143. デザート
「よ、宜しいのですか? その……あまり安くはお譲りできないのですが」
「構いません。品が品ですから高く付くのは当然のことだと思いますし、これ程の品を手放そうというのですから、それだけ必要に迫られておられることも察せられます。当座の現金でお支払いできるかは判りませんが……手持ちの宝石類を幾らか処分すれば、おそらく買い取ることができると思います」
淡泊に紡がれた承諾の言葉に、却って狼狽するのはアニストールのほうである。しかし、確認を求めたアニストールの言葉にも、シグレ殿はすぐに頷き答えてみせた。
額が額であるから、手持ちの現金だけで支払いきれないのは当然のことながら、それに宝石のような換金性の高い財の処分だけで支払いきれるというのだから。……何気にこのシグレ殿という方は、アニストールが想像している以上にかなりの財貨を蓄えておられるのかもしれない。
「……正直を申し上げれば、あまり乗り気では無かったのですが」
「そうなのですか?」
「はい。少し前まで、例えば〝身代わり人形〟のような『死を回避する』類のアイテムを探していたのは事実なのですが。……事情が変わり、今はもうあまり必要ではなくなってしまいまして」
そう告げながら、シグレ殿が密かにちらりと隣に座るカグヤのことを一瞬だけ見遣ったことが、アニストールにはすぐに判った。おそらくは〝羽持ち〟ではない彼女を護るために、必要としておられたのだろう。
この手のアイテムは、あくまでも緊急時に備えてのものであるから、『ひとつは欲しいが複数は要らない』といった代表的な品でもある。既に他の何かを手に入れたのであれば、今はもう必要でなくなったと言うのも、さも有ろう話ではあった。
だというのに、シグレ殿は買い取って下さるのだという。気持ち自体は大変に有難いものと思いながらも、その意図する所が判らずにアニストールが小さな困惑を覚えていると。
「保護対象者を後から何度でも自由に変更でき、それも相手の承諾を得ずに登録出来るというのは大変に魅力的です。自分たちのような〝羽持ち〟の冒険者は、そうではない人を同行させる時にどうしても躊躇いを覚えてしまいますから……。こういうのがひとつあると便利でいい」
シグレ殿は柔らかな笑みだけを湛えながら、アニストールにそう言って見せた。
それがアニストールへの配慮から出た言葉なのか、それとも単純に本心であるのかは判らないが。ともあれ、そう言って頂けるなら売る側としては有難い。
「ただ、このアイテムの買取りに関してはモルクさんから―――」
―――コンコン、と。
シグレ殿が続けて何かを口にしかけた、ちょうどその時。応接室のドアをノックする音が二度響き、シグレ殿の言葉は中断させられてしまう。
スコーネ卿の名前が出ていたので、アニストールとしては言いさした言葉の続きが気になる所ではあるのだが―――。
「どうぞ」
「失礼致します。遅くなりましたが、お茶をお持ちしました」
応接室のドアから姿を見せたのは、先程アニストールのことを門前から先導してくれたメイドの少女であった。
傘を差していたとはいえ、彼女も少なからず濡れただろうから。遅くなったのは別室で着替えていたからなのだろう。
彼女はとても慣れた手つきで、各席に温かな茶を淹れたカップを配ってくれる。まだ秋の初めとはいえ外の雨は既に充分過ぎる冷たさであったので、温かな飲み物は有難かった。
「シグレ様。カエデ様から、冷蔵室にあるデザートをお客様にお出ししても宜しいかどうか、訊いてきて欲しいと頼まれているのですが」
「デザート……? カエデがいいのでしたら、お願いしますと伝えて下さい」
「承知致しました。そう言って頂けると思いましたので、既に準備しております」
そう言って、案内するさいにシノと名乗った彼女が応接室のドアを開けると、そこにはシノとは別のメイドが既にスタンバイしていた。
アニストールほどではないが背丈が高く、また髪も長いようでこれを左右に束ねている。しかし凛々しい外観とは裏腹に、給仕してくれる彼女の挙動はどこか慣れない、危なげなものでもあった。
「……カエデ。どうしてメイド服を?」
「い、いやー……。あはは、シノがいっぱいあるから着ろって……」
「お客様に給仕をなさる以上、カエデ様にも相応の格好をして頂くのは当然です」
会話を聞く限り、おそらくシグレ殿にカエデと呼ばれている彼女は、メイドを生業としている者ではないのだろう。
