35. 知識の財
一日ぶりに歩く〈ゴブリンの巣〉は、改めてその中を歩きながら見回してみると、意外な発見が多くあった。例えば、洞窟内の壁の一角に妙な穴があったかと思うと、その中に鉱石が溜め込まれていたり。あるいは壁や床に妙な記号とも文字とも判別付かないようなものが彫り込まれていたりする。
洞窟の一角に柔らかな枯れ草を敷き詰めている場所があるのは、もしかするとゴブリンならではの寝床であるのだろうか。あまり寝心地が良いようには思えないが、それでも土肌や岩肌に直に身体を横たえるよりはそのほうがずっとマシだろう。
NPCが独自の思考を持ち、プレイヤーであるシグレと同様の生活を送っているように。もしかすると、この〈リバーステイル・オンライン〉に於いては、魔物にさえそういった知性というものが備わっているのかもしれない。
もしも、その推測が正しいのであれば。ウリッゴのような、明らかに動物的な魔物や、ゴブリンのように知性に乏しい魔物であればまだ良いが。この先、よりレベルの高い魔物が巣くう〈迷宮地〉に挑んだりする機会があるとするなら、それはおそらくかなり難航するのではないだろうか。
(―――考えても、仕方ないか)
そういう場所に挑めるのは、どの道かなり先の話になるのは間違い無いだろう。何にしても、まだレベルが2でしかなく、成長も人よりずっと遅いシグレが考えても仕方の無いことだ。
「……かなり戦闘の痕跡があるようですね」
不意に、そうカグヤが告げる。
シグレにはあまり見分けが付かないが、判る人が見ればそういうのも判るものなのだろうか。
「昨日はかなりの回数、戦闘をする羽目になりましたからね」
「凄いですね……。シグレさんは、まだ冒険者になったばかりですのに」
「自分が凄いのではなく、同行した〈重戦士〉が凄かっただけですよ」
ユウジが居なければ、間違い無くすぐに全滅していただろう。
ここ〈ゴブリンの巣〉は、最も弱いゴブリン・ワーカーでさえレベル4の魔物である。単体ならスペルを連発することで封じ込められるかもしれないし、黒鉄が1匹か2匹なら受け持ってくれるだろうけれど、それ以上の魔物に押し寄せられればそれで終わりである。
そんな魔物を5匹程度であれば平然と抱え、時には10匹以上でさえ相手をしてみせるユウジが明らかに異常なのだ。自分はただ、彼の力を頼りにしながら同行していただけに過ぎない。
「どうも自分は、一緒に狩りをする相手に恵まれているようでして」
カエデにしても、ユウジにしても。二人はどちらも精強でいて頼もしい。
優れた前衛は、それだけ後衛の力を引き出すのだろう。シグレも当然自分なりに仕事を出来ていた自負はあるが、それは前衛として彼らが果たしてくれた仕事があってもこそのものだ。
「仲間に恵まれるのも、その人の才能のうちだと思いますよ?」
「そう、でしょうか。自分ではあまりそうは―――っと、見えました」
言いかけた言葉を中断して、鉱床の存在をカグヤに指し示す。
洞窟の壁の途中で、岩肌の質が明らかに変わる。スペルで照明効果を灯している杖を翳してみると、その鉱床の層は幅10メートル弱近くに渡って広がっており、昨日シグレが認識していたよりもずっと広い範囲に渡っていた。
「これは―――大きいですね。なるほど、鉱石の質が悪いわけです」
カグヤがそう漏らすのに、シグレも頷く。昨晩、彼女は湯を共にしている時に、鉱石の質が悪いほど採れる量が多いのだと教えてくれた。これだけ鉱床が広い範囲に渡っていれば、取ろうと思えばかなりの量を採ることができるだろう。
「早速、掘り始めてしまっても構いませんか?」
「勿論です。折角ですし、自分も素人なりに掘ってみようと思います。黒鉄、警戒を任せちゃってもいいかな?」
『無論だ。存分に没頭されるが良かろう』
カグヤが〈インベントリ〉から採掘道具と思わしき大小のピッケルを取り出したのを見て、シグレもまた昨日ゴブリン・ワーカーからのドロップで大量に手に入ったツルハシを1つ、インベントリを経由して〈ストレージ〉から取り出す。
カグヤの携える、随分と質の良さそうな道具に比べれば粗悪極まる品ではあるけれど、こんなものでも一応掘ることはできるだろう。
「掘る上で、何か気をつけることはありますか?」
「えっと、そうですね―――初心者向けのものでいいんですよね?」
カグヤの問いに、シグレはすぐに頷く。
まさしくシグレは初心者以外の何物でも無い。
「ではまず、大事なこととしましては。鉱床は、表面に近い部分以外は掘ってはいけないです。鉱床は岩肌から露出した部分だけが成長し、最良の状態となります。露出してない部分を掘っても、表面部分の半分以下程度の質しか持たない鉱石しか採れないと思います。掘りすぎてしまえば最悪、鉱床自体を破壊して損失させることになりかねません」
「……地中で成長するのではなく、露出部分が成長するのですか?」
