03. 1%の才覚
「『戦闘職』のリストを表示しますね。全部で54あります」
「……多いですね」
視界に現れた『戦闘職』の一覧を見て、思わず時雨はそう口にしてしまう。
54職ともなると、リストを前にしても簡単には全容を掴むことができない。一応『前衛』『中衛』『後衛』『術士』『補佐』の5つのカテゴリに分別されているようだが……。
「この中から1つ以上の職業を選んでプレイして頂くことができます」
「〝以上〟―――ということは、多く選択することもできるわけですか?」
「はい、可能です。例えば〈戦士〉と〈聖職者〉のマルチクラスの場合にはレベルが上がる時に両方のクラスが同時にレベルアップしますので、新しい攻撃スキルと回復スキルを同時に修得できたりします。また、能力値は高い側に準拠しますので『筋力』や『強靱』が〈戦士〉依存で『魅力』や『知恵』が〈聖職者〉というキャラクターになり、能力面での隙が無くなります」
「なるほど……それは、かなり有利ですね」
筋骨隆々の神官戦士という感じだろうか。
そういうチョイスも悪くない気がする。
「但し、もちろん良いことばかりではありません。マルチクラスを設定した場合にはキャラクターの成長速度が著しく遅くなります。―――具体的には2つ目以降のクラスを1つ選ぶ毎に、ゲーム中に獲得されるあらゆる経験値が、およそ0.6倍に減少してしまう大きなペナルティがあります」
「4割のカットですか……マルチクラスは便利そうですが、それは確かに大きなペナルティですね。では例えば3クラスのマルチにした場合には、獲得できる経験値は8割減少して20%になってしまうのでしょうか? それとも0.6倍の自乗で36%になりますか?」
4割のカット量を累加させるのと、0.6倍が累乗していくのとでは結果に大きな差が出る。というか、そもそも前者であれば事実上3職までのマルチクラスしか成立しない。4職目を選んだ時点で経験値削減率が100%を越えてしまうからだ。
そんな時雨の質問に「計算がお早いのですね」と深見さんはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「後者です。3クラスのマルチであれば獲得経験値は36%、4クラスなら21.6%になります。クラスを増やす度に獲得経験値がガクンと減っていきますので、現実的なラインとしましては2~3クラスまでぐらいに留めておく方が無難と思われます」
「ちなみに幾つまでクラスを選択することができますか?」
「一応10クラスまで選ぶことが可能ですが……。既にお判りのこととは思いますが、クラスを増やす度にレベルアップに要する労力は指数関数的に増大しますから、現実的ではないと思いますよ?」
仮に5クラス以上に増やすと獲得経験値は『13%』、『7.8%』、『4.7%』、『2.8%』……と一気に酷い割合になっていくことになる。5クラスのマルチならレベルアップに必要な労力はおよそ7.7倍に、6クラスなら12.8倍へと増大する計算になるから、確かにそれが〝割に合う〟とは少々言い難い。
現実的な妥協ラインとしては、獲得経験量が『100%÷クラス数』内に収まる辺り―――即ち、深見さんの言う通り3クラスまでなのだろう。あるいは少しぐらいの超過を許容する形で4クラスマルチの『21.6%』ぐらいまでだろうか。
あまり多くのマルチクラスを選び過ぎれば、例えばゲーム内でフレンドが出来たりしても、共に狩りをするだけで互いのレベル差が離されていくのは避けられないだろう。レベル差が生じること自体は別に時雨は気にしないが、レベル差ができることでシステム的にパーティが組めなくなったりしてしまうのは少し困るかもしれない。
「レベル差が幾つまでの人としかPTが組めない、とかそういうことはありますか?」
