20. 異世界の雨の日には
シグレが冒険者として〈イヴェリナ〉の住人となってから早くも三日が経ち、四日目の朝を迎えた。
ゲーム開始時から継続して借りている宿の自室から窓の外を見遣り、シグレは静かに溜息を吐く。こちらの世界に来た翌日の朝から降り始めたそぼ降るような雨は、未だに〈陽都ホミス〉の街並みを静かなノイズ音と共に昏く包み込んでいる。
陰鬱な気分にもなろうというものだ。雨脚はそれほど勢いのあるものではないが、まだ春の初めの頃合いとあってか気温は肌寒く、雨滴はとても冷たい。
ただ街中を移動するだけなら我慢もできようが、少なくともこの雨の中で魔物と対峙し、狩りを行うようなことは御免被りたいものだ。ギルドの依頼を果たそうというつもりには毛頭なれず、初日の夜に預けたままのギルドカードはまだ受け取ってもいなかった。
(まさか、三日連続で雨とはな……)
春先の菜種梅雨を連想するには、やや機を逸している気がするが。日本とは違ってこちらの世界では、この時期にも降り続いたりすることがあるのだろうか。こうも連日の降雨となると、さすがに何をして良いやら……。
一昨日と昨日には街の『陽都図書館』なる施設を訪ねて、こちらの世界の知識を得ることに終始していた。それはそれで得る物が多かったのだが、さすがに同じことばかり三日連続というのも少々淋しい気がする。
今日はどこに行き、何をして過ごそうか。数分近く悩んでみても決めあぐねたシグレは、とりあえず朝食でもとりながら考えようと思い、着替えた後に宿の階下へと足を向かわせた。
「おはよう、シグレ」
「おはようございます、ガドムさん」
今朝は女将さんではなく、旦那のガドムさんの方が飲食スペースを切り盛りしているらしい。宿を借り始めて四日目、すっかり名前も覚えられてしまったようだ。
「朝食は食べていくよな?」
「ええ、お願いします」
朝食の代金は昨日、宿泊費とコミで一週間分を先払いで済ませた。食べる意志を確認し、温かいお茶だけをシグレの席に出したあと、ガドムさんは奥の調理スペースに引っ込んでしまう。
今日はどんな朝食が出てくるのだろう。こちらの宿で食べる朝食はいつも美味しく、昨日も一昨日も朝食のパンは1回ずつおかわりをしてしまった。気付けばすっかり食い意地の張った人間になってしまったな、と自分でも思う。
しっかり食べる分は、そのぶん動いて消化したい所ではあるのだが。生憎の雨模様では、どうして良いものか正直困ってしまう。雨中での戦闘に慣れておく……という意味では、狩りに出るという選択肢も無しではないだろうか。
(何にしても、ギルドカードぐらいは回収しておくべきだろうか)
先方が迷惑するというものでもないだろうが、預けっぱなにするのも少々申し訳ない気もする。折角ランクが上がったのだから、実際に狩りに出るかどうかはともかく〈准六等冒険者〉の依頼票だけでも回収しておくのも悪くないかもしれない。
あるいは、この雨だ。ギルドの二階には、持て余した暇を潰している冒険者も居るかもしれない。そうした人達と会話を交わし、色々と情報を仕入れてみるのも良い気がする。
(……とりあえず、ギルドに行くだけ行ってみるか)
今日一日何をするかは、二階でのんびりしながらまた考えてみるのも良いだろう。図書館はギルドに近い場所にあるから、もし何も思いつかなければ昨日までと同様にそちらで過ごすのも悪くない。
差し当たりの方針が決まった辺りで、シグレの目の前に焼けたパンのとても良い香りが並べられてきて。ひとり黙考していたシグレの脳内は、忽ち食欲によって満たされてしまう。
平たいパンの上にはチーズが敷かれ、フレーク状の様々な野菜が無造作に散りばめられている。焼きたてのパンとチーズという組み合わせだけでも最早反則的であり、どうしてこれが美味しくない筈があるだろう。
食欲の儘に、気付けばシグレはパン相手に齧り付いていた。
◇
革製のフード付コートに、すっぽりと身を包んでから宿を出た。
雨具の類を一切持っていなかったシグレが、雨降りの初日に濡れ鼠になりながら衣料店を訪問して購ったもので、この世界に於ける雨具と言えば大抵はこうした撥水性のコートを指すらしい。何の革で作られているのかは知らないが、確かに撥水性は高く雨具としての役割は充分に果たしているようだ。
こちらの世界では、いわゆる『傘』のようなものはない。もしかしたら他の国などにはあるのかもしれないが、少なくとも今の時点ではシグレは見かけたことが無かった。オリエンタルな文化も同居している世界観なのだし、和傘のひとつぐらいは有っても良さそうな物なのだが。
フードを深く被って雨の中を歩くが、こんな雨模様では街中にも人影はまばらといった印象だった。時折見かける屋根つきの馬車を少し羨ましく思いながら、早歩き気味にシグレは町並みを抜けていく。
濡れても大丈夫とはいえ、コート越しに雨の冷たさが体温を奪っていくことだけは避けようがない。あまり長居をしたいとは思わなかった。
