44. 交換協定
『……つまり、ふたりはヒールベリーの採取目的で来た?』
足場の悪い樹林を抜けて林道へ出たあと、〈陽都ホミス〉へ戻る道すがらユーリはそう訊いてくる。
植栽地に何か用事があってあの場所に来ていたのではないかと思うのだが……。ユーリはあのあと『街に戻るなら私も一緒に帰る』と同行の意志を告げてきた。無論、それ自体はシグレ達に断る理由も無いので、こうして一緒に帰っているわけだけれど。
「うん、そうだよ。シグレさんも、いっぱい採れたみたい」
『この時期は豊富……。幾らでも採れる』
カグヤとユーリは、短時間会話を交わしただけですっかり打ち解け合ったようだった。互いに職人としてかなりの手練れであり、(少なくとも見た目上は)同じぐらいの年齢であることが幸いしたのだろう。林道に出るまでの間に、二人は生産の話に始まり、冒険者としての話や魔物の話、そして街での買い物の話といった幾つもの他愛もない会話も交わしていたようだった。
そんな二人の会話を、シグレはただ、ぼんやりと聞いていた。年頃の少女の会話に無理に入る必要も無いなと、一歩引いた位置で邪魔をしないように。魔物の警戒だけをそれなりにこなしながら少女達の会話に耳を傾け、新緑の中を歩くというのもこれはこれで悪くない道程ではある。
妹や志乃には、しばしば『老けている』と言われたりもしたけれど。稚い少女達から一定の距離を置いている現状の立ち位置を思うと、今更ながらに(そうかもなあ……)と自分でもしみじみと思った。
『……そういえば、シグレ』
「うん?」
そんな事を考えている最中だったものだから、急にユーリに話しかけられて、シグレは少し驚いてしまう。
『カグヤの生産に驚いたから、後回しになったけど。……シグレの天恵は、とてもユニークで面白いと思う』
「……それは、どうも」
『シグレは、〝羽持ち〟なの?』
続けて訊いたユーリの言葉の意図が判らず、一瞬戸惑うものの。それ自体は別に隠すようなことでもない。
「そうです。よく判りましたね?」
『〝羽持ち〟は自らの意志で天恵を選ぶことができる、と。そういう噂を聞いたこともある。……本当?』
さらに踏み込んできたユーリの問いに、正直に答えて良いものかシグレは僅かに逡巡する。この世界に於ける〝プレイヤー〟である自分たちのことを、どこまで明かして良いのかは、当事者であるシグレ自身にも判らないことだからだ。
しかし、ゲームを始める際にカピノス社のスタッフである深見さんから課せられている〝秘匿のルール〟について、シグレは『現実の方では他言無用』という指示しか受けてはいない。ゲームのことについて現実世界で話すのは禁止されていても、その逆―――即ち、現実のことや自分たち〝プレイヤー〟のことについて、ゲーム内で話すことは特に禁止されていないのだ。
自分の意志で天恵を選ぶことができる。それは自分のキャラクターを設定するという〝プレイヤー〟としての思考で言えばごく当たり前のことなのだが、自分の才能を自分で選ぶなどと言うのは、ゲーム内のNPCの人に取ってはとんでもない話だろう。シグレだって、もし現実世界でそんな人が居れば、同じような感想を抱くのだろうから。
「………………本当です。よくご存じですね」
迷ったが、正直に答えることにした。
噂という形でユーリが既に耳にしている以上、何らかの形でゲーム内に於いて既に吐露した〝プレイヤー〟が既に居たりするのだろう。ならば別に、シグレも無理に隠し立てする必要はない気がした。
必要があれば嘘を厭うつもりも無いけれど。逆に言えば必要に迫られない限り、嘘などというものはなるべく吐きたくないものだ。
「そ、そうだったんですか……?」
「……ええ。すみません、カグヤ。そのことを今まで話していなくて」
「い、いえ! 私も特に訊いたりしませんでしたし!」
カグヤはそう言ってくれるけれど、知っていなければ訊くことも無いだろう。無垢な彼女を騙していたようで、心が僅かに痛む思いがした。
『……シグレはこのあと、錬金ギルドに行くの……?』
「一応、そのつもりです。ヒールベリーも沢山採ってきましたし」
『……そう。だったら私も同行する。ギルドの職員よりも私が教えた方が、たぶんシグレにとっても有益……なはず』
それは、確かにそうかもしれない。
職員の人達だって、専門の施設に従事しているわけだから、決して知識や技術が浅いと言うことは無いのだろうけれど。自立して立派に店を構えているカグヤに肉薄する程のレベルを有しているユーリが教えてくれるのであれば、それ以上の価値があるであろうことは想像に難くない。
「有難い申し出ではありますが。……さすがに申し訳ないですよ」
『別にいい。……ただ、私もひとつシグレにお願いがあるの』
「お願い、ですか? それはどのような?」
『……私と〝秘術書〟の交換協定を結んで欲しい』
秘術書と言うと、シグレの持っている『封印された秘術書』のことだろうか。
確かに、シグレはそれを3冊有している。1冊はゴブリン・シャーマンとの戦闘後に、ユウジがドロップで手に入れたのを譲られたもの。もう2冊は、そのあと開けた金宝箱から獲得したものだ。
しかし、例えパーティを組んでいる相手であっても、他人の〈インベントリ〉の中身は見えない筈である。なのにどうしてユーリは、シグレが秘術書を持っていることを知っているのだろうか。
『……シグレはおそらく、まだ秘術師ギルドを一度も訪問していない。違う?』