「いえ、ありません。採取や生産、商売がメインの低レベルな方を引き上げるような、いわゆる『パワーレベリング』のようなものもゲームスタンスとしては割と容認しておりますので、レベル差があってもPTは問題無く組むことができます。レベル差に関係なく、経験値はパーティ各自で均等に分配されますね」
それなら自分の成長がどれだけ遅くなっても気にならない。
寧ろ、人よりも劣ったレベルでのプレイを楽しむぐらいのほうが性に合っている。
「魔法職って、全部同時に取ることができますよね?」
54ものクラスが並ぶリストを個々に見ていくのは大変だが、カテゴリの中にさっと目を通すぐらいなら何の問題も無い。
クラス一覧の『術士』カテゴリに記載されているのは9つ。10クラスまで同時に選ぶことができるのなら、これを全部同時に修得するのも可能だろう。
そういった、ちょっと捻くれたプレイみたいなのが時雨は案外好きなのだ。
「き、9クラスのマルチで、獲得経験値が何パーセントになるかお判りですかっ!?」
「0.6の8乗ですので、およそ『1.7%』ですよね?」
「………………合ってはいますけどー」
深見さんの笑顔に、一筋の汗が浮かぶ。
「い、一応、可能ではありますね。スキルの使用に杖が必要だったり、片手が空いている必要があるクラスが有ったりしますので、装備を適宜変更する必要があるかもしれませんが。剣と杖を切り替えながら戦闘をしている方などは結構いらっしゃいますし、装備変更の操作自体は慣れれば難しくはないと思います。ですが……経験値が本来の1.7%しか得られなくなるというのは、レベルアップに必要な労力が59倍近くに増えちゃうわけですよ? ただでさえレベルが上がりにくくしてあるMMO-RPG系のゲームで59倍というのは……」
「折角なので限界の10クラスまで取ってみようかなと思います。なので、更に厳しくなっちゃいますね」
「ほ、本気ですか? 10クラスだと獲得経験値はたった『1%』になっちゃいますよ!?」
「本気のつもりです。レベルアップに他人の100倍の努力が必要って、判りやすくていいと思いません?」
MMOの経験値テーブルは得てしてキツいものとはいえ、大抵は最初の5~10レベルぐらいは上がりやすく設定してあるものだ。レベルが5ともなれば、10クラス各職の特徴を楽しむには充分だろう。
あまりレベリングなどを熱中して楽しめる性分ではないし、色々なコトを同時に楽しめるのであればそちらのほうが個人的な趣味にも合っている。どうせ意識せずとも毎日プレイすることになるゲームなのだ。レベルアップの機会など意識せず、マイペースにやっていくほうが自分の性にも合っている。
「……わかりました、その意志は尊重致します。ですがひとつだけ。先程の外見設定の際にも少し申し上げましたが『大聖堂』には弊社のGMが12時以降は常駐しております。こちらの者に言って頂ければ、『戦闘職』と『生産職』のリセットが可能です。どちらか片方でもリセットすると両方のレベルが1に戻ってしまいますが……。それでも、ゲーム内で無理だとお感じになったら遠慮無く利用して下さいね?」
「判りました。私も自分のスタンスに固執してゲームの楽しみ方を拒否するつもりは有りませんから、その時は素直にお願いをしにいくことにします」
「それでしたら結構です。リセットの覚悟があるのでしたら、色々なマルチクラスにしてみるのも体験の意味では悪くないと思いますし。……ちなみにあと1クラスは何を取りましょうか?」
「ん……」
魔法職がたまたま一度に全部取れるから、それでやってみようと思っただけなので。正直、明確にこういうキャラにしようというビジョンを持っているわけではなく、微妙に1枠余ると却って困ってしまう。
いっそ魔法職がちょうど10種類なら、初めから迷わずに済んだのだが。
「逆に訊き返してしまいますが、魔法職を全部取るとしてあと1つでお勧めのってありますか?」