すっかり濡れてしまったコートの水を軽く落とし、〈インベントリ〉の中に仕舞う。濡れたものでも遠慮なく収納できるスペースがあるというのは便利なものだ。インベントリ内の収納品は普通に時間の経過影響も受けるから、放っておけば勝手に乾いてくれることも既に確認済みである。
冒険者ギルドのドアを開けると、やけに静かな建物内にドアベルの音が響き渡った。
ギルドに入ってすぐの場所に幾つも並び立っている依頼表の掲示板。三日前に来たときには何人もの人たちが依頼表を凝視していたその場所にも、今日ばかりは誰一人として佇んではいない。
その割りに掲示板自体に貼られている依頼表の数自体は増えているように見える。こんな悪天候の日には誰もが自主的に冒険者業を『休日』にしてしまうものだから、依頼ばかりが溜まっていくということだろうか。
「あ、シグレさん」
「こんにちは、クローネさん」
窓口のクローネさんも、お茶を片手にどこか暇そうにしていた。
緩んでいる姿を不意に見られてしまったからだろうか。急にシグレの前で背筋を正して(私はちゃんとしてましたよ?)と言いたげな笑顔を向けてくる。
内心で苦笑させられながらも、そうしたクローネさんの仕草を随分と可愛らしいものだと思った。
「ギルドカードを三日前から、こちらに預けているのですが」
「三日前……ですね? お調べしますので、少々お待ち頂けますか」
「判りました。掲示板を見ていますね」
ギルドカードを預けたときの窓口はクローネさんとは別の人だったから、少し掛かるかも知れない。
そう思ったのだが。シグレが掲示板の〈准六等冒険者〉の依頼を眺めて(このランクでもまだ常設依頼しか無いのだな)と思いながら、1枚ずつ依頼票を回収していると。すぐにクローネさんの呼ぶ声が聞こえて、慌てて依頼票を一通り回収してからシグレは窓口へと戻った。
「こちらが更新されたギルドカードになります。今一度ランクをご確認下さいね」
カードのランク欄には〈准六等冒険者〉と確かに刻まれている。
「記載内容に、相違ありません」
「はい、ご確認ありがとうございます。―――ふふ、凄いですね。まさかギルドに登録なさったその日のうちに、ランクが上がってしまわれるなんて」
「自分は、カエデの手伝いをしただけなんですけどね」
謙遜でも何でも無く、そう思う。
実際、ウリッゴに対する与ダメージの大半はカエデの槍攻撃によって生じたものであったし、被ダメージに関しては〈騎士〉である彼女が漏れなく総てを担っている。
シグレはただ、脇からちょこちょこと魔法で援護しただけに過ぎない。少なくともシグレ自身には、まだランクが上がるほどの働きをしたという自負が皆無であった。
「でも、カエデは凄くシグレさんのこと褒めてらっしゃいましたよ? 昨日は担当時間の後に、二階でカエデと一緒にお昼を食べたりしたんですが。その時にも『こんなに楽な狩りは今まで無かった』ってベタ褒めしていましたし」
「過剰評価ですよ」
苦笑しながらシグレは答える。実際たまたまカエデとの相性が良かっただけ、という面が大きいのは間違い無いのだから、まんざら嘘というわけでもない。
にしても、自分が知らない所でそういう話がされているというのは、何とも聞かされていてむず痒いものがあった。
「そういえばシグレさんは、確か〝羽持ち〟の回復職でしたよね?」
「ん……?」
羽持ち、というのはおそらくギルドカードに付いていた羽のマークのことを言っているのだろう。確か、正式名称は『フィアナの加護』だったか。
回復職と呼ばれるのは何だか少し違うような気もするけれど、そちらだって必ずしも間違っているというわけでもない。
「一応、治療魔法も使える、という程度ではありますが」
「本日お時間が空いているようでしたら、他の冒険者の方に同行してみるつもりはありませんか? 今ちょうど〝羽持ち〟かつ〝治療魔法が使える〟冒険者を捜している方がいらっしゃって」
「ふむ……」
この雨の中狩りをするのは、正直気乗りしない。
だが、新たに他の冒険者へ面識を得られる機会と考えれば、苦労するだけの価値はあるかもしれない。
「……とりあえず、話を聞くだけでも? レベル1の自分でちゃんとお役に立てることなのかどうか、詳細を聞いてみないことには判別しかねる部分がありますので」
「ええ、それは勿論です。ご紹介しますので、詳しくは当人に聞いてみて下さい」
シグレが頷いたのを確認してから、クローネさんは二階へと案内してくれる。
回復役を求めると言うことは、カエデのような前衛タイプの冒険者なのだろうか。視界の中に自分が修得しているスペル一覧から、回復スペルの種類を確認しながら。シグレは同時に、これから会う相手のことについて想像を馳せていた。
お読み下さり、ありがとうございました。
今回の投稿分以降は、前日に書いたものをそのまま投稿する感じになりますので、どうしても誤字などが増えると思われます。
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