148. 想いの鎚
それから、皆で一緒に生産漬けの日々が始まった。
カグヤ達が住まう自宅の一室へアヤメが泊まり込みを始め、ユーリさんと共に霊薬の量産に勤しんでいる。
地下にある冷蔵室をアヤメはいたく気に入った様子で、自分の店や家にも冷蔵室を設けられないか真剣に検討しているようだった。
聖水の生産レシピを教わったらしいアヤメは日がな嬉しそうな表情を見せる一方で、けれど「斯様に単純なことに気づけなんだとは……」と、どこか悔しそうな表情を見せることもある。その理由は判らないけれど、霊薬の生産というのも奥が深いのだろうなと、カグヤは漠然ながらにそう思った。
また、アヤメと共に同じ部屋に籠って生産に勤しんでいるユーリさんは、霊薬に関する造詣が深いアヤメとは話していて馬が合うらしく、専ら生産に従事しながらも彼女と他愛ないお喋りに勤しんでいるらしい。
少し人見知りする嫌いのあるユーリさんは、どうしても他人との交流の機会をあまり持たない所がある。今ではカグヤも随分ユーリさんと親しくなったつもりではあるけれど、それでも彼女と共に居る時にはそれほど会話は多くない。
そんなユーリさんが、気安く話を交わすことができるアヤメという友人を得たことは、素直に喜ぶべきことなのだろう。その相手が自分で無いことを少し淋しくも思うけれど……願わくばこれを契機にユーリさんの人見知りが改善するといいなと、彼女ともっと親しくなりたいカグヤは思うのだった。
ナナキさんは大量生産を決めたその日のうちに薬師ギルドを訪ねて、製薬台を二つ調達してきたようだった。
これがナナキさんひとりなら、薬師ギルドに併設されている工房で生産に勤しんでも良かったのだろうけれど。今回のナナキさんはベルさんとペアでの生産になるし、ベルさんは首輪の制約からシグレさんの傍を離れることができない。
製薬台としての性能を兼ねるシグレさんの錬金台はアヤメとユーリさんとで二台とも占拠してしまっているので、別途自宅用に買うことにしたのだろう。
ナナキさんは「どうせ必要なものでしたから」と言っていたけれど、他に製薬作業に必要とする雑多な器具類なども買い込んだそうなので、決して安い買い物では無かった筈だ。
ベルさんとナナキさんの二人は、初日こそナナキさんの部屋に籠っていた様子だったけれど、翌日には製薬台や器具をキッチンに移してそちらで作業しているようだった。
製薬作業の都合上、水場が近い方が良いというのもあるのだろうけれど、一番の理由はひとりキッチンで生産に勤しんでいるカエデが「話し相手が居なくて淋しい」と愚痴っていたからだろう。ベルさんとナナキさんは〈調理師〉の天恵も有しているので、時には二人でカエデの作業を手伝ったりもしているらしい。
それに、ベルさんはシグレさんが外出する際には同行しなければならず、不在にする時も少なくない。そうした時にカエデという話し相手を得られるのは、ナナキさんにとってもメリットの筈だった。
シグレさんはとにかく忙しそうにしている。
自室や居間などで付与の生産をしておられたり、あるいは念話で誰かと会話をやりとりしている場合が多い。調理や霊薬、木工や鍛冶などに用いる素材の幾つかはスコーネ卿やバロック商会のゼミスさんに準備して貰う話になっているそうなので、その辺の交渉などがあるのだろう。
また、生産を進める傍らでアニストールさんに引率された衛士隊の人達を自宅内に7~8人ずつ、何度かに分けて迎えたりもしているのだけれど。その相手はシグレさんとシノさんの二人が担当していたりする。
50人分の何かを作るというのも勿論大変だけれど―――50人を相手に話を伺って武具の希望などを聞いたり、防具を準備する為に体躯のサイズを計測したりするのも、地味に手間が掛かる作業である。それをシグレさんとシノさんの二人だけでやっているのだから、想像するだけでも慌ただしい。
本当は武具の生産を担当するカグヤとユウジさんの二人も、衛士隊の方の相手をすることができればいいのだけれど……。生憎とカグヤは鍛冶ギルドを、そしてユウジさんは木工ギルドを利用している為に、自宅からは少し離れてしまっていて手伝うことができないのだ。
自宅内には鍛冶場設備が無いし、木工を行う為の生産器具の取り揃えもない。お店の〈エトランゼ〉まで出向けば鍛冶場はあるけれど、この雨期の中では湿気が籠りすぎてしまうから、お店地下の鍛冶場を使う気にはなれなかった。
そんな事情で、カグヤとユウジさんの二人は専ら各生産ギルドに備え付けられている工房へ籠りっぱなしになっている。