「いえ、合っています。よく判りますね?」
『だって、あなたは〈秘術師〉としてのスペルを1つも修得していない』
「ああ、なるほど……」
パーティを組んでいる相手や、フレンドに登録している相手のステータスは見ることができる。そして相手の持つ『戦闘職』の天恵に注視すれば、修得しているスキルやスペルも閲覧することができる。
ユーリは、シグレの〈秘術師〉に関するステータスを見て、1つもスペルを修得していないことを知ったのだろう。シグレは魔法職の天恵を9種類総て取得しているが、この中で唯一〈秘術師〉だけは、ゲーム開始時から自動的に修得しているスペルが何故か1つも無かったわけだけれど……。
「つまり、秘術師ギルドを訪問すれば、自分もスペルを教わることができたわけでしょうか?」
ユーリの物言いから、一度でも秘術師ギルドを訪問していればスペルを修得していて当たり前であることは伺える。
だからシグレはそう訊いたのだが、これはユーリに首を傾げられてしまった。
『そうだとも言えるし、そうでないとも言える。秘術師ギルドは登録時に2,000gitaを徴収するが、他の魔法職ギルドとは違って、スペルを親切に教えてくれたりはしない』
「む……。そうなのですか」
『但し、代わりに登録したときに〝封印された秘術書〟をギルドから4冊貰うことができる。〈秘術師〉の天恵を持つ人であれば、この秘術書を読み解き、スペルを自力で修得することができる』
なるほど、シグレにもようやく合点がいった。
つまりユーリは、シグレが『封印された秘術書』を既に有していることを知っているわけではなく、これからギルドに登録した際に得られる分に対して『交換協定』なるものを持ちかけているわけだ。
「えっと……。要するに、自分がこれから秘術師ギルドに登録したあと、ギルドから貰える4冊の秘術書。それを、ユーリと交換すればいいのでしょうか?」
『違う。原本を貰っては、シグレが修得できなくなるから意味が無い。そうではなく、写本を交換して欲しい』
「写本ですか、なるほど。……それは、自力で作れるものなのですか?」
『作れる。〈秘術師〉の天恵を持つ者は、古代秘術語を理解し、読み書きを自由に行うことができる。1冊の写本を作るのに2時間ぐらい掛かるので、ちょっと大変……。でも、できないことじゃない』
すると、ギルドから貰える4冊分だけでも、写本の製作に8時間。シグレが既に持っている3冊分も加えると、合計で14時間と、ほぼ丸一日が掛かることになるだろうか。
大変な作業なのは間違い無い。けれど同時に、決してできないことでもない。
『〈秘術師〉とは即ち〝秘する術師〟―――。普通は写本も予備として製作するだけであり、他人に譲るようなものではない。自分の秘術書は自分の為だけのものであり、それを他人に教えるなどとんでもないこと』
「……ふむ」
『けれど〝羽持ち〟は、この世界の理に縛られないのと同様に、常識にもまた縛られないと聞く。シグレがそうであるかは判らないけれど……。もしあなたも〝羽持ち〟の例に漏れずそうであるなら、私と手に入れた秘術書の交換協定を結んで欲しい』
「自分は、手に入れた秘術書の写本を逐一ユーリにお渡しすればいいわけですね? 手に入れて何日以内にユーリに渡す、などの指定はありますか?」
シグレが思いのほか積極的に話に乗ったせいか、少しユーリは驚いた顔を見せた。
ユーリは普段、人と話すときに視線を合わせない。ただひっそりと俯いているので、彼女の表情を見確かめることはできない。けれど、驚きを露わにしたときだけは相手の目を真っ直ぐに見据える癖があるらしく、この時だけはシグレも彼女の表情を見つめることができた。
『期日などは定めない。暇な時に1冊ずつ、ゆっくり写本を作って貰えればそれで充分。……もちろん私も、シグレに対して写本を提供する意志がある』
「判りました。その提案、お受け致します」
『……!』
彼女の瞳が、再びシグレの目を見据えてくる。
僅かに緑を湛えたターコイズブルーと、アメジストのような深みを帯びた紫。左右の虹彩の色味が異なる、ユーリの神秘的なオッドアイにじっと見つめられて。シグレは何だか少し、気恥ずかしい気持ちになった。
『……あ、ありがとう、シグレ。話を受けてくれたのは、あなたが初めて』
それも長くは続かず、ユーリはふいっとすぐに目を背けてしまう。
シグレには、それが酷く惜しいような気がした。
「いえ、自分にもメリットがあるのですし、こちらこそ有難いです」
『……うん。もちろん、私からも相応の礼を返す。幸い、私がいま持っている秘術書7冊の中には、いまのシグレにとって大変に有益な秘術書が1冊含まれている』
胸を張って、ユーリはそう告げた。
「そんなことを言われたら、期待してしまいますよ?」
『……うん、いっぱい期待して。ちゃんとあなたに、私は報いてみせるの』
灰色のフードの中一杯に、笑顔を湛えてユーリはそう言ってくれた。
驚いた瞬間以外で。初めて彼女が真っ直ぐにシグレと視線を交わし、微笑み掛けてくれたその笑顔が。あまりに可愛らしくて―――シグレは一瞬、魅入られたかのように動けなかった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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