろうな。
さすがに、無いと思いたい。……うん。
『そちらは私には教えられないので、私はあくまでも錬金の方法を教える。えっと……あちらの壁際にひとつ棚がある。見える?』
「……見えます。中に色々と硝子製の器具があるようですが」
『うん。あそこにあるのも自由に使って大丈夫だから、覚えておくといい。じゃあ一番小さいサイズの容器と、大きめのサイズの容器を1つずつ取ってきて』
「判りました」
ユーリに促された壁際に近づいてみると、ずらりと硝子製品が並べられていた。
硝子の容器類は、一見すると大小様々なビーカーのようにしか見えない。……というか、容量を量る目盛りもついてるし、これ完全にビーカーだ。隣には枠にセットされた試験管類や、メスシリンダーやピペットとしか思えないものも普通に置いてある。
(……なんで、ここだけ実験器具が現代っぽいんだ)
そうも思ったが、現代とは違った道具類を並べられても、やはり〝プレイヤー〟は困ってしまうだろうから。この辺もゲームということを勘案した上で、運営が色々と手を入れた部分だったりするのだろうか。
考えるのを放棄しながら、シグレは指示された通り大小のビーカーと漏斗を手に取って作業机に戻った。
『小さい方のビーカーは、好きな位置で作業台の上に乗せて。乗せてから一度手を離すと、勝手に固定されて〝意識〟しないと外せなくなる』
やっぱり普通に〝ビーカー〟って呼ぶのだな、とも思いながら。指示通り、作業台の中央に小さいビーカーを乗せて手を離してみる。
一度手を離すと、確かに作業台に固定されたらしく、もう一度触れてもビーカーはびくとも動かない。しかしシグレが〝意識〟してみると、それが嘘であるかのように簡単に外れた。
こういう所では、寧ろ現代よりも便利だったりするから侮れない。
『固定したら、小さいビーカーの中にヒールベリーを1個入れて。大きいビーカーはポーションを薄めるのに使う水を入れる。すぐそこに大きいポットがあるでしょう? それからビーカーの半分ぐらい水を注いで、作業台に乗せず脇に置いておいて』
「ん、了解です。水はカグヤが川で採ってくれた、質の良いものがありますが?」
『……使うなら、折角だし少し慣れてからがいいと思う。最初は練習みたいなものだし、普通の水でいい。準備が出来たら、作業台のどこかにシグレの片手を触れさせて。あとはヒールベリーの錬金特性を引き出そうと〝意識〟すればいい』
水の準備を済ませてから。小さなビーカーに入れたヒールベリーに、シグレは意識を集中させる。
作業台に触れさせた左手の、手のひらの裡で。何かが少し熱を持つかのような感覚が伴った。するとシグレの目の前で、ビーカーの中に入っているヒールベリーがじりじりと溶け始めていく。
(……ちょっとグロいな、これ)
果物が何もせず溶解していく様を眺めるというのは、何だか変な気持ち悪さを覚える。かといって、作業中に目を背けるわけにもいかず、シグレはその様子を見守った。
完全に溶けきってしまうと、ヒールベリーは元々あった体積の5分の1近い、非常に微々たる量の液体となってしまった。このままポーション用の小瓶に入れても、その容積を半分も埋めることはできないだろう。
『次に、水で希釈する。そのままでは粘性が高すぎて、何かで薄めなければ単体では飲むことができない。……ビーカーに記されている目盛りの中に、1本だけ赤い線が入っているのが判る?』
「判ります」
『うん。……じゃあ、そのラインと同じ高さまで、水を注いで。その赤いラインは、小瓶サイズのポーション瓶と同じ容量。別にラインを超える分には構わないけれど、水を加えすぎると薄くなって回復効果が下がってしまう』
慎重に、大きい方のビーカーの注ぎ口から水を足してゆく。
ラインを少し超えた当たりまで水嵩が達してから。ユーリのほうを見ると、彼女も頷いてくれた。
『あなたの〈インベントリ〉からポーション用の小瓶を1つ出して、どこでもいいから作業台の上に立てて』
縦長で安定制の悪そうな小瓶も、手を離すと作業台に固定されて倒れなくなる。
「立てました。小瓶の蓋を開けますか?」
『その必要は無い。……というか、その小瓶は開封してから10秒ぐらい経つと勝手に消滅するから、開けたりはしないで』
「……おおっと、了解です」
『では、再び作業台に手を触れて。あとはビーカーのほうから小瓶に向けて、内容物を移そうと〝意識〟してくれればいい……』
ユーリの指示通りに意識すると、蓋を開けることもなく作業台に設置した小瓶の中が、一瞬のうちに液体で満たされた。
ビーカーの中にあった液体は、赤い線を越えていた分しか残されておらず、ここにあったものが小瓶の中に移されたのだということが理解出来る。
『……うん、おめでとう。ちゃんとできてる。〝見て〟みるといい』
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ベリーポーション(1個)/品質62
【時間経過で品質劣化|(小)】
ヒールベリーを主要素材として作成した霊薬。
飲用することで93程度のHPを回復する。
錬金術師〝シグレ〟の製作品。
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使ったヒールベリー自体の品質が高かったことを思うと、完成品の品質が62というのが、高いのか低いのかはいまいち良く判らない。
けれど回復量で言えば、ゲーム開始時から持っている『初心者用ポーション』の倍以上にも達している。単品で〈騎士〉であるカエデのHPの3分の1近い量を回復できることから考えても、決して低い回復量ではない筈だ。
『……品質の悪い、普通の水を使ったことを考えれば、かなり良い出来』
「そ、そうなのですか?」
『うん。最初からこのレベルの霊薬を作れる人は、そういない』
特に難しい作業をしたわけではないので、実感や達成感のようなものは正直あまり伴わなかったが。それでも、熟練者であるユーリに褒められれば悪い気はしない。
作業自体も〝意識〟することで容易に済ませられる部分が多く、想像していたよりもずっと楽だった。これなら200本という途方もない数も、あるいはそれほど苦労せずに作れたりもするだろうか。
お読み下さり、ありがとうございました。
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