シグレ殿は何人かの冒険者の仲間と共にここに済んでいると聞くから、おそらくはカエデ殿もその仲間のひとりなのだろうか。
「ヤウルティ・メ・メリですね」
「う……。さすがシグレ、知ってたかあ」
「知識として多少知っているだけで、実物を見るのも口にするのも、今回が初めてですけれどね」
サービスワゴンからカエデ殿が給仕してくれたデザートグラスの中には、小さく盛られた乳白色の何かに濃い橙色のソースが掛けられ、その上に粗刻みにされたクルミが乗っている。
カエデ殿が口にした〝ヤウルティ・メ・メリ〟というのが、このデザートの名前なのだろうが。生憎とアニストールは、このようなものを今までに一度として見たことが無かった。
これでも甘い物には、割と目が無い方なのだが。
「昨日、露店市でヨーグルトが安かったから買ってきたんだよね。もともとある程度は保存が利くものだし、うちには冷蔵室もあるし。デザートにでもどうかなと思ってたんだけど、ちょうど今日になってお客様が来るってシノから聞いたからさ」
「なるほど……。ありがとうございます、とても美味しいです」
添え付けのスプーンに掬い取って口にしてみると、甘味と僅かな酸味とが絡み合っていて、少し珍しい美味しさがした。
乳白色の酸味が利いたそれは、どうやら水気を抜いたヨーグルトであるらしい。甘い橙色のソースは蜂蜜だろう。材料を組み合わせただけの単純なデザートであるのに、クルミの食感も相俟ってなかなか侮れない。
特に作るのが難しいものでは無さそうだし。さっそく帰りに市で材料を購い、自宅でも作ってみようとアニストールは思った。
「乳漿を―――水分を抜くと、ヨーグルトは嵩がかなり減ってしまいます。もしもご自身で作られる機会があれば、多めに買われるのが宜しいと思います」
「……はっ」
いつしか、違いなくアニストールのほうを見つめながら。シグレ殿がそんな風に声を掛けてきていて。
心の裡を読まれた気がして、急にアニストールは恥ずかしくなる。……もしかして顔に考えが出てしまっていたのだろうか。
「―――失礼致しました。デザートの傍ら、先程の話の続きをしても?」
「は、はい。是非ともお願い致します。ええっと……確かシグレ殿が言いかけた言葉の中に、スコーネ卿の名前が出ていた気がしたのですが?」
「はい。今回の〝満月の宝珠〟の取引に関して、モルクさんのほうから事前にひとつアドバイスを……というより、提案のようなものをされておりまして」
「提案……ですか?」
どういったものなのか思い当たる物がなく、アニストールは首を傾げる。
「アイテムの代金は、現金にてお支払いするのでも無論構わないのですが。何でもモルクさんの話に拠れば、アニストールさんとしては、こちらから対価として相応の霊薬をお渡しする形で購った方が都合が良いそうですね?」
「あ……そうですね。宜しければそうして頂けますと有難いです。現金で頂戴しても大丈夫ですが、その場合はその資金を元手に、僕の方からシグレ殿に霊薬をお譲り頂く交渉をさせて頂くだけですので」
「なるほど。それでは確かに二度手間ですね」
そう言って、シグレ殿は小さく苦笑してみせた。
「モルクさんからは、こう言われています。〝満月の宝珠〟の対価を現金で払うにせよ霊薬で払うにせよ、その取引の仔細については私の関与する所ではない、と」
「承知しております。それは当然のことかと」
「ええ、自分も同じ考えです。ですが、そう前置きした上でモルクさんはこのようにも言われました。―――もしもシグレの都合が良いのであれば、私の方からも幾許かの資金を援助する故、アニストール率いる部隊のことをより総合的に面倒を見てやってくれないか、と」
「総合的に……?」
総合的、というのは一体どのような意味なのだろう。
スコーネ卿の意図する所が判らず困惑していると。そのアニストールの心情を見透かしたかのように、シグレ殿はこちらに小さく頷いて見せた。
「アニストールさんに、ひとつ問題を出したいのですが」
「はっ―――。な、何でしょうか?」
「既にご存じかもしれませんが、この自宅はモルクさんから借り受けている建物でして。自分はこの邸宅の賃料として、月にどの程度の謝礼をモルクさんに払っていると思いますか?」
「……え?」
スコーネ卿の意図も判らなければ、シグレ殿のその質問の意図もまた判らず。
アニストールはただ、頭を占める困惑を深めるばかりであった。
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