〝羽持ち〟であるユウジさんは自分専用の〈ストレージ〉を元々使うことができるし、カグヤもまた指輪の力のお陰でこの街中であれば。つまり〈陽都ホミス〉というエリア内に居る限りは、同じエリア内に居るシグレさんの〈ストレージ〉を利用することができる。
〈インベントリ〉だと合計で40種類までしかアイテムを収納出来ないという制限があるけれど、〈ストレージ〉にはそれがない。カグヤが持っていた素材は予め〈ストレージ〉の中に全部収納してしまっておいたので、あとは生産作業の最中、必要個数だけその都度取り出せば良いだけである。
打ち上げた武具なども、作り終わった傍から〈インベントリ〉を経由させて〈ストレージ〉の中に突っ込めば良いだけなので面倒が無い。
それに〈ストレージ〉の中に収納したアイテムはシグレさんの側からも取り出せるので、同じ街中であればカグヤとシグレさんの間では離れていても一瞬でアイテムをやり取りすることが出来てしまう。付与を施して貰う為に、完成品を逐一自宅まで持ち運んだりする必要が無いのも有難かった。
衛士隊の方の希望や身体のサイズを計測したデータを念話で伝えて貰い、その情報を元にギルドの工房でひたすら武具を量産していく。
自分の店の為の商品を作る時には、どうしても在庫状況や売れ行き、素材の費用などをいちいち考えなければならないので、生産ばかりに打ち込んでいられない部分というのも少なからずある。
けれど今回はその面倒を、シグレさん達が引き受けて下さっている。金槌を向ける先のことだけを考えて、日がな工房に籠っていられるというのは、これはこれでなかなか熱中出来て幸せなことでもあった。
◇
鍛冶ギルドの工房内で、一心不乱にカグヤは鍛造の鎚を振るう。
多数の武器を拵える必要があると言っても、いわゆる〝数打ち〟のような、粗悪品を量産するつもりはカグヤには毛頭無かった。
今回の件は、あくまでもシグレさんとアニストールさんの間で交わされたもの。
それは即ち、今回カグヤが用意する武具のひとつひとつが衛士隊の方にとって、シグレさんに対する評価に繋がるということでもある。例え一本一本の製作に潤沢な時間を掛けることは出来なくとも、せめてちゃんと胸を張れるだけの仕事はしておきたい。
(―――私は、シグレさんのことが好き、だから)
あの日、その想いを口にしてしまったのは、殆どカグヤにとって無意識のものではあったけれど。
伝えてしまったこと自体は、今も後悔はしていない。寧ろ言葉として吐き出し、真っ直ぐに自分の気持ちに向き合えたことで、胸の裡に秘められていた想いは―――あの日以来、カグヤの中でより大きく確かなものへと、徐々に姿を変えてきているようにさえ思えた。
アニストールさんが退出された後、その場で手伝いを申し出たカグヤに対して。即座にシグレさん快諾して下さった。
そうした、シグレさんが寄せてくれる無条件の信頼が嬉しい。
彼の信頼に応えたいと。身体の内側で、血潮が熱く滾っている。
本来であれば鍛冶職人というのは、金槌を己が為だけに振るう物だろう。
いや、鍛冶職人に限らず、きっと職人を生業とした者というのは誰であってもそんなものだろう。良い仕事をするというのは、第一にお金のためであり、第二に自己の名誉のためであったりする。
自らが為した仕事の結果が誰かの為になるというのは、単に名利を希求した結果の副産物に過ぎない。
―――けれどカグヤは、その金槌を、今回は好きな人の為だけに振るう。
良い仕事をして、喜んで貰いたいという想い。あるいは良い仕事を示した結果が、あの人の評価に繋がれば良いという想い。
迫真の意志を籠めて打つ地金が、鉄床の上で赤熱した火花を激しく散らす。
彼の名誉に掛けて、そして自身の想いに掛けて。妥協を良しとしない直向きな想いの儘に、ただカグヤは鎚を振るう。
シグレさんの付与の腕前を以てすれば、おそらくどのような武具さえ立ち所に一級のものとなるだろう。カグヤがどのようなものを渡した所で、最終的に出来上がった物へ衛士隊の方が抱く評価など、あまり変わらないのかも知れない。
けれど、それでも―――妥協をしたくはない。
シグレさんが手ずからに命を吹き込む品であるのだから。その品の性能や価値が僅かにでも高まるように、限られた日数の中で最大限の努力をしたいと思った。
お読み下さり、ありがとうございました。
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