25. ゴブリンの巣
覚悟を決して洞窟の中を進み始めた瞬間から、連戦の火蓋が切って落とされた。中に入って最初に遭遇したのは、ゴブリン・ワーカーが4にゴブリン・ウォリアーが1の5体編成。黒鉄が先手を打って気配と個体数を察知し、続いてシグレが《千里眼》でその詳細を調べる。《千里眼》を使えばシグレ達からは視線が通らない、折れ曲がった道の先なども見通すことができるから、先手を仕掛ける為の情報は容易に得ることが出来た。
一方で、フィールドでは便利だった筈の《気配探知》は殆ど役に立たなくなった。さすがは〈巣穴〉というだけあり、スキルに反応する魔物の気配が多すぎて、最早ただ魔物が〝凄く沢山居る〟ということしか判らない。うじゃうじゃと魔物の気配が無規則に動き回る感覚だけが意識されて、シグレはちょっと気分が悪かった。
ゴブリン達は例え遠くで戦闘の音が聞こえても、気にも留めないようではあったが。さすがに戦闘が始まり、剣戟の音やゴブリンのギャーギャーと五月蠅い喚き声が聞こえると、近い距離に居るゴブリン達は野次馬のようにぞろぞろと集まってくる。
遠距離攻撃を仕掛けてくるゴブリン・アーチャーが居ないから、我も好き勝手に暴れられるなと。そう言ってユウジと共に敵集団へ突撃していった黒鉄は、戦闘を察知して集まってきたゴブリン・アーチャー6体の集団を見て、思わず『げ、解せぬ』と泣き言を漏らしてみせた。
すぐに射手の集団へ攻撃対象を切り替えて黒鉄は疾駆するも、さすがに警戒している弓手6体をそうそう抑えきれるはずもない。
『シグレ、黒鉄にも《生命吸収》を掛けて下がれ! お前が狙われるとヤバい!』
『―――了解!』
ユウジの指示に従い、黒鉄に《生命吸収》のスペルを掛けてからシグレはそそくさと後退する。遮蔽物に身を隠しながら、ユウジと黒鉄が1体ずつ敵を屠っていく光景をただ眺めているだけだった。―――何とも情けないこと極まりない姿である。
《生命吸収》は、与えた近接攻撃ダメージの一部を吸収できるようになるスペルであるが、その吸収効率はあまり良いとは言えない。シグレのレベルが上がれば性能も向上するのかもしれないが、現時点では与えたダメージの10%程度を吸収出来る程度でしかなく、高い防御力と盾を駆使するユウジはともかく、黒鉄のHPはじりじりと確実に削られていく。
縦横無尽に走り回っている間は、黒鉄に向けてゴブリン・アーチャーから放たれる矢も地面を刺すだけでしかないが。黒鉄の最も与ダメージ能力の高い攻撃手段は噛み付きであり、ゴブリンの肉に牙を突き立てる瞬間にはどうしても足が止まってしまう。同士討ちなど恐れもしないのか、ゴブリン・アーチャーは平気で味方に噛み付いている黒鉄に向けて平然と矢を射掛けてくる。黒鉄の体躯に何本もの矢が突き刺さる光景に、黒鉄ではなくシグレのほうが軽い悲鳴を上げた。
『―――主人、回復は要らぬ』
『黒鉄、でも!』
『下手な回復は焼け石に水だ。《蘇生召喚》の準備をお願いしたい』
シグレは4種類の回復スペルを有している。聖職者の《軽傷治癒》、巫覡術師の《小治癒》、付与術師の《小活力》、伝承術師の《負傷処置》だ。しかし前者2つはレベル1のスペルだけあり、その治療効果は世辞にも高いとは言えない。再使用時間が5秒と短いため、継続して使用を続ければ充分な効果を発揮することもできようが、瀕死に近い状態の味方を支えるほどの力を有するスペルではない。
付与術師の《小活力》は徐々にHPを回復させる類のスペルなので、状況を立て直すには全く向かない。《負傷処置》であれば他の2つより治療効果は幾らか高いのだが、こちらは治療する味方の患部に接触する必要があり、とてもではないが戦闘中に利用可能なスペルでは無く、論外と言ってよかった。
召喚術師の《蘇生召喚》であれば、HPが失われて消滅した使い魔をすぐに全快状態で再召喚することができる。故に、黒鉄の希望は理に適っている。適っているのだが―――それは、黒鉄を一度『見殺しにしろ』と言っているのと同じである。シグレの心の底に納得できない気持ちが蟠るのも、当然だろう。
『聞き分けてくれ、主人。追加の敵が4体迫っている。いま主人に治療魔法を連発させて、矢面に立たせるわけにはいかぬ』
『―――! クソっ、判ったよ!』
一体何年ぶりに発したものだろうか、気付けばシグレは普段は絶対に使うことのない汚い言葉を口にしていた。
味方を治療する類の魔法は、敵からすればとても厄介なものとして認識される。スペルを行使すればするほどに敵愾心を集めてしまい、それだけシグレは攻撃対象として狙われやすくなる。新たに敵が迫っているのであれば尚更、それをさせまいとする黒鉄の指摘は正しかった。
『シグレ、新手の構成は何だ!?』
『ウォリアーが3、ワーカーが1です』
『よし、それなら新手は俺が抑える!』