「そうですねえ……。魔法職もそれだけあると遠距離攻撃には事欠きませんから、弓や銃など遠距離攻撃職は選ぶ必要性が薄いと思います。近接職も武器切り替えの煩雑性が増すという意味では微妙にお勧めしにくいのですが、魔法職ばかりだと身体能力値が低いままですので、そういう意味では〈戦士〉や〈騎士〉なども普通にアリだとは思いますね」
「なるほど。レベルで上がらない分の耐久力をクラスで補うわけですね」
「はい。あとは『補佐』のカテゴリーに入っている職業も大体お勧めです。このカテゴリの職業はどれも便利ではあるのですが、戦闘中に使うスキルを殆ど修得しない都合上、マルチクラスでサブ職業として取るのに向いていると言えます。時雨くんの場合は……そうですね、〈斥候〉とかどうでしょう?」
斥候、というと偵察兵とかのことだろうか。
「どんなクラスでしょう?」
「周囲に居る敵の気配を察知する『気配探知』が便利で、意識すれば遠くを見たりできる『千里眼』というスキルを覚えます。それと千里眼や視界に捕らえた魔物であれば、『解析』で魔物の名前やレベル、大まかなステータスなんかを知ることもできますね」
「ああ、敵の先手を取りやすいのはいいですね」
各職のスキルの仔細などはまだ一切知らないが、魔法職ばかりで遠距離攻撃に傾倒している以上、戦闘のイニシアティブを取れる優位性というのは決して小さくないだろう。
相手の数が多い時には気付かれないよう回避できるし、戦う場合にも有利な位置と距離から戦闘を開始できる。それに発動までの詠唱時間、いわゆるキャスティングタイムなどが必要なものもあるかもしれないし、先んじて行動できる利点は枚挙に遑がない。
「それから野外活動が得意で、『地図製作』のスキルでシステム機能に搭載されたマップよりも、より精緻な地図をオートマッピングで自作したり、敵や素材の分布情報なども記録したり、それを共有して仲間に表示させることもできますね。他には一時的に敵が近寄らない安全な場所を作ったりもできるので、野宿なんかでも安全に就寝してログアウトの時間を迎えることができます。あと迷宮探索もそれなりに得意で、罠を解除したり宝箱や扉の鍵を開けたりといった―――」
「斥候にします」
即答した。
地図も便利そうではあるが、それ以上に『宝箱を開ける』というのは、やはりファンタジーの醍醐味のひとつだろう。
「では、最後のクラスは〈斥候〉で決まりですね。色々と便利なことばかり言いましたが、戦闘外で多芸なクラスである代わりに、いざ戦闘に突入した後に使える攻撃スキルなどは基本的に持ち合わせていません。それから、レベルが低い内にはやっぱりスキルの性能も控えめになってしまいますから、実際には各種行動の成功率なども比較的低めだと思いますが構いませんか?」
「はい。成功率が低くても、できないよりは絶対いいですから」
自分で挑戦できることに意味があるのだ。その結果で失敗するなら、失敗自体を楽しむのもまたプレイスタイルの一部だろう。
一度ぐらいなら宝箱の罠で、石の中に飛ばされて死んでみるのも悪くない。
「では、『戦闘職』はこれで決まりですね。経験値倍率は0.6倍の9乗ですから―――端数が切り捨てられてちょうど『1.00%』ですね。レベル上げに他の人の100倍の努力が必要になりますので、あまり気負わず気長にやるほうがいいと思います。無理だと感じたら遠慮無くいつでも大聖堂へどうぞ」
「判りました」
「では次に『生産職』ですが、こちらは戦闘ではなく生産を行うと経験値が入る感じになります。『戦闘職』同様にマルチクラスが可能で、やはり2つ目以降のクラスを選択する毎に獲得経験点が0.6倍になります」
「マルチクラスのレベルアップは全体で共通ですか? それとも職ごとに個別?」
「共通です。例えば『錬金術師』と『鍛冶職人』のマルチクラスの場合、錬金術でポーションばかりを生産していても共通のレベルが上がります。つまり、錬金しか行わずにレベルを上げても『鍛冶職人』としての腕前も一緒に上がることになりますね」
さすがに0.6倍の累乗の上に、個別経験値管理と言うことはないようでほっとする。
