38. 絆される、ということ
冒険者には2種類の人達が居る。即ち、羽を持たない大多数の冒険者と、羽を持つ僅かな冒険者だ。
〝羽〟はギルドカードを作成することで確認することができ、正しくは『フィアナの加護』と呼ばれている。フィアナ様はこの世界を創世した神様の一柱であり、記録や記憶、あるいは歴史や不易といったものを顕わす。
何故か、羽は冒険者を志すひと以外が持つことはないらしい。ギルドカードを得てみなければ羽を持っているか持っていないかは判らないのだから、これは単に冒険者以外の人が羽を持っていても判らないだけじゃないのかなとカグヤは思ったりもする。
羽を持つ冒険者は―――つまり、加護を得ている冒険者には、死が訪れることはない。魔物などに倒され、命が尽きることがあっても、その命は街の近くなどの安全な場所で身体ごと再生される。それは加護が齎す祝福であるともされ、一方では加護に縛られた者に課せられる呪いであるともされる。
死を魂の解放だとする信仰は根強い。そうした教えに在っては、彼らは死を自ら望むことが許されない、正に囚われた者と解釈されることもある。それが正しいのかどうかは、カグヤにも判らない。
あるいは〝羽持ち〟の冒険者を、〈イヴェリナ〉ではない、外の世界から来た異邦人だとする教えもある。どちらかというと、この教えの方がカグヤには得心できる部分が多かった。カエデにしてもシグレさんにしても、〝羽持ち〟の人はどこかで意外なほど常識や風習に疎い部分がある。まるで学者さんのように理知的な考え方ができる割に、不意に誰でも当然知っている筈のようなことが欠落していたりする。
そして〝羽持ち〟の冒険者には死に対する畏怖のようなものがない。どんなに屈強な魔物と相対したとしても、それを畏れることがない。故に、〝羽持ち〟の冒険者は避け得ない死が迫った状況下では、多くの場合自らの身を犠牲にして、同行する羽を持たない冒険者を逃がしたりすることがあるというのは有名な話だ。死にたくない冒険者は〝羽〟と共に在れという格言もある。一方では、生に執着する必死さが無い〝羽持ち〟は最後の部分で頼りにならない、などと揶揄されることも良くあるけれど。
(……本当に、助けられてしまった)
〝羽持ち〟の冒険者が、羽を持たない冒険者を助ける。有名な話ではあるものの、実際にそれを体験する人というのは、おそらくかなり少ないだろう。〝羽持ち〟の冒険者の絶対数は少なく、共に行動する機会を持つひと自体が少ないであろうことは想像に難くない。たまたまカエデとシグレさんという、〝羽持ち〟の方と二人も知り合っているカグヤが機会に恵まれ過ぎているほうであるというのは、自分でも正しく理解していた。
そんな〝羽持ち〟のシグレさんに、命を救われてしまった。
カグヤはいま、一人で街道を歩いていた。洞窟探索の最中にいつしか雨は止んでいたらしく、傘やコートは必要ではなかった。街道の脇には時折ウリッゴが小さな群れを作って日光浴を楽しんでいる姿が見受けられた。雨の間は気性が悪くなり、人を襲う機会が多くなるらしいウリッゴも、ようやく見られた晴れ間に心を奪われている今は、襲ってくるような気配など微塵も見られなかった。
洞窟を出て間もない頃までは隣に居てくれた黒鉄さんも、今はカグヤの隣には居ない。おそらくは、シグレさんの命が〝尽きた〟瞬間に、復活したシグレさんの位置に引き寄せられたのだと思う。使い魔は主人との特別な繋がりを持っているから、そういうことがあってもおかしくない。
その絶対の絆を。内心では少し、カグヤは羨ましくも思った。
パーティも解散され、いまカグヤは一人きりだった。とはいえ〝羽持ち〟のシグレさんが死してなお無事でいることは、彼をフレンドに登録しているカグヤには察することができた。
カグヤの視界には、既に街の西門が見えていた。あの下で待っていると、今際の念話で彼は教えてくれた。
(どんな顔をして……会えばいいんだろう)
彼を死に追いやったのが自分の責任であることを、カグヤは痛切に感じていた。
彼と、ユウジさんという冒険者によって掃討が果たされた〈ゴブリンの巣〉。その場所が、カグヤにとっては圧倒的に格上の魔物が跋扈している地であることは理解していた。魔物が狩り尽くされた翌朝であり、魔物の数が少ないと判ってはいても、危険が相応に備わっていることは容易に推測できたはずだ。
―――だというのに。己の生業故、鉱床というものに目が眩み、彼に同行を強請り、危険な地に誘ったのはただただ自分の浅慮さが招いた結果だった。
しかも自分が魔物に安易に立ち向かおうとしたが故の行動により、却ってシグレさんの手を煩わせることになり、黒鉄さんという護衛の召喚獣を彼から奪う羽目になった。彼の指示にカグヤが素直に従い、面倒を患わせることが無かったなら。もしかしたら彼は、あの強大なゴブリンの将軍にさえ勝ち果せたかもしれないのに。
本来なら、仲間を率先して護る役割を担う筈である〈侍〉の自分が、けれど却って迷惑ばかりを掛け、仲間を死の淵に落とし込んだ。
私は、自分の命を救ってくれた彼に対して、どのように報いればいいのだろう。あるいは命を失わせてしまった彼に対して、どのように償えばいいのだろうか。
彼は、数多のスペルを巧みに操る魔法使いだ。まだ冒険者を初めて間もないはずであるのに、流れるような所作と詠唱を紡ぎ、魔物を手玉にとって圧倒する。その戦い方は、戦いの優雅さに於いてしばしば詩人の唄の対象となる〈侍〉であるカグヤから見ても、洗練されていて美しかった。
カグヤは、鍛冶については相応の腕を自負している。店には常連客も多いし、ギルドを訪ねれば知らない顔の方が少ないぐらいだ。―――けれど、金属で拵えた武具は、本職の魔法使いにとって殆ど無用の長物である。彼らは木製の杖と布や革製の防具を好み、装備品による破壊力や防御性能を求めない。
彼に対して一体何を贈り報いれば。あるいは、詫びればいいのか。
もしかすると、職人としての無力さをこれほど噛みしめたことは、カグヤにとっても初めてのことかもしれなかった。
◇
西門の下で再開したシグレさんは、自らが一度死んだことなど何とも思わぬかのようなさっぱりとした表情と語調で、カグヤのことを出迎えてくれた。
それどころか、シグレさんは死んでしまったことについて「一度は体験しておきたかったので、ちょうど良かったです」なんてことさえ、言ってのける。
〝羽持ち〟の人はあくまでも死なないというだけであり、魔物に傷を負わされた際の痛みや、死に瀕する際に感じる痛みというものは、他の大多数の人と同じなのだと聞いたことがある。シグレさんの口調は落ち着いていて嘘を吐いているようには見えないけれど、彼を死に追い遣ったカグヤが自責に囚われないよう、彼が自分の為を思って嘘を吐いてくれていることは容易に理解することができた。
優しい人なのだな、と思う。
優しすぎるから、困ってしまうのだ。
カグヤは〈鍛冶職人〉として、子供の頃から男性達の中に混じり槌を握り続けてきた。周囲に居た男の人は誰も頼もしい屈強な人ばかりで、飛び出すのは荒々しい言ばかり。根は良い人達なのではあるが、どなたも自分に厳しく、そして他人にも厳しい人達ばかりであった。
けれど、シグレさんは優しい。自分を厳しく律しておられることは、まだ付き合いが然程多くはないカグヤにも容易に察することができるのに。他人に対しては、優しくあることを当然としているような節さえある。
そこにはまるで、ご自身に対して関わる総ての他人に対して、当然のような感謝の気持ちが向けられているようにさえ思えた。
それが、どうしてなのかは判らない。
カグヤは彼のことを、何も知らない。
知りたい、という気持ちさえ、つい先程自覚したばかりだった。
その日は、夜までシグレさんと一緒に過ごした。
ギルドの二階で暫く談笑しながら過ごしたあと、カグヤがもっと色々なことを話したいとせがむと。シグレさんは『鉄華』にまで着いてきてくれて、そこで色んな話をすることができた。
カグヤのほうからも色々なことを話した。その多くは〈鍛冶〉のことであり、カグヤが好き勝手に話したいことを話していたという節が強かった気がする。それでもシグレさんは嫌な顔ひとつせず、ただじっとカグヤの話に聞き入って下さった。
シグレさんと話入っている姿を見て、来る客来る客が買い物や修理の注文ついでにカグヤ達のことを冷やかしていったけれど、それも悪い気はしなかった。
「カエデから風呂に行こうという誘いが来ましたが、どうされますか?」
やがて夜になった頃に、シグレさんの口からそう訊ねられて。もちろんカグヤは迷うまでもなく、同行を申し出た。
浴場の前で顔を合わせたカエデからは、即行で色々と突っ込まれる羽目になった。少し前まではカエデから浴場に誘われても、週に二回程度までしか応じなかったからだ。だというのに、昨日カエデやシグレさん達と一緒にお風呂と楽しんだにも関わらず、カグヤは今日もこうして来てしまっている。
お風呂は好きな人は毎日でも入るものであるらしいが、大多数の人はそうではない。普段は身体を拭くに留めて、週に一度か二度程度利用するのが一般的だろう。カグヤもその大多数の例に漏れず、同様の感覚を持っていたから。カエデからそれ以上に誘われる機会があっても、断っていたのだ。
実際、こうして浴場の前まで来たにも関わらず、お風呂に入りたいかと訊かれれば……あんまりそうでもない、というのが正直な気持ちではある。
それでも。カグヤは自ら望んでここに来た。
『もしかして、シグレのこと狙ってたりする?』
脱衣所で服を脱ぐ最中、念話でカエデにそう訊かれてどきりとする。
ただでさえ、互いに背を向け合っているとはいえ、シグレさんの後ろで服を脱ぐこの瞬間には酷く緊張しているというのに。
『……そんなんじゃ、無いですよ』
カグヤはただ、そう答えた。
嘘というわけでもない。狙うとか、狙わないとか、そういうんじゃない。
ただカグヤは、シグレさんのことを少しでも多く知りたかった。
そして願わくば―――自分に対して、彼に少しでも興味を持って欲しいと。
絆された心の傍で、まだ静かに想っているだけなのだから。
お読み下さり、ありがとうございました。
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