幸いと言うべきか、そう告げたユウジが突き刺した剣が、ちょうど彼が相手にしていた最後のゴブリンを光の塵にと変えた。さすがはレベルが高いだけのことはあり、ユウジはゴブリンを殲滅する速度も速い。
一方では、ゴブリン・アーチャーの数を半分にまで減らした、もう数え切れない程の矢に身体を穿たれた黒鉄が、静かにその姿を光の塵へと変えた。
「契約の徒に死は抱かれず、契約の絆は終焉を抱けず。友よ、仮初めの安息を捨ていま再び我が力となれ―――《蘇生召喚》!」
感情に心を揺らす暇も無く、準備していた《蘇生召喚》をすぐに詠唱する。
シグレの足下に光の粒子が集積し、傷ひとつない黒鉄の身体が蘇生された。
『―――主人、感謝する!』
黒鉄もまた、自分の死など気にも留めぬといった様子で再び突撃していく。
その体躯を見送り、頼もしいと思いながら。同時に、必要に応じて使い魔を犠牲にすることさえ選ばねばならない〈召喚術師〉という天恵の業の深さに、シグレは軽く唇を噛んでいた。
◇
戦闘が終わった後にはユウジも黒鉄も疲労の限界と言った様子で、今はふらふらと地面に身体を委ねて休息を取っていた。シグレもまた、二人とは違い隠れていただけで全く身体を動かしていないにも関わらず、黒鉄を見殺しにしたことが負担となってか精神的にはかなり疲労を感じていた。
《千里眼》で通路の随分先に居る敵集団がこちらに近寄ってくる気配が無いことを確認してから、シグレもまた地面に座り込んで休憩を取る。倒された魔物は速やかに光と成って消え失せるとは言え、多くのゴブリンの血が流れたせいか周囲からは少し嫌な匂いがした。
「……ふう、ようやく落ち着いたな。軽くここで飯を腹に入れて構わんか?」
「ど、どうぞ。警戒はしておきますので」
その血が流れた環境下で即座に飯を食おうという発想ができる辺り、さすがは歴戦の冒険者と言った所だろうか。言われてみれば時間は12時を既に過ぎており、昼食を取るには悪くない頃合いだった。
ユウジが〈インベントリ〉から『バンガード』で作って貰ったサンドイッチを取り出し、包み紙で挟みながら器用に食べていく。どうしてお店の人が完成したサンドイッチひとつひとつに包み紙を掛けてくれているのか、シグレには判らないで居たのだけれど。あれは汚れた手でも食べられるようにする為だったのか。
「黒鉄もサンドイッチを半分どうぞ。足りないと思うけど」
『有難い、頂こう。足りぬ分は帰りにウリッゴでも喰らえば良い』
サンドイッチはハンバーグを挟んだ物と、カツレツを挟んだものの二種類。ハンバーグはなんとなく良くない気がして、カツレツが挟まれたものを開いた包み紙を下にして黒鉄のほうに差し出す。あくまでも『魔犬』なのだし、タマネギとかは気にしなくていいようにも思うけれど。
「……何だか情けなくて申し訳ない。自分だけ隠れてるばかりで」
サンドイッチを食べながら、シグレは愚痴るように漏らす。
ユウジも黒鉄も、身体を張ってあんなに頑張ってくれているというのに。自分がやっていたことといえば、ただ隠れて眺めていただけである。《千里眼》などで多少は貢献できているとは思うが、いざ戦闘が始まれば役立たずだったのは疑いようがない。
『主人、ひとつ確認しておきたいのだが』
「うん?」
『そもそも我は主人の召喚獣である。我が挙げている分の戦果は、そのまま主人の戦果でもある。もし自分が戦闘で役に立っていないなどと考えているようなら、それは全くの勘違いだ』
―――それは。そうなのかもしれない、けれど。
「《生命吸収》にも充分助けられているしな。効果時間中はやられる気がせん」
「……それはユウジがおかしいんだと思いますけどね?」
己の攻撃力と防御力の高さを武器に、ゴブリンの攻撃をものともせず吸収効果だけで耐えられてしまうというのだから凄い。
「ただ、勿体ないなとは思う。折角MPの回復力が高いのに、隠れていてそれを持て余しているというのはな。なまじシグレには出来ることが多いだけに」
『それは我も思う。主人は攻撃に補助に回復にと、何でもひとりでできてしまう万能性を持っている。共に戦えれば、間違い無く心強くはある』
「……どうしたものでしょうね? 何か良い方法があればいいのですが」
「最も良い方法は、パーティに〈騎士〉を同行させることだろうな。敵のタゲを集めるのには最も向いているし、それにダメージの身代わりほど確実なものはない」
確かに(カエデが居てくれたら)とは、シグレも思わないと言ったら嘘になる。
カエデと共に戦うことができたあの日には、例え魔物の標的が自分に向けられたとしても、恐れることは何も無かった。もし頼もしい彼女が隣に居てくれるなら、シグレは今よりもずっと自身の望む儘に行動することができるだろう。
お読み下さり、ありがとうございました。
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