『戦闘職』を限界まで選んでしまった以上、もうどうせなら『生産職』も限界まで選択してしまいたいと、そう思ってしまっているからだ。レベル管理が共通なのであれば、気長にやる分には充分許容範囲な気がする。
「マルチクラスの限界は『戦闘職』と同じで10クラスまでです。やはり限界の10クラスまで取得した場合は獲得経験値が『1.00%』になると思います。ええっと、それで……」
「………?」
説明する深見さんの口調が、妙に歯切れが悪いものになって時雨は首を傾げる。
気持ちの整理をつけるかのように、コホンと彼女の小さな咳払いがひとつ。
「生産職って、全部でちょうど10種類だったりしますが―――」
「全部取ります」
「……ですよねー……」
ですよねー。
ちょうど10個なら考えるまでもないです。
「……何度も同じことを申し上げて恐縮ですが、無理だと感じたら」
「大聖堂ですね、承知しています」
「結構です。では戦闘職と生産職が両方決まりましたので、あとは種族と名前を決めるだけですね。……といっても、実は種族の方はもう選択肢が1つしか無かったりしますが」
「え、そうなんですか?」
幾つか選択肢が狭まることは覚悟していたけれど、まさか選ぶ余地自体が無くなっているとは思わなかった。
「魔術職の中に『銀術師』という術士系のクラスがありますが、これは体内の血液を『涙銀』という水銀に似た、錬金によって精製された特殊な液体金属で満たした錬金生体―――いわゆる〝ホムンクルス〟に相当する、同名の種族『銀術師』に固定されたクラスなのです。身体能力値がエルフやレニアのような低めに設定された種族よりも更に輪を掛けて低く、代わりに精神能力値が高めで魔法職向けではあります。最大HPも低いので、殴られるとすぐ死んじゃいますが……」
「……そこは頑張ります。選択肢が1つしかないなら、それにしてください」
「承知しました。では最後に、キャラクターのお名前は何にしますか?」
「うっ」
訊かれて、時雨は返答に詰まる。
RPGなどでキャラの名前を決めるときには、たっぷり1時間ぐらいは悩んでしまうような性分なのだ。
けれど、よく考えてみれば現実と変わらない見た目のキャラクターでプレイするわけなのだから、名前だって無理に新しく捻り出す必要は無いのかもしれない。
「やはり、キャラクター名は片仮名が適切でしょうか?」
「これから行く世界〈イヴェリナ〉は、いかにもなファンタジー風の世界ですので、基本的にはそれが宜しいかと思います。ただ、時雨くんは選んだ魔術職の中に『巫覡術師』というものがありまして、これはいわゆる『和風』なイメージの伴う職業です。ですので、漢字や平仮名で付けてもダメということは無いですね」
「ふむふむ……」
漢字でも良いのなら、そのまま『時雨』でも良いだろうか。
しかし見た目が全く同じであるとは言え、ゲーム内のキャラクターはあくまでもゲーム内だけのものである。現実とは多少区別されて然るべき、と考えるべきだろうか。自分の中で区分をつける意味でも、多少は変えておいたほうが色々と困らないかもしれない。
「ではカタカナで『シグレ』でお願いします」
一文字抜いて『シグ』とかに設定しようかとも迷ったけれど。
誰かに呼ばれて、それが自分の名前だと瞬間的に判らないのもそれはそれで困るかも知れない。そう思い、結局は良くも悪くもそのままの名前に決めた。
「承知しました。他の人との重複もありませんでしたので『シグレ』で登録致します。―――ようこそ、〈リバーステイル・オンライン〉へ! シグレくんにとって良き夢の通い路となりますよう」
最初は夜闇ばかりで満たされていた筈の世界が、深見さんの声と共に直視できないほどの光に満たされていく。
これが時雨が〈イヴェリナ〉へと足を踏み入れる、初めての瞬間だった。
お読み下さり、ありがとうございました。
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