40. アリム森林地帯
カグヤと『鉄華』の前で待ち合わせて合流した後、〈陽都ホミス〉の街並みを北へと向かう。今まで街の中央部と西門側にしか足を運んだことがないシグレにとっては、移動中に見られる街の景色ひとつとっても新鮮なものとして映った。
雨の日の静けさが嘘のように、最近は街に賑わいが戻っている。寧ろ、長い雨の日に抑圧された鬱憤が爆発しているかのような印象さえ受ける。雨のノイズに包まれた静かな街並みも、今にして思い出せば悪くないものであったけれど、街の名前にも合った陽気さに包まれた今の雰囲気の方が合っているとは思った。
「今から行く街の北側というのは、どういった場所なのでしょう?」
「えっと……それは、街の中の北側ということですか? それとも街を出て北側のフィールドという意味でしょうか?」
「あ、すみません。伺いたいのは後者のほうですね」
隣を歩くカグヤに質問すると、さらに質問で返されて自分の訊き方が悪かったことを知る。
シグレの問いに、カグヤは「うーん」と少し考える仕草をしてみせた。
「街を出ると、少し先から森林が広がっています。ですので街道沿いに歩けば、それはすぐ林道になりますね。林道とは言っても、馬車がそれなりに通る交易道ですので道幅は割と広いですが」
「交易道ですか。特産品を遣り取りする街が、近くにあったりするのですか?」
「馬車で半日ほど行った先に、〈フェロン〉という森林に囲まれた都市があります。都市とは言っても、この街よりは随分と小規模になりますが……。こちらの〈ホミス〉からは海産物を、〈フェロン〉からは林産物を出して交易を行っているみたいですね」
そういえば、街で過ごしている際に潮風のような香りを感じたことが何度か合った気がする。海産物を輸出していると言うことは、やはりこの街の近くには海があるのだろう。
輸入品目は林産物―――というと、木材や樹脂、木の実や茸類などのことだろうか。もしかすると木炭などの燃料類も含まれているのかもしれない。
「自分がお世話になっている宿でも、朝食の素材に木の実や香草の類は何度か出た気がしますね。もしかして、交易商人によって街に届いた物でしょうか」
「ふふ、そうかもしれませんね。ただ、この街からも森林や山地は別に遠いというわけではないので、必ずしも他の街からのものとは限りませんが」
「なるほど」
ということは、シグレの求める〝ヒールベリー〟なども普通に輸入されていたりするのだろうか。
そう思ってカグヤに訊いてみるが、しかしその問いはすぐに否定された。
「儲からないから、やらないと思います」
「……実は、買い手があまり居ないものだったりしますか?」
「それもありますね、料理関係ですとジャムの他には、絞ってジュースにするぐらいしか使い途がありませんから、商品としての売れ行きはあまり良くないかもしれません。あと、ヒールベリーは収穫してしまうと腐るのが早いので……行商人の方も、好んで運搬したいとは考えないでしょう」
腐りやすい上に売れにくい、か。
確かにそれでは、大抵の商人は運びたがらないだろう。
「ただ、シグレさんがヒールベリーを採りに行くのは、良いと思います」
「ふむ……。それは、どうしてでしょう?」
「ヒールベリーは、加工することで〈ベリーポーション〉という霊薬を簡単に作ることができるので有名ですから。生産職に〈錬金術師〉の天恵を持っている方は、まず最初にこれで修練を積むのが常識だと聞いたことがあります。シグレさんも、天恵をお持ちですよね?」
生産職の天恵なら、全種類持っている。
それを判っているからだろう。カグヤもにかっと笑みを浮かべて、まるで自分のことのように嬉しそうに語ってくれる。
「シグレさんには、天恵が沢山ある分だけ人よりもずっと沢山の修練が必要ですが……ですが、これは逆に言えば、どの生産に手を出しても修練が積める利点であるとも言えます。ポーションを作ることで〈鍛冶職人〉の腕も上がっちゃうわけですから、ちょっと面白いですよね」
「確かに、面白い……というか、変な感じもしますね」
霊薬を作って、金槌の扱いが上手くなったりするというのも奇妙な話だ。
あるいは『錬金術』という意味で解釈すれば、金属の造詣が深くなるのはそれほどおかしくはないだろうか。
そういえば、生産職の天恵に〈錬金術師〉と〈薬師〉はそれぞれ個別に存在している。霊薬というのは〈錬金術師〉の範疇であるらしいが、この2つの天恵の違いはいったいどのようなものなのだろう?
「んー……。すみません、専門じゃないのでよくわかりませんね」
「いえ、こちらこそ変なことを訊いてすみません」
さすがに専門家でもないカグヤに訊くには、少々突っ込みすぎた質問だったようだ。この辺は、生産職の施設を訪ねた際にでも訊いてみるのが一番なのだろう。
「取り敢えずヒールベリーを多めに採取して、〈錬金術師〉の施設を訪ねてみようかと思います」
「そうですね、それがいいかもです。〝錬金ギルド〟は冒険者ギルドからも近いので、行くのも楽ちんですし」
「ふむふむ、施設の名前は錬金ギルドと言うのですね」
そのまんまの名前だとも思うが、判りやすいのは良いことだろう。
にしても、近いのなら早い内に一度行っておけばよかったかもしれないな。
◇
街の北門で衛兵の人にギルドカードを提示し、門を通過する。
衛兵の人は歩哨に二人が立っていたが、どちらも女性の人だった。冒険者ギルドで見かける人口割合からも察することができるけれど、こちらの世界では肉体労働や危険な仕事などにも、普通に女性の方は従事しているようだ。
門を出ると、既に周囲には木々が乱立しており、その密度も先に進むほどに顕著に色濃くなっていく。数分も歩いている内に、シグレ達の周囲はすっかり初夏を思わせる新緑の景観に包まれ、程よい木洩れ日が注ぐ林道は歩いていて心地良かった。
林道の割に、路はしっかりとした幅が採られ、そこには幾重もの轍の痕が見られる。まだ馬車と遭遇したりはしていないが、交易路として活用されていることは容易に察せられた。
その道をのんびりと二人歩きながら、斥候のスキル《地図製作》が新しい土地のマップを刻んでいく光景を、視界の端に眺めるのは、なかなかに楽しいことでもあった。《地図製作》が教えてくれる情報に拠れば、ここは〈アリム森林地帯〉というエリアになるようだ。
「……森なのに、魔物の気配が無いようですね」
シグレの《気配探知》には、何の反応も無い。
見通しの悪い森林なればこそ、魔物は平地より多く棲んでいてもおかしはなさそうなものなのだが。
「詳しくは知らないのですが、この林道には魔物避けの対策がされているそうです。なので、道沿いだと殆ど魔物も見かけることはありませんね。道を外れて歩いたりすれば、それなりには居ますよ。―――って、あれ?」
「……? どうされました?」
「今更ながら気付いたのですが……今日は黒鉄さんはご一緒じゃないんですね?」
いつもなら、魔物のことに関して真っ先に鼻が利くのは黒鉄である。その察知役がいないことで、ようやくカグヤはそのことに気付いたらしい。
「黒鉄が言うには、〝狩りならともかく、デートの邪魔をするほど野暮ではない〟だそうです。今日は一日、街中でのんびり過ごすって言ってました」
魔犬が街中でのんびり過ごす、というのも少々どうかとは思うのだが。宿や浴場でもそうだったけれど、街の人は魔物に類されそうな黒鉄の姿を見ても、別に驚いたりはしないようだった。
おそらくは使い魔の存在を理解しているから、街の中に入り込んでいる魔物などであれば、いちいち警戒の対象とはならないのだろう。
目の前の相手に念話で話しかけたりすることもできるから、使い魔である黒鉄なら買い物をしたりすることもできる。使い魔にも〈インベントリ〉があることを黒鉄本人から今朝になって教えて貰い、その時に2,000gitaほど渡しておいたから―――今頃は屋台街などで買い食いでもしているのかもしれない。
「で、でででで、デートですか!?」
しかし、カグヤの驚きは全く別の部分から生まれたようだった。
妹などは、車椅子のシグレ―――もとい、時雨を連れて病院の外に出掛ける度に、それをいつも〝デート〟であると呼称したりするし。別に、その単語自体をあまり特別に意識する必要は無いと思うのだけれど。
「あくまで、黒鉄がそう言っただけですよ」
「そ、そうですか。……そうですよね」
何だか少し残念そうに、カグヤはそう呟く。
彼女に、デートの相手として相応であると見て貰えているのなら、それはシグレにとっても嬉しいことではあった。
「今日はこのまま、林道を歩いて行く感じになるのですか?」
「あ、いえ―――。途中で川がありますので、そこから川沿いに上流側へ歩いて行きましょう。ヒールベリーは川沿いに群生していることが多いですから」
「なるほど、了解です」
そんな話をしていると、ちょうどシグレの後方から一台の荷馬車が来て、シグレ達の横を通り過ぎていった。
幌の無い馬車の荷台の後部には、二人の女性冒険者が座っていて。通り過ぎる傍ら、シグレ達に軽く手を振ってみせる。シグレ達もそれに応じて、名も知らぬ彼女達に軽く手を振って返した。
「もしかして、今の人達は馬車の護衛をしているのですか?」
「あ、はい。もちろんそうだと思いますが……」
「ですが、この林道の傍には魔物は寄らないのですよね?」
「―――ああ、そういうことですか」
シグレの言葉に、カグヤは軽く頷いてみせる。
「魔物に襲われることは殆どありませんが、それはあくまで『魔物避け』が機能しているからです。この林道では、魔物よりも怖いかもしれないのが出ますから」
「……それは、一体?」
「盗賊です。山を根城にしているから、山賊と言うべきかもしれませんが」
「ああ―――なるほど」
それは確かに、魔物よりも余程性質が悪いものとも言えるだろう。
略奪という、明確な悪意を持って襲ってくるものであるのだから。
「我々も、少し警戒した方がいいのですかね?」
「いえ、賊はリスクを嫌いますからね。私達が襲われることはたぶん無いと思います。例えソロで歩いているような相手であっても、わざわざ冒険者を襲ったりはしません」
「ふむふむ……それは、どうして?」
「返り討ちに遭うリスクが有るというのもありますが、それ以上に〈インベントリ〉に仕舞われている財産は奪いようが無いからですね。特に現金は、相手が幾ら持っているのか確認のしようもありませんし」
「……ああ、なるほど」
〈インベントリ〉は40種類しか詰め込めないと決まっているから、何らかの形で脅せばその中に収納しているものを奪うこともできるかもしれない。
しかし、〈インベントリ〉に収納されている現金の額は盗賊にも判らないから、奪いようが無い。冒険者だって金目のものをわざわざ持ち歩いたりはしないだろうから、それを襲うのは確かにリスクの割にリターンが少なすぎるように思える。
「ですので、山賊の対象は常に荷馬車です。商人の〈インベントリ〉に入りきらなかった商品の山が荷馬車自体に積まれていて、それを奪うのは容易ですから。もちろん、可能なら商人自体も拉致して脅し、〈インベントリ〉内の物品も吐き出させようと画策するでしょう」
「……怖い話ですね」
「そうですね……。魔物よりも人を相手に刀を向ける方が、私も余程怖いことだとは思います。ですが……ギルドに来た護衛依頼を受ける人が居ないと、商人の人達はとても困ってしまうでしょうから」
カグヤの言う通り、それを引き受けるのも冒険者としての努めなのだろう。
力なき人を護るために、人を相手に武器を向ける。言葉にすれば、あるいは人として立派なことのようにも思えるが―――けれど、それは決して簡単なことではないようにシグレには思えた。
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