「はい、そう考えて大丈夫です。より適切に表現するなら、鉱床は露出した部分だけが〝再生〟します。今日、この鉱床の表面の部分を根こそぎ掘り尽くしたとしても、3日から一週間ぐらい経ってからまた来れば、掘った部分は再生しています。何度でも掘れちゃうんですよ」
鉱石が勝手に〝再生〟して、補充されるのか。
だとするなら、鉱床の位置を知っているというのは、それだけで鍛冶職人にとって大きなアドバンテージになるような気がする。位置さえ判っていれば、定期的に掘って鉱石を溜め込むことができるのだから。
「―――ああ、だからなのですね」
「はい?」
「いえ、あの日カグヤが『我儘を申し上げていることは百も承知なのですが』と。鉱床の位置をだけのことなのに、随分と申し訳なさそうに言うから、少し不思議に思っていたのです」
鉱床の位置の知識は、ともすれば知りうる人に取ってひとつの財産に近い。
それを教えるよう他人に頼むことは、案外小さくない意味を持つのだろう。
「鉱床の位置は、そう気軽に他人に教えてはいけないものなんですよ? 例え師弟の関係であっても、あまり教え合ったりはしないもだそうですし」
「すみません、勉強になりました」
「……ま、その恩恵に預かってしまっている私が、言うことでもないのですけれどね」
ほんの少しだけ舌を出して、カグヤは子供っぽい仕草を笑顔でしてみせる。
例え、鉱床の知識を秘匿すべきものだと理解していても。そういう笑顔を見せられてしまえば、教えて良かったという気持ちしかシグレには浮かばなかった。
「ふふ、品質はたった30ですか。酷いものです」
早速ピッケルで掘ってみた鉱石を見ながら、カグヤはそう苦笑気味に呟く。
「ですが、それが良いのでしょう?」
「ええ、お陰で沢山採れちゃいますからね」
カグヤのピッケルが小気味よいリズムを立てながら、岩肌の隅から順に器用に表面だけを掘り剥がしていく。
シグレもまた、彼女に倣うように。彼女の隣でツルハシを振るう。品質に乏しい粗悪な鉱石を掴み取っては、〈インベントリ〉の中へ放り込んでいく。
ツルハシでも鉱石は問題無く掘ることは出来るが、少し加減が難しい。力加減を間違えば、掘りすぎて更に質の悪い層まで亀裂を入れて剥がしてしまいそうだ。
「あ、宜しければ私の予備のピッケルを使いませんか?」
「すみません……ご迷惑でなければ是非。ツルハシだと大きすぎて、ちょっと難しいようですね」
「鉱床を掘り捜す時には良いかも知れませんが、既に露出している鉱床を掘るには、あまり向いているとは言えないでしょうねー」
カグヤが取り出した大小のピッケルを有難く受け取り、作業を再開する。
ツルハシに比べて重量感に乏しい割には、軽く振るだけでも鉱床から鉱石を容易く剥がすことができて。その使い勝手の良さに、シグレは驚かされる。
「……このピッケル、もしかしてかなり良い物だったりします?」
「唐鋼という、ちょっと良い素材で作ってあります。モノ自体は私が作っちゃったやつですけどね」
「なるほど……。これは、とても使い易いです」
物の差がこれほど顕著に感じられるとは思わなかった。カグヤが凄いスピードで鉱床の表面を削ぎ落としていくのは、彼女の技巧による部分が大きいのだと思っていたけれど。どうやら使っている道具の差も大きいらしい。
カグヤの予備ピッケルは本当に扱いやすく、採掘に関して素人同然のシグレであっても、これを使えば結構な手際で掘り削っていくことができた。
「あ、では差し上げますよ。そちらは、あくまでも予備ですので」
「……宜しいのですか?」
「はい。シグレさんが使って下さるなら、そのほうが私も嬉しいですから。こんなもので、鉱床を教えて頂いたことのお礼になるのかは判りませんが」
少し恥ずかしそうに目を細めながら、カグヤがそう言ってくれる。
元より礼を求めるつもりなど無なかったのだけれど……。こんな良い物を頂いては、礼として過分すぎるのは疑いようもない。寧ろシグレのほうこそが、報いなければならない気がする。
「……ありがとうございます。大事に、致します」
「いえ、あまり大事に扱おうとか考えなくていいですよ? 普段使いの物として、気にせず存分に使い込んであげて下さい。悪くなったら、持ってきて頂ければ私が直しますから」
大事にするよりも、普段使いに存分に、か。
端的な台詞ではあったけれど、その一言にはカグヤの職人としての器量と意志が籠められているような気がして。自分より背丈の随分と低い彼女に感心を覚えると共に、やっぱり相応に大人な女性であるのだなと、シグレは改めて強い敬意を抱いた。
お読み下さり、ありがとうございました。
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行